5-20 転生都市と冥府システム
去っていく『誰か』を見送りながら、ユディーアは沈黙の中に沈んでいく。
華やかな祝祭のただ中にあって、その表情はひどく重苦しい。
ふと、ある変化に気付いた。対面に座っていた人物が置き忘れていったのだろうか、簡素なつくりのトランクケースがそのままになっている。
「いや、忘れ物なわけないか」
トランクはそれなりの大きさで嫌でも目に付く。その気になれば人間ひとり分くらいは詰め込んでしまえそうだ。こんなものをうっかり忘れる人はあまりいないだろう。
つまりは意図的に残されたユディーア宛の荷物と見るべきだった。
贈り物。課題。あるいは呪い。
近づくのも億劫だが、無視するわけにもいかない。
小さく息を吐いて、えいやとばかりに荷物を持ち上げる。
驚くほど軽い。というか中身の存在をまるで感じない。
もし空っぽだとして、どんな意味があるのかを考える。
何らかの暗号。あるいは特殊な気体。呪術的な『意味』や『音』そのもの。
いわゆる『純粋価値』ということもあり得るが、その場合は中身を確かめてしまってもいいものか。
「まさか空の民がぎゅうっと詰め込まれてる、なんてことは無いよね」
「にあ、誘拐犯!」
「まあ生命の気配は無さそうだからその線は薄そうだけど」
ニアホンと一緒に首をひねっても結論は出ないままだ。
そもそも解錠のために必要な『四桁の数字に見える呪文鍵』の構造がわからない。
流石に壊すわけにもいかないし、とにかく扱いに困る代物だった。
もう何度目になるかもわからない溜息。
トランクは羽のように軽いというのに、気分はずっしりと重い。
踏みしめられた地面の下に死は眠っている。
だがこの地は沼というぬかるみの上に築き上げられた王国だ。
血と屍は日没と共に目を覚まし、過去を懐かしむように生前の記憶をなぞり出す。
無秩序な辺境区とは異なり、ガロアンディアン主街区は機能別に分けられた幾つかのモジュールで構成されている。
空間で分割された性質の異なる都市機能群は、更に時間帯によっても変化するという特性を持っていた。長期間の祝祭はその変遷を克明に浮き立たせる。
多種族が集うパレードはしばらく主街区を進んでいたが、日没が近づくにつれてにぎやかな大集団を取り巻く雰囲気が変化を始めた。
ユディーアの天眼は自身を中心とした球状の知覚圏を展開するが、呪的に区切られた領域を跨ぐと効果が途切れてしまう。監視対象であるロードデンドロンが別区画に移動するのであれば、こちらも移動しなければならない。
トランクケースを片手に向かう先はどこかおどろおどろしい雰囲気の旧市街。
というより意図的に『古い景観』を再現した観光用の区画だった。
機械女王が好む『杖』の現代建築は姿を隠し、古臭い呪紋扉や曲がり屋根といった様式の建造物が目立つ。他の区画であれば至る所に配置されている大小のドローンは存在せず、街路の至る所に異形の使い魔たちが配置され、監視の目を光らせているようだ。
「この先って工場や生産プラントとかが集まってる区画だったよね。ニアホン、この区画の情報を検索してくれる?」
「にあにあにあ、ぴこーん! 移動式再演博物館! 魔竜事件の後に作られた特別区! ドラトリア系夜の民が中心、にあ!」
端末に表示された情報を眺めながら「ああ、ここが」と納得する。
セリアック=ニアが関わったというカーティス=リールエルバとトリシューラの戦い。
機械女王はその中で『瘴気』と『穢れ』という暗い過去を封印することに成功した。
その『封印』というのがこの区画。観光都市に組み込まれた古い町並み。博物館、歴史資料館、図書館、劇場。そして痛みの歴史を再演する役者たちが歩く暗がりの旧市街。
「夕方から夜にかけて、この移動する区画は『過去』になる」
過去へと遡り続ける異界であり、隔離された時空間。
今は吸血鬼たちの時間であり、ここは病み人たちの空間である。
負の記憶を保全するための人為的な都市の暗部は観光用に整えられているようだが、ユディーアの目にそれらは危うく映った。
全体の統一感や歴史観の一貫性が欠如しているのだ。
ガロアンディアンらしいと言えば聞こえはいいが、単純に吸血鬼たちをまとめ上げることができていないのではないだろうか?
歴史解釈のゆらぎ、主義主張の衝突は『表現の自由』の範囲内だ。
『強い歴史解釈』や『弱い歴史解釈』がせめぎ合い、『正史』を巡って競い合う。
それはゼオーティアではありふれた光景であるため、弱者の歴史はしばしば無視され、歪められ、都合よく利用されてきた。
歴史学、文献学、考古学といった杖の視座に基づく硬質な歴史は、運命や自然現象が擬人化され神が跋扈し偉人がキャラクター化する物語と等価なものとして位置付けられる。
虚構や幻想は形を持つ。それが語られることで実際に過去に息づくようになるのであれば、それもまた歴史に等しい重みを持つ正しい過去だ。
機械女王がその危険性に気付いていないとは思えないから、これは単純に手が回っていないのだろう。魔竜事件の余波とその事後処理はかなりの大仕事だったようだし、突貫工事で形だけ整えたのはいいが細部の調整は行われないまま祝祭が始まってしまった、というような事情が窺えた。
「にあ~。ほんとはこの区画の管理者、姉様にやってほしいってトリシューラに言われた。でも姉様、疲れちゃって無理だった。まだ外に出るの、大変だから」
「そっか、それで」
リールエルバの精神状態は思っていたより深刻かもしれない。
魔竜や始祖からの影響を乗り越えた幼馴染に対して少し思うところがあったユディーアにとって、その知らせは少しの落胆と幾らかの安堵をもたらすものだった。
セリアック=ニアの前で口に出したりはできないけれど、「やっぱりそう上手くはいかないよね」という感情が心のささくれを取り除いてくれる。次にリールエルバに会った時にはうんと優しくしてあげようと決めた。
「ユディーア、警戒! 変なの増えてる! 警備体制が変わってる!」
祝祭で人が集まれば自然とトラブルも予想される。
扱いが難しい区画だからということもあるだろうが、この近辺は特に強力な使い魔が配備されているようだ。中でも目立っているのは古い時代に生み出された魔獣たち。
やりづらい、という感想が最初に来た。
「うわ~」「にあ~」
思わずセリアック=ニアと一緒に嫌そうな声を出してしまう。
獅子、虎、豹といったいわゆる『猫科』とされる魔獣が街中を闊歩し、あるいは浮遊しながら周囲を照らしている。ユディーアの契約紀神であるシャルマキヒュは猫の守護者とされているが、それは彼女が猫と相性が良いことを意味しない。
むしろ逆だ。女神の血は既に遠く、現代の天眼の民は猫を苦手としている。
神話や伝承では女しかいない戦乙女たちは死せる勇者たちの救済を約束する花嫁であるとされているが、それは言葉通りの意味だ。戦乙女たちをユディーアの遠い母とするならば、遠い父は戦場に横たわる勇者たちに他ならない。その勇者たちの中には猫と敵対し、敗れ去った死者たちも含まれている。
シャルマキヒュ神の征服、戦乙女たちの戦場の舞踏、屍の騎士、勇者の花嫁。
血塗られた記憶が天眼の民に刻んだのは『猫への畏怖』である。
古い言語支配者たちが猫科として創造した古代の魔獣はリーグシル神話体系では聖獣とされているが、その実態は対竜族用の兵器でしかない。
「よりにもよってガロアンディアンに猫科魔獣とか」
機械女王のやることだ、ただの悪趣味ではないだろう。
恐らく、この都市は亜竜と戦うことを想定して設計されているのだ。
どこか恐ろしげな雰囲気の区画に身構えているロードデンドロンたちから一定の距離を保ちながら周囲の警備体制を観察する。
まず上空には一定間隔で配置された獅子。
墓標船由来の『炎の鬣を持つ獣』という短い文字情報から再現されたた古代の人造魔獣で、燃える鬣に包まれた浮遊する獣の頭部、という異形の魔獣だ。太陽の擬獣化と考えられているが、どんな獣なのかという解釈には作られた地域や時代によって幅がある。狼に似た頭部というのはユディーアの知識に無いから、機械女王のオリジナルである可能性が高い。
数は少ないがゆっくりと道路を闊歩しながら目を光らせているのが紫色の獣が虎。
カシュラムの聖獣でもあるこの魔獣の姿は四足歩行の虎人とでも呼ぶのがふさわしい。獣の胴、獣毛に覆われた人面と巨大な牙、槍歯持つ口吻付きの尾。紫の体毛を持つ個体は時空を嚙み砕く力を持ち、転移・復元・腐朽といった呪術を行使できる。
それらの凶悪な魔獣の影に隠れるように息をひそめているのは豹。
天眼が無ければユディーアも存在に気づくことはできなかっただろう。
この魔獣は定まった姿を持たず、瞬きの間に消失と出現を繰り返す。
モルズ型の魔獣としても異質な牙持つ光球群。現れたかと思えば何かに豹変し、そこにいて当然の存在として環境に紛れてしまう天性の間諜にして暗殺者。
『わけのわからぬ存在』の象徴である猫の眷属たちは、言葉通りにわけのわからない理不尽な死をもたらす恐怖の体現者だ。第四階層の死因として名高い浮遊眼球や凝視水牛などと比べても遥かに危険度が高い。都市として栄えていても、ここが世界槍の第五階層であるという事実は変わらない。
上空にオルゴーの滅びの呪文を構築して破壊活動を行おうとしたテロリストを獅子の炎が焼き尽くし、加速符と減速符を併用したスリを虎の前足が踏み付け、パレードに紛れていた暗殺者が刃を突き入れた途端に豹変した標的に返り討ちにされる。
生半可な技量では何もさせてもらえない。凶行は未然に防がれ、祝祭は続いていく。
「なあ、このパレードってやつはどこに向かってんだ?」
天眼が前方の会話を捉える。
いつの間にか中継され、祝祭の中心となっているパレードの中で黒檀の民アサブが問いかけ、ティリビナ人たちの中心でロードデンドロンが答える。
「この吸血鬼地区に続く新区画らしい。そして明日の本選で最初に通過するコースのお披露目でもある。私にとっては貴重な下見の機会となるわけだ」
本選のコースは予選とは異なり、世界の壁を突き抜けてより大きな次元を巡る。
第五階層の中心であるガロアンディアンだけでなく、裏面や隣界などと呼ばれる異なる法則や神の摂理に守られた世界を通過しながらこの場所に帰還するという流れらしい。
古くは竜王国の四方を守護していた『小王国』たち。
蒼空岩石群、白翼海、獣将国、虫王の庭。
おそらくレースで通過すること自体に呪術的な意味合いがあるのだろう。
その流れに組み込まれているとすれば、新しい区画も相応の意味を持っていると考えるべきだ。ユディーアは人混みに紛れながら警戒を強める。
と、古い町並みの先に蜃気楼のように揺らめく何かを見つけた。天眼は時空の歪みを感じている。特定条件下でのみ現れる隠された場所というのは呪術的な仕掛けとしてはありふれているが、『杖』の文明圏であるガロアンディアンでは珍しい。
次第に呪術迷彩が晴れていき、霧と靄の中から天を衝くような塔が現れた。
塔の大扉の前には二人の男が立っている。
ひとりはチェックシャツの小柄な少年。もうひとりは槍や杖、弓など無数の武器を背負った物々しいシルエットの青年。少年は眼鏡、青年はゴーグルをかけており、おそらくどちらも端末機能を兼ね備えた呪具のようだった。
二人はシナモリアキラを構成する『マレブランケ』の一員だと名乗った。少年がファルファレロ、青年がカルカブリーナと言うらしい。
事前に得ていた情報によれば、確か言語魔術師崩れと元修道騎士。はっきり言ってこの状況における重要度も戦力評価も元カニャッツォのプーハニアと並んで下位のメンバーというのがユディーアの認識だが、妙な違和感がある。
訝しく思いながら観察していると、ゴーグルの青年はその場に集まった人々を見渡して何かを確認するように頷くと、大声で叫んだ。
「これより、明日のレースで使用される新世界をご案内します」
男は区画ではなく世界と言った。
であれば、この先に存在している空間は実際に異界と化している可能性が高い。
その場に集まった観光客や報道陣は固唾を吞んで大門が開くのを待っている。その時、ユディーアの天眼はロードデンドロンの身体がわずかに強張ったことに気付いた。
というより、ティリビナ人たちが全体的に緊張しているように見える。
訝しく思いながらも集団の後方に混じって先へと進む。
塔の中には地下へと続く大階段があった。
第五階層を訪れる前に読んだ資料の記憶を掘り返す。生産区画付近の地下にあるのは旧白骨迷宮。アズーリアとシナモリアキラが魔将エスフェイルを討伐した後、『死人の森』と『変異の三手』が第五階層の覇権を巡って攻防を繰り広げていた場所だ。
だがそれは過去の話。
現在、ガロアンディアンの地下は大きく様変わりしている。
手の中でニアホンがそわそわしているのは恐らく気のせいではないだろう。
なにせ、この先にあるのは彼女たちにとって夢の舞台なのだから。
地下アイドル空間。
きらめくステージ、歌と踊りが彩る華やかな死者たちの世界。
足元に広がる実在する冥府である。
『マレブランケ』のグラッフィアカーネことキュトスの姉妹ラプンシエルが管理するガロアンディアンの『あの世』。ガロアンディアン観光における『目玉』のひとつだ。
なにしろ小女神の『代替わり』などという歴史的なイベントに触れる機会は普通の一般市民にはそうそう無いし、その女神が統べる広大な異界となれば話題性抜群だ。
膨れ上がった期待感のお陰で大集団は大層な盛り上がりを見せていた。
本選レースはこの地下アイドル空間を巻き込んで行われるようだ。
それはつまり、『死人の森』やカーティスや魔竜などの文脈を引き継いだ小女神ラプンシエルの管理世界が舞台となるということを意味する。
「統合とか一体感とか、そういう演出を狙ってるのかな」
「にあ、たぶんそんな感じ」
機械女王の思惑は推測することしかできない。
いずれにせよ、ユディーアにとっては少し動きづらくなる展開だった。
トリシルシリーズ七号機アマランサスはこれまで取るに足りないアレッテ・イヴニルのおまけに過ぎなかったが、ここにきてキュトスの姉妹という大物に化けた。けっして侮っていい存在ではない。彼女は『シナモリアキラ』の中でも屈指の危険性を孕んでいる。
第五階層の紀人、転生を司る新しき神シナモリアキラ=ガロアンディアン。
転生都市の十二化身『マレブランケ』のひとつラプンシエルは冥界の女神だ。
系譜としては『死人の森の女王』ルウテトの力を奪った娘神。
その力を受け継いだ彼女は再生者たちが舞い踊る地下空間の支配者でもある。
輪廻転生のシナモリアキラと冥府のラプンシエル。
この二大神は生と死、魂の扱いを管理するガロアンディアンの霊的支柱だ。
『死人の森』という古い王権が交代した今、その正統な後継者としての役割を果たしている二柱は第五階層の両輪であり、これからの『王国の在り方』を決定づける指針である。
人々を歓迎するセレモニーは『歌姫』のライブに向けた下地作りだ。
地下の天井に投影された虚構の夜空には星の光と共に花火が流星となって打ち上がり、青銅アイドルたちが少しでも名を上げようとパフォーマンスを行う。
マレブランケの二人は明日の本選に関しての説明を行っているようだ。気付けばロードデンドロンだけではなくリーナやパーンを除く参加者たちもこの場に集まっていた。
暗緑色の飛行服を纏った兄弟、背中に『喧嘩上等』と刺繍されたつなぎ姿の若者、プロペラで浮遊する鉄の杖、長身の謎めいた黒衣、細身の老婆。
ロードデンドロン、マルガリータ、ジュティアとミナを含めた予選参加組とは明日ぶつかることになるシード枠の選手たちだ。
マルガリータ、ジュティア、ミナの三人と関係があることを悟られないように距離を置きつつ、他の選手たちをじっくりと観察する。
予想が正しければ、この中に『王殺し』が紛れているはずだ。
三位以内に入賞すれば表彰式で機械女王の暗殺が狙える。成功するかはともかくとして、スーリウムの陰謀をそのままにしてはおけない。
今のところ、選手たちに不審な素振りは無い。天眼で看破できるほど単純な変装ではないことくらいわかっていたが、このまま眺めているのも芸がない。何か仕掛けてみるかと思案していると、前方で動き。
動かす寸前だった使い魔たちに『心話』で待機命令を下し、様子を窺う。
大型のスクリーンにコースの全体像を映し出しながら解説をする眼鏡の少年ファルファレロの背後で、歩く武器庫のようなカルカブリーナが円を描くように参加者たちの背後へと回り込もうとしている。何かおかしい。天眼の知覚圏に異常。光を欺くだけの隠形で潜んでいる伏兵に包囲されている。夜空の花火に紛れて遅延呪術が既に射出済み。攻撃は既に始まっているというのに、『マレブランケ』の二人は反応しない。
単に無能なのか、それとも。
「つまり、空使い選定レースはもともと天国であるエクリーオベレッカに祈りを捧げる葬送式典と密接な繋がりがあったのです。このため、ガロアンディアンは当地下冥府を『天の御殿』になぞらえて最終コースにすることを決定しました。昇天を目指す儀式は、物理的には奈落へと下るレースとなるわけです」
透過邪視の感度を調整して隠形の看破に成功する。敵の姿を把握したユディーアはまたしても行動をためらうことになった。
敵の人種構成は黒肌や禿頭に長い前歯の半妖精が主で、わずかに岩肌種やキノコ人。ネビロン氏族やカマソッソ氏族のアヴロノがいるということは、襲撃を仕掛けてきているのは十中八九『豚好きハデス』率いる『十戒』の犯罪者たちだろう。問題は少数の岩肌種とキノコ人だ。
仮にこの襲撃の背後に双頭トロルのノゴルオゴルオがいた場合、ユディーアは下手に手出しをするべきではない。ロードデンドロンがこの奇襲で負傷でもしてくれれば儲けものだ。この局面で神格もない有象無象に状況を動かす力はないだろうし、マルガリータ、ジュティア、ミナの心配は不要だ。むしろこの襲撃は参加選手たちの反応を見る好機。ユディーアは観察に徹することに決めた。
「折角こんな地下に集まってもらったことですし、一足先に奈落コースの下見なんてどうですか? ま、あの世に行ったきり戻ってこれないってこともあるかもしれませんが」
状況を楽観していたユディーアは、カルカブリーナが無造作にボウガンから矢を放ったことに少し驚かされた。ほぼ同時に解説を詠唱に置き換えていたファルファレロが大型スクリーンを魔導書の項に見立てて呪文竜を解放。
竜の巫女マルガリータが腕を一振りして呪文竜を破壊し、探索者ジュティアが鋭い視線で奇襲の矢を撃ち落とす。同時に黒肌のアヴロノたちが一斉に呪術を発動、頭上から降り注ぐ流れ星の豪雨。
状況を把握できていない観光客や報道陣とは対照的に、第五階層の住人たちは即座に『いつものこと』として対応。非戦闘員でさえ落ち着いて呪符などで防壁を展開している。ステージ最前列で身体を揺さぶっていた太めの男は舌打ちしながら百を超える光弾で襲撃者たちに反撃し、よぼよぼの老人は足裏から影の触手を広げて敵意ある者全てを逃がさぬように呪縛している。可愛らしいツインテールの少女などは片手に展開した『水鏡の盾』で攻撃を跳ね返しながら『オルゴーの滅びの呪文』の詠唱を始めていた。
犯罪組織の兵隊といってもその練度は正規軍レベルからごろつきレベルまで幅がある。かつての『十戒』は北方辺境を洗脳と暴力によって支配した魔王ネビロンの軍勢そのものであり、恐るべき精兵であったと言われているが、現在は北辺帝国による黒妖精狩りなどもあって大きく弱体化しているという。
所詮は民間人に対しての脅迫、誘拐、殺害などが可能なレベルでしかない。
世界槍における二大勢力のせめぎ合い、その最前線で戦える水準の探索者たちが数多く集う第五階層で通用するものではない。個人の力が突出しがちな呪術戦ではさほど名前の売れていない中堅クラスの探索者ひとりを相手取ってさえ全滅しかねなかった。
何らかの原因で裏切ったらしい『マレブランケ』の二人にしても所詮は下位メンバーであり、実力の程度は第五階層でもせいぜいが中の上あたり。
竜神信教の精鋭であるマルガリータや九英雄率いるパーティの部隊長だったジュティアやミナには到底及ばない。
ユディーアのみならずほとんどの者がそう判断していたはずだが、異変は起きた。
無傷で立つマルガリータの周囲で霧散したはずの呪文竜が『騒乱』の呪いに形を変え、舌を出した悪童の画像となって彼女の視界を埋め尽くす。邪視によって攻撃を防いだはずのジュティアが頭を押さえ、額に皺を寄せながら何かつぶやく。直後、近くにいたツインテールの美少女がぐらりと揺れる。小さな顔が床面に落下し、周囲では悲鳴。ジュティアが突如として短剣を振り回し、目の前の少女の首を刎ねたのだ。
そこでようやく防御されたはずの呪術がまだ『生きている』ことに気付く。
上下左右から迫り、薄く散って周囲に蔓延しているのは『悪い空気』こと『瘴気』だ。カルカブリーナやネビロン氏族の射撃は精神加工用に調整された妖精矢。
「はいおしまい。これで僕たち『十戒』の勝利確率は揺るぎない62パーセントです」
「投降をおすすめしとくよ。ハデス様は逆らわない奴には優しいからさ」
圧倒的な威力によって全ての呪文竜を粉砕するマルガリータの暴力を、『全く破壊力を持たない呪文竜』によって嘲弄した眼鏡の少年が空中に舞い上がる。魔導書の紙片で翼を構築しながら嫌がらせに特化した呪文を多重展開するファルファレロ。
「生理的嫌悪感しかない」「グロテスク」「悪趣味」「残酷」「執拗」「友達いなさそう」「一生彼女できない」「ストーカー」などの罵倒を心地よさそうに受け止めながら少年の姿が増殖していく。その中に紛れるようにしてカルカブリーナが駆け回り、投射武器による正確な狙撃を行う。
恐らく、『マレブランケ』の二人は精神を支配されているのだろう。
異常事態と言っていい。魔王ネビロンが世界の脅威となっていた時代とは違い、現代における『精神加工』は麻薬のような扱いを受けている呪術だ。
対抗策が呪術の基本である精神集中の中に組み込まれ、義務教育で教えられるこの時代、拉致監禁して長期間に渡って洗脳を行うか他の無力化呪術と組み合わせでもしないと戦闘中に相手を支配するのは極めて困難なはず。
人形師ラクルラールのような神の如き超越者を基準にして考えると感覚が麻痺してしまうが、普通なら他者を自在に操ることなどできるわけがないし、できてはならない。
そのような技術が誰かの手に存在すれば人間社会は破壊されてしまう。それこそ、かつての魔王ネビロンが人類の敵として催眠と洗脳で世界に恐怖を振り撒いたように。
しかし眼前の光景は確かに『マレブランケ』や第五階層の崩壊を示していた。
錯乱したジュティアを相棒のミナが抑え込むが、同じように精神支配された探索者たちが凶行に走ろうとするのまでは止められない。蛍光棒を鉤爪のようにして指に挟んだ太めの男や黒い触手の集合体と化した老人がレース参加者に襲い掛かる。
その時、一陣の風が吹き荒れた。
砂交じりの風は瞬く間に広大な地下空間を駆け巡って悪意を遮り、身構えていた選手たちや観光客、報道陣を守る障壁となる。地下アイドルたちへの流れ弾を器用に包み込んで無力化しているのは柔軟に形を変える砂塵だった。
「何だてめぇら、腑抜けてんのか? シナモリアキラの名が泣くぜ」
黒檀の民が拳をごきりと鳴らしながら背後に巨大な砂の精霊を出現させている。
アサブの戦闘能力は第五階層の中にあっても際立っていた。アイドルオタク探索者が蛍光棒を媒介に発動させた高位呪術『狂乱爪』をあえて前に踏み込んで躱すと、懐に潜り込んでからの顎への一撃で打ち上げる。浮いて無防備になった相手を砂の化身による追撃で吹き飛ばすと、その先で浮遊していたファルファレロがひらりと回避。
「『根っこ』はてめぇか、クソガキがよ。潰すぞ」
背後から襲い掛かったアヴロノを何もない所から出現した大量の砂で拘束しながらアサブが拳をファルファレロに向けた。少年は眼鏡に触れながら自分の幻像を複製していく。
背中の魔導書と呪文帯が赤く燃え上がり、『炎天使』を発動させながら『オルゴーの滅びの呪文』の詠唱を開始。
「知らない呪術だ。それ、本当に砂ですか? 確かめさせてもらいますね」
両者が対峙する一方でカルカブリーナによる猛攻がティリビナ人たちを襲っていた。
先に対応したアサブとは対照的に、ロードデンドロンはこの状況に困惑し、対処が遅れていた。しかし敵に混じっていたキノコ人によって数名の負傷者が出たこと、アサブによる反撃が行われたことでロードデンドロンはようやく意を決したように拳銃を構えた。
「意外と判断遅いね。それで『緑天主』は厳しくない?」
カルカブリーナの背後から無数の武装が射出されていく。投石器、長弓、弩、投槍、呪符、巻物、魔導書、杖、短剣、短槍といった圧倒的な物量はガロアンディアン製のものだけではなく闇市場で流通している非正規品を多く含んでいる。機械女王による制御呪文が組み込まれていないコピー品のドローンが武器を保持した状態で浮遊し、ティリビナ人たちに狙いを定める。
「燃えろ」
制御端末らしき男のゴーグルが数回点滅すると、命令に呼応してドローンが一斉突撃。
同時に男の全身が燃え上がり、皮膚さえ燃やし尽くすほどの勢いで『爆撃』を連続で発動、火を苦手とするティリビナ人たちにとって最も効果的な手で攻めていく。
圧倒的な火力。対するロードデンドロンは銃を構え、引き金に指を掛けた。
「召喚!」
銃口から放たれたのは銃弾でもなければ手品の花でもない。
閃光と呪文の渦、螺旋と円によって構成された空中に広がる『扉』だった。
迫りくる炎の嵐に対抗するには余りにも頼りない光。
しかし次の瞬間、『扉』から現れた巨大な怪物が一瞬で全ての炎を鎮火させていた。
「麗しき九祖、星抱く蟹の王、勇ましきサハリックよ。大いなる根の子が伏して願い奉る。古き盟約に従い、侵略者に正しき裁きを与えたまえ」
それは黒ずんだ体色をした巨大な蟹だった。鉄槌のように振り下ろされた鋏が手近なアヴロノの襲撃者を叩き潰し、口からあふれた泡が浮かび上がってドローンの突撃を妨害する。真横に回った大柄な岩肌種による鉄槌や大斧の一撃を受けても黒い甲殻はびくともせず、無数の足を動かして猛然と動き回るだけで群がる敵をなぎ倒していく。
「召喚士か。『使い魔』特化は弱点がわかりやすいんだよ!」
カルカブリーナは『創造』で空中に足場を構築すると、素早く蟹の頭上を渡って機敏に移動していく。蟹が泡を吹いて攻撃をしようとするが間に合わない。全ての武器を手放したかに見えたゴーグル男はまだ手札を隠し持っていた。背負っていた短槍を構えて上空からロードデンドロンに狙いを定める。
轟音。ユディーアにはそれが本物の銃声であると理解できた。
カルカブリーナが手にしているのは槍ではない。穂先を銃口に取り付けた小銃、あるいは槍銃と呼ばれる携行火器だ。竜覚は明確に規制対象に反応しており、既に自動的な天罰が下っているはずだ。
銃を握るカルカブリーナの両手が焼けただれ、皮膚が燃え落ちていくのがはっきりとわかる。激痛と火傷に苛まれているはずだが、火に包まれた男の表情を揺らがない。
激しい反動にも関わらず平然と銃を使用するその姿は『銃士』の適性を持つ証だ。銃の扱いに関してはあのミルーニャをも上回る才能の持ち主なのだろう。
英雄を否定する無慈悲な『杖』の暴力が牙を剥く。
銃弾は正確にロードデンドロンの額を捉えていたが、着弾の直前に出現した分厚い障壁によって遮られる。予想外の守りの硬さに戸惑うカルカブリーナと、素早く距離をとって体勢を立て直すロードデンドロン。ティリビナ人の周囲には幾つもの土くれが浮遊しており、背後にはいつの間にか見上げるような土人形が控えていた。
「召喚。美しき九祖、土のアヴロノ、穏やかなるアドガレンスよ。この身に城砦の守りを与えたまえ」
発声は明らかに呪術効果の発動に遅れていた。そもそも呪文詠唱が必須の行動ではないのかもしれない。宣名に近い、呪術の性質を強めるための発声か。
「何なんだよ、その召喚術は」
苛立ちを抑えきれないのか、カルカブリーナを苛む炎が勢いを増す。
全身が火に包まれ、皮膚が消失して凄惨な火傷痕が露わになった。
ロードデンドロンの召喚獣による『水泡』と『飛礫』に対し、カルカブリーナは『焦熱の外套』で抵抗するが、実体のない炎の防御術ではあまりにも相性が悪い。
溶解した頬と足、折れた左腕を庇いながら牽制の射撃。
並みの使い手であれば一方的に射殺できる『銃』という特権が、偽りの銃を用いるロードデンドロン相手には通用していなかった。
それほどまでにロードデンドロンが呼び出した召喚獣が強大なのだ。
召喚士は『使い魔』系統の呪術師の中でも最上位に位置付けられている。
『召喚』という呪術は動物などを飼育、調教して使役したり、人形を操作したり、部下と絆を結んだりするのとは全く異なる呪術基盤だ。
紀元槍に近い高次の存在との間に関係性を築き、伝承に語られる神、竜、魔獣などを物質世界に招き寄せる。『本来なら存在しないものを存在させる』という理外の神秘が召喚術だ。大仰な儀式を介さずに戦闘中に迅速な召喚を行える技術の持ち主は希少で、実戦レベルで運用可能な召喚獣ともなれば歩兵と併せて地上戦の中核を担える。
複数体の同時となると更に高度な技術が必要だ。専門の訓練を受けた召喚士部隊のように、複数人で協力してはじめて可能となる大技である。
ロードデンドロンの技量の高さは相当なものと言っていい。
油断なく銃を構え、複数の炎系呪術を構築していくカルカブリーナだったが、その表情が次第に引き攣っていく。
「手品なのに種と仕掛けがあるのかよ」
召喚獣に守られたロードデンドロンが弾倉に銃弾がわりの種を詰め込んでいた。
不敵に微笑んだティリビナ人は、答えと共に引き金に触れる。
「見苦しかったなら申し訳ない。手品はまだ修行中の身でね。代わりと言ってはなんだが、こちらはそれなりに見応えがあると保証するよ。召喚」
三体目。巨大な漆黒の蝶々が現れる。目を見張るほどの実力だ。これほどの召喚士ならどのような軍隊でも即戦力だろうし、探索者としても引く手あまただろう。
だが感嘆は即座に驚愕へと変わる。
「召喚」
四体目。水の身体を持った無性の人型が出現。既に達人級と言うべき技量だ。
ロードデンドロンを中心に移動陣地を構築すればティリビナ同胞団は極めて強力な召喚士小隊として機能するだろう。はっきり言って個人としては過剰すぎる力と言えた。
だが、恐ろしいのはそこからだった。
「召喚。召喚。召喚。召喚」
立て続けに四つの銃声。誰も、何も言えなかった。
ありえない。ロードデンドロンが呼び出す召喚獣は間違いなくユディーアやマルガリータが呼び出せる紀竜よりは格下だが、それでも銃の威力を跳ねのけられるほどの圧倒的な暴力だ。それを立て続けに八体。それも同時に召喚を維持したまま制御を続けている。
化け物だ。召喚士としては人類史に刻まれるレベルの卓絶した超人。
これまで世間からロードデンドロンの緑天主という名乗りは不遜に過ぎる思い上がりだと認識されていた。だが報道陣もいる中での連続召喚はその悪評を払拭するには十分だった。
召喚士としての彼は至高の域に近い。
ゼオーティアにおける召喚術の頂点は誰もが知る通り、九体もの神獣を同時に制御可能な藍の天主セレクティフィレクティに他ならない。彼女と肩を並べることができた者は歴史上には存在しなかったが、ロードデンドロンは伝説に追随するほどの天才だ。
召喚獣の格は至高天主には及ばないものの、これだけの脅威を八体も同時召喚できるなら四体から六体の大型使い魔を運用する一般的な召喚士小隊よりも確実に戦力は上だ。一般的な軍用使い魔一体ぶんの戦力はだいたいミルーニャが使役する石像と同程度なので、明らかにそれより高位であろうロードデンドロンの使い魔たちは最大十八体を運用する召喚士中隊にすら匹敵するかもしれない。
高位の『使い魔』系統の呪術師にはままあることだが、個人で軍勢に匹敵する戦力は時に恐怖よりも畏敬を呼ぶ。あつらえたような状況と舞台設定。地下世界のステージで、星々のスポットライトを浴びた顕花の民が獣たちの名を呼んだ。
「麗しき九祖、黒き死を呼ぶ蝶、おぞましきカズキスよ。美しき九祖、水のアヴロノ、清らかなるウェズロウよ」
カズキスと言えば、アヴロノや亜竜、吸血鬼の伝承に現れる古い巨人の名だ。ティリビナ人の神話には詳しくないが、レルプレア以外の神々やそれに類する存在への言及は珍しい。エストからも聞いたことが無いし、ロードデンドロンの召喚術はどこか異質だ。
「やらせるかっ」
猛然と吼えたカルカブリーナは『爆撃』や『火炎縛』といった中位呪術と銃弾で攻めるが、明らかに火力が足りていない。大量死をもたらす文脈の呪詛を纏っていても、召喚獣の装甲を貫くには携行火器では不十分なのだ。英雄性を否定し、生命を奪うことに特化した銃は最も手軽な死の象徴だが、それゆえ人や獣ではない無生物の破壊には不向きだ。
おそらくこの召喚獣たちはティリビナ人たちの神話における始祖、『世界の起源についての説明と解釈』だ。自然に連なる物理現象の神話は相応の質量として具現化するため、大自然を破壊できるほどの大火力で爆破でもしない限りは突破できないことになる。もっとも、ありったけの爆薬と大砲を持ち込んでも可能かどうかは怪しいが。
「美しき九祖、命のアヴロノ、愛すべきミェスよ。風のアヴロノ、自由なるポーリエよ」
そして不十分な火力一辺倒のカルカブリーナに対して、多種多様な攻め手を持つロードデンドロンが負ける理由が無い。周囲のネビロン氏族たちは既に鎮圧され、負傷したティリビナ人たちの傷はいつの間にか癒え、撒き散らされた呪詛は浄化されている。
風に流れて行く馴染みのない歌が精神支配の呪文と拮抗し、炎を水が鎮めていく。
戦いの趨勢が決していく中、カルカブリーナの真横に小柄な少年が落下。
殴打され過ぎて顔を腫らしたファルファレロが途切れ途切れに何かを呟く。
「ぼ、ぼきゅの勝利かくりちゅは、揺るぎない2ぱーしぇんと」
「ゼロだボケ」
砂の精霊を従えたアサブが危なげなく勝利しており、ほぼ同時に召喚獣たちの攻撃でカルカブリーナの小銃が砕かれ、全身の炎が消えていた。操られていた『マレブランケ』は完全に無力化され、戦意を喪失する。
残っていた襲撃者たちはなおも精神加工によって戦力となる探索者たちを操ろうとするが、それも即座に阻止された。
「もーっ、本気で怒ったからねっ」
斬首され、頭部だけの状態で詠唱を続けていたツインテールの美少女が『オルゴーの滅びの呪文』を発動。広域に拡散した呪文が『精神加工』を解呪していく。
飛来した呪詛矢によって可憐な顔面が砕けて頭部が落下するが、呪文竜は維持されたまま効果を発揮し続けている。二つの髪房が呪力を宿しながら精密な制御を行っているのだ。頭髪だけで浮遊する美少女ツインテールは追撃をひらりと回避しながら逆にアヴロノ呪術師たちに反撃していく。『騒乱』を物理現象に寄せた解釈で大気をかき乱し、周囲に散らばった瓦礫などを取り込んで標的を肉塊になるまですり潰す。
既に襲撃者たちは統率も取れないままに逃げ出そうとしていたが、もはや撤退すら叶わない状況だった。この世の終わりのような悲鳴が外から響く。
かろうじて階段に辿り着き、地下から脱出しようとした者たちは外で待ち構えていた警備使い魔、猫科魔獣たちによって貪り喰われるという惨たらしい最期を遂げたのだ。
悲鳴を上げて地下に戻った者たちを探索者たちの怒りの視線が貫いた。
洗脳から解放されたジュティアが殺意を込めて睨んだだけで黒肌のアヴロノたちが倒れていく。邪視によって発動した高位呪術『アエルガ=ミクニーの葡萄』が原因不明の死をもたらしていた。
屍を積み上げていくアヴロノやトロル、マイコニドたちの胸からふわりと燐光が抜けていく。魂が巡り星となり、輪廻の環へと回収されていくような光景だった。
ここは冥府だ。実際にそういう現象が起きているのかもしれない。
「そう、これが転生だ。罪人は機械人形に宿って一定期間の社会奉仕を、罪なき者は新たな来世へ。輪廻の待機列へと並び、冥府の女神による導きを待つ。私が加工した魂の群れが、無防備になった冥府システムに侵入していくのだ」
襲撃者たちは全て打ち倒されたはずだった。
しかし、それら全てが捨て石、あるいは生贄であったなら。
まだ何も終わっていない。『十戒』の襲撃には首領である『豚好きハデス』は参戦していなかった。どこかに隠れてずっと機会を窺っていたのだろう。
「冥府から転生都市の根幹となる機能を掌握する。あの男がラプンシエルを抑えている今ならば、私は神の座に至ることができるのだよ」
天へと昇っていくアヴロノたちの魂が集まり、それらが輝く星となって図形を浮かび上がらせる。結ばれた線は星座のような人型を描き、やがて不確かなイメージとなって擬人化された姿を現した。
「このハデスこそが冥府システムの管理者、新たなる死の神だ!」
なんか大げさなこと言ってるなあ、とぼんやり眺めていたユディーアはニアホンの通知に気づいた。隣界からの通信だ。差出人はアズーリア。現状の報告やこちらの近況を知りたいという内容で、即座に返信したかったが目の前の見世物もちょっと気になる。悩ましいなあと視線を上下に移動させていると頭上で動き。
「さて、あの男との約束だからね。不要な駒には死んでもらおうか」
冥府の神を僭称するハデスは星空から何か漠然とした『死』の概念らしき呪詛を放つ。
カルカブリーナとの戦闘で消耗していたロードデンドロンの反応は鈍い。黒々とした呪いの奔流がティリビナ人に迫るが、危ういところで救援が間に合った。
決死の覚悟で一撃を受け止めていたのは黒檀の民、アサブだった。
丸太のような両腕から血が噴き出す。
砂の精霊を纏って身体能力を強化した今の彼は『炎天使』を発動した戦士に相当する戦力だが、それでもこのままでは耐えきれそうにない。
男の内心は定かではないが、アサブの決意はロードデンドロンの尽きそうな気力を奮い立たせた。八体の召喚獣たちが前に出て呪詛の盾となり、黒檀の民を守る。
ティリビナ人は歯を食いしばり、銃口を天へと向けた。
そして、今度こそユディーアは信じられないと目を見張る。
「美しき九祖、花のアヴロノ、我らが血の源流よ。遠き末裔ロードデンドロンの名において、始まりの母アルラウネに願い奉る」
九体目。それはロードデンドロン自身の肉体を用いた召喚術。
樹皮から滲み出した血液が銃口の前に集まり、巨大な『扉』となって輝く。
宙空から出現し、死の呪詛を押し返したものは極大の生命力。
銃口から爆発的に伸長していく巨木は無尽蔵に枝分かれを繰り返し、物理的な空間と呪術的なアストラル界を埋め尽くす。
「召喚!」
天を衝く大樹の枝が、一斉に花を咲かせた。
枝は歴史であり、花は生命という物語。
ロードデンドロンが己の血を媒介にして召喚したのは『ティリビナ人』という種族の歴史そのものだ。己自身、同胞たち、連なる過去の祖先たちの記憶と生命。
ユディーアにとって馴染み深い死後や冥府などの宗教観とは異なる、生と死が流転し、ひとつながりの大自然に還流していくという世界観。
冥府の神が提示する死とは相容れない祖霊信仰が暗黒の波を打ち破る。
『塔』の分類に当てはめると、これは『使い魔』系統の奥義である『軍勢』に近い。
祖霊の召喚。始祖から自身までを結ぶ歴史の具現化。同胞との連帯。
複合的で高度な大呪術であり、使い方によっては神や巨人にさえ有効だろう。
ロードデンドロンの背後に半透明の女が寄り添う。すみれ色の瞳をした白肌の巫女。その姿が知り合いに瓜二つに見えて、ユディーアはぞっとした。
「我々は夜を、戦を、死を否定する。お前のようなものは、我々の美しい未来に必要ない」
祖霊と霊媒の言葉が重なり、神を名乗る男の魂が根底から否定された。
存在ごと抹消された偽りの夜空が砕け、幻像のテクスチャと共に破壊された天井からぱらぱらと粉塵が落ちてくる。かくして戦いは終わった。
ロードデンドロンの華々しい勝利は誰の目にも明らかだった。
脅威は去り、操られた人々は正気に戻り、あとには戦士たちの栄光が残った。
探索者たちはそれなりに負傷しているようだが、一般の観光客や報道陣には死者は出なかったのは不幸中の幸いと言うべきだろう。
美少女ツインテールが浮遊しながら「えーん、またボディが壊れちゃった~」などと言いながら血まみれの死体に二つの髪房を伸ばして『修復』の術をかけているが、自分の死体を自分で蘇生できるのならおそらく問題はないだろう。
グロテスク画像やホラー映像を強制的に見せられたマルガリータがギャンギャン泣いているのが見えたが面倒なので放置する。脅迫か何かに使えるかもと思ってニアホンで念写保存。実物よりもやや可愛い気がするがこれはこれで良し。満足して画像を眺めていたらニアホンから蔑みの視線を感じたので鑑賞を中断。あとでプリントしよう。
「へっ、まあまあやるじゃねえか」
「貴方も、見事な戦いぶりだった。真っ先に戦えぬ者を守ろうとするとは見直したよ」
どうやら共通の敵を撃退したことで、黒檀の民とティリビナ人のリーダーたちの間に連帯感のようなものが生まれたらしい。拳を突き合わせて笑い合う二人は紛れもない戦友同士だった。砂塵の壁や他のティリビナ人たちによって守られていた報道陣や観光客が二人の様子を念写してアストラルネットに拡散していく。
「黒檀の民とティリビナ人の和解の象徴、これはすごい絵になるぞ」
「至高天主と同格じゃないか。とんでもない奴が現れちまった」
「英雄を否定する銃弾は新たな天主の到来を妨げることはできなかった、と。明日のレース、ロードデンドロンは要注目だぞ」
「『マレブランケ』もお終いだな。機械女王はシナモリアキラの質を考え直すべきだ」
人々の声に耳を傾けながら、ユディーアはロードデンドロンと並行して観察していた本選参加者たちをもう一度見渡す。戦闘中、不審な動きをしている者は見つけられなかった。従軍経験のあるパイロットや探索者の出身ということもあるだろうが、少し落ち着きすぎだった気もする。
気になると言えば『マレブランケ』の二人もそうだ。
駆けつけた機械女王の配下たちによって病院に搬送されていったが、結果的にロードデンドロンの評価を高めるための引き立て役となってしまった。当然、シナモリアキラの評価は下がっている。
既にこの事件はアストラルネットで拡散されており、世間ではカルカブリーナとファルファレロの二人はシナモリアキラとしては実力不足という認識が共有され始めている。
これは少し良くない。
機械女王がどのような方針をとるかはこのさい問題ではない。
そういう風評が流れ、それを利用しようとする者がいるということが今後の展開を左右することになるからだ。
『マレブランケ』の空席、四つの枠を巡る『シナモリアキラ選』なる噂は確かなものではないが、デマを現実に変えたい者にとっては利用すべき噂だ。
もしこのまま『六つの枠』には新しい実力者が選ばれるべきだという主張を押し通そうとする者が現れたらどうなるか。
十二人のシナモリアキラのうち四枠と六枠では話が変わってくる。
極端な話、半数を同一勢力で固めてしまえばどうなる?
転生都市シナモリアキラは六枠を独占した勢力の意向を無視できなくなるし、半分以上は乗っ取られているも同然の状態となる。
その状態からじわじわと席を奪い続け、最終的に全てのシナモリアキラの首を挿げ替えてしまえば中身が丸ごと入れ替わった別物に『生まれ変わる』ことだろう。
『マレブランケ』を二人も洗脳し、冥府システムを乗っ取ろうとしたハデスの目論見も恐らくは似たようなものだったはずだ。
勿論、そう簡単に実現できる話ではない。
だがスーリウムやノゴルオゴルオ、ライラ・ラプスたちが利害を対立させながらも一時的な共闘が可能だったように、複数の外部勢力が徒党を組んで『マレブランケ』で派閥を形成する可能性は十分にあり得る事態だ。
この局面でロードデンドロンとアサブが『マレブランケ』に勝利して存在感を示したことには確実に意味があるはずだ。そういう流れを作り上げた何者かの意思を感じる。
それでもこの光景には否定しがたい美しさがあることもまた事実だ。
いがみ合っていた種族の融和、その可能性を感じさせる一幕。
それは『呪文の座』が願う世界に近いものだったし、それがこの地下アイドル空間で実現していることには感慨深いものがある。
歌姫のライブを前にして、この流れは理想的と言えた。
あまりにも都合が良くて、肯定するのが怖いくらいだ。
そこで、アズーリアからの通信を放置したままだったと思い出す。
ニアホンを操作するとメッセージの嵐。
どうやら今のニュースが伝わっていたらしく、こちらの安否確認のようだ。問題ないと返すと、安心した様子のデフォルメ黒衣が画像応答で送られてくる。
ややあって、動画通話の着信。
どうしたんだろうと思いつつ、ニアホンを手にしたまま立体幻像を表示。
「お久し~。アズさん元気だった?」
念のため地上に移動してから通話を開始する。画面には懐かしい黒衣。アズーリアの顔に少しだけ疲労の色が見えたが、こちらに気弱な所を見せまいとしているのか明るい表情を作っていた。
「元気だよ~。あれ、なんだかメイ、ちょっと雰囲気変わった?」
「本当ね。なんだか普段より凛々しく見える」
画面の端から覗き込んできたのはティリビナの巫女、プリエステラことエストだった。
大人びた顔立ちと振る舞いに反して、緑の髪を飾る大輪の花と、ひらひらとした民族衣装は少女のように愛らしい。直前までティリビナ人についての問題で思い悩んでいただけに一瞬だけ複雑な心境に陥ったが、親しい友人との再会は素直に嬉しかった。
「そう? 私はちょっと可愛く感じたよ」
アズーリアの言葉にぎくりとして笑顔で誤魔化す。
「えー、ほんとに? なんか嬉しい。ていうか二人こそ嬉しそうじゃない? 何かいいことでもあったの?」
「わかる?! そうなの、とってもいいことがあったの! ここ最近で最高のニュース!」
エストが興奮して前のめりになるのでユディーアは思わず少し仰け反った。
立体幻像でも勢いが伝わってくる。彼女がここまで嬉しそうにしている姿はあまり見ない。一体何があったんだろう。ここまで気分が良さそうだと、彼女を憂鬱にさせるであろうロードデンドロンの求婚について伝えるのが億劫になる。このまま黙っていれば、いやむしろ妨害して失格にしてしまえばうやむやにできるのではないか。真剣にロードデンドロンへの嫌がらせについて考えていると、アズーリアがエストの言葉を継いでいた。
「そうそう、それなんだけど。前に連絡した通り、今は第五階層の隣にある『虫王の庭』っていう世界で足止めされてるんだよね。入国許可が降りなくって」
「とりあえずレースに関してはそっちでリーナさんの応援するんだっけ?」
「うん。でも何故か虫とかキノコとか岩とか色々とトラブルが絶えなくて。今日なんかでっかい石像が大群で攻めてきてさ。すっごくピンチだったんだ」
「わあ」
返答に窮し、とりあえず適当に感嘆しておく。
こうして問題なく会話できているということは、恐らく問題は解決したのだろう。
いいニュースというからには、そのピンチで大きな被害があったとは考えづらい。
一体どうしたんだろう。不思議に思っていると、エストが少し身を引いた。
「絶体絶命のその時、私たちを助けてくれた人がいたの。それがなんと! 私が小さい頃にお世話になったお師匠様だったのよ!」
「エストの師匠って、『塔』のエクリエッテお姉さま?」
「その前、もっと小さい時にお世話してもらった人よ。私の血に眠る『アルラウネ断章』の扱いや、ティリビナの巫女としての心得、それ以外にもいろいろなことを教えてもらったし、沢山遊んでもらった。里のみんなも仲良しで、今はあっちで話してる」
「すっごく強くてびっくりしたよ。名前聞いたらメイもピンと来るんじゃないかな。ヒントは、なんと教科書に出てくるような人物で、ティリビナ人を助けてくれる大英雄です」
ユディーアは今はあるはずのない全身の鱗が一斉に冷えていくような感覚に襲われた。
心強い味方が仲間に加わってくれたと明るい表情で報告してくれる友人たちが、端末の向こう側で誰かを手招きする。
嫌な予感。これはまずい。これは確実に致命的な状況に陥っている。
「紹介するね。この人が私の恩師で、ティリビナ人の亜大陸脱出を助けてくれた救世主」
聞きたくない。聞く必要なんてない。
だって、その名前はもう知っている。
薔薇のような麗人。性差を超越した美貌。艶めいた黒髪も、赤と黒の衣装も、アトリビュートのように指先で挟んでいる一輪の薔薇も。
その隣でエストが嬉しそうに笑う姿を、今だけはどうしようもなく気持ち悪いと感じた。
「やあ。はじめまして」
宙に浮かんだ映像窓を、小さなニアが震えながら凝視している。
ユディーアも似たような心境だったが、仲間の前で動揺するわけにはいかない。
気息を導引して合国を刺激、慌てたせいで親指の付け根を引っ搔いてしまったがどうにか冷静さを取り戻す。眼前の現実を受け入れ、正しく対処しなければならない。
「君がエストが話していた友達の『メイファーラ』だね? 彼女は私にとっては子供や孫のような存在なんだ。仲良くしてくれてありがとう」
こちらにだけわかるように名前を強調して笑う麗人を前にして、ユディーアはどうにか笑顔を作ってみせた。白々しい初対面のふり。出来の悪い茶番だ。
問題はここから。既にこの時点で主導権を握られている。考えるべきなのは相手が何を目的としているのか。それにどう対応するかだ。
笑顔のエストが親しそうに現れた人物に話しかけている。
最悪、最悪、最悪。毒づきたい気持ちを抑え込むのすら一苦労だった。
ロードデンドロンの求婚など他愛ないとすら思えるほどの忌避感情。
いつの間にかナメクジや毛虫が友達の輪に紛れ込んでいて、それを自分以外が当然のように受け入れている、そういう種類の生理的嫌悪感。
それでいて否応なく『美しい』と感じさせてくるのがひどく悪質だった。
一般的なティリビナ人よりも霊長類的な容姿の二人は、並ぶとまるで父と娘のようだ。
誰が見ても明らかに『善い』とわかる普遍的な価値。『美しい』とされる理想。
それは多くの場合、愛情と呼ばれる。
「私の名はスーリウム。我が母アルラウネより『花のアヴロノ』としての称号を受け継いで以来、ティリビナ人の守護者たることを自らに任じている。要するに、ただ孫や子が可愛いだけの、どこにでもいる老人だよ」
麗人がエストに注ぐ視線には、確かな慈愛があった。
そしてロードデンドロンの求婚とは違い、この親愛は一方通行ではない。
エストがスーリウムに向ける視線には、家族に対するあたたかな愛情が込められていた。




