5-25 舞台裏の死角③
シナモリアキラなら無料。
新時代の転生者となって、第五階層を駆け巡ろう!
空前絶後のラストマンスタンディング!
戦って戦って戦い抜いて、最後まで立っていた奴こそが真のシナモリアキラだ!
キミもガロアンディアンにダイブして、レッツ転生!
無数の幻像広告が夜闇を斬り裂いて天を染め上げる。
涼やかな声が街を震わせると同時、都市の上空に巨大な飛行船が現れた。
最近になって外からやってきた者たちは耳を疑い、第五階層の住人はまた始まったと即座に受け入れるお決まりの流れ。
ガロアンディアン、本日の天気は晴れ。
ところによりシナモリアキラ。
上空の飛行船から一斉に飛び降りた無数の人影が雨あられと都市に降ってくる。
彼らはゲームプレイヤー。老若男女、多種多様な顔ぶれが集い、その力を競い合う。
きっかけはとあるゲーム好きな魔女の思いつきだった。
『祝祭期間中、バトルロイヤルゲームがやりたい』という要望を受けた機械女王は快諾。転生神たる都市管理システムも二つ返事で承認した。
話はそこから更に広がり、それに先立って行われるオープニングイベント、なんでもありのエキシビジョンマッチをやろうという話に発展する。
我こそはと名乗りを上げた実力者たちが激突する大乱闘。
これから始まるのは、妖怪の名を冠した猛者たちによるシナモリアキラ決定戦。
もちろん、ただの遊びであるはずもない。
『マレブランケの空席を埋めるため、シナモリアキラ選が行われる』という噂を受けたガロアンディアン側の対策だった。
ゲーム開始がアナウンスされた直後、市街地フィールドを妖怪の名を冠したシナモリアキラたちが駆け巡る。
かつてオルヴァ王が発生させた十二人の内的闘争とは規模が違う。
百を超える新世代のシナモリアキラたちが乱舞し、無秩序に激突する。
「サイバーカラテを信じるのです。さすればシナモリアキラは我らを救済するでしょう」
「愚かな。サイバーカラテそのものは神にあらず!」
「サイバーカラテは既にシナモリアキラそのものです。大いなる力、異界より授けられた神威の輝きは軽々に穢されるべきではない。実践者は選ばれなければならない。汚濁にまみれた異端者よ、悔い改めなさい」
「下らぬ! かの紀人を神とするならば、サイバーカラテは器! 紀元槍より流出した神の容器こそサイバーカラテであるというのがシナモリアキラが伝えた思想だ! シナモリアキラの本質とはサイバーカラテから抽象された観念。世俗に有ることでサイバーカラテは聖性から切り離された。神とは別個の存在なのだと何故わからぬ!」
「本質を見誤っているのはそちらです! 見なさい、公式フォーラムの惨状を! 愚劣な流言飛語が飛び交い、集合知とは名ばかりの無価値な車輪の再発明ばかりが山積した地獄絵図! 私の信仰こそがサイバーカラテを前進させる最適解だと何故わからない!」
「プレミアムの奴隷が!」
「無課金の寄生虫め!」
「俺は全部入りじゃなく必要な機能だけ個別に利用してるだけだ脳死プラン野郎!」
「熟慮した上でコスパがいいからプレミアム会員やってるんだろうが貧乏人!」
死闘に次ぐ死闘。己の信念を貫くため、戦士たちが拳をぶつけ合う。
倒されたシナモリアキラはドローンに回収されて場外へ。
戦闘が激化していく過程でその数は絞られ、より純度の高いシナモリアキラたちが生き残る。上空の飛行船がぶら提げている幻像掲示板には無数の『異名』が記されていたが、そのひとつひとつが既に強大な呪力を宿していた。
『百鬼夜行』『大蛇』『河童』『覚』『犬神』『鵺』『赤心山両面坊』『土蜘蛛』『一反木綿』『皿鮫』『海坊主』『泥田坊』『釣瓶落とし』『牛鬼』『垢嘗』『飛頭蛮』『鉄鼠』『山姫』『のっぺらぼう』『三尸』『九人ミサキ』『面霊気』『山彦』『木霊』『一目連』『龍喰丸』『枕返し』『文車妖妃』『雪女』
シナモリアキラが飛ぶ。シナモリアキラが投げる。シナモリアキラが変身する。シナモリアキラが泳ぐ。シナモリアキラが巨大化する。シナモリアキラが夢に出てくる。シナモリアキラが反響する。シナモリアキラが記される。シナモリアキラが咲く。そして。
「凍れ」
シナモリアキラが冬をもたらす。
「畜生、聞いてねえぞアンタが出るなんて! こんなの不正だ、勝てるわけねえ! シナモリアキラになって豪遊しようと思ったのによお!」
大半が凍り付いた蜘蛛脚型義手を軋ませながら殴りかかった男の泣き言を、呪織布で覆われた細腕が強引に黙らせた。しなやかに払われた腕が荒々しい打撃をいなし、勢いのまま背後へと流す。体勢を崩した男の背に、冷徹な宣告。
「残念ながら不正ではありません。豪遊は最初から無理です」
白い着物を纏った銀雪の少女が杖を振ると、先端の呪石から呪文が展開。発光と同時に氷塊が形成され、投射された質量がシナモリアキラの背中に直撃する。杖の下部から色褪せた石が排出されると同時、周囲に拡散した『炸撃』が簡易障壁となって流れ弾を防いだ。
少女が使っているのは古めかしいリクシャマー式の氷炎自動小杖《FW1801》。
巨大な眼帯で顔の右半分を覆い隠した『雪女』はありふれた杖と市街地にばら撒かれた呪符や宝珠などを活用して次々とシナモリアキラたちを撃破していった。
「シナモリアキラの『雪女』、いったい何者なんだ」「シナモリアキラの『雪女』、いったい何者なんだ」「シナモリアキラの『雪女』、いったい何者なんだ」「シナモリアキラの『雪女』、いったい何者なんだ」
第五階層に彼女を知らぬ者はいない。
にもかかわらず、誰もそのまことの名を口にすることはできなかった。
彼女に対する言動が検閲され、自動で特定の文字列に変換される。
転生都市の支配者が定めた横暴なルールにより、本来なら『シナモリアキラ』と見なされることがないはずの魔女までもがエントリーしている。運営側の不正を糾弾しようとする声は揉み消され、鮮やかな手並みで氷塊を投げつけられて沈黙するのみ。
「ミステリアスでクールな美少女、あんなシナモリアキラがいたのか?!」「儚さの中にまっすぐな強さを感じるあの氷のような美少女は誰なんだ」「なんでこんな賛辞に自動変換されてんだよ、邪視者としての自己肯定感が高すぎるだろうが無敵か?!」「あれはわたしにーさまじゃない」「あの女に認められないと使い魔にはなれねえってだけだ、当たり前のことにいちいちびびんな! 獣ども、囲んでぶっ」
近くのペットショップから盗まれた墨呪大蛸の群れが呪文の檻を完成させるより先に、氷弾が支配者を制圧していた。
アストラルの海から浮上した巨大な仮想使い魔が眉間を撃ち抜かれて霧散していく。
崩壊する巨大シナモリアキラを背景に、『雪女』は杖をくるりと回して再装填。『創造』した遮蔽物で『飛礫』を防ぎ、壁の上から余剰燃素を弓なりに射撃して牽制。狙撃が途切れた瞬間を縫うように走って建物の影へ移動。
「要するに、試験官であるお前を倒すゲームだと解釈していいんだよな?」
『雪女』に攻撃を加えているのは首無し馬に乗った男だった。全裸マントという原点回帰のような出で立ちだが、全身の皮膚に張り付いた無数の顔が目を惹く。肉体をくまなく覆い尽くす人面は全て意思を持ち、『雪女』に狙いを定めていた。
「俺は体内に百のシナモリアキラの因子を内包している。お前という新たなシナモリアキラの可能性を見せてくれ、『雪女』よ」
魔女はその異形を一瞥し、冷ややかに切って捨てた。
「少ないですね」
「言ったな『雪女』! 我が『軍勢』を見た後でも同じことが言えるかどうか、確かめるがいい!」
凄まじい呪力を迸らせる新時代のシナモリアキラたち。
両者が激突するかに思われたその時だった。
「うがああああ! いてえ、身体が焼けるようにいてえだよ!」
ペットショップ付近の地面が盛り上がり、突如として爆発。
真下から飛び出してきた巨大な岩肌種の男が苦痛にのたうち回る。
『雪女』はそれを見てどこからともなく取り出した笛をピピーッと鳴らした。
「警告! 設定された地下区画以外のマップ外に隠れたり移動したりするグリッチは反則です! 縮小する『スフィア』は上下にも判定があります。危険エリアに留まり続けるとダメージを受けるので、シナモリアキラ精神に乗っ取ってセーフティエリア内でバトルしましょう! 夜の民が影を移動する際は既定の公道を通って下さい!」
「があああ! こいなアホみてえなことでっ、おらの隠れ家があっ」
わめき散らす巨漢の頭上で、『新規参加者がエントリーしました』という無機質なアナウンス。上空の飛行船にぶら下がっている幻像掲示板に『塗壁』の文字が追加された。
周囲のシナモリアキラたちが大物の気配に浮足立つ。
「あいつもシナモリアキラか?」「確か墓標船騒ぎの時のトロルだっけ」「『塗壁』じゃん、めっちゃ派手に暴れてた奴! 生きてたんだ!」「俺とパワー勝負といこうぜ!」
「違う! いや違わねえ! 確かにおらは『塗壁』だけども!」
殺到するシナモリアキラたちの猛攻を必死で捌きながら巨漢は困惑と焦燥を隠せずにいた。振り上げようとした拳をどこに振り下ろしたものかと迷い、一瞬だけ『雪女』に向けた視線を即座に切って舌打ちする。
「いいでしょう、まとめて相手を」
『雪女』の申し出を、『塗壁』はにべもなく断った。
「悪いな。今回は塩梅がよくねえみてえだ」
あっさりと引き下がった相手に拍子抜けした『雪女』だったが、彼女との戦いを望む者は多い。すぐに『塗壁』ひとりに構っている余裕は無くなった。
百鬼夜行さながらのシナモリアキラの大行進が『雪女』を追撃。逃げ撃ちする魔女と挟撃するように水竜滅呪に乗った『大蛇』が行列に追い付き、百のシナモリアキラをなぎ倒しながらわけのわからない繰り言をまくしたてる。乱入した『鵺』がサイバーカラテマンに変身した直後、『枕返し』が現実を夢界に引きずり込んで戦況は更に混迷を極めていく。
「こいつはどうも良くねえ流れだ。はっぱ落ち着かね」
一方の『塗壁』はしかめっ面で足元を打撃。直後、勢い良く隆起した大地が呪いの仮面に支配された群体型のシナモリアキラたちを吹き飛ばす。
彼が選んだのは逃げの一手。どのような強者も乱戦では万が一のミスで足を取られることがある。年老いた強者ほど選びがちな慎重な道。手堅いからこその読みやすさがあった。
身を翻して走り出した岩肌の男を、彼方から飛来した一条の閃光が貫いた。
「しまっ」
血を吐きながら転倒し、頭を抱えて丸くなった男は一塊の巨岩さながらだ。
周囲から岩盤が迫り出して男を守るが、障壁を更なる光線が襲う。
一撃で砕かれた。堅牢さで知られる岩肌種の防御障壁を容易く破壊したシナモリアキラは、茎をくねらせながら優雅に歩く。葉手で握った茨鞭でぴしりと追撃を加えてから、萼下の首を傾げた。複数の花が集まった房状の頭がじっと巨岩を観察する。
「仕留め損ねたかな。ああ、奴は私の獲物だ。他の者は手出し無用に願おうか」
その姿はまるで直立する巨大な紫花。
鮮やかな麻布の衣を纏った珍しいタイプのティリビナ人が手にした鞭で大地を打ち据える。途端、生い茂った色とりどりの草花が壁となって空間を遮った。
ティリビナ人の使う精霊呪術と『創造』を高いレベルで融合させた技術は一朝一夕で身に付くものではない。彼はおよそ二巡節前のガロアンディアン黎明期からこの地に根を張っていたティリビナ人。第五階層に潜む魔人たちのひとりだった。
「あのスーリウム様が、未熟な同胞団だけで戦い抜くつもりだと本気で信じていたのか? がっかりだよ『塗壁』。それともベフォニスと呼んでやるべきだったかな?」
攻撃された岩が砕け、少し離れた地面から『塗壁』が現れる。
致命傷を避けてはいるものの、その表情に余裕はない。
「薔薇の信徒、紫の純顕花。おめえ、あの時の小僧か。確かヘリオトロープとか言ったな」
「『木霊』と呼んでくれ。貴様の舌で名が穢れる」
咲き誇る紫花から放たれる無数の閃光、目にも留まらぬ鞭による連撃。
『塗壁』は転がるようにして猛攻から逃れ、多重展開した岩盤障壁で数秒を稼ぎながら足下に潜む気配に囁きかける。
「予定変更だ。おらが離脱するまでの時間を稼げ。なるたけでけえ騒ぎで頼むぞ。地霊騎士の力を発揮する時だ」
「お任せ下さい」
大地から応えた複数の気配が、『塗壁』の前に次々と隆起して姿を現す。
彼らこそイタラト・ウォンカの荒野で鍛え上げられた精強なる深淵の騎士。
岩肌種の伝承に謳われる九群の騎士団。
すなわち『調律』『防衛』『交渉』『進取』『征服』『秩序』『開拓』『錬鉄』『固定』の名を冠する九人の十一人長が率いる精鋭たち。
「『征服』の騎士団。スーリウム様に何人か吸い殺されたようだな。残りは私の養分か?」
挑発しながら鞭を振るう『木霊』を前にしても屹立した土くれたちは無言のままだ。無数の岩塊は際限なく大地から立ち上がり、人型となって動き出す。
中型から大型まで、多種多様な石像兵が『塗壁』を守るために立ちはだかっていた。
遂にはより高度な技術を必要とする飛翔型の彫刻兵まで出現し、ぐるりと花型のティリビナ人を包囲して威圧する。
攻め戦でその真価を発揮するとされる『征服』の騎士団は別名を深淵十一闘将とも呼ばれ、その積極的な軍事演習の誇示によって周辺諸国から名を知られていた。
九群の中で『征服』の騎士たちだけが専属の部隊を持たず最小の十一人のみで構成されている。なぜかと言えば、彼らはみな『軍勢』や『化身』といった呪術の奥義を使いこなす石像兵呪術の達人であるからだ。彼らは敵地に潜入し、その場で石像兵部隊や巨人神像を浄界域ごと構築できる。そこに大地さえあれば少数精鋭は軍勢に化けるのだ。
「切り札は地中で構築している巨人神像かな? 我らを殺すためのピュクティエト像あたりの準備は当然しているのだろうね。無意味だが」
ティリビナ人は形成が逆転したにも関わらず、包囲された状態で余裕を絶やさない。
それどころか花冠のごとき頭部をより華やかに咲かせて笑みさえ見せていた。
「このペットショップ付近が怪しいという情報は掴んでいたのだ。詳細な拠点の座標は掴めずとも、準備をしておくことは容易い。やれ、エリカ」
その時点で既に岩肌の闘将たちは攻撃を実行していた。
無数の兵士、無数の投石、無数の呪詛、無数の石化邪視。
更には『塗壁』が防戦一方になっていた時から無言で彫刻詠唱を開始していた大呪術の解放。ティリビナ殺しの灼溶竜滅呪と、岩肌種お得意の岩塊を媒介にした岩蛇竜滅呪が牙を剥き、顕花族に狙いを定める。
それらすべての攻撃より更に早く、十を超えるオルガンローデの一斉解放が岩肌種の軍勢をまとめて叩き潰した。
実体化した十一闘将たちは瀕死になりながらもどうにか立ち上がり、愕然と周囲の惨状を見渡す。立ち込める粉塵の向こうから、細身のシルエットが陰気な声を響かせた。
「私の銀竜草滅呪があなたたちを見逃すことはない。降伏して」
銀のフードを目深に被った俯きぎみの女だった。
白いローブと花の錫杖、キノコ人の使い魔を従えた呪術師。
エリカと呼ばれたその女が杖を振ると、背後から伸びあがった複数の巨大な草花が鎌首をもたげて花弁を岩肌種の男たちに向けた。俯くような銀の花、その筒状の中からぎょろりとした瞳が彼らを見つめ、呪縛する。それが地面に植えられて育ったオルガンローデだと、同じ竜滅呪使いである二人の闘将だけが理解できた。
「馬鹿な。設置型の、草花のオルガンローデだと」
それは彼らの理解の外側にある呪術だった。
確かに詠唱に長い時間を必要とするオルガンローデから射程や追尾性能を取り除いて設置型にすれば隙が大きいという欠点を克服できる。だがそのためには『固定と維持』『呪術資源と術者の消耗』という問題点をクリアする必要があり、拠点防衛用の罠や固定砲台としての運用が妥当な結論のはずだ。
植物が生長するプロセスをオルガンローデの詠唱段階が進むことに見立てた類推。呪文の固定と維持のために物理的な種子か植物を媒介にしているのだとしても、再現は恐らくティリビナ人にしか不可能。水や肥料に相当するものが何か、岩肌種たちには見当もつかない。
恐るべき絶技、異常な隠密性、そして凄まじい威力だった。
この術者は時間さえあれば際限なくオルガンローデを並べておくことができる。
防衛、奇襲、火力制圧。少数で軍勢を体現する闘将たちの力は、同じく個人で軍勢を体現する高位呪術師によって無力化された。
「エリカっちゅうと、まさか『色号詞人』のエリカ・モノトロープか」
「聞いたことあるだよ。第三世界槍で『不思議のミラ』と並び称された天主補佐官。ティリビナ人だったべか?」
ビショップというのは北方の大都市ザドーナを統べる彩域管理者・賢天主アリスの側近を示す記号だ。つまりエリカは天主の部下としての経験を持ち、彩域運営のノウハウを持っている可能性が高い。
とすれば、彼女が協力しているロードデンドロンの緑天主という大仰な名乗りにも説得力が生まれてくる。既に天主のひとりがティリビナ同胞団を支持しているのではないか、という予想さえ可能だろう。
「ヘリオトロープ様、逃げた『塗壁』の追撃を。私は彼らを捕縛してから追いかけます」
「ああ。くれぐれも殺さず、厳重に封印するように。失敗するなよ」
「心得ております」
魔除けの生垣、あるいは護法の棘囲いなどと呼ばれる植物呪術が岩肌種たちを取り囲み、その動きを縛っていく。
彼らは決して無抵抗だったわけではないし、弱卒だったわけでもない。
北方の闘将たちひとりひとりの力量は第五階層の基準で言えば準英雄クラスに相当する。
文明圏全体に名前が知られている英雄クラスとまではいかないが、国内や近隣諸国までなら宣名が轟くほどには傑出した精鋭たちである。
彼らにとって不運だったのは、相手がエリカ・モノトロープであったことだけ。
「そちらの奇岩擬人は無効化させてもらいました。『かたち』と『こころ』は私の専門分野。あなたたちは、ただの岩です」
圧倒的な破壊力の裏に隠されていた存在否定の言語魔術、理解不能な白の色号によって闘将たちは残らず無力化され、草木の檻に包まれてしまう。
戦闘が成立する余地さえ無かった。敵勢力の沈黙を確認したエリカは逃げた『塗壁』を追って移動したが、そこで目を疑うような光景を目の当たりにした。
ヘリオトロープが放った光線を黒衣の再生者が両断し、その前に跪いた『塗壁』が何やら哀れっぽく懇願しているのだ。
「お、おねげえだ。おらはもうダメだ。頼むから、代わりにおらたつトロルの王女を、アルテミシアを助けてやってけろ!」
時はわずかに遡る。
「発勁用意!」
次々と着地を決めるシナモリアキラたちの存在を感知しながら、クレイは小さく嘆息した。戦場の中心地に設定されてしまったペットショップの関係者には同情するしかない。
森羅万象に影響を及ぼす浄界『コキュートス』が焦点を合わせたこの地は主催者の意思によってゲームに関係した死者は出ないようになっているし、壊れた建造物は第五階層の『創造』機能で修繕できる。
これは場当たり的な火消しだ。危険な噂を更にインパクトの強いイベントで上書きするという一種の賭け。大急ぎで準備した企画ゆえの穴もある。
人やモノの補償は検討済みだったが、騒ぎでパニックになった動物が暴れ出す危険性が完全に失念されていたのだ。直前になってそのことに思い至ったクレイは慌てて戦場となるエリア内のペットショップに駆けつけ、せめて呪符による簡易障壁を構築しようとしていた。
問題は、障害が予想以上に多かったこと。
「あれクレイ様じゃない?」「ほんとだクレイ様だ! いつ見ても顔が良すぎる」「クレイ様ー! こっち向いてー! 星屑アピールしてー!」「トウィンクルウィンクみたーい」「クレイー! 俺だー! 女装してくれー!」「はーわかってねー。クレイは男装のままでも圧倒的に美少女なのが最高なんだろうが」「男の骨格なのに可憐過ぎてやばいよね」
店内に呪符を貼り終え、店外の四方に楔を打ち込んでいた所を見つけられてしまった。
目のいい者が黒衣による隠蔽呪術を破ったらしい。
クレイは夜の民や幻像呪術の達人というわけでもないから、こうなる可能性も十分にあった。しかしこの状況で騒ぎになるのはあまり望ましくない。
「へえ、再生者の王子様まで『マレブランケ』に立候補かよ! こりゃ参加して正解だったな! 速攻で潰して紀人になってやる!」
「誰がシナモリアキラだっ」
襲撃者は否定の言葉になど聞く耳を持たない。
危険な気配を察知し、咄嗟に体当たりを回避。空飛ぶ絨毯に乗った大男が巨大な突撃槍義手でペットショップの外壁を粉砕する。
「はっはー! この『一反木綿』の突撃を回避するとは見事! しかーし、俺の呪詛は一撃ごとに周囲に精神汚染を拡散する! その冷静な表情がいつまで続くか見物だなあ! ってうわっ、何だ、ぎゃっ、やめっ」
クレイは最悪の事態が起きてしまったことを理解し、眉根を寄せた。
店内から響く男の悲鳴。重なり合う咆哮。恐るべき唸り声。
このペットショップは最前線の探索者たち御用達の使い魔を取り扱っている。
そんなものが混乱した状態で戦場と化した市街地に解き放たれればどうなるか。
「勘弁してくれ」
クレイは悲鳴を上げて逃げ惑う己のファンたちを庇うように、店内から溢れ出した巨獣の群れと相対した。やや脱力した手刀。意図してなまくらに調整し、潰した刃で舞い踊る。
目を閉じたまま亜熊の一撃を回避し、無駄と知りつつも一応は同僚の使い魔たちに連絡を試みたが、結果は案の定だった。
「おいミヒトネッセ、さっきから呼んでいるだろうが、さっさと来て手伝え! は? 面倒くさい? お前それでもお嬢様の使い魔か、待て勝手に切るな、話は終わ」
通信が一方的に切断され無言になるクレイ。
自律モードで肩に乗った状態のニアホンが慰めるように頭にぽんと手を置いた。
「にあ。ちなみにサリアもアルマも連絡取れない。シナモリアキラ、むしろ主導してる」
「俺だけでなんとかするしかないか」
四方から迫りくる獣を舞うように回避し、蛇王の石化邪視を目蓋の盾で遮断。瞑目したまま睨み返すという迫真の演技で邪視を押し返すと、攻撃的な知覚域に手で触れつつ刃の感触を視線ごしに送り込む。流れるように旋回して背後の透空魚ごと両断した手応えを確かめてから、目蓋の裏に広がる小宇宙を再生させる。
そして、あまりにも奇妙な幻視を脳裏に描いて困惑した。
犬が走っている。
息せき切って、もふもふした毛並みを揺らしながら、鼻先の愛らしいすらりとした犬種がこちらに近づいてきている。もはや記憶でしか感じられない純白の毛並みはクレイが最も好む理想形だった。
手を伸ばそうとするとひらりと身をかわし、とことこと歩いて遠ざかっていく。しばらくすると立ち止まり、蠱惑的に尻尾を振ってクレイを誘惑。
明らかに虹犬の怪物、ライラ・ラプスの罠だ。しかし抗いがたい魅力を感じる。
直後、暗闇の中に黄金が舞い降りた。
初恋の熱を目蓋の中に閉じ込めた、苛烈にして鮮烈なる羊飼いの少女。
クレイにとって忘れられない相手。ひとつ分の肋骨。
師でもあった少女は在りし日の姿そのままに変わらぬ振る舞いでクレイに接した。
すなわち、未熟者に対する一喝である。
「周囲を良く見ろ。王国の危機、お嬢様の意思。だがそれ以外はどうなっている?」
クレイは己に言い聞かせるように独りごちた。
後付けの世界、後付けの腕、後付けの肋骨、後付けの剣、後付けの師、後付けの友。
張りぼての人生、予定調和の運命、掌の上にある自由意志。
薄っぺらなクレイの選択は、けっして無価値ではない。その芝居がどれほど拙くとも、演じ抜いた全てが彼を形作る真実だ。
まやかしを無視して見るべきものを選択する。
クレイは望むものを観て、感じたままを信じると決めていた。
「キノコと、石?」
直感は暗闇の向こう側に不可解な幻を提示した。
かつてクレイは舞台上の実践者として己を純化させるべく、自らの視界を手放した。
それは喪失ではなく獲得のための自傷。
彼は視覚と引き換えに新たな第六感を獲得していた。
霊感。それは信仰に関わる啓示であり、思考のひらめきであり、芸術的インスピレーションであり、超自然的な存在に対する知覚であり、冥府の住人を観るための手段である。
多くの再生者はこの世ならざる領域との親和性が高い。その中にあって、生と死の境界に立つ異端の再生者であるクレイは幽明の距離感を自在に調節することができた。
その繊細な霊感が、奇妙な道を指し示している。
キノコは吉、石は凶。しかしその価値判断は奇妙に捻じれているように思えた。
偶然にもこの付近の地中に彼が倒すべき怪物が潜んでいる。ここまではいい。
問題は、それとよく似た気配がもうひとつ存在していることだ。
そして、何故かその気配は窮地に陥っているらしい。
更に、理由は不明だがその人物を助けなければならないような気がする。
つい最近、相棒であるトロメリアと共に戦って敗北した難敵、ノゴルオゴルオ。
クレイの第六感はその宿敵を倒せと命じ、同時に助けろと命じていた。
矛盾した直感。道理にそぐわない運命。
彼は獣たちと舞いながらしばらく迷っていたが、やがて決然と一歩を踏み出す。
論理ではなく、己の霊感のみを信じて。
逃げ出そうとしていた動物たちはいつの間にか落ち着きを取り戻し、それが当たり前の摂理であるように盲目の王子に従った。
彼の師があらゆる動物たちを導く羊飼いであったように。
先導者としてのカリスマがそれを可能にしていた。
「えっ、嘘っ、こっち来てるんですけど?!」
「おや、失敗したようですね」
慌てふためく少年の声と意外そうな女の声。
複数の犬が走り回り、威嚇するように吼えている。
その中心で、誰かが襲われているようだ。
「くそ、離せ、消えろ!」
悲鳴じみた女の声。しゅるしゅると地を這う蛇の気配。激しく両手を振り回して犬を振り払う動き。拡散していく強力無比な石化邪視の感触。襲われているのはおそらく半人半蛇、蛇神の眷属あたりだろう。
対象を呪縛し動きを止める視線は犬たちと共に現れた分厚い虹の帯によって遮られ、ほとんど無力化されていた。視認が困難なほどに細い線の斬撃が嵐となって岩盤障壁と『報復』で強化した肉体を切り刻んでいる。
考える余裕は無かった。
凝縮された線の嵐が蛇人の女を上半身と下半身の中間で両断しようとしている。神速の手刀が虚空を駆け抜け、大小の虹をまとめて切断した。
絶体絶命の窮地を救われた蛇人は呆然としており、虹を操っていた気配が溜息を吐く。
「私の虹を、こうもたやすく」
「レメスの冥道ならば目を閉じたままでも感じ取れる。お前の術は俺には効かない」
真後ろと頭上から迫ってきていた線の嵐を舞うように回避し、横薙ぎの巨大な虹を鮮やかに切断する。降り注ぐ虹矢はことごとく折られ、飛び掛かろうとした犬たちは直前で項垂れて地に伏せたり腹を見せたりして服従の意思を示す。クレイのカリスマは犬の使い魔たちから敵意を奪い、彼の背後に控えている獣の行列に招き入れた。
「ええっ、全然ダメじゃんっ! どうすんのこれ!」
「どうしましょうね。まさかここまで最悪の相性差とは。今からでも猫さんと選手交代というわけにはいきませんか?」
「本体はまだ冥府だな? 戻ってきたところを切り捨ててやる」
記憶にある気配とニアホン経由で得た情報を照らし合わせる限り、敵はライラ・ラプスの使い魔と見て間違いない。クレイには虹も犬も通用しない。油断せず攻めれば勝てる。
しかし強敵との戦いに備えた彼の予想を裏切るように、ライラはあっさりと手を引いた。
「申し訳ありませんが、用事を思い出したので私はこれで失礼しますね」
「ちょっとぉ?!」
少年の悲痛な声が響き渡る。
彼が抱いていた犬から怪しげな気配が遠ざかっていくのがはっきりとわかった。
使い魔は無害な動物となり、とことこ歩いてクレイの足に鼻先を擦り付ける。
白けた空気が漂う中、打ちひしがれる少年に追い打ちをかけるような展開が続く。
「『掃除屋』、まさかお前がライラ・ラプスに寝返るなんてな! エリカ様への恩義を忘れる不忠者め! 日頃のへつらいは全て演技だったわけか!」
地中の影に霊体を潜ませたキノコ人の気配がもうひとつ。
先にこの場にいた少年と知り合いだろうか。
唐突な同族からの糾弾に、少年は戸惑いを隠せないようだった。
「えっ、違う、違うよ! 何でそんなっ」
「俺は全部見てた! お前の蜂の代わりに俺が報告してやったぜ! 安心しろよ、代役は次に速い俺がやる。明日の本番でエリカ様に認めてもらうのはお前じゃなくなるんだよ」
「『根守り』、お前まさか友達を陥れようっていうのか」
「ばーか、誰が友達だ。お前が勝手に落ちてんだよ間抜け野郎!」
置いていかれたままのクレイと蛇人には理解できないやりとりが続いたかと思えば、間を置かずに状況は更なる変化を見せた。
ペットショップを挟んだ反対側で轟音。
恐らく縮小を続ける安全エリアに追われて主戦場が今回の中心であるこの付近に移っているのだろう。シナモリアキラ密度の高まりによってここは危険地帯になりつつある。
轟く爆発音。魂を震わせる呪詛。大地を揺らす衝撃。
粉々になった岩塊が飛散し、繁茂する植物が辺りを包み込んでいく中、ついには膨大な呪文の流れが竜となって激突するのが感じられた。
気配だけでオルゴーの滅びの呪文が炸裂したのだとわかる。
それも一発だけではない。複数回の呪文竜が凄まじい威力を解放しているようだ。
かなり近い。余波が肌で感じられるほどに。
更に数度の衝撃。キノコ人の少年たちが悲鳴を上げ、蛇人の女が岩盤障壁を重ねて身を守ろうとする。クレイは咄嗟に走り出していた。
射線が重なっている。二人とも突き飛ばすのは不可能。自力で弾くしかない。
蛇人の女と『掃除屋』と呼ばれていたキノコ人を纏めて消し飛ばそうと迫っていた破壊的威力の光線を真っ向から迎え撃つ。肌を焦がす熱と骨まで響く衝撃に顔をしかめながら横に流す。ぎりぎりで間に合った。しかし腕への負荷は先ほどの線の嵐の比ではない。
クレイであっても直撃すればただではすまない。それほどの一撃だった。
危険を感じてニアホンを独立行動状態に移行させ、背後の動物たちの避難誘導を任せた。元々の目的はこれで達成された。あとはこの場をどう切り抜けるか。
迫りくる脅威を前にクレイは身構え、更なる予想外に困惑させられることになった。
息も絶え絶えに現れた男が、彼に縋るように懇願してきたからだ。
「頼めた義理でねえのはわかってる。それでもおねげえだ、そこの娘っこはおらの大事な家族なんだ。どうか助けてやってけろ」
岩肌種の男はシナモリアキラとしての役柄を手に入れていたが、その魂の気配を誤魔化すことはできない。
一度は刃を交えた敵、ノゴルオゴルオは恥も外聞もなく地に頭を擦り付けた。
「惨めだな、惰弱なトロルめ。そのまま石になっていろ」
繁茂する植物を引き連れたティリビナ人がひとり。
歩く紫花が嘲りながら光を放つ。
容赦のない顕花族の追撃が岩肌種の背を襲い、悲鳴が響いた。
光線は岩の身体を焼き、焦がし、魂が宿った岩塊から生命力を奪い去っていく。
ついでとばかりに並行して放たれた数条の光線は再生者にも狙いをつけていた。
神速の手刀に引き裂かれて散っていく光。見てから防いでいては間に合わない。第六感で光線を放つ前の予兆を感じ取れなければそこで終わっていただろう。
「穢れ者にしてはよく粘る。そこらのトロルやオルクスなら一撃で蒸発しているはずだが」
顕花族は面白がるように言っているが、暗がりの眷属が彼を前にして生きていることが既に異常事態だった。
彼が操る光線は清浄なる天界の恩寵。
地下や冥府に属する種族にとっては最大の脅威に他ならない。
「『陽閃』か。見るのは始めてだな」
クレイにはその知識があった。再生者の弱点のひとつだからだ。
太陽の輝きを破壊力に転化するという点では『炸撃』と似た呪術基盤だが、使いこなすことができるのはごく限られた自然呪術師や精霊使いのみ。
太陽光を生命力に変換するというティリビナ人の特性を利用した呪術であり、変性意識状態で己のアストラル体を光に変換して解き放つという霊的な衝撃波。物質世界においてそれは光線として解釈されるが、その本質は全身全霊の『飛ぶ打撃』である。
「このヘリオトロープの美しき一撃は、わが師スーリウム様から直々に『偉大なる陽閃』の二つ名を賜った絶技。尊き陽光で焼かれる栄誉を噛みしめるがいい」
輝く宣名圧が大気を灼熱させ、クレイでさえ一歩退いた。太陽を直視するような眩しさに半蛇の女性は悲鳴を上げ、両目を手で覆う。
目が眩むほどのまばゆい宣名。もしクレイが視力を喪失していなかったら、今頃は行動不能に陥っていたかもしれない。
「何の茶番だ、これは。仲間割れか?」
「最初から仲間などではないさ。用済みなのだよ、のろまのトロルなど」
顕花族が誇る力は命と一体化した陽光。ティリビナ人にとっての生のきらめき。
ゆえに彼の放つ閃光は死ではなく生をもたらす一撃であり、岩肌種を待つ運命は冥府への転落ではなく現世での破壊。『陽閃』を受けた闇の眷属は復活することさえできない。ただの屍、ただの岩塊、全てが明かされる真昼の世界観が闇を否定する。
恐らく目の前の男はあのスーリウムをも凌駕する最強の『陽閃』使い。
師にすらできなかった、最強クラスの岩肌種や再生者を陽光の力で無力化できる、闇の眷属たちの天敵なのだ。
「おめえやおらじゃ分が悪い。どうにか足止めする、だからアルテミシアだけでも連れて逃げてくれい! そいつはなんも悪くねえ、おらの勝手に付き合わされただけだ、頼む!」
立ち上がった『塗壁』は振り向き、両手を広げてその巨体を盾とした。
身を挺して半蛇の女を庇う姿に嘘はない。
視覚的な実感がないからこそ、気配が語る『姿』は鮮烈に伝わってくる。
舞台に立ち演技という名の呪術を実践するクレイだからこそ確信できた。
この男は、心の底からアルテミシアという女性を守りたいと思っている。
あるいは、自分の命を投げ捨ててでも守らなければまずいと焦っている。
クレイは焼けただれた己の手を庇いながら迷った。いくら『陽閃』を斬り裂くことができても、このままでは再生者としての肉体が先に限界を迎えるだろう。
ヘリオトロープと『塗壁』の死闘が繰り広げられる中、その場にいる各々が好き勝手に捲し立て、呪術を行使し、行先の不明瞭な憎悪をぶつけ合う。錫杖を携えた銀フードのティリビナ人が現れたあたりで混沌の度合いは頂点に達した。
「エリカお嬢様! ヘリオトロープ様! 見て下さい、報告の通り、『掃除屋』の奴は裏切りました! あいつを始末しないと! はやくはやく!」
「違うんです、お嬢様! 僕は裏切ってなんかないです!」
「目が、目が見えない! もう嫌、ラズリ様、助けて、どこにいるんですか!」
「おらの大切な家族を死なせたくねえだよ! 何でもする、おらはどうなってもいいだ!」
「『掃除屋』、あなたマイコニド解放戦線とは手を切ったと」
「エリカァ! やはりライラの駒だったではないか! さっさと始末をつけろ!」
「わけがわからないのはシナモリアキラだけにしろ! 斬るぞ貴様ら!」
苛立ちと共にクレイが放った手刀の一線が異常なほど繁茂し続ける緑の領域を断ち、次々と隆起する岩の壁と無数の閃光を構成する呪文がかき乱される。
三つ巴の睨み合い。膠着を破るためにヘリオトロープが光線を明後日の方向へと放つ。
「え?」
否。それは正確な狙撃だった。
弧を描いて曲がった光線が、無数の障壁を迂回して巨漢の背後へと抜けていく。
視力を奪われた半蛇の女は無防備な胴を貫かれ、何が起きているのかも分からぬまま血を吐いて倒れた。遅れて激痛に喘ぎ、蛇の尾をくねらせながらのたうち回る。
「アルテミシアッ!」
切羽詰まった『塗壁』が女に駆け寄り、『修復』の呪術で即座に応急処置を施す。
無論、その間も追撃は緩まない。
幾条もの光線はもはやその真の姿を隠すことをやめていた。
神速で到達する灼熱の霊体打撃。ただそれだけの単調な攻撃であると偽装していたヘリオトロープの『陽閃』は、変幻自在に曲がりくねって敵を包囲し追い詰める。
速く、遅く、緩急をつけて感覚を鈍らせ、縦横無尽に宙空を巡ってその狙いを予測困難にさせている。分裂しては目を惑わし、合流しては守りを貫く。
衝撃で壊し、熱で焼き、光で闇を払い、活力で死を否定する。
呪文的な意味さえ付与した封印の呪術。死滅ではなく、無価値な岩に貶めることを狙った不殺の攻め手。死を利用する高位呪術師に対してはこのような手段が効果的となる。
「必死だな『塗壁』。ところで『双頭』とはあまりにそのままな二つ名だが、実は他にもまじないに関わる秘密があったりするのか? 教えてくれよ、転生者」
「ぐぬ、ううう。アルテミシア、聞こえてっか。這ってでもこの場から逃げろ、こればっかりはいけねえ、まだ準備が終わってねえうちは、があっ」
降り注ぐ陽光の雨。ついに治療呪術を維持することもできなくなり、巨漢はただ女に覆いかぶさって盾になるしかなくなった。
ヘリオトロープは退屈そうに無数の光線を放ちながら、同時に頭上に巨大な光球を出現させた。徐々に大きく膨らみ、輝きを増していくそれはまるで小さな太陽のようだ。
育てているのだ。勝負を決める一撃を放つため、静かに準備を進めている。
このまま行けばティリビナ人はトロルに対して決定的な勝利を収めるだろう。
今度は死ではなく、捕縛や封印という形で完全に無力化される。
それはある意味でクレイにとって望ましいことかもしれない。厄介な敵の一角が勝手に消えてくれるのだから。だが。
「何をしているエリカ。私は裏切者の始末をつけろと命じたが」
「お待ちください、ヘリオトロープ様。『掃除屋』の能力は傑出しています。明日の本選、彼がいなければ彩域試練を突破するのは非常に困難になります」
ティリビナ人が揉めている。
キノコ人の少年たちもまた何やら二人で言い争っていた。
どうやらライラ・ラプスと関係した部下を切り捨てるべきかどうか、意見が割れている様子。見たところ上司がリスクを嫌い、より現場に近いキノコ人の主が部下を庇っている、という構図らしい。
「馬鹿め。ライラ・ラプスを侮るな、仕掛けもせずに奴が他人の使い魔を放り出すものか。生かしておくリスクが高すぎる。そもそも隠花族ごときの力などたかが知れている。代役などそこの隠花族でも使っておけばいい」
「お言葉ですが、箒レースはそのような単純なものでは」
「それで負けるのならばそれでいいではないか。そうだ、いっそあの若造が負けて吠え面かくのを特等席で見物してやろう。そうすればスーリウム様も目を覚まされるだろうさ」
刹那。
クレイは、死を幻視した。
冥界の王子として生まれついた彼は死の運命にだけ働く霊感がある。
未来を直接見通すようなものではない。
ただ死の気配、それに関係した匂いのようなものを感じるのだ。
たった今、流れが変わった。
『雪女』によって引き起こされた混沌、それによって窮地に陥った『塗壁』と望外の戦果を手に入れようとしている『木霊』。
気まぐれな遊びによってもたらされた敗北と勝利。
ほぼ確定していたはずの生と死の運命が、唐突に綻びを見せた。
恐らくクレイしか気づいていないはずだ。
通常の知覚では認識できない。
表情も、呼吸も、脈拍も、形として現れる一切がない。
あらゆる予兆が皆無のまま、漆黒の殺意がわだかまっている。
それは異様な光景だった。気付いていないから余裕で構えていられる。あれほど濃密な死の暗黒を前にして、平然と命と陽光にばかりかまけていられるわけがないのだ。
ヘリオトロープの小太陽は完成しつつある。
銀のフードの女は俯き、怯えるキノコ人をじっと見つめていた。
クレイは目を細め、ある考えが実行可能かどうかを検討する。賭けになる。しかしおそらく成功するという霊感が働いていた。
「スーリウム様は若芽に機会を与えたがる。しかし確実を期すならば、紀人の座を奪う役目に相応しいのはロードデンドロンなどではなくこの私だ。このような穢れた森で長きに渡って潜入と工作を行ってきたのだ、私こそ報われるべきだろうが」
巨大な輝きを掲げ、無数の光線で敵を蹂躙し、栄光の未来に思いを馳せる。
彼の中では既に勝利は確定事項なのだろう。
再生者であるクレイが陽光の支配者に何かできるはずもない。
そういった考えが透けて見えた。気持ちよく主役として振る舞い、傲岸に言葉を連ねる。
「それとも、まさか裏切り者の『葬儀屋』のように、隠花族に情けをかけるのか? しょせんは同じ卑しい血筋。お前たち一族はみな罪人だったということかな、エリカ?」
「いいえ! 私は兄とは違う。顕花族を裏切ることはありません。ですから家族には」
試すというより恫喝じみた問いに、エリカと呼ばれた銀フードは鬼気迫る様子で答えた。
それを確かめて満足そうに紫花の男は肩を揺らして笑った。
己の優位、権力を確かめるように。
「ならば証明しろ。忘れるな、罪人の一族は試され続けなければならない。誰もがお前たちの振る舞いを見ているのだぞ」
「心得ております」
銀フードが項垂れ、錫杖が強く地面を叩く。
無造作にキノコ人と距離を詰める女。
剣呑な気配に怯え、少年が後退った。
「え、あの、エリカお嬢様? う、嘘ですよね? 僕、裏切ってないです。本当です」
無言。もはや問答は無用とばかりに女の行動は決定されている。
その内心で吹き荒れる感情とは関係なく、それは避けられない流れなのだ。
死の運命。漆黒の殺意が女の手掌に凝縮され、解き放たれようとしていた。
クレイは息を潜め、その瞬間を静かに待った。
「やだっ、こんなのないよ! 一生懸命に頑張れば、いつか顕花族になれるって」
哀れな嘆き。その夢想は幼いが、しかし切実な生と幸福への渇望だったに違いない。
だがそんな夢の中での自由さえ支配者たちは嫌悪し、否定する。
キノコ人の涙声を聞き咎めたヘリオトロープは侮蔑と憎悪を露にして怒鳴り散らした。
「愚劣な! 貴様のような劣等種が顕花族に? 思い上がるな! そのような妄想を抱くことさえ罪深く汚らわしい。何という不快なゴミだ、さっさと消えろ!」
銀フードの女は無言。
謝罪も言い訳もなく、ただ相手を撫でようとするかのように手を伸ばす。
少年はわずかな希望に縋って傘頭を差し出した。
そうすれば、優しい主人が褒めてくれるのではないか。
あり得ない夢を見ながら、絶望から目を逸らす。
傲慢な顕花が罵り声を上げ、銀フードの女が掌から稲妻を迸らせ、ついに投擲された小太陽が岩肌種と半蛇に襲い掛かる。
うずくまったまま目を閉じた巨漢は小さく呟いた。
「恩に着るだよ」
破滅の運命が落ちる。
その寸前。
「踊れ、ダアルノート」
クレイの口から呪文が紡がれるより先に刃は振り抜かれていた。
それは舞。それは身体性の呪文。
振る舞いを介して発動するまじないであれば、それは実践によって論理に先立つ結果をもたらす。虚空を渡り、因果を遡り、単一の対象にさえ拘らず。
距離も時間も飛び越えて、ことわりの全ては切離れ、飛躍すら吞み込ませる迫真のパフォーマンスだと理性と霊感を繋いでみせる。
ゆえにその名は接理の妖精。
夢見る舞台が描き出すのは役者と観客が望む共同幻想。
まことの願いは形となり、全ての心に刃を届かせる。
「ああっ、痛い、痛い、痛い! 私の、私の美しい花がっ!」
紫花のティリビナ人が頭部を押さえて絶叫していた。
どのような理屈が働いたのか。
銀フードの女エリカは至近距離でキノコ人に雷撃を放っていた。外すことが不可能に思えるほどの接射であったのもかかわらず、その一撃は弾かれ、偏向し、無警戒のヘリオトロープに直撃したのだ。
『塗壁』たちを襲う無数の光線と小太陽もまた勢いよく標的から遠ざかり、全く無関係な地点に着弾。まるで岩肌種たちを忌避して遠ざかったかのような光景。
「その女をガロアンディアンの呪術医院まで運ぶ。俺に確約できるのはそこまでだ」
「ありがてえ。ガロアンディアンの人道的配慮に感謝するだ」
既に迷いはない。クレイは『塗壁』の思惑など知らない。
この奇妙な巨漢が演出家気取りでいるのならそれでも構わなかった。
「いいだろう、踊ってやる。だが舞台は生き物だ。舞台袖から指示を出しても手遅れになるということだけ理解しておけ。ここから先は俺の領分だ」
「頼もしいなあ。流石はトロメリアの奴が相棒に選んだ男だ」
心底愉快そうに笑って、巨漢は痛みに喘ぐ女をクレイに預けた。
怪我人を丁重に抱き上げながら、続けてもう一人に閉じた視線を向ける。
「そこのキノコ人の少年。君は箒を持っているな? 悪いが協力を要請したい。急いで彼女を運ぶ必要がある。手伝ってくれないか」
「あの、えっと」
少年は主人と救い主を見比べ、一瞬だけ迷い、しかし即座に決断した。
「わかりました、僕にできることなら」
銀フードの女は緩慢な動作でキノコ人を追いかけようとしたが、『塗壁』がその前に立ちはだかる。時間稼ぎをするつもりなのだろう。
キノコ人の少年は箒を宙に浮かべ、足元の影からアストラル体に意識を集中させる。
子実体が光の粒子となって箒の中に入り込むと、古めかしい道具はたちまち最新鋭の機甲箒にも劣らぬ呪力を纏い始めた。
女を横抱きにしながら箒の上に立ったクレイ。
飛び立とうとする彼らの前に立ちはだかったのは急速に生長し、標的を絡めとろうと追いすがる緑の牢獄だった。両手が塞がったクレイは手刀でそれを切断することができない。
ゆえに、彼は目を見開いた。
発動したのはかつて使っていた刃のような視線、切断の邪視ではない。
閉ざされていた瞼が開くと、そこに広がっていたのは輝く夜空。
星の散りばめられた瞳。闇の中に光を見出すためのまなざし。
それは黄金の楽土を映し出す理想郷の瞳。
いつか見た偶像の到達点。
逃がしたはずの動物たちがどこからともなく再び集い、自由に宙空を舞い踊りながら主のための道を作る。楽園で獣たちは草を食み、牧歌的な光景が争いの気配を遠ざけた。
理想のみを観る存在しない瞳。
盲人が描き出す邪視の舞台の上では、誰も主役を止められない。
箒に宿った少年は空を飛びながら、夢のような光景に見惚れた。
朦朧とした意識のまま運ばれている半蛇の女もそれは同じだった。
「きれい」
そう言って、童女のような笑顔を浮かべる。徐々に回復してきた視力は、その光景を鮮烈に心に焼き付けたのだろう。
陶然とした女の表情。ふと、女は自分を支えている男の顔を間近で見上げた。
変化は劇的だった。
朱色に染まる頬、思わず漏れ出た溜息、熱を帯びたまなざし。
命と情熱を燃え上がらせるような感情の迸り。硬質な石化の邪視も、これでは柔らかな泥しか具現できまい。
「えへへ。迎えに来てくれたんだぁ、私の王子様」
「は? 何て言った?」
聞こえなかったわけではない。あまりにも理解を拒む言葉だったために相手の正気を疑ったのである。
顔を引きつらせるクレイだが、既に女は意識を手放していた。頭痛を堪えるような表情になる男とは正反対に、箒に宿ったキノコ人は好奇心いっぱいに呟く。
「すごい。虫と鳥と風が踊ってる」
「それはどういう意味だ?」
「僕は知ってるんだ。乙女の表情ってやつだよ。エリカお嬢様がよくロードデンドロン様の前であんな感じになってる」
言ってから直前に起きたことを思い出してしまったのかしゅんとなって落ち込む。
どこか気まずい空気が流れ、クレイは重い溜息を吐いた。
これは間違いなく面倒なことになる。
とりあえず、面白がってからかってくるであろう別行動中の相棒を黙らせる方法から考えておくとしよう。決意を固め、クレイはまっすぐに前を見据えた。
大地を割る緑が空間を遮り、それを引きちぎる岩塊が次々と隆起する。
足元の支配権を巡る呪術戦。共に自然を支配する使い手であり戦いは熾烈を極めたが、両者の技術には明確な隔たりがある。
エリカ・モノトロープは呪うように呟いた。
「やはり茶番。この流れを作るための手加減と劣勢の演出」
キノコ人使い魔が使役する甲殻虫の突撃に隠した種子弾、茨鞭がたやすく防がれる。
『塗壁』に先ほどまでの切迫した危機感は感じられない。
肉体的な消耗はそのままだが、心理的な余裕に溢れていた。
「グヒヒヒ。一時はどうなることかと思ったが、我ながらいい即興だ。婿探しの手間が省けてちょうどいいべ。やれ見合いだ縁組だって世話焼いてやっと若えもんは嫌がっからなあ。時代は自由恋愛ってか」
「何の話をっ」
体内から練り上げた精霊を錫杖に収束させながら秘匿詠唱を開始、儀礼的な作法に潜ませた仕草の文法が古めかしい自然呪術を駆動する。
巨漢はそれを意にも介さない。多少のダメージを平然と受け止めて、驚異的なタフネスで豪快に笑い飛ばす。
「いやいや。こういうのはフィレクティの得意技なんだけどな。何事も学んでおくもんだ」
にやにやと笑う『塗壁』はいつの間にか大きな手の中に隠していた装飾品を見せびらかした。繊細な『彫刻』の呪術で形作られた宝石細工のようだ。
「それがあなたの切り札ですか?」
「おなごのくせに知んねえのか。そいなことでは行き遅れちまうぞ」
馬鹿にしながらも、どこか本気で案ずるような口調。
なぜかそれが無性に腹立たしくてたまらない。一瞬の沈黙。背後で顔を治療しながら罵声を吐き続けるヘリオトロープの不快な声が轟音に掻き消される。
エリカは錫杖を握りしめて『飛礫』を『報復』で防ぎ、挑発するように呪文を紡ぐ。
「不勉強なもので、存じ上げませんでした。よろしければご教授願えませんか?」
グヒヒ、と不気味に笑った『塗壁』は奇妙な動きを見せた。
胸の前で両手をハートの形にしたのだ。猫の国において心や愛を示す記号。
ガロアンディアンに来てからよく見かけるようになったデザインとジェスチャーだ。
ロードデンドロンが宣伝動画を作成する時に映像に取り入れようと提案していたことを思い出し、エリカは浮ついた気分を押し殺す。
目の前の巨漢は両手で作ったハートの内側に、先ほどの装飾品を保持していた。
厳つい岩肌の大男は内股で片足を上げ、肩を縮こまらせてハートを強調。
手の中で、斜め十字の形に整えられた呪宝石がきらりと輝いた。
「もちろん、恋のおまじないだべ♪」




