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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第5章 そして夜が明けたあと、百億の怒り
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5-68 炎の翼




 無人機ジーゼロの単眼宝珠が、いつの間にか出現していたティンホイル・ヘッドギアで覆われている。この導体篭は単に周囲の光学情報を遮断するだけのものではない。毒電波呪文による思考盗聴から身を守るための防衛機構だ。稲妻のみならず電磁波を制御可能な空の民対策として、このヘッドギアは合理的な装備である。


「告発する。ヨグウム社の製品には全てマイクロチップが埋め込まれており、密かに国民を監視している。抜き取られた個人情報は全てクロウサー家およびディープステートに流れており、不穏分子と見なされた場合は黒服の男たちによって拉致され、安全性の確かめられていない霊薬の実験体となり闇に葬られてしまうのだ」


 続けて機体の上部装甲がスライドして内部構造が露出。自動整備システムの働きによってマイクロチップが排出される。自動音声がセキュリティソフトのアンインストールを告げ、ワクチン呪文の消去と自然派自己免疫システムの導入を開始。その全てが邪悪な陰謀への対抗手段だ。


「太陰文明はでっちあげ。聖絶はなかった。エーラマーンのフェイクニュースを信じてはならない。疫病型吸血鬼はドラトリア政府が開発した生物兵器で大神院と裏で繋がっている。これらすべてにディープステートが関与している」


 リーナが開いた門を強引に潜り抜けてきた無人機の呪文は力強い。

 終わりのない陰謀論が無窮の空に響く。

 無限の広がりを有するエクリーオベレッカ城内で、異様な戦いが始まろうとしていた。リーナは乱入してきた黒鉄の棺がテセトに向かっていくのを呆然と見ていたが、すぐに我に返って状況の危険さを理解する。これは下界で行われていた選定レースの続きだ。このままではジーゼロに追い抜かれる。


「世界の複雑性に、人は追い付くことができません。全ての民が叡智を手に入れるために、どれだけの時間が必要でしょうか。どれだけの道のりを舗装するべきでしょうか。そして、どれだけの速さがあればいいのでしょうか」


 波濤の如き陰謀論呪文の連射を、テセトはたじろぐ様子もなく受け止めている。

 常日頃から荒れ狂う情報の乱流を制御している彼にとって、陰謀論は慣れ親しんだものでしかない。否、むしろ彼自身がそれを意図的に流布し、『調整』している可能性すらあった。『本当の陰謀』を呼吸するように巡らせながら『陰謀論』で大衆を誘導することくらい、クロウサーならば平然とやってのけるだろう。

 何らかの対抗措置をとらなければ置いていかれる。


「わたしっ」


「私、バカだから難しいことわからないんだけどさあ」


 リーナが焦って口にしようとした呪文は、強引に被せられた別の呪文によって掻き消された。モーエンの呪文だ。

 先を往く空使いの背が、圧倒的な試練として立ちはだかっている。

 リーナだけではなく、ジーゼロに対する『反撃』が行われようとしていた。


「これがミブリナ様の見ていた世界? やっとたどり着いたのに、『アレ』はなに? 理解できない、わからない、文字化けしてて読めない。空使いはこの先に進まないといけないの? ダウじい、無茶言わないでよ私には無理だよ」


 これはテキストベース・サーキットにおける『回想』だ。

 同時にモーエン・エジーメ・クロウサーという個人の精神の発露でもある。

 浄界構築にも似た、内的宇宙の拡大と世界照応。

 モーエンの六芒星が天地を埋め尽くし、異形の宴が空を夜で染めた。


「なんなの? この城を埋め尽くす形容しがたい、『アレ』をどう説明する?」


 モーエンの嘆きと困惑は止まらない。

 エジーメきっての天才、ダウザールやミブリナに続く偉大な魔女にしてクロウサー中興の祖とも呼ばれる大呪術師は、しかし晩年を苦悩の中で過ごした。

 下界の猥雑さと困難さ、社会の複雑性に圧倒され続け、己の愚かさに絶望する日々。天上に挑むたび、彼女は心を折られ続けた。


「追い付けない。ミブリナ様に届かない。ダウじいは遠すぎる。どうすればいい?」


 冥府でダウザールより蹄鉄を授かった四大血族以降、ミブリナに比肩する空使いは長いあいだ現れることがなかったが、モーエン・エジーメ・クロウサーはその状況を一変させた異端児であったとされている。

 戦乙女たちの始祖と契約を結び、六芒星に記号と象徴を紐づけることで『天空神に連なる御使いの伝承』をひとつの呪術基盤として完成させた。


 モーエン・エジーメ・クロウサーの建てた頭装宮とうそうきゅうは現在も義国アルセミットの文化遺産として知られ、髪の毛を呪力リソースとして扱う技術は現代でも発展を続け、民間レベルから企業レベルまで呪術文明を基底から支えている。

 『下』の子供でさえ教科書で習う偉人。だがその生涯には怨念が付きまとう。


「わかんないわかんないわかんない! 『 』と叫んでも声にはならない。文字にすらできない。ありのまま世界を理解なんてできない。この手に握らなければ理解ではない。物語がいる。記号が必要だ。感情によって『自分のこと』だと思わなければ熱意が持てない。つまり萌えがないとダメ」


 声がかすれるほどの懊悩の果てに、モーエンはひとつの答えに辿り着いた。

 ある意味で、端から端まで振り切った極論に。


「届かない言葉に意味はない。想いよ届けと願うなら、想いは単純にしなければ。しかし誰かの人生おもいを全て体験していたらそれは自分の人生おもいではなくなってしまう。単純化だ。キャラの記号。属性。どういう切り口で萌えようか?」


 魔女の手が真下に伸ばされて、藍色の海に浸される。

 網羅することが不可能な『完全』から、ごくわずかな『不完全』を掬い上げる。

 それは創造行為であり、生殖行為でもあった。

 神の御業。それは同時に女の機能でもある。

 モーエンは母なる女神として覚醒していた。


 苦痛と歓喜の声が響く。魔女の股の間から大量の髪の毛たちが生み出されたのだ。異形の赤子たちは産声を上げる。世界への賛歌であり呪詛だった。また続けての出産でガラス細工の義眼が幾つも転がり落ちる。それらは濁った金色を宿そうとして失敗し、融け落ちて藍色の海に沈んでいく。最後に、無脊椎動物の如き触手が魔女の胎を突き破って産まれた。貪欲に喰らい増えるその特性が奏功し、無限回の試行と変容の果てにそれらは風を食む天牛に至った。牛たちの翼は触手の名残なのだ。

 頭。目。腕。不完全なできそこないのまま、記号は翼となる。


「森羅万象の『ことわり』を貫く大いなる紀元槍。天地をうつろい満たす藍の海。説明が必要な全てのことを語る時間はない。もっと速く。選び抜くべき。要素を絞れ。神話がそれを可能にする。人は、私はどうすれば萌えられる?」


 生み出す。出産する。腹を裂いて現れる。魔女の産道は冥道に通じ、また女神の股ぐらは天の御殿と結び付いた門でもあった。

 藍から掬い上げる。遠くの『アレ』を空と海から引き千切る。

 超越的なものは、キャラクターとなった。

 映画の場面転換のように、世界が切り替わる。

 擬人化された神が、空の彼方から飛来する脅威と戦いを繰り広げる光景。

 『クロウサーの真実』を単純化すると、このようなものが出来上がる。


「『槍持つ少年神』と『天空城を統べる老人神』にしよう。『外なる未知』は邪悪な宇宙人だ。それがいい。わかりやすく、この世界の守護者と侵略者として配役する。私は馬鹿だから、難しいことはわからないからこうしよう」


 少年と老人は仲間たちと共に勇猛に戦った。恐るべき侵略者たちの数は多く、対話できるものはごくわずか。絶望的な戦いの中、悲劇は起きた。

 清く正しく勇敢な若者による英雄的な献身。

 徳深き古老による子供たちのための自己犠牲。

 槍神は自己を保てぬほどの深手を負い、天神はうつろな残骸と成り果てた。

 モーエンの解釈した『設定』では、そういう神話になっている。


 主なき楽園と天の御殿。空席を埋める必要があった。

 並行矛盾史。数多の来訪者と無数の可能性の中には希望が残されている。

 明藍の賢者アルカェと七つの風の主シャーネスには、そのわずかな希望を手繰り寄せる道筋が見えていた。ハグレスとクロウサーの蜜月の始まりがどこであったのかを明確に定めるのは難しいが、ある意味でそれはこの瞬間であったのだろう。


「なに、これ?」


 リーナにはその断片的で抽象的な光景の暗示するものがわからない。

 ただ、わかりやすくしようとしたがゆえに、かえって本質が見えなくなっているような気がする。これは正しく真実なのか? 過去にこんなことが起きていたのか?

 確かなことがある。


 あの天を統べる老人は、ダウザールとよく似ていた。

 というより、ダウザールがあの神に似ているというべきだろう。

 そして城内を満たす藍の海、『アレ』と呼ぶ他にない形容不能な存在から全く同じ印象を受けることにリーナは気付いていた。

 モーエンが神話を歌うたびに、藍の海が応えるように振動を繰り返す。

 眠たげな口調は、微睡みの中で発する寝言に近い。


「世界から流れた救済の青き血はクロウサーを天と人の中へと融かし込み、血族は異邦の神から零落した。我らは赤い鮮血が流れる生身の人間としてこの世界に根付くだろう。播種の夢は果たされた。悪夢はついに醒めたのだ」


 神話から、痛みとともに血が流れた。

 藍の血を啜ったモーエンの胸から垂れ下がるのはおびただしい数の複乳。女神の乳房は千を超え万に達し億と連なりそれらの慈愛に吸い付いた記号の群れが家畜となって選別され配合され改良され完成していく。


 大量生産された天牛は腹から切り開かれ、丁寧に臓腑を除かれたあと部位ごとに分けられ、羽の生えた肉となって小売り店へと飛んでいく。小売りから先は書物メディアあるいは人の口へ。肉は食され、人の滋養となる。その仕組みを大衆は知る由もないが、人もまたモーエンの乳で育まれた子供たちに他ならない。


「来るがいい、挑戦者よ。そちらの作法に合わせ、絡繰り箒で相手をしよう。心配せずとも私の持つ術理でも似たようなことは可能だ。ファーラッセ、変形しろ」


 空使いはリーナたちを確かに認識していた。

 振り向いたその目に宿るのは己への絶望。あるいは挑戦者への微かな期待。

 命令に従って、モーエンの乳を吸っていた金髪ツインテールのメイドロボが変形を始める。古代の球体関節人形はありえない形に複雑骨折した後で青い血に呑み込まれたかと思うと瞬時に機甲箒に変じた。金属質の音声が響く。


「バズワード収集。ネットミーム展開。モーエン様の萌えキャラ化およびネタキャラ消費を開始。アストラルネット上の改変コピペと組み合わせることで庶民的イメージとの親和性を向上させます」


 『モーエンの念写映像、背後の本棚でまさかのオタバレ』『『めがぽにっ! 触手委員長より愛を込めて』が全巻揃ってて笑った』『萌え萌えモーエン』『俺たちのモーエン』『クロウサー家の空使い様、まさかの限界オタクだった』などの呪文が伝播し、特定傾向の風潮となって世論を形成。モーエンという人物像が曖昧に遠ざかる。為政者としての実像が上書きされ、『キャラクター』としてのイメージが定着する。

 

 それはリーナから言葉を失わせるほどの『空使いの真実』だった。

 この『回想』でさえ、どの程度まで脚色された物語なのかわからない。

 更に言えばこの演出によってどこまでがモーエンの『本当の姿』だと主張したかったのかすら定かではなかった。それを確かめることは、あるいは時間遡行者にすら不可能なのではないだろうか?


「万民が叡智に辿り着くことはできない。叡智は抽出され、選別され、わかりやすく翻訳されなければならない。さもなくば人々は荒野の中で迷い、道を見失って困窮するのみです。その果てに待つのは悲劇でしょう」


 モーエンを追いかけるリーナと並走するように、テセトの風が囁く。

 彼はそれを信じているし、そう確信するに至るだけの結果を見てきたのだろう。


「それは、でも、傲慢な考え方じゃないの? 自由意志や尊厳を無視してる」


 正体不明のジーゼロ、あるいはその背後にいる何者かにだって相応の事情があるはずだ。垂れ流される陰謀論はそうせざるを得ない悲痛な叫びだとリーナは思う。


「政府は正しい情報を開示せよ! 偏向報道をやめろ! 国民の洗脳教育をただちに廃止し、世界の真実を子供たちに伝えろ!」


 では真実とは何か。

 望む情報を、望むだけ伝えてやれば世界は変わるだろう。

 そう、この世界は簡単に変えてしまえるのだ。

 テセトはまさにその事実を憂いている。

 

「傲慢という指摘はもっともです。では今から私がこの扇を畳み、広げていた言の葉の風を凪ぐように方針転換したとしましょう。どうなると思いますか?」


「それは、みんなが自由に情報にアクセスできるようになって」


「太陽のコロナはデマ! 神授説によって王に与えられたコロナはフェイク! 吸血鬼由来のワクチンは世界を影から支配しようとするスキリシアの陰謀! ティリビナ人工作員による世論誘導を許すな! ティリビナの巫女はゴム人間! 中身は枯れ木族の化け物! 修道騎士には『下』のレプティリアンスパイが紛れ込んでいる!」


 ジーゼロの叫びを耳にしたリーナは慄然とその意味を噛みしめる。

 自由。その重みを、リーナは本当に理解できていただろうか。

 邪視者が力を持つゼオーティアでは、世界を変えることはたやすい。

 社会のタガが外れることも。小鬼が生まれることも。

 全て、簡単なことだろう。


「そう、クロウサーによる情報統制がなければどうなるか、もうおわかりですね? 全く同じことをあらゆる勢力と個人が実行し、収拾がつかなくなるのです。世界はその複雑さゆえに、複雑性に耐えることができない」


「仕方がないから、クロウサーはこれでいいって開き直るの?」


「リーナ様。確かに私は傲慢なのでしょうね。ですが、傲慢であることを放棄するのは無責任ではありませんか? これを開き直り、思考停止だと言うのであればその通り。しかし私たちは、既に最も巨大な勢力のひとつとなってしまっているのです。生まれながらに、力を持つ者としての責任があります」


 先を往くモーエンに追い付けない。

 高みから吹き降ろし、世界に広がっていく『扇風』がリーナの往く手を阻んでいた。巨大な山脈を動かせるはずもなく、それゆえに吹き降ろす風を止める術もない。


「さあ、リーナ様。より良い物語をお選び下さい。この私めの傲慢な風を打ち破るのか。大衆を家畜の如く飼い馴らすモーエン様の慈愛を砕くのか。あなた様が進むべき行き先、リーナ様だけの『道』とはどのようなものなのか。どうかご決断を」


 それが挑発なのか期待なのかさえ、もはやリーナには判断不能だ。支配者と陰謀論者が対峙する光景を前に、リーナは変革の道を見失って途方に暮れる。

 途方もない疲労感が魔女を襲う。それは空使いに圧し掛かる重責であり、城内に満ちる複雑性と単純性の呪いだ。モーエンとリーナの心が重なり、諦観が飛翔速度を鈍らせていった。このままいけば、選定レースは両者の敗北で終わるだろう。

 モーエンの慈愛に満ちた囁きが、風に乗って耳に届いた。


「それもまた良し。目を閉じ、己の前だけを見ているがいい。天からの視点など、最初から人には過ぎたものだったのだから」

 

 クロウサーという血族の内側にいるリーナでさえ、何をもって信じるかの判断基準のほとんどは『権威』でしかない。封じられていた記憶が蘇ったことで『塔』という外部の視点を持てるようになったことは確かだ。しかし『塔』とて別の権威、別の立場、別の利害関係者でしかないこともリーナにはわかっていた。神々でさえ、絶対的な中立視点や普遍の真理などというものを持ち合わせてはいないのだ。


 リーナは自問自答する。自分には空使いの資格などないのだろうか?

 きっとそうなのだろう。

 チョコレートリリー。ガルズとの約束。立場による呪縛。

 リーナは神ならぬ人だ。

 どう足掻いても、完全な支配者になどなれないだろう。


「なんか、なんかさあ!」


 子供のように食い下がる。終わりにはできない理由があった。

 下界がまだ見えている。

 ここではない場所で、ダウザールに囚われた自分に手を伸ばす誰かがいる。

 撃鉄が目覚めを告げ、広げた翼は赤く燃え盛っていた。

 その熱がここまで届くはずもない。だが、リーナはその物語に心動かされた。

 もちろん、メートリアンのことだから自己演出による観客の反応まで計算して飛翔していることは間違いないだろう。


「『実はお茶目な一面のあるダウじいのプライベートに迫る』っと」


「野望を暴け! 陰謀を打ち破れ! 闇の政府とエリートたちを処刑しろ!」


「果たしてクロウサーは善か悪か。ガルズ様の見た全てが正しかったのでしょうか? リーナ様、答えを出す時です」


 呪文はしょせん、呪術の一形態でしかない。

 呪術的思考。人はどこまでも人であることに縛られ続ける。

 クロウサーと対峙するということは、人間社会と対峙するということだ。

 だからリーナは、まず対人関係の基本に立ち返ることにした。


「乱暴だよ、全体的に。テセトさんの言うこともわかるし、責任って重いんだろうし、私が思うよりずっと難しいことだらけなんだと思うけど。それでも、今のあなたの言い分をそのまま受け入れることはできない。そもそもの話として」


 冥府を照らす炎の翼を意識する。モーエンが藍の海から不完全な記号を掬い出したように、リーナは真下に手を伸ばして熱を掬い上げた。

 熱い。灼熱が腕を伝って肩に届き、風に流れていく。

 ちっぽけな翼を背に、大いなる慈愛と対峙する。


「傲慢以前に、過信だと思うよ。自分なら世界中の情報を正しく統制して良く導けるって本当に考えているならさ、証明してよ。その能力をさ」


「リーナ様? 何を」


「今から私、超燃えるから」


 『炎上』という呪術基盤がある。

 アストラルネット上の現象から転じて『呪文の集中と飽和』を意味する呪術だが、一流の呪術師ならば超人的な工作、あるいは使い魔の活用によってこれを意図的に引き起こすことが可能だった。リーナも魔女の端くれであるから、この高位呪術を学んだ経験がある。もっとも、基本的には『対処のため』ではあったが。


「いったい何が狙いですか? アルゾラ家には鎮火術の備えがいくらでもございます。我らより『炎上』呪術に通じた勢力など、それこそ太陰の司書でもなければ」


「大炎上リーナちゃんの生きざまを見晒せぇぇぇぇ!!!!」


 『炎上』対策に関して、リーナの成績は平凡なものだった。

 ごく普通の自衛策や呪文防壁、風化呪文や対抗炎上法などをそれなりにこなせるのみで、ネット消防団の教官からかろうじて及第点を貰った程度。

 だが『燃やす』という一点だけは違った。

 厳密に言えば『自分が燃える』という点においては、である。


「うおおおお店のアイスケースでコールドスリープチャレンジ! ヨグウム製の監視宝珠の目を掻い潜って何秒間動画配信できるかな! よっしゃあ新記録! ヨグウムチャレンジにも大成功! 勝ったどー!」


 過去の念写映像が垂れ流され、瞬く間にアストラルネットを席巻。

 当人の話題性もあり、それらは即座に燃え上がった。

 リーナには天賦の才があったのだ。

 呪術を学ぶまでもなく、炎上を引き起こす才能が。


「祝祭食べ歩き記念! 全お店と屋台の食べ物をコンプリートしてタワーにしちゃえ! ものども見上げろ! これがクロウサーの権力と資金力だー! うらやましかろー! めっちゃおいしー! たのしー! うわああ倒れたああああ!!!」


 仮に後先を考えない迷惑行為で多大な損害賠償を請求されたとしても、クロウサー家の権力と財力がある限りリーナは無敵だ。

 普通なら人生が捻じ曲がるレベルの炎上を、リーナは繰り返し引き起こせる。


「はい、というわけでね。食べ物で遊ぶなってめっちゃ怒られましたんで、反省してぐちゃった食べ物でパイ投げ系のイベントやっちゃおうとおもいまーす! もうすぐレース始まるし、景気づけにみんなで騒いじゃおう!」


 もちろん、その対処にあたるのはテセトだった。

 部下であるアルゾラ家の呪術師たちに指示を下し、即座に火消しを開始する。

 だが、それでもリーナの炎は燃え続けた。


「今回のレース、規定量までなら霊薬オッケーなんだって! つまり魔女式ドラッグパーティ解禁ってこと! ガロアンディアンはおおらかでいいよね! そんなわけで、じゃーん! 今回は皆にもトリップ飛翔感を味わってもらいたいので、観客席で提供されるドリンクにサービスでいい気分になれる霊薬混ぜ混ぜしちゃいまーす! 合法だしそんなに後には残らないから安全! 皆で一緒にアゲてこーぜ!」


「は? いや本当にやったんですか? それは幾らなんでも冗談では済まな」


 血の気を失うテセトの前で、リーナが背中から炎を噴射して加速。

 燃料が続けて追加されているのだ。速度が上昇し続けている。

 気付けば、記号の赤子をあやしながら飛ぶモーエンに迫るほど肉薄していた。

 空間的な距離にもはや意味はない。リーナの加速がモーエンの最高速を上回る。


「みてみて、『頭を垂れよ、地虫ども』ダンス。頭が下がってれば足は上がっててもいい理論! これでパーンにも大勝利だ! ありがとう地虫ダンサーのみんな! お礼に平伏してもらいました! クロウサーの権威にひざまずけー、ウェーイ!」


「リーナ様。少々よろしいですか? 私から大事なお話が」


「てかおにーさん下半身すごくね? もうあれじゃん安産型! 安産型ブルドッグ! あの念写動画ってガロアンディアンじゃなかった? え、会見でダンスに派生するやつ投稿したのっておにーさんなの? すっげサインください!」


「おい」


 真顔で細い目を見開いたテセトに、更なる追撃。

 加速するリーナに続いて、ジーゼロが怒りを抑えるかのように機体を震わせていた。吐き出されたのは、煮えたぎるような呪詛の塊だ。


「傲慢な義国のブラック企業どもに天誅を下す。これはバイトテロではない。お前たちの傲慢に対する裁きである。もだえ苦しんで死ね」


 ジーゼロが虚空に投影した立体幻像には、黒檀の民の労働者が飲食店で働く様子が映し出されていた。

 たった一人で激務をこなす外国人労働者の目の前で、喉を押さえて次々と客が倒れていく。男の瞳にあるのは世界全てに対する憎悪。本物の『バイトテロ』が引き起こした惨劇がリーナの悪ふざけと相乗効果を引き起こし、延焼に次ぐ延焼が猛火を招き、暗い熱がアストラルネットを焼いた。


 リンチによって殺害された男性に縋りつく黒檀の民女性の顔には水晶のバイザー。男の友人だった肉体労働者たちが、高学歴で専門的な呪術資格を有する女性に対して拒絶と罵声を浴びせる。

 断片的映像に焼き付いた憎悪の火こそが陰謀論の裏に隠された真実の呪詛だ。

 

 燃える、燃える、燃え広がる。

 下界で錬金生物と化した箒がジェット噴射で加速する。

 その勢いと呼応するように、リーナの背で炎の翼が力強く羽ばたいた。


「『地下アイドル『空組』のメンバーにしてクロウサー家の若き当主リーナ・ゾラ・クロウサー、まさかの熱愛発覚! お相手はテロリストのネクロマンサー!』だってさ! いやーすっぱ抜かれちゃったなー困ったなー」


「馬鹿なんですかあなたは?!」


「私、バカだからむずかしーことわかんないけど、それっておかしいと思う!」


「おかしいのはお前だ!」


 リーナの炎上速度にテセトの火消しが追い付けない。

 熟練の呪文使いの胃に穴が開き、円形脱毛症になり、若々しく保たれていたテセトの容貌はやつれてボロボロになっていく。

 本来のテセトならこの程度の炎上は片手間で対処できる。


 だが、『私バカだから』はダウザール主導で構築した呪文であり、そうして作り上げられたリーナのパブリックイメージはテセト自身が協力して世界に広げたものだ。それを、リーナという新たな空使いが己の立場を自覚した上で全力で燃やせばどうなるか。天の御殿に届く呪文使い三人分の呪力を、テセトは処理しきれない。

 テセトはクロウサーの力によって敗れるのだ。


 燃える翼がもたらす加速は、いつしかモーエンの速度を凌駕していた。

 先を往く空使いを上回ったという自覚はない。

 模倣しただけ。だが同じ道を進むことはなかった。

 リーナが掬い上げたのはモーエンとは違うものだ。

 炎の翼を横目で見ながら、老いた魔女が呟く。


「そう。じゃあ、ここでお別れしようか」


 風は広がり、道が分かたれていく。

 追い抜くのではなく、別々のコースに進むことでリーナは答えを示した。

 明確な結論を示すわけではなく、リーナはクロウサーの限界を指摘し、その先へと向かう。城内に広がる炎の中で、テセトは己の敗北を認めて目を閉じた。


「誰が我々から奪っている? ディープステート。そしてクロウサーだ」


 その直後だった。ジーゼロが内包した呪詛を展開し、自爆の呪文を解放しながらとどめとばかりにテセトに突っ込んでいく。

 炎の中でテセトは動けない。死を恐れないジーゼロの怒りが彼を殺すだろう。

 その構図を、リーナはかつて目の当たりにしたことがある。

 答えはもう、そこにあった。


「言理飛翔・百倍減速!」


 藍の海から掬い上げた触手が時間と空間を縛り上げ、破滅の瞬間を引き延ばす。

 リーナの妨害呪術によってテセトは命を救われ、ジーゼロは起爆の瞬間を逃したまま停滞し、両者ともに沈黙する。

 それがリーナの選んだ道。クロウサーとどう戦うのか。七つ風という試練をどのように乗り越えるのか。その指針が明確に定まった瞬間だった。


「いっぱいめんどい事後処理させちゃってごめんね。テセトさんは本当に頑張ってくれてると思う。私にはあなたが必要だし、これからも手伝って欲しい」


「リーナ様、あなたは、どこまで」


 愕然とした表情で目を見開くテセト。

 リーナは広がりゆく風を手の中に集め、それをテセトの手に変えた。

 強引な握手。それは支配者による決定である。

 悠久の時を生き、数々の空使いに仕えてきた男の目に畏怖と敬意が宿る。


「でも、私はこっちの声も無視できない。しちゃ駄目なんだって思うの」


 完全に停止し、置いていかれるジーゼロを見ながらリーナは言った。

 その背後に隠された意思の正体はわからないまま。

 それでも、秘められていた怒りは紛れもなく本物だった。

 そして、ジーゼロの中にあった怒りはクロウサーに向けられた激情のうち、ほんのわずかなものでしかないのだ。ガルズが率いた大量の死がそうであったように。


「だから、どうすればいいのか一緒に考えて。私、バカだからむずかしーことわかんないけど。わかんないことだらけだけど。だからこそ、わかるようにいっぱい勉強するよ。ほんとうの意味で、空を自由に飛びたいから」


 リーナはそう言い残して先へと進んでいく。

 彼女が下した決定は絶対であり、議論する余地はない。

 真の選定は始まったばかり。それでも、彼女は正しく空使いだった。

 テセトが当主の決定に異を唱えようはずもない。

 空中で跪き、扇を閉じてから胸に手を当てて礼をする。

 七つ風のひとりが、確かに己の主を認めた瞬間だった。


「まったく、嵐のようなお人だ」


 新たな当主の背を見送りながら微笑むテセトの表情は晴れやかだった。

 ふと、端末への通知に気付いて確認する。

 いつの間に撮ったのか、妄想と美化を含んだ念写画像が送りつけられていた。

 もちろん、当然のようにアストラルネット上にもアップロードされている。


「頼りになるテセトさんとの念写ツーショ♪ てか若過ぎて笑う! これでは超セレブ空使いリーナ様が若い男を囲ってるって噂になっちゃいますな~。勝利の仲良しフライト! 年齢的にはほぼパパ活で~す! テセトパパ~お小遣いちょうだ~い!」


 『仲良しフライト』に他意はない。だがレメスのせいで『仲良し』に文脈が発生してしまっている。ゆえにこの投稿は可燃性である。

 リーナには炎上の才能があった。

 ありすぎた、と言っていい。


「こ、このクソガ」


 最後に火種を置いて去ったリーナに罵声を浴びせる暇さえなかった。

 赤い爆発が咲き誇り、城内に衝撃と轟音が響く。

 だがそれは、これからテセトに待ち受ける苦難の始まりでしかない。

 炎上する世界には目もくれず、リーナは未来に向かって羽ばたいていく。




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― 新着の感想 ―
炎上の才能は説得力ありすぎて笑った
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