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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第5章 そして夜が明けたあと、百億の怒り

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5-1 枯れ木激して死灰に至り、苗木人立ちて雲路を砕く




 友人から前世の話を聞かされるたび、ユディーアはとても悲しい気持ちになる。

 決して共有できない思い出、知らない絆、実感の伴わない友情、作り笑いで話を合わせるしかない気まずさ。共有できない記憶にはおよそ彩度というものが無かった。

 これで相手が心の病を患っていれば一種のカウンセリングと割り切ることもできようが、そうはいかないのが厄介なところだ。なにせ友人の語る前世は確定した未来なのだから。

 その友人、クナータ・ティエポロス・ノーグには生まれる前の記憶がある。

 クナータの主観意識は人生を逆行している。彼女にとって記憶とは未来の回想だ。

 それが友人を『先読みの聖女』たらしめる異能であり、宿業でもある。

 

「ああ、とても素敵な思い出だったわ。こんなにも幸せな記憶ってあるのかしら」


 クナータはもうすぐ死ぬ。

 あらゆる生命がそうであるように、個としての終焉を迎える。

 少女は美しい。美しかった。それはやがて過去形になる煌めきの発露。

 十字の輝きを宿す瞳、半妖精の尖り耳、無邪気な笑顔を黒いフードで覆い隠し、けれど生来の可憐さだけはそのままに、小柄な少女が夕暮れの街を歩んでいく。

 両手を広げ、足取りも軽やかに、つま先立ちで舞うように振り返る。

 口ずさむ歌、楽しげな踊りは記憶の再現だろうか。

 これから待ち受ける『見知らぬ記憶』に想いを馳せながら、ユディーアは口を開いた。


「ティエポロスにとってのお祭りって、行進の真ん中で手を振ってるか、高い所に座ってるかだったからね。こうしてお忍びで遊べるのって、凄く貴重な思い出だよ」


「まあ。わたしのこれからってとっても退屈そうね。じゃあやっぱり幸運なんだわ。生まれたばかりのわたしが、こんなにも楽しいお祭りを満喫できたのだもの」


 クナータにとって人生はまだ始まったばかりだ。前世を終えて、新たな生を獲得したばかりの無垢な命。日に日に幼くなっていくかのような幼馴染みの振る舞いを見ながら、ユディーアはずっとそのことについて考えていた。

 親しい相手との別れについて。

 それによって生まれる新たな未来について。

 クナータが語る幸福な記憶を、ユディーアは受け止められずにいた。

 二人の関係は、クナータの『前世』がユディーアと共に歩むことを前提にしたものだ。

 けれど、今を生きるユディーアはどうしても考えてしまう。

 『今のクナータ』はどうなってしまうのか?

 未来から過去へ魂の歩みを逆行させている彼女にとって、この自分との『今』は何なのだろう。クナータにとってのユディーア。ユディーアにとってのクナータ。共有できない未来を、果たして今のクナータと同じように幸福だと感じられるのだろうか。

 わかっている。これは誰もが持つ、ありふれた未来への不安だ。

 ユディーアは未来という名の友人を恐れている。だから彼女は聖女クナータと二人きりの時、もう使われていない古い名前で呼ぶようにしていた。


「ねえティエポロス。あたしはこれでいいんだよね?」


「もちろんよ。いつもわたしとお母様を守ってくれてありがとう。ユディーア」


 二人の声は都市の喧噪に紛れて消えていく。

 どこまでも犇めき続けるかのような雑踏、混沌が交差するその街の名はガロアンディアン。

 天地を貫く世界槍の中心に降り立った二人は、定められた記憶をなぞり始める。

 それは死出の旅路。

 それは揺り籠に至る出産旅行。

 ガロアンディアンは出生地主義だ。その国で生まれることが国籍の取得条件となる。それが何を意味するかと言えば。


「ねえユディーア、今の見た? とても可愛らしい苗木の赤ちゃん!」


 はしゃいだ声がしてから少し経って、ユディーアは街路の端にそれを見つけた。

 樹木の肌をした種族、ティリビナ人が小さな赤子を抱いてあやしている光景。

 その土地に根付くとは、次の世代が生まれるということ。

 冬が終わり、春が始まる。

 見上げれば、第五階層の天は青々と生い茂っていた。

 逆さまの大樹とそれを取り囲む森が不可思議な燐光で世界を照らしている。

 大樹はその梢に小さな幻の太陽を灯し、時の流れを司るかのように昼と夜を順番に入れ替えている。一日の時間経過で光量が変化するあの疑似太陽の正体を、誰も知らない。

 太陽が存在する理由がわからなくても時間は進む。一日は終わっていく。

 日没は近い。やがて世界は夜に沈み、街には人工の光が灯され始めるだろう。

 季節が移ろうように、時代が前に歩みを止めないように、全てのものはずっとそのままではいられない。そんなこと、とっくに理解していたはずなのに。

 胸を締め付ける寂しさに、ユディーアは誰かに縋りたくなった。

 

「しっかりしなきゃ。あたしだって、ちっちゃい子のお世話するんだから」


 両手で頬を挟んで表情を作り直す。柔らかく優しげな、いつもの彼女になるように、表情筋は七色に変幻自在。感情豊かで元気なあたしを取り戻そう、と気合いを入れる。

 泣き言など言っていられない。

 時間は矢のように過ぎ去っていく。子供はあっという間に生まれて大人になっていく。

 その間も自分自身の時間は進んでいるのだ。

 子供に向き合うべき時、人は大人になるという。きっと今がその時だ。ユディーアには救世主トリアイナの旅路を見守り、養育する使命が課せられている。


 この言いようのない寂しさは、きっと捨てきれない子供時代への郷愁のようなもの。

 大丈夫、すぐに慣れる。喪失と獲得、二つはコインの裏と表だから。

 ユディーアとクナータの前日譚は、もうすぐ終わる。

 寂しさは新たな物語の始まりが埋めてくれるだろう。

 期待に胸を躍らせよう、輝ける未来に希望を抱いて歩こう。

 これから始まるのは待望の本編。

 主人公である『未知なる末妹』、トリアイナ・ノーグの物語。

 たとえその未来が、実感の伴わない灰色の記憶であったとしても。

 そこには価値があるはずだから。


 


 硬貨コインを投げる。くるくる回る。

 目まぐるしく入れ替わっていく、表と裏。

 表には女性の横顔。ジャッフハリムの聖妃レストロオセの肖像。

 裏には竜神の威容。竜神信教徒が祈りを捧げる創世竜の想像図。

 光の加減と呪力に反応して、女性の顔は聖と邪の相反する側面を映し出し、竜の姿は九つに入れ替わる。悪神フルグントでさえ偽造できないと謳われるジャッフハリム銀貨は、それ自体が優れた工芸品や美術品として扱われることがあった。


 落ちてきた硬貨をキャッチして指の間で転がしながら弄ぶ。

 『美』を体現する職人芸も傑出したデザイナーのセンスも、ユディーアにはいまひとつぴんとこないものだった。彼女にとってこれは手慰みに遊ぶ玩具程度の価値しかない。

 使わない硬貨の価値なんてそんなものだ。


「器用よね、ユディーアって。私もできたらよかったのに」


 連れの少女は回転しながら手の甲や指の間を動いていく硬貨が物珍しいのか、奇術師にそうするようにぱちぱちと拍手を送ってくる。ユディーアは羨ましそうな視線を送る少女にやり方を教えるが、上手く行かずに硬貨を取り落としてしまう。「やっぱりできなかったわ!」と頬を膨らませる姿が少し可哀相で、もう少し真剣に指南してあげようかと思う。けれど『予定』を大幅に逸脱するような大胆なことはできなかった。

 『できたらよかったのに』とクナータは言った。彼女の思い出を、『できてよかった』にしてはならない。それが未来にどう影響するかわからないからだ。


 ユディーアは裏切り者だ。

 まずはじめに、嘘がある。

 あらゆるものに対する背信。意識するたび、恐れが心臓を責め苛む。

 国家を、信仰を、友情すらも欺いて、彼女はいまここにいる。

 はしゃいだ様子で先を行く護衛対象を心配する素振りを見せながら「もー、あんまり先に行ったら駄目だよー」とやわらかく叱責。バカみたい。遠くから俯瞰で見ている自分がいる。頭の右側で括った亜麻色の髪を揺らして歩く垂れ目がちの女。小さく可憐な聖女を庇護する細身の修道騎士。軽甲冑と腰に提げた折り畳み式短槍で武装した護衛。これは誰? ユディーアって何? あたしに大切な人なんていないのに。友達なんて、全部嘘なのに。


「いちおうあたし、公的には『智神の盾』として調査任務で来てるんだよ。お忍び聖女様の護衛は秘密なんだから、もうちょっと大人しくしててくれると助かるな」


 素性を隠すために、二人は夜の民のように黒衣で身体を覆い隠している。

 傍目からは槍神教の関係者だということはわからない。仮に露見したとしても、それはそれで構わなかった。『お忍び聖女とその護衛』というわかりやすいストーリーで二人を飾るための簡易な変装だからだ。クナータは窮屈そうにフードの中で唇を尖らせた。


「えー。そんなのつまらなかったわ。だからしばらくしたらやっぱり約束を破っちゃうの。ここで私が言うとおりにする必要ってある?」


「いや、約束は破らないでよ。じゃあ何かごちそうするから、もう少し我慢して?」


「ありがとう! やっぱりこう言ったのは正解ね、とても美味しかったわ!」


 ユディーアは首を傾げた。これは騙されたのか、それとも未来の記述が変わったのか。クナータひとりでは変えられない未来回想は、他者の介入で変化することがある。出来事を読み替える呪文使いのわざ。クナータは切り分けた記憶を都合良く物語ることで未来記憶の改変を誘導することがたまにあった。問題は、それが正史なのか誘導の結果なのか周囲からはわからないし本人にもわからなくなってしまうということなのだが。

 まあいいか、どっちでも。ユディーアは気にしないことに決めた。聖女クナータにとって些細な記憶違いはいつものことで、己の都合によってころころ言う事が変わるなんてことも日常茶飯事だとユディーアは知っている。いちいち気にしていたら身が持たない。

 重い息を吐いた。変える勇気を、クナータ本人は持っている。

 こちらの心配など軽やかに飛び越えて、この少女は恐れずに思い出を更新していく。


「さて、その辺にお店はないかな」


 ユディーアは種族特有の感覚器官、頭蓋の内側にある『天眼』を開く。要するに屋台が見つかればいい。が、どのような屋台でもいいわけではなかった。

 調査任務というのは全くの嘘ではない。

 第五階層に新しく生まれつつある『辺境区』。そこで活動している様々な宗教勢力の動向を調査すること。それが『宣教騎士団』である『智神の盾』からの指令だった。

 形式的なものではあるし、アズーリアからは「先に空組と合流してていいからね」とも言われているが、調査で得た情報はチョコレートリリーの仲間たちにとっても意味のあるものになるはずだ。もちろん、チョコレートリリーではない仲間にとっても。


「見つけた」


 第五階層に到着した瞬間から探していたものを見つけて、ユディーアはそちらに足を運ぶ。後をついてくるクナータは既に「クレープ♪ クレープ♪」と美味しいものを食べる直前の満足感でご機嫌だ。もしくは、食べた直後の満腹感で。

 二人が辿り着いたのは移動式の屋台だった。赤い看板には『クレープ』と『占い』という文字が記号付きで大きく記されている。どうやら注文すると簡単な占いもしてくれるらしく、パラソルやメニューボードの下にカードやら水晶玉やらが飾られていた。

 クナータがはしゃいで言った。


「すてきな趣向だったわね!」


「お、意外にも好評だ」


 未来を回想する聖女が占いに好意的なのも妙な感じがするが、クナータの機嫌が良いのはいいことだ。何かの切っ掛けで『暴発』する心配が無いのは安心できる。


「店員さん、焼き肉サラダクリームチーズはとってもとっても美味しかったわ!」


「えっと、あたしはスモークサーモンとヨーグルトの豆乳クレープで」


「かしこまりました。少々お時間いただきますが、その間は水晶占いをお楽しみ下さい」


 『下』のマロゾロンド信徒によく見られる薄いヴェールで顔を覆った店員が涼やかな声でそう言うと、カウンターからふわりと浮き上がった水晶玉が淡く紫色に発光し始めた。水晶玉観照スクライングは夜の民というより月の民の領分だが、全自動で占いを実行してくれるのでこういう店でのちょっとした時間つぶしにはもってこいだ。

 水晶玉に映し出された光景は未来というほど確かなものではなく、光の輪郭が揺らぐ程度のものだった。誰かの姿だと強弁すればそれらしい解釈をでっち上げることも不可能ではないが、暇つぶしの余興としてはまあこんなものだろう。


「おめでとうございますー♪ お二人とも、長く会っていなかった人と再会できそうな気配がしますよ。更に、今週は意外な出会いから新しい友人ができるかも! ずばり、友情の運気がぐいぐい来てます! 星の巡りとか星辰配置とかがそんなふいんきです!」


「あはは。なに言ってんの?」


 ヴェールの奧で微かに輝くのは、クナータとは角度の異なる斜め十字の瞳が放つ光だ。

 寝ぼけてるのかこの女、とうっかり素で考えつつ商品を受け取って、ユディーアは手のひらから一枚の銀貨を落とした。


「支払い、これでいいですよね?」


「はい、もちろん」


 店員は硬貨を渡したユディーアの手を両手で包み込むように挟んでいる。

 ヴェール越しにうっすらと見える柔らかな微笑みは、こちらに好意を抱いているのではないかと勘違いさせるほどに華やかに見えた。ユディーアはそのまま目を閉じて、手の感触を確かめるように少しだけ力を込める。いち、に、さん。心の中で短く数える。


「あの、お客様? そういうことをされると、わたくし困ってしまいます」


 からかい混じりの笑みと共に勘違いした客をやんわり拒絶するようなことを言う店員に軽く殺意を覚えつつ、ユディーアは手を引き抜いた。困るのはこっちだよ。

 クナータがご機嫌な様子で言った。


「仲良しってすてきね」


 友達の性格が良ければね、とユディーアは内心で付け加えた。

 またのお越しをお待ちしております、という声に背を向けて、二人はクレープを手にその場を離れた。あまりこの場所には長居したくない。表向き、二人の身分は『松明の騎士団』に所属する修道騎士だ。この近辺にはふさわしくない。

 行き交う人が身に付けている竜数珠が、店舗の軒先に飾られた紐が、この一帯が竜神信教の勢力圏内であることを示している。蜥蜴人の割合も高めで、ちらほらと角付きの亜竜人も混じっているようだ。

 いつの間にかこの第五階層にも広まりつつある古い宗教。

 竜神信教と槍神教は不倶戴天の敵同士だ。その図式はほぼ『上』と『下』の対立の構図を引き写したものである。


 背後を振り返ると、占いクレープの屋台には新たに男女のカップルが訪れて仲良く恋占いをしていた。例の店員は男性に親しげな接客を行い空気をひりつかせている。きっと瞳の斜め十字は爛々と輝いていることだろう。ひときわ暗く、どす黒く、破滅を期待する色に。

 灰色よりも質が悪い。業深き淫魔ラハブが生み出す災厄の渦からはさっさと距離を置くに限る。といって、商品を投げ捨てるほどうんざりしていないのも事実。

 折角だからとクレープを一口かじる。まあ、味は悪くない。

 性格と性癖はともかくとして。


 


 ユディーアは裏切り者だ。

 背信者には相応の身の処し方がある。そう教えてくれたのは、ユディーアの魔女としての師だった。『星見の塔』と『虹のホルケナウ』で学んだ日々は血肉となって彼女の深いところに刻み込まれている。

 都市に埋没するためにはどうすればいいのか。師である『ポルガーお姉様』はこんなことを言っていたな、とユディーアは思い出す。


 全ての都市には表情がある。感情と言い換えてもいい。

 喜、怒、憂、思、悲、恐、驚。

 小さく口の中で反復する。肉体に染みついた修練の成果。全身の臓腑と神経がそれを生身の感覚で理解している。ユディーアが覚えたのはその『七情』のかたちだ。

 喜び、楽しさ、悲しみ、苦しみ、軽薄さ、生真面目さ、時間と共に移り変わっていく表情を読み、都市に共感してみせることがその場所に溶け込むための第一歩。

 ユディーアから見た第五階層ガロアンディアンは怖いくらいに感情が豊かで、けれど顔をしかめそうになるほどにちぐはぐだった。


「修道騎士会のおしごとで激甚災害後の仮設住宅に救援物資を届けに行ったことがあるんだけど、あれを縦に広げて積み上げて、そのまま発展させたらこんな感じかなあ」


 クナータはそのたとえがよく飲み込めなかったのか、なあにそれ、と首を傾げた。

 実際のところ、第五階層の辺境区は猥雑の極みだった。複数の幼児らが様々な形の積み木をめちゃくちゃに積み上げて作ったような、幼く無計画な独創性の複合体。

 たとえば小さな箱型建造物の上に巨大な逆三角形が屹立し、更にその上に橋が築かれて虚空に開いた『扉』へと繋がっていたり。

 たとえば三段重ねの箱から突如として一番下の箱が消失するも座標が固定されているために上の箱は落下することなく中空に浮いたままだったり。

 無秩序な街の景観は控え目に言って狂っていた。


 第五階層を訪れた人々に付与される管理者権限の一部は簡易的な物質創造を可能にする。『創造クラフト』と呼ばれる力を用いれば、誰でも箱型の住居を即座に組み上げることができるのだ。もちろん、知識や技術があればより複雑なクラフトにも挑める。

 インスタントに作り出され、次の朝には幻のように消え去ることもある、とても忙しない街のかたち。絶えず新生と死滅を繰り返す循環の世界。

 不安定だ。ユディーアは足下の不確かさと頼りなさに言い知れぬ不安を感じていた。


 けれど道行く人たちは誰も自分のような心細さを感じているようには見えない。むしろ活気すら感じる。この街には方向性があるのだ。言ってしまえば『意思』のようなものが。『下』のように平穏に縛られているのではなく、『上』のように恐怖に支配されているのでもない。

 自由であれ。あらゆる意思と情動を駆動させ、混沌とした世界の住人であれ。

 そうした暗黙の強制力がこの空間を支配し、一定の秩序を形作っている。


「みてみてユディーア、あそこの露店で牽牛種アステリオスの錬金術師が牛黄ごおうを売っていたわ! やっぱり自分の胆嚢から取り出したのかしら?」


「やめなよそういう想像するの」


 とはいえ自分産の呪物で小遣い稼ぎをするのは誰でもやっている。友人のアズーリアだってお金に困ったら『ペリュトンの鹿茸ろくじょう』と言って生えかけの袋角を売ろうかなと冗談を言うくらいだ。ミルーニャが真顔で交渉を始めたのを思い出して少し笑う。


 行き交う多種多様な種族、世界各地から集められた技術水準のバラバラな呪具、異なる文化圏同士が接触し、混淆して新しいものに変質していく絶え間ない流れ。

 ユディーアは土地に慣れない新参者としてただそこにいれば良かった。

 新しいものは、常にこの都市に入り込んでくる見慣れたものだからだ。

 『上』や『下』で居場所を失った人々が最後に辿り着くのがこの魔都だ。みな、苛酷な因縁と苦痛に満ちた過去を背負ってここにいる。

 それでも、難民たちが生活を積み重ねて次の世代に希望を繋ごうとするように、今を生きるものたちは未来に向かって歩いている。


「クルックルック、ルックルクック♪ ちいさな鳥が飛んでった♪ 親鳥追って飛んでった♪ クルクル鳴いたら親鳥落ちた、ちいさな鳥も落っこちた♪」


 子供が歌っている。他愛ない風景、と流せない違和感。

 第五階層はどれだけ形を変えようと危険な迷宮区だ。

 他に行き場の無い難民、それくらいしか考えられないが、何かが引っかかる。

 あんなにも楽しそうな笑顔を浮かべているのは、どうしてなのだろう?

 少し悩んだユディーアは、自分の中にある『不幸な難民のステレオタイプ』と現実に生きる人間の強さとの不一致がもたらした混乱なのだろうと結論付けた。

 そう考えてしまう自分の在り方と立ち位置に嫌気がさして、ユディーアは重い溜息を飲み込んだ。クナータの前だから、表情だけは柔らかくしなければならなかった。 


 違和感だらけの二人は致命的なずれをそのままにして歩いて行く。

 ユディーアは明確な目的地を見据えて。

 クナータはアルバムを懐かしむように記憶を辿って。

 到達点はまだ遠い。執行猶予の途上を、惜しむようにゆっくりと噛みしめる。

 一歩一歩が処刑台の手前のように感じられた。


「見て、ユディーア」「あれは何かしら?! 結局わからないままだったわ!」「わあ、お花が飛んでるわ!」「あの大きいのは箒? それとも生き物?」「焼き菓子をご馳走してくれてありがとうユディーア! とっても美味しかったわ!」「あんなにすてきな髪飾りをプレゼントしてくれるなんて、ユディーアは優しいわ!」「平らげておいてなんだけど、幾ら何でもメニューの端から端までなんて、すこし申し訳なかった気がするわ」


 ちょっと待て、とさすがのユディーアも笑顔を保てなくなってきた。

 この聖女様は人の財布をどこまでも軽量化したいらしいが、ユディーアの予算にも限りがあるのだ。もう少し手心を加えて欲しい。ていうかこれ嘘でしょぜったい。欲望のままに未来と記憶を改変するのはやめてほしい。


「ティエポロスさん。調子に乗っていませんか」


「なんてことを言うの? わたし、転生して間も無いのよ? ひどいわ!」


 余命を盾にされてしまえばユディーアに為す術は無くなる。

 その上、主観的には彼女はまだ生まれたばかり。幼い子に辛く当たるのは心理的ハードルが高いし、どうしても甘やかしてあげたくなってしまう。


「それずるい。ティエポロス卑怯だよー」


 涙目になりながらもクナータの無茶な振る舞いに付き合うユディーアだった。

 少女の振る舞いはある意味で気遣いなのだと、本当はわかっている。

 だからユディーアは友人に笑いかけることができるのだ。

 それが最善で正しい距離感で、クナータが望んだ最後の時間の過ごし方。

 わかっている。全部わかっているから、ユディーアはこの時間を楽しいと信じた。この瞬間が遠い過去になった時、美しい思い出として振り返ることができるように。

 たとえその色彩が、灰色だったとしても。


 ふと、ユディーアの視線が護衛対象から離れる。

 見覚えのあるものを見つけた、そういう注意の逸れ方。

 街角をよたよたと歩いて行くのは、小柄なクナータよりも少しだけ小さな背丈の手足の付いたキノコだった。


「あれってマイコニド? ガロアンディアンって本当にどんな種族でも受け入れてるんだ」


 マイコニドは極めて珍しいティリビナ系の少数種族だ。

 ジャッフハリムでも知識がある者は珍しく、直接目にしたことがある者は更に限られているほど馴染みのない種族。ユディーアとて、セインディアの博物城で秩序派の血統術師たちに引き合わされた経験が無ければあれがティリビナ人だとは理解できなかっただろう。

 この階層の住民たちも気付いていない。

 キノコ人は独りに見えた。近くには樹皮の肌を持ったティリビナ人たちもいるが、彼らはマイコニドを遠巻きに眺めている。表情まではわからないが、そこには見えない壁があった。


「ルーシメアは、何をやっているの」


 小さな苛立ちが泡のように浮き上がり、瞬時に弾けて消えた。

 無意味な思考だ。この憤りはあまりに幼い。

 自制はしたものの、胸の中には棘が刺さったままだ。

 善良で純粋な『主君』のことを思う。

 歴史の信奉者たちの空虚な願いが反響するあの異形の城で、少年もまたマイコニドの友人を得ていたはずだ。昔から彼の生来の素直さと人懐っこさはあらゆる壁を取り払ってきた。

 何もかもが理想通りにならないのはわかる。けれど、何か飲み込みがたいものを感じる。

 違う。彼女にとって当たり前だった記憶は、ある瞬間から決定的に変質してしまった。

 いや、させてしまったと言うべきか。

 全ての罪は、ユディーアに帰するのだから。

 思考を振り払う。この後悔はするべきではない。


「どなたか、お金を恵んでいただけませんか。ほんの少しでいいんです」


 マイコニドは明らかに困窮していた。彼は近くにいる他の物乞いたちからも迷惑そうな視線を向けられている。このままだと第五階層における丐幇かいほうの類に目を付けられるのも時間の問題だ。ユディーアはしばし迷った。

 ここもだ。ガロアンディアンもまた、完全な楽園にはほど遠い。


 ジャッフハリムは対外的には理想郷のように喧伝されているが、その門戸は万人に開かれているわけではない。共存共栄の理念と折り合いを付けられなかったものたちは国を去るか、あるいは国内に留まったまま新たな居場所を求め独立を叫ぶことになる。

 第八階層の巨人族、そしてティリビナ人たちがそれだ。

 頭上の世界樹が太陽を隠したことで、夜の民、岩肌種トロル熊人ディスノーマ地精ノームといった暗がりの種族が姿を現し始めていた。

 同じく洞窟を棲家とするマイコニドは同族意識に訴えかけて彼らに縋ろうとしたが誰にも相手にされないままだ。どのコミュニティからも爪弾きにされたマイコニドには救いがない。


「かわいそう」


 クナータの悲しそうな表情。

 泥や砂埃に塗れて薄汚れたキノコ人間は片腕を無くしていた。彼にこれからどんな災難が降りかかるのかはわからない。けれど、それはこの街ではありふれた悲劇だった。

 雑多な街には幸福と不幸が雑多に入り交じっているものだ。

 手足を失った探索者は物乞いに身をやつし、難民たちは身を寄せ合って苛酷に立ち向かい、ならず者たちは酒と麻薬で明日の絶望から目を逸らす。

 行き場の無いものたちが最後に辿り着く最果ての地、第五階層ガロアンディアン。

 そこにすら馴染めなかったものたちが行き着いたのがこの辺境区だ。


 信仰上の理由や生理的嫌悪感から義体化技術を拒絶した者。

 機械女王と異界の紀人という存在を危険視して距離を置いた者。

 『死人の森』の脅威が未だ完全に排除されていないことに恐怖を感じている者。

 そう、ここはきっと『どこでもないどこか』だ。

 ユディーアは矛盾する感情が湧き上がるのを感じた。これは安らぎと苛立ちだ。

 足は自然とある方向へ進む。クナータが優しい顔で微笑んでいる。


「ああ、どうかこの哀れな戦士にわずかの慈悲をお恵み下さい! 勇敢に戦った果てに待つのがこのような惨めな結末だと言うのですか、こんな仕打ちを神はお許しになるでしょうか!」


「これ、どうぞ」


 仰々しく叫んでみせるキノコの物乞いに、ユディーアは銀貨を渡した。周囲に聞こえるように大げさに感謝を口にする男に背を向けて早足にその場を後にする。男が無慈悲な周囲を非難し始めると、舌打ちや苛立ち混じりの怒鳴り声が響く。

 気分が悪い。最低だった。ユディーアはどうして自分はもっと賢く生まれなかったのだろうと両親を恨み、そんな思考に至った己のどうしようもなさに嫌悪感を抱く。

 個人の後悔などとは関係無く、街は全てを押し流す。

 人の声、雑踏の音楽、行き交う噂話、風となって踊る囁きの神エーラマーン。

 ひどい記憶。忘れたい過去。どうせこれも色褪せていくのだろう。

 




 第五階層の辺境はガロアンディアンの支配が及ばない区画ということになっている。

 しかし大半の非合法組織はガロアンディアンが出資・管理している『公社』による争乱調停、周辺警備という名目での武力制圧によって骨抜きにされていた。

 辺境における事実上の支配者は『公社』なのである。

 つまり間接的にガロアンディアンの統治下にあると言ってもいいのだが、あくまでも機械女王はこの地を直接的に統治するつもりが無いらしい。

 中途半端な無法地帯。その場の都合で『どんな扱いにもできる』という便利な空間。意図的に作られた余白だからこそ、ユディーアたちのような者でも紛れ込める。


「あったあった。この酒場だね。『公社』が手配した人員と落ち合う予定になってるの」


 二人が辿り着いたのはそんな辺境区のはずれにある寂れた二階建ての建物だった。

 第五階層を取り囲む『森』との境界に近いこのあたりは立ち並ぶ糸杉のどこか寒々しい佇まいもあって寂しげな雰囲気が漂っている。

 建物に入ろうとするユディーアに、クナータは小首を傾げて言った。


「そう? そんなにすぐには落ち合えなかったはずよ?」


「えー、勘弁してよ。なんで? 遅刻とか?」


 理由はすぐに判明した。二人が酒場に入った途端、怒鳴り声が響いたからだ。


「つまりだ、犯人はこの中にいる!」


 ユディーアは店中の視線が自分に向けられるのを感じた。

 店の中心で話していた男はばつの悪そうな表情になり、こう付け加えた。


「あー、もちろん、いま入って来たそこのお嬢さんがたを除いてだ」


「何か揉め事?」


 言いつつ、ユディーアは騒ぎの原因らしきものを見つける。

 話している男性の足下に転がっていたそれは、死体だった。

 後ろからこっそりとクナータが囁く。


「ちょっとした事件に巻き込まれたの」


「わくわくな展開だ」


 ユディーアは平坦な笑顔で言った。回れ右したくなる衝動を抑えながら前進。クナータの記憶が言葉になった以上、抵抗するより流れに身を任せた方が楽なことのほうが多い。

 店内はいかにもな『探索者の酒場』といった風情だ。木製を偽装した古びた内装に、充満する酒と煙草の臭い。

 ユディーアは消臭符を取り出して表面の呪紋をなぞり、悪臭や副流煙を排除する障壁を構築した。周囲の空気が清浄化されていく直前、酒場の空気にかすかに肉の焦げたような悪臭が混ざっていることに気が付く。

 店内中央の死体。見た目には大きな外傷は無さそうだが、もしかして焼死体なのだろうか。

 積極的に関わり合いになろうとは思わない。ユディーアはクナータを連れてカウンターの前に立ち、店主に話しかけた。


「生命の水を二杯。あたしのには火ヤモリの黒焼きと鬱金と月桂葉、こっちの子には火蜂のハチミツ入れて。それと人を探してる。『カニャッツォ』という通り名の男を知らない?」


「あいよ。ったく探索者は注文が多いね、うちの棚に人間は置いてねえんだが」


 店主の鳥人バードマンは面倒そうにぼやいた。『三本足』の小型ゴーレムが棚から生薬を取り出す間に店主がグラスを出す。こうした酒場の店主が錬金術師や呪術医を兼ねているのはよくあることだ。昔から呪力補給と言えば酒か霊薬と相場が決まっている。


「それにしてもカニャッツォと来たか」


「知ってるの?」


「知ってると言えば知ってる。ここは第五階層だからな。心配しなくてもじきに来る。それまでそこの余興でも眺めて暇を潰すんだな。お嬢さん、面倒ごとは好きかい?」


「好きな人っているの?」


「あそこにいるだろ、大喜びではしゃいでるヤツが」


 カラス頭の店主は嘴で店の中央の人だかりを示しながら言った。

 事態の中心にいるのは両腕に左右色違いの籠手を付けた若い男で、どうやらこの場所で起きた殺しの犯人探しをしているらしい。

 だが見たところ警察組織の人間というわけではなさそうだ。

 むしろ素人による吊し上げ、と言った方が実態に即しているように思われた。


「だから俺はやってねえって言ってるだろうが!」


「状況から見てお前が怪しいのは明らかだ、言い逃れも大概にしろクズ野郎め!」


 激昂する若い男と必死に抗弁する黒い肌の男性。恐らく鉄願の民と黒檀の民、どこにでもいる人種だが、ユディーアは違和感を覚えた。

 両者共に、両腕を覆う籠手あるいは金属製の紐帯セスタスのようなものを身に付けているのだ。おそらく打撃格闘を行うためのものだろうが、第五階層では打撃格闘が一般的な戦闘スタイルなのだろうか。それに良く注意して見れば、周囲の人だかりにも何人か拳を守るための装備を身に付けている者がいる。 

 疑問に思いつつ埒の空かない押し問答を眺めていると、事情がうっすらと察せられてきた。


 どうやらこの酒場ではスペースを貸し切って拳闘試合が行われており、腕に覚えのある探索者たちが金を賭けて殴り合いを行っていたらしい。いくら迷宮内部で探索者たちが荒っぽいからと言って、命を賭けてまで試合をするということは(少なくともこの場所では)無い。だがそんな中で人死にが出てしまったため騒ぎになっているようだ。


「だから何度も言ってるだろ! こいつは背中に一撃食らって死んでる、しかも焼け焦げてんじゃねえかどう見てもまじない師の仕業だ! 俺が試合で殴ったのは顔面と腹だけだ! ここで見てた奴らが証人になってくれる!」


「だがお前はそいつに勝った後で揉めてたな。目撃者が山ほどいる」


 そこまで言うと糾弾者は目を閉じ、ゆっくりと溜めるようにして間を作った。

 それから黒檀の民が両腕に巻き付けている紐帯を指差して続ける。


「低出力の『炸撃』でも至近距離で体内にぶち込めば人間くらい殺せる。お前の『まじないは苦手』って自己申告もあてにはならない。『炸撃』を封じた呪符を使えばいいんだからな」


「俺が持ってる呪符は癒しの効果があるものだけだ! さっき見せただろ!」


「まだ調査は不十分だ。例えばお前のその紐帯に呪紋は刻まれていないかどうか。内側に呪符を隠していたら? それに遺体と現場に残された痕跡も証拠になる。見てろ」


 探偵気取りの男は人差し指と中指を揃えて中空を何度か引っ掻いた。

 意味の良く分からないハンドジェスチャーが行われた直後、男の手から歪みを伴った女性の声が響く。無機質な声音。ユディーアはどこかで聞き覚えがあるような気がした。


「『サイバーカラテ道場』へようこそ。現在、音声アシスト機能、立体幻像投影機能による情報共有設定をオンにしています。物理演算アプリ『盤外の夜』及び呪物分析アプリ『犬のお巡りさんのきもち』を起動します」


 サイバーカラテ。その言葉を聞いたユディーアはあらためて『ここは確かに第五階層だ』という実感を得た。

 既にこの世界槍文化圏において一般常識となりつつある新たな『異界技術』。

 ユディーアとも決して無関係ではないサイバーカラテだが、彼女はどうにもこの技術とそれをもたらした『シナモリアキラ』という転生者に信用を置くことができなかった。

 だからと言うと妙だが、不意打ちのような遭遇と初対面に、自分で思っていた以上にユディーアは衝撃を受けていた。こんなにあっさりと出くわしてしまうものなのか、と。


 厳密に言えばサイバーカラテユーザーとして宣伝協力をしているミルーニャや周囲に助けられてどうにかアプリを落としたはいいが使い方がわかっていないアズーリアなども広義では『ユーザーの代名詞たるシナモリアキラ』と言えるのかもしれなかったが、当たり前だが彼女たちに本人性はほとんど皆無。

 直接的に目にしたシナモリアキラは、何と言うか取り立てて特徴の無い人物だった。どういう男なのか説明しろと言われても『一般的な成人男性』くらいしか言えることがない。鍛えているためか体格はいいが、周囲の探索者たちに巨漢が多いのでむしろ華奢に感じられる。


 そんな普通の男が、何やら奇妙な行動をとっていた。

 被害者の遺体に顔を近付けてにおいを嗅いだり、床に流れている血や木片を舐めたりしているのだ。意外と長めの舌を伸ばして指先に触れさせている絵面はかなり厳しいものがあり、ユディーア以外のギャラリーも一様に引いていた。

 ふと隣のクナータを見ると、興味無さそうに端末でゲームをやっていた。よくある街作りシミュレーターだが、彼女の主観では完成済の街の歴史を辿っていくプレイ体験になっているのだろうか、と余計な事が気になってしまう。


「分析完了だ。ちびシューくん。再現を開始してくれたまえ」


 不敵に笑う男に、犯人とされた黒檀の民が食って掛かる。


「おい、いったい何なんだよさっきから」


「全ての材料は出揃ったってことだよ。いいから見てろ、『サイバーカラテ道場』の情報分析能力はこういう応用も出来るんだ。科学捜査ってものを見せてやるよ(キリッ)」


 いまキリッて擬音を自分で言わなかった? 何かのネットミーム?

 自信満々の様子だが、果たして件の『サイバーカラテ』とはどれほどのものか。

 ユディーアはグラスを傾けつつ品定めしてやろうとじっと目を凝らした。

 ミルーニャの自動演武や修練の様子を見た限り、上っ面をなぞっただけの浅薄な付け焼き刃に留まっているという印象は拭えない。当人が技を再現できていてもそこに通底する理を汲み取れていないとでも言おうか。


 欠点はまだある。集合知の武術と言うがそれはゴミ情報を集めてしまうことの裏返しでもあるはず。これまでもアストラルネットでは幾百幾千もの自称武術家が泡のように浮かんでは消えていった。サイバーカラテがそうでないという保証はどこにもない。

 ミルーニャに言わせれば、そういう意見は人体と武術を神聖視し過ぎていて超高度人工知能による最適化を甘く見過ぎている、ということらしいが。

 ユディーアの醒めた視線など意にも介さずシナモリアキラ劇場は続く。


「地面に残された足跡、微かな血痕、遺体の傷痕、大気中に漂うにおい分子。常人が知覚できないが確かに存在する『証拠』。それらを『サイバーカラテ道場』は白日の下に晒す」


 男の言葉が終わると同時、半透明の幻像が浮かび上がる。

 被害者のティリビナ人、『街路樹の民』とも言われる樹木系種族の『生前の行動』を再現したと思しき映像だ。

 シナモリアキラは現場の足跡や被害者が倒れた際の椅子やテーブルとの接触跡、更にはにおいや血液の分析まで行ったと豪語している。


 被害者の立体幻像は倒れた状態から始まり、巻き戻されるようにして生前の位置に後ろ歩きをしていく。問題は犯行時の状況だった。

 拳闘試合が行われていた酒場の中心部から少し離れた位置に被害者はいた。

 そこでティリビナ人はなにやら興奮した様子で両手を振り回し、何度か真横にあったテーブルに拳を叩きつけていた。黒檀の民が発言する。


「そのシーンは確かに合ってる。野郎が賭け金払えねえって言うから揉めたんだ。『アテはある、必ず金を作って戻るから待っててくれ』とか舐めたこと抜かすからよ、一発殴ってやろうかと思ったが、その前にいきなり倒れやがったんだ」


 突然のことだった。ティリビナ人は前方につんのめり、テーブルを後ろにずらしながら足を椅子にぶつけ、よろよろとふらつきながら話していた黒檀の民と擦れ違うようにして倒れた。

 再現映像を見る限り、これで傷口が背中にあるのだから黒檀の民に犯行は不可能に思えるが、どうしたことか探偵役は自信に溢れた顔つきで黒檀の民を見据えている。


「普通に考えれば被害者の背後にいた客が怪しい。だが当時の位置関係を見てわかるように被害者の後ろは誰もおらず、壁と閉じられた窓があるだけだ。そして窓は施錠されていた」


「それは後から閉めたんだろ。だいたい俺がやったって証拠はねえじゃねえか」


「これを見ろ。お前たちが言い争っていたテーブルには幾つか殴打の痕跡がある。そして、その形はぴったりとお前の拳と合致するんだ」


「だから何だ。言い争いの最中に勢い余って殴りつけたんだよ」


 その言葉を聞いたシナモリアキラは笑みを深くして、ゆっくりと壁際に歩み寄る。

 そして壁面の一点を示しながらこう言った。


「何故だろうな。ここにも同一人物の拳とみられる打撲痕があるんだ。おかしくないか? いくら何でもこんな離れた場所に手が届くとは思えない。そしてなぜこんな場所を殴りつけなければならなかったんだ?」


「ああ? それは、あー、確か昨日の晩にその辺で飲んでたんだよ。だいぶ酔いが回ってたからうろ覚えだが、羽虫みてえのがぶんぶんうるさかったからよ、つい力入れて殴ったんだ」


 怪訝そうな黒檀の民。しかしシナモリアキラはそれを一笑に付した。


「苦しい言い訳だな。だが俺と『サイバーカラテ道場』の目は誤魔化せない。真相はこうだ。お前は被害者の正面から背後に向けて拳を放ち、いちど壁にぶつけた上でバウンドさせることによって被害者の背中に直撃させたんだ! いわば打撃の跳弾!」


「はあ?」


 その場にいる全員が一様に『何言ってるんだこいつ』という表情になった。

 ユディーアはシナモリアキラの理解を絶する論理展開に内心で頭を抱えた。

 サイバーカラテというのはこんなわけのわからない理路を前提に置いた武術なのか?

 

「おっと、根拠はあるぞ。お前、拳を紐帯で隠しているよな? 実は義肢で、脱着可能なんじゃないのか? そして切断面から火を噴いて自在に飛ばせるのでは?」


 静寂。世界が凍り付いていた。

 その氷を割ってシナモリアキラが叫ぶ。


「これが『ロケットパンチ殺人事件』の全貌だ!」


 途端、ギャラリーから堰を切ったような暴言の波が押し寄せる。


「バカじゃねえの」「引っ込めクソ探偵」「トンチキ推理も大概にしろ」「バカミスでもやらねえぞそんなオチ」「コントとしては弱いんだよなあ」「罰ゲームだろこれ」「そこで一瓶飲み干せ」「滑ったことを俺らに詫びろサイカラ芸人」「ここはお前の勘定だ一発屋め」


 犯人扱いされている黒檀の民までもが呆気にとられたように言った。


「お前クスリでもキメてんのか?」


「合法のやつなら普段からな。近頃はキノコ由来らしい新薬にハマッているが、今は素面だ。自転車で空飛ぶおじさんもぬめぬめクラゲも見えない。虹色の音楽もだ」


 場の空気が『まじかよ』みたいな感じになっていく一方、シナモリアキラは更に過激にエキサイトしていく。ユディーアはこれ以上眺めてると頭が痛くなりそうだったので端末に入れている本でも読もうとリーダーアプリを立ち上げた。

 それでも騒ぎは聞こえてくる。酔っ払いと薬物中毒者は手に負えない。


「最大の理由だが。お前、拳闘試合のリングネームが『シナモリアキラ』だったろう。おい『リビコッコ』さんよ、そいつを名乗ってる時点で仕掛け義肢じゃありません、腕には何にもギミックがありません、は通らねえだろう」


「いや、それは」


「違うって言うならその紐帯を外して腕を調べさせろ。俺がお前を疑う最大の根拠はこれだ。最初からお前は腕の調査を渋っていたな。犯人じゃないなら即座に腕を晒していれば身の潔白を証明できていた。だというのにここまで延々と引き伸ばすから『お前が怪しい』となる」


 空気がまたしても変わり始める。デタラメな妄言を騒ぎ立てる狂人に絡まれた哀れな男には、どうしても明かせない何かがあるようだった。


「ダメだ、これだけは見せられねえ。だが神に誓う、本当に俺じゃねえ。この腕は生身だし、まじないの仕掛けとかもねえ。この殺しとは関係無く、事情があるんだよ」


「無理のある言い逃れだ。自分でもわかってるだろ?」


 黒檀の民は俯き、苦しそうに顔を歪めた。

 これは妙な展開になってきたぞ、と端末に触れる指を止める。

 他人事として好奇心混じりに傍観していたユディーアは、次の瞬間に放たれたシナモリアキラの言葉を聞いて表情を消した。

 消して、作り直した。

 柔らかな笑みに。毒の無い、朗らかな形に。


「怪しいのはどう考えてもお前だ。揉めていたという経緯だけじゃない。まず最初の判断材料として、お前の人種は黒檀の民で、被害者はティリビナ人だろう。誰が見てもこれが一番でかい。むしろこの場の揉め事など殺すための後付けの理由だと言われても納得できる」


 確かにそうだな、と誰かが頷いた。

 『黒檀の民とティリビナ人は仲が悪い』というのは人々の共通認識だ。

 それは同じ亜大陸の民でありながら黒檀の民は侵略者たる槍神教側に付き、ティリビナ人は徹底抗戦を選択したという歴史的経緯から来る必然であり、実際に小規模な喧嘩やトラブル、暴行や殺人が発生することも珍しくない。

 『黒檀の民がティリビナ人を殺した』と聞いたものは『またか』『やっぱりな』と思ってしまう。それが『当たり前』という前提が最初に存在するのだ。


「てめえら『ハルムシオンの風』は先週も『同胞団』のヤツを殴ってたって聞いたぞ」


 ギャラリーの誰かが言うと、黒檀の民が反論する。


「あれは俺じゃねえ! そもそもあの件は枯れ木野郎どもが集団でうちの若いのを私刑にかけたのが原因で、悪いのはあっちの方だ!」


 全ての都市に表情があり、感情があるという擬人化をこの場に適用するならば、それは紛れもない『怒り』の顔であっただろう。

 肌を焦がすような猛火、感情を煽る熱風。

 怒りと正義を増幅する、昂ぶりの興奮が産声を上げつつあった。


「語るに落ちたな差別主義者。『枯れ木』なんて蔑称が出て来る時点でお前がどういう奴かなんて明らかじゃねえか、人殺しが!!」


「それはいま関係無いことだ! 俺の言動とこの場で殺しをやったかは切り離して考えるべきだろ、てめえらが印象と偏見で決めつけてるのこそ差別だろうが!」


「差別主義者ってのは『自分たちが差別されてる』って主張するもんなんだよ!」


 騒然とし始める空間。

 怒りの声を上げるギャラリーの言葉ひとつひとつに頷き、両手を挙げて「そうだそうだその通りだ」と無責任な声を上げる探偵気取り。

 この状況を作り上げたシナモリアキラは満足そうに叫ぶ。

 サイバーカラテは『サイバネティクス』なる『杖』の制御技術が根底にあると聞くが、この場所でシナモリアキラが制御しているのは『怒り』の感情だ。

 感情の制御、支配、伝播、増幅。怒りの発信者にして媒介者は更なる熱を求めるように両腕を広げて世界を包み込まんとする。


「みんな、もっと言ってやれ! 俺たちはこの状況に怒るべきだ! そうだろ? この自由と共存の第五階層で差別主義者がのさばっていやがる! 許せねえなあ許せねえよ! 俺はブチキレてる! このシナモリアキラ随一の正義感『ルビカンテ』の名にかけて、俺は悪漢を絶対に許さねえ! こいつにはちょっとばかり仕置きが必要だとみんなも思うだろ?!」


「思わないよ」


 加熱した空気に冷や水を浴びせるような、どこか丸みのある声。

 怒りは熱だ。冷やすことで激情は沈む。

 激情は疾走だ。柔らかく受け止めれば勢いを減じる。

 だからユディーアは、可愛らしい表情で言葉を紡ぐ。

 自分の垂れ目がちで穏やかな顔立ちと柔和そうな声には、人の心を和ませる効果がある。

 己を知り、適切に使えというのが『お姉様』の教えだった。


「お嬢さん、それはいったいどういうことだい?」


「あたしの考えだと、犯人はもうこの中にはいない」


 ユディーアが伸ばした指の先で薄桃色の爪が少しずつ彩りを失っていく。遺体の傍に跪き、無彩色の手で空間をそっとなぞると、世界が解けて景色が歪む。楕円の窓の向こうを静かに覗いた。彩域の状態は悪くない。この地の灰神パルムはまだ夢を見ている。

 関わるまいと思っていた自分の愚かしさを悔やむ。

 この行動だって軽挙ではある。しかし。


「その『サイバーカラテ』とか科学捜査っていうのはよく分からないけれど。この場所で何が起きたのかならすぐにはっきりさせられるよ」


 彩域の窓を開く。モノクロームが周辺を塗り替えて、世界のより深い場所にある光景をわかりやすく翻訳していった。これでユディーア以外の者たちにも過去が届く。

 どよめきが広がり、安堵と拍子抜けの言葉が飛び交った。


「あんた、過去視能力者か!」「非番の捜査官か?」「無意味な茶番だったな」


 場の主役は完全に切り替わっていた。状況に置いていかれた煽動者が狼狽する。


「お、おい。俺のサイバーカラテ式科学捜査は」


「そんな胡散臭いもんよりまともな呪術捜査の方が信用できるに決まってんだろ」


「推測だの再現だのって要するにてめえの想像だろ。過去を再生した方が手っ取り早い」


 もはや群衆が『サイバーカラテ』をまともに相手にすることは無かった。

 ユディーアの目的は既に果たされた。とはいえこのまま状況を放置するのもまずい。

 正規の警察組織が来るのを待つのが正解だが、この『辺境区』は中央の管理が行き届かない無法地帯と聞く。自分が事態を収拾しても構わないだろうと判断する。

 馬鹿げている。いますぐ回れ右して酔っ払いの振りをして寝るか出て行くかしろと理性が叫んでいた。わかってる。いいから黙ってて。『ユディーア』を心の奥深くに押し込めて、自分が誰なのかを忘れた愚か者は余計なトラブルに首を突っ込んでいった。


「遡って」


 眠れる灰神に語りかける。精霊、小神などと呼ばれることもある世界の宿り子たち。始原獣パンゲオンと共生する微少な生命群。歪んだ窓の中、幾つもの淡い光が飛び交う光景は蛍舞う田園さながらだ。もっとも、ユディーアは蛍なんて遠い昔に博物城の幻影室で見たきりだ。実際の蛍とはかけ離れているかもしれないが、正解はわからない。


 ユディーアの願いを聞き届けた灰神たちは夢見心地のままゆっくりと泳いでいく。

 空間と時間の二点間を渡る。高所から低所に落ちるように、現在から過去へと滑っていく。タイムスリップ。その表現が正しいのかどうかはわからない。彼女は灰神たちの動きを人間的世界観で解釈する術を学んだだけに過ぎないからだ。この異質な存在たちが本来あるべき次元でどういう視座を持っているのか、三次元に縛られた低次存在たる現行人類が完全に理解することは不可能だ。


 それでも、俗な事件の解決くらいになら応用できる。

 子供の喧嘩に軍艦と大砲、高度な通信設備と索敵呪具を持ち出すくらいには大仰だけれど、このやり方がいちばん確実で定着しているのだから仕方無い。というかこんな思考を表に出したらエリート呪術師の選民思想とか叩かれる。

 

 風景が巡る。川が流れるように、下流から上流へ、遡る魚は頭から尾へと泳ぐ。

 やがて辿り着く。ゆっくりと世界が減速し、ふたたびあるべき順序で再生される。

 場面は拳闘試合が行われた直後だ。

 この酒場の試合は黒檀の民が作ったグループによる仕切りで行われていた。

 しかし問題が発生する。敗者となったティリビナ人の手持ちが足りなかったのだ。

 黒檀の民は激昂し、幾度となく威嚇の拳を振り下ろした。


「待ってくれ、待ってくれよう! 金のあてはある、あるんだ!」


 クスリを売ってるんだよ、とティリビナ人は言った。

 苛立たしそうな黒檀の民。


「なら現物でいい。そいつをよこせ。俺が捌いてやるからよ」


「いや、手元にはねえんだ。下水街のネズミ野郎どもが上客でよう、もうすぐにでも仕入れがあるんだよお」


「はあ? なんだそりゃ機械女王の腑抜けた煙みてえなヤツじゃねえだろな。あんなもん小銭にしかなんねえぞ」


「ちげえって、今までに出回ってないやつなんだよぉ」


 必死になって言いつのる樹木の男。揉み手を繰り返すことで剥がれた木くずがぱらぱらと床に落ちていく。話しているうちに勢いがついてきたのか、いい考えが浮かんだとでも言うように前のめりになって黒檀の民に訴えを続けた。


「そ、そうだ、あんたにもこっそり仕入れ元を教えるからよ。めちゃめちゃにキマってて抽出も精製も簡単って最高のクスリさ! なあに、ちょっとばかし喚いたりするかもしれねえが、どうせカスの隠花、げ、ぐぇっ」

 

 唐突だった。ティリビナ人の言葉が途切れ、千切れたような断末魔を最後にふらふらと前に倒れていく。それだけ見れば、シナモリアキラの再現映像と大差は無い。

 だがユディーアはそこで映像の視点を変えた。

 引いて、ずらす。

 過去を映していた空間が移動して、被害者の背中に何が起きていたのかを明らかにする。


 元凶は指先よりも小さかった。

 蜂だ。鋭角な針と凶暴そうな体躯、それと奇妙に膨らんだ背中。

 何だろう、これ?

 ユディーアは眉根を寄せた。何かおかしいが、はっきりと指摘できるほど昆虫の生態に詳しいわけではない。後で調べようと疑念を脇に置いて映像をより近付けていく。


 この映像に色は無いが、翅の形状と身体の大きさからして体色は赤と黒だろう。

 典型的な火蜂。その針で突き刺した対象を呪毒で爆殺する危険な呪的生物である。

 このようないわゆる『モンスター』が巣も無い場所で、しかも単独で動くことはまず無い。

 十中八九、暗殺呪術師が使役する使い魔だろう。


「やったのは遠隔操作の使い魔。以上」


 映像を閉じたユディーアは自分の見解を述べた。

 野次馬たちは口々に言葉を交わしていく。


「火蜂っつったら『松明の騎士団』だろ? あいつらはミサで蝋燭を使うからな。修道士は養蜂から蜜蝋作りまで自前でやってるらしいじゃねえか」


「とち狂った養蜂家かもわかんねえぞ」


「いいやイカレた過激派の槍神教信者に決まってる。教会の奴らが『街路樹の民』って口にする時の苦虫を噛み潰したようなツラ、見たことないか?」


「いずれにせよ、犯行に使われた使い魔も、それを店の外から操作していたであろう真犯人もとっくに逃げてるよ。この人は犯人じゃない」


 事態の推移を見守っていた黒檀の民はほっとしたように息を吐き、ユディーアに感謝の言葉を述べた。しかしこの期に及んでも扇動者は食い下がろうとする。


「だがそいつが腕を隠したままで怪しいってのは変わらないだろ。まだ何か悪事を働いてる可能性だってある!」


 おいおいもういいだろ、と呆れたような視線が集中するが、意地になった男が引き下がる様子は無い。ユディーアはどうしたものかな、と黒檀の民を横目で見る。

 やはり、様子が少しおかしい。

 黒檀の民から感じられるのは『恐怖』だ。

 向けられている怒りや悪意に対してではない。だが確かに、何かに対して彼は恐れを抱いている。それは未だ発生していない、これから発生しうる何かだ。

 これ以上、できることは無いはずだ。それでも口は動く。


「恥ずかしいタトゥー」


「え」


「失敗すること、よくあるらしいよね。かっこよさそうな古代言語を入れたら実は変な意味だったとか、後から見直したらデザインがダサかったとか。そういうのは見せたくないよね」


「あ、ああ。そうだ、そんなとこだ」


 拍子抜けした空気。

 いつの間にやら熱はすっかりと冷めていて、あとは遺体をどうするか、回収業者が来るまで布でも被せておけ、なんてやりとりが白けたように済まされる。

 これでようやく剣呑な状況は収まった。ユディーアがそう安心した直後だった。

 ぱち、ぱち、ぱち、と乾いた拍手が響く。


「いやーお疲れさん。全く下らない茶番だったぜ。シナモリアキラが二人揃って乳臭い小娘に牙を抜かれてすごすご引き下がっていやがる。なあおい恥ずかしくねえのか?」


 店の隅、テーブルに行儀悪く腰掛けた男が嘲笑する。

 異様な存在感の男だった。先程までは微塵もその気配を窺わせなかったにもかかわらず、こうして言葉を発すると場の中心にいないのが不自然なくらいに目を惹き付ける。


「調査、真実、それに何の価値がある? こんな茶番クエストにわざわざ付き合うか普通?

 どうせ報酬はしょぼい経験値。金や物は戦闘後に奪えば同じ事だ。お前らシナモリアキラとちゃんと向き合ってねえだろ。トラブルには暴力で、だ。拳を出し惜しむなゴミが」


 ユディーアはこれまで二人の自称シナモリアキラを見てきたが、どちらもいまひとつしっくり来る感じでは無かった。『異界の転生者にしてガロアンディアンの紀人』という大層な肩書きに見合うような人物とは思えなかったからだ。

 その点、目の前にいる男は噂通りの風貌だ。暴力のにおいが染みついた転生者。黒金の左腕と氷細工を呪包帯で雑に封じた右腕を見て『シナモリアキラだ』と思わないものはいない。そのかたちとイメージが既に呪術的な意味として固定化されているからだ。


「この街の真実は誰が決める? アプリによる推理? 呪術による追跡? 立体幻像と物理演算シミュレーション? 過去視の異能?」


 違うね、とシナモリアキラは断言する。

 凶暴な光を瞳に湛え、牙のような歯を剥き出しにして威嚇する。


「力だ。権力、暴力、同調圧力、これが真実だ文句あるかと否定させない勢いと恫喝の迫力。難癖つけてくる相手をぶちのめせば終わり。だいたい、『祝祭』が目前のこの時期だぜ? 競争相手が潰せてちょうどいいじゃねえか」


 この男は『悪』だとユディーアは確信した。

 そのように自覚し、そのように行動する悪漢。

 自覚的な邪悪が秩序と相容れることはなく、円満で穏当な解決を望むこともない。

 彼は事態が破綻することを望んでいた。


「おおかたお前らも『シナモリアキラ選』に出馬するつもりでちまちまクエストこなしてんだろが。木っ端シナモリアキラが手っ取り早く名を挙げようとすれば手段は限られる。既存の『マレブランケ』と被らない、メインが張れるタイプのキャラ立てだ。そいつが名探偵ってのが笑えるがな。むしろ逆だろシナモリアキラは。殺すほうだ」


 その言葉で、黒檀の民がはっとしたように探偵気取りを睨み付けた。


「ああそういうことかよ。探偵野郎、はなっから俺を嵌めるつもりだったな? 俺を潰すついでに売名するための自作自演ってことか。殺したのもてめえなんだろう!」


「あ? んだと逆ギレか見苦しいんだよ被害者ヅラしてんじゃねえぞ殺されてえのか! そっちのお前らも、いきなり出てきて混ぜっ返してんじゃねえ!」


「悪い。質の低いシナモリアキラが滑稽な茶番やってんのに耐えられなくて。ああ、お前ら雑魚は潰し合ってろ。残った方を俺が潰してやる。サイバーカラテ観が十二人のカス妖怪共が争っていた辺りで止まってる低次元のシナモリアキラはもういらねえんだよ」


 どうやら事態はユディーアにも制御不能な方向へと進み出してしまったようだ。

 これはもはや殺しの犯人がどうとかいう問題ではない。

 自称シナモリアキラ同士での潰し合いだ。迷惑だから外でやってほしい。店主は「またか」みたいなことを呟きながらカウンターの下に隠れてしまう。今まで野次馬をやっていた連中は壁際に寄って誰が勝つかで賭けを始めていた。このような諍いに慣れている様子だった。


「進化したポストヒューマンであるこの俺と、旧態依然とした在り方に捕らわれた劣等人類とでは存在としての格が違う。お前たち旧型のシナモリアキラじゃあこれから始まる『新時代』にはついて行けねえだろうさ。『祝祭』が全てを変える前に俺が淘汰してやる」


 第三のシナモリアキラが放つ威圧感は他の二人とは明らかにものが違った。

 象が蟻を踏み潰すように、尊大な宣名が振り下ろされる。


「俺はそこらにいる名前だけの木っ端アキラじゃねえ。中核である『マレブランケ』、その中でも『カニャッツォ』の位を手に入れた最も新しいシナモリアキラだ!」


 ユディーアは目を見開いた。では、この男が?

 直後に遠雷のような轟音、そして叫び声。

 酒場の天井が崩落し、叩きつけられた巨大な足によって名乗りを上げた男は踏み潰された。

 探していた相手の大言壮語からの即死に、流石のユディーアも動揺を禁じ得ない。


「暴れシナモリアキラだ! 暴れシナモリアキラが出たぞー!」


 暴力はそれを上回る破壊によって淘汰された。

 建造物を強引に砕き、衝撃破によって店内を滅茶滅茶にかき乱したのは途方も無く巨大な生物の前足に過ぎない。勢い余った巨大存在のただの移動が途上の全てを粉砕する。

 店外では通行人が、店内では怪我をした客たちが泣き叫び、端末で撮影し、大穴に賭けた者が快哉を叫ぶ。見上げるような巨体の生物はゆっくりと身動ぎをすると低く唸った。

 そして、大きく吼える。

 灰黒の鱗は甲冑さながら。二つの角は兜の如し。鋭利な爪はさしずめ軍勢の槍衾か。

 巨大な亜竜レッサードラゴンが細い瞳孔でこちらを見下ろしていた。

 集まった野次馬が暢気な声で言葉を交わす。


「数百歳クラスの古竜だなありゃ」「誰かドラゴンスレイヤー連れてこい」「この場合はアキラスレイヤーだろ。姫が大喜びで来るぜ」「やだよあんなやべー女呼ぶの」「イツノより暴れ亜竜のほうがマシ」「『鉄亀砕き』か『逆鱗喰い』はいるか?」「セラメルならいま隣界だ」「クソ小人なら昨日の宴会で飲み過ぎてダウンしてる」「誰か叩き起こせ」「お前行けよ」「やだよあいつ寝ぼけて暴れるし」


 恐るべき巨大生物が獰猛な唸り声を上げているというのに、人々には緊張感が無い。

 危険に慣れきって麻痺しているのか、第五階層ではこの程度は日常茶飯事とでも言わんばかりの態度で酒やつまみを口にしながら事態を見物しているのだ。

 しかしこの近辺には戦闘能力の無い一般人も多く住んでいる。

 何よりクナータをこれ以上荒事に巻き込むわけにはいかなかった。

 本当に、何をやっているんだろう自分は。ユディーアは嫌になりつつも声を張り上げた。


「どうか気をお鎮め下さい! その対の竜角、さぞ名のある戦士とお見受けしますが、なぜそのように荒ぶるのです?!」


 すると亜竜は不機嫌そうに牙を剥き出しにしてこう返した。


「娘よ、無礼であろう。なぜこの大地で己を偽る。誇り高き我と対等に向かい合う資格があるのは真なる同胞のみであるぞ」


 亜竜人ドラゴニュートであると見透かされている。

 ユディーアは一瞬だけ迷ったがすぐに偽装呪術を解除して頭部の角を露わにした。対であるはずの竜角は、髪房がある右側だけが根本から折れていた。角と髪房の先端が上下に伸びる左右非対称のシルエットに、亜竜の顔が驚きに染まる。


「角有りは『上』でも許された在り方ではありますが、欠けた角と乱れた先は不運を呼ぶという俗信は未だ呪力を持っており、普段は凶事を招かぬよう隠しているのです」


 変身者としての弁明に、亜竜は鼻を鳴らした。


「ふん、『上』のやりそうな抑圧だが、我が一族には『欠け角は勇者の証』という諺がある。この第五階層は貴様のその姿を受け入れようぞ。堂々と角を晒し、改めて名乗るがいい」


 語調を弱めて同族の少女に語りかける亜竜。

 偽名を使っても宣名圧の弱さで看破されるだろう。となると『馴染んだ別名』を使うしかないが、問題はどちらにするかだ。片方はこの相手の心証が良いだろうが、この場で明かすのは少々まずい。選択肢は一つしか無かった。相手の反応を想像して内心で溜息を吐く。先延ばしにしても仕方が無い。ユディーアは腹を括った。


「失礼しました。リトの戦乙女が遠き娘、メイファーラと申します」


 メイファーラという『三つ目の名前』は、天眼の民としてはありふれた女性名である。

 この場で『まことの名』を明かすべきではない。その判断は正しかったが、だからといって『メイファーラ』と名乗るのが正しいとは限らなかった。

 亜竜はなんとも言い難い、困惑と不快さの入り交じった呻き声を上げた。


「そうか、天眼の民とはな。ぬうう、竜角もそう思って見れば忌々しい。誉れ高き戦士たちが戦乙女らの辱めに屈した証ではないか。忌々しい猫の守護者、シャルマキヒュ神め!」


 苛立ちを制御出来ずに低く唸った亜竜はしばらく尾をじたばたと振って破壊の限りを尽くしていたが、落ち着こうとしてか大きく深呼吸をした。それから小声で呟き始める。


「違う。違うぞ。こういうのはやめだ。我はこのガロアンディアンで生まれ変わる。もう差別主義者ではないのだ。争いの歴史、過去の因縁は水に流し、手を取り合うのが肝要だ」


 自分に言い聞かせるように理想を口にする亜竜。

 彼もまた対話の意思に応じ、厳かに名乗りを上げた。


「我はダドアンの溶岩を母とするもの、『妖精喰らい』のザルーザ。またの名を『マレブランケ』が一、『ドラギニャッツォ』のシナモリアキラである」


 蜥蜴人には無数の氏族が存在しているが、中でも『溶岩を母とするもの』『溶岩から生まれたもの』を名乗る灰混じりで黒い鱗の氏族といえばジャドナゲンをおいて他に無い。

 この地にあって氏族名を強調するということは、この亜竜は『下』の北方辺境にある都市国家ザドーナの『誇りある』元奴隷なのだろう。『上』の北辺帝国から送りこまれてくる妖精兵との戦いを繰り広げてきた古兵だとすると、少し厄介かも知れない。

 奴隷という出自を強調するのはジャドナゲンが掲げる自由と闘争を正当化するためで、『上』に対して好戦的な彼らはジャッフハリムでも強硬派として知られている。


「我は怒っている。そこら中に溢れているならず者のシナモリアキラだけではない。ここにいる全ての者たちに憤りを感じているのだ」


 どうやらこのシナモリアキラも何らかの主張を掲げるために暴走しているらしい。

 こういう衝動を解消してやるための弁論大会でも開いたら治安も少しは良くなるのでは? とユディーアは思わずにいられなかった。心底からよそでやって欲しいが、シナモリアキラの本場である第五階層でこう思うユディーアのほうがおかしいのだ。きっとよそに行くべきは自分の方なのだろう。この件が終わったら二度とここには来るまいと誓う。

 それはそれとして、彼女は亜竜の言葉を看過できなかった。


「この地にいる人々は普通に暮らしているだけです!」


「ならず者どもが蔓延るこの区画を、普通と呼ぶか、娘よ」


 非難に対して、亜竜は残念そうに首を振った。


「ここは『中央』ではない。『都市たるシナモリアキラ』の外側として位置付けられたこの区画は『辺境』として機械女王から放置、黙認されている。お前たちはどうして崇高なる中央の理想を理解しない?! どうして大いなる秩序に恭順しない?!」


 語調を荒げ、再び前足で大地を踏みならす。

 硬い地面が割れて、肉塊となったシナモリアキラが更に深く地中にめり込む。とりあえず埋葬の手間は省けたと言えるが、ユディーアは安心するどころではなかった。


「我の怒りはそれだけにとどまらぬ! 機械女王、そしてこの国の戦士たちの弱腰にも問題はある! 我らが大亜竜、真の王者の尊き名は奪われたままだ! 我らは今こそ立ち上がり、第六階層に居座る簒奪者、偽物のアルトを倒すべきだ! 理想と平和、多種族共存と秩序、それらが怠惰から生まれることは決してない! 我が義憤に呼応するものたちよ、このドラギニャッツォと共に第六階層に挑む義勇兵となれい!」


 『アルト』の名前が出た瞬間、ユディーアはわずかに息を止めた。

 この場で『メイファーラ』を名乗っている以上、無関係の名前に反応するのはおかしい。たとえ自分の中に流れるペラティアの血が遠い因縁を感じているのだとしても、それを悟られてはならない。表情を変えないまま亜竜を見据える。


 それにしても、シナモリアキラというのは誰も彼もこんな調子なのだろうか?

 暴力への傾倒、それを伝播、増幅、扇動するという方向性。

 ユディーアはどんな角度から見ても『サイバーカラテ』は人を暴力に駆り立てるための邪悪な装置にしか思えなかった。『そういう側面がある』どころの話ではない。これは純然たる『悪しき技術』だ。銃や汚染呪詛、化学兵器のように規制されるべきなのでは?


「戦場にて武勲を上げたものはたとえ土地に馴染めぬ余所者であっても同胞と認めるのが良き国家というものである。戦いこそが居場所を得るための王道なのだ!」


 亜竜による人々の戦意を昂揚させようとする試みは、しかし先だっての『ルビカンテ』によるものとは違い、失敗に終わった。


「またか、最近多いよな」「空席自称者が問題化してるのは明らかなんだからさっさと埋めちまえばいいのに」「どっちにしろ辺境だと僭称してもペナルティを与えられないだろ」「こないだトカゲの使い魔をドラギニャッツォにしてる奴いたわ」


「何が『自称』か! 我こそは真なるガロアンディアンの戦士であるぞ!」


 失笑を漏らす群衆に憤慨し、亜竜は喚き散らした。

 のたうつ長い尾が箱型建造物を破壊し、大音声が衝撃破となって露店の品を吹き飛ばす。


「笑うでない! 人々は心をひとつにしなければならぬ! 『大断絶』の悲劇を繰り返してはならぬのだ! 誇らしき灰蜥蜴人の王国ペラティアは滅びた! この世界が変わらなければ、またあのような厄災が悲しみを生むのだぞ!」


 亜竜は理想を叫びながら暴力を掲げて振り回す。

 ああ、もう、なんていうか。ユディーアは深く息を吐いた。

 よりにもよってその名前をダシにして共感を呼ぼうとしているのが最悪だ。

 蜥蜴人の間では、貴種である亜竜人の怒りをかうことを『逆鱗に触れる』と言う。

 転じて格上の亜竜を怒らせたときにも使われる言葉だが、この状況はまさしくそれだった。

 彼女に自覚は無かったし、それが顔に出ることは無かったが。

 その口の中で囁きの音は短く反響し、消えた。


「うっざ」


 ユディーアはうんざりしていた。

 度重なるシナモリアキラによる迷惑行為。

 『こんなもの』が蔓延る第五階層に対する軽蔑。

 『こんなもの』が支配するガロアンディアンという共同体に対する忌避。

 ざらついた感触が、ユディーアの喉を通って腹の底に落ちていった。

 これは熱だ。怒り、正義感、悪しきものに対する攻撃的意思。

 知っている。これは禁忌だ。制御しなくてはならない。

 でないと異獣になってしまう、そう教わったはず。

 なのに止まらない。表情は自動的に形を作る。

 差別主義者。わかってるようるさいな。


「落ち着いて下さーい。怒りっぽいと肝臓を痛めやすいんですよー」


 のんびりとした、どこかズレた仲裁。

 感情の上に感情を乗せる。メイファーラという仮面を被りながら亜竜に歩み寄る。

 本当に、うんざりしていたのだ、彼女は。

 先ほど潰されたシナモリアキラの言葉を『一理ある』などと思ってしまうくらいには、もう何もかも強引に終わりにしてしまいたかった。

 暴力が暴力を呼び破壊が更なる破壊を生むのなら。

 そのルールに則って全てねじ伏せてしまえば解決だ。

 静かに、小さな呪文が紡がれる。囁きは口の中で消えて自身に対する暗示となる。


「怒則気上。気が上り逆行すれば肝気は乱れ胃は悲鳴を上げる。なら逆をやればいい」


 百会ひゃくえ肝兪かんゆ太衝たいしょう内閲ないかん神門しんもん、いずれかあるいは全てを突いて怒気を鎮める。

 彩域の状態は悪くない。ならば経穴に灰神を呼び込むことも十分に可能だ。

 指先に灰色の光が灯る。呼気は深く、踏み出す足先が重さを大地に押し付ける。いつの間にかユディーアの瞳は亜竜と同じ縦の亀裂に変貌していた。


 跳ぶ。色の無い敵意に反応が遅れた亜竜は頭頂部に降り立ったユディーアに抗えない。目と目の間を鋭い貫手が打突し、頭部が左右に振られた時には既に彼女は跳躍していた。両肩の間、中心線を見極めて背中への続けざまの連打、ユディーアの行動に淀みは無い。暴れ狂う亜竜の巨体がわずかでも触れれば華奢な体躯は一瞬で吹き飛ばされてしまうだろうに、彼女の動きは恐れの気配を感じさせないものだった。


「あああ! やめろ、何だこれは! 我から何を奪っている?!」


 亜竜の怒声からは勢いが失われつつあった。

 腕を振り回して邪魔者を追い払おうとするが、周囲の全てを粉砕するはずの一撃がなぜか建物の外壁にぶつかって止まってしまう。


「奪うな、奪うな、我から誇りを、戦う意思を奪うな!」


 呪うように亜竜が叫ぶ。

 人間には発声不可能な音が口から放射されると、それは荒々しい歌となって世界を変容させていく。竜言語と呼ばれる『大いなる真竜』に語りかけるための呪文だった。

 高次存在『紀竜』の力を借りた竜言語呪文は吐息ブレスと呼ばれ恐れられている。

 亜竜の口から放出された破滅的な呪詛の奔流が一帯を薙ぎ払う。

 ユディーアはのんびりと端末をいじっていたクナータに走り寄ると抱きかかえた。そのまま亜竜の吐息から全力疾走で逃れる。周囲の野次馬たちはさっさと退避したり三枚に重ねた『霧の防壁』で防いだりしているが、やはりこの階層の住民は少しおかしい。


 ひとしきり呪詛を吐き終えた亜竜の猛攻は終わらない。

 その背中に、長大な翼が構築されていく。

 ユディーアは彼を有翼種ではないと思っていたが、先ほど背中を打撃した際に気付いた。

 根本から翼を断たれた痕跡。

 傷ついて第五階層に流れ着いた亜竜は義体化技術とサイバーカラテに夢を見たのだろう。

 クラフトされた翼が空を覆うように広がり、微細な振動で竜言語を歌い上げて巨体を空へと運ぶ。風が巻き起こり、質量が誤魔化される。羽ばたきと咆哮は亜竜が崇拝する真竜への祈祷であり、そのしもべたる彼は己を御使いとして規定する。

 高位の自己強化呪術『炎天使』によって肉体を強化した亜竜に、先ほどのような点穴のわざは通用しない。相手が飛翔していればなおさらだ。


 さて、どう攻めたものか。

 上空に意識を集中させていたユディーアは、それでも奇襲に反応した。

 天眼の民特有の知覚能力は嗅覚や聴力以上に鋭敏だ。背後から迫り来る二つの危険を視認しないまま横に跳んで回避。時間差と角度を計算に入れた移動だったが、前方に抜けていった飛翔体を見て少し、いやかなり驚く。


「ロ、ロケットパンチ殺人事件! 実在したの?!」


 二本の腕が、断面から火を噴き出しながら飛んでいる。

 それらは曲線を描きながらターンしてこちらを追尾。腕から聞こえる自動音声が「弾道予測計算アプリ『弾道予報Ver3.0』を起動します」と宣言、直後に腕の軌道が変化を見せる。ユディーアの回避方向を予測して加速したのだ。予想外の偏差打撃にユディーアは回し蹴りの勢いを腰に繋げる。回転運動に従って腰から不可視の衝撃がしなるように奔り、鞭のような軌道で二つの拳を叩き落とす。しかし、続く奇襲には防御が間に合わなかった。


 物理攻撃ではない。首を締め付けるような怨念に息が止まり、意識が暗闇に落ちていく。暗転する視界に半透明のアストラル体が映っていた。『天眼』の超知覚をすり抜けるほど希薄な、それでも呪詛を叩きつけることができる疑似霊体。

 『カニャッツォ』と名乗ったシナモリアキラだ。

 亜竜に潰されて死亡したあと、この男は自動的に再起動していた。『幻肢の力』とか『残心プリセット』とかいう遠い音声が響くが、既にユディーアの意識は無い。

 

 倒れそうになったユディーアの膝が屈曲し、ゆっくりと腰を落としていく。すぐそばでクナータがぱちぱちと拍手。気絶したユディーアは意識が無いままに深く息を吐き出し、鋭く吸い込んだ。調息と並行して立ち上がると、途絶していた意識はあっさりと戻っていた。

 練り上げられた套路は肉体に刻まれるという。気絶しようとも生命活動に必要な脳の領域は生きている。ならばその領域に『復帰までの手順』を刻み込んでおけば不測の事態にも対応できるというのが彼女が『山』で体得した教えだった。


 呪詛を吐く空の亜竜、双腕を操る亡霊、二つの脅威に挟まれたユディーアは「ひえー、これは大変だー」と焦ってみせた。表情筋もまたわかりやすく変わる。

 少女の瞳が眇められた。飛翔する『ロケットパンチ』は正確にこちらの急所を狙っている。今度も回避行動を前提として軌道を変えてくるだろう。意図は正確、そして素直。『動きを読ませる』などという基本中の基本を真正直に受けてしまうほどに。簡単な餌に釣られた腕を掴み、飛翔体の内部にはたらく力の流れを指先で感じながらその勢いを化かしていく。投げ返してやってもいいが、それよりもいい手があった。


 シナモリアキラにはシナモリアキラ同士で潰し合ってもらう。

 ロケットパンチを上に飛ばす。地上をまとめて焼き払おうと紡がれていた『オルゴーの滅びの呪文』に直撃したシナモリアキラの義肢が爆発四散、花火となって天を彩った。

 見物人たちの歓声。クナータも大喜びだ。


 爆発の衝撃で高度を落とした亜竜に、ユディーアは短槍の投擲で追い打ちをかけた。

 正確無比な投槍がかりそめの翼を傷つけ、呪術を維持できなくなった亜竜が高度を落とす。

 無防備なユディーアの背中に残りのロケットパンチが迫るが、彼女は慌てずに身を捻って拳を受け止める。激しい衝撃が少女を襲うかに思われたが、どうしてか拳は火を噴くことを止めてぴたりと静止していた。


「これで足りるよね?」


 小さな囁き。ユディーアの手は飛んできた拳を下から包み込んでおり、その手の中に何かを握らせていた。硬い、金属が触れ合うような音。


「よろしく。いってらっしゃい」


 にこやかに手を振って拳を解放する。

 腕は勢い良く青白い炎を噴射すると、今度は頭上でふらつく亜竜目掛けて飛んでいく。

 迎撃すべく口から吐息を噴き出す亜竜だったが、今度のロケットパンチは縦横無尽に空中を駆け巡って迫り来る呪詛の奔流を華麗に回避。相手の動きを見切った飛翔体は十分な加速をつけて亜竜の顎を打ち上げる。強制的に閉じられた口の中で呪詛が行き場を失い、口腔内で盛大に弾けた。哀れな亜竜はひどく悶絶し、とうとう落下を始める。


 好機と見たユディーアは地を這うように駆けていった。そこに立ちはだかるのは半透明の『カニャッツォ』だが構わずに接触。今度は自ら呪詛を受け入れる。攻撃的な意思を注ぎ込もうとした亡霊は、自分が底無しの器に腰まで入り込んでしまったことに気付くが既に遅い。

 奇襲ならまだしも、『塔』の魔女に呪術戦を挑もうというのが間違いのもとだ。

 亡霊は手のひらから吸収されていく。消滅しない程度に呪力を搾り取りつつ、左手指に銀貨を挟む。奇術のように出現した硬貨はたったの二枚、がっかりな低価格だが即席呪文のコスト程度ならこれで足りるはず。あとは残りの脅威を処理すればいい。


 墜落する亜竜の真下に立ち頭上を見上げる。

 前足の内側か後ろ足の甲。さもなくば腹腔がいいだろう。

 落下する巨体の真下に位置取ったユディーアは低く腰を落とし、激突の瞬間を見計らって頭上目掛けた突きを放つ。『炎天使』の防御を貫くための対抗呪文は既に構築が始まっている。

 瞬間が減速していき、視界は灰色に染まる。


「言理の妖精語りて曰く」


 何もかもが遅く、ひどく鈍い時間の流れの中にユディーアはいた。

 モノトーンの中で、左手に宿る妖精の残骸が目を覚ます。

 紡ぐのは感情を解きほぐす『共感可能な隣人』の物語。

 理解不能な怪物である異獣を、わかりやすいストーリーでありふれた弱者へと貶める。

 打撃と接触。それと前後して彩域の窓が開く。語られる過去は現在よりも前であるがゆえにこの瞬間から先に時間が進む事は無い。彼女は長い物語を端から端まで眺めて使えそうな材料を探していく。


 ユディーアが灰色の窓から覗き見た亜竜の過去は想像通りのものだった。

 北辺帝国による侵略、蹂躙される故郷、奴隷としての屈辱の日々、猛将ジスゴデクと共に駆け抜けた解放のための戦い、親友の死と大敗によって瀕死の重傷を負い、翼と共に戦う意思を失った悲しみ、失意の放浪、山賊に身をやつし、行き場のない中で耳にした理想郷の噂。

 そして、思い描いていた楽園がどこにもない事への憤り。

 裏切られたという感情は荒れ狂う暴力となって吹き荒れた。

 思ったとおり、身勝手さと被害者意識をこじらせた典型的な『堕落亜竜』だ。


 反射的な嫌悪感を自制するが、幼少期に擦り込まれた記憶はユディーアの意識を少なからず軽蔑に傾けた。栄えある勇士の末裔として『こうなってはなりませんよ』という両親からの厳しい教育。理性ではわかっているのだ。彼はこうなるしかなかったのだと。

 哀れさと恥ずかしさが同時に湧き上がる。

 しかし憐憫は彼の自尊心を傷つけるだろう。

 必要なのは戦士としての魂を慰撫すること。なのだが正直いって関心が無い。

 なんか改心しろ~という念を込めつつ『よく使うパターン』を頭から引っ張り出す。


「えっとー、戦いに疲れたり小娘に敗北したりで心がぽっきり折れて丸くなる? 怒って周りが見えなくなったせいで戦友が死んだエピソードとかありそうだしそこで補強しとこ。確認はめんどいからいいか。あ、竜神の使い魔って自己認識なら出家して功徳を積んでいく感じでどうかな。確か竜導師は戒律で殺生禁止だったからちょうどいいや。ラズに押し付けよっと」


 ユディーアが言理の妖精と呪文を紡ぐ作業はほぼ雑談の様相を呈していた。

 主観時間を止めて行う呪文構築には十分なゆとりがあり、緊張感に乏しい。

 こんなものでいい。

 このタイプの精神構造は似たり寄ったりだ。来歴と内面の傾向からして雑に組んだ物語で事足りる。仮に当人の心に合致しないフレームを強引に当て嵌めてしまっているのだとしても、戦闘で機能させるのならこのやり方が効率的だ。


 友人なら、こうはしないだろう。

 あの夜の民はもっと深く相手の心に潜って寄り添おうとする。

 『呪文使い』として生真面目なあの友人は、責任感と罪の意識が大きすぎるのだと思う。

 だがユディーアはこの相手にそこまでの価値を感じられなかった。

 物語を紡ぐたびに深い想像をするのは疲れるからだ。

 

 たぶん、このタイプの人種はこんな物語を背負って生きているに違いない。

 こういう性格の人は、こういう人生を送るのだろう。

 粗雑だが、本来それくらいが他者との間の距離感であるはずだ。

 なお、単にこの相手が嫌いである、という可能性は考慮に入れないものとする。


意気消沈いきしょうちん槁木死灰こうぼくしかい、燃え尽き症候群の~、しょんぼりパンチ!」


 気の抜けた詠唱が呪文完成の合図となった。

 灰色の世界が閉ざされ、時の再始動と共に巨大な天が落ちてくる。

 瞬間、刃のごとき爪指が空間を引き裂いた。

 打ち上げの双爪貫手は卦に転じ、時を置かずして同一点に叩きつけられる二段目の掌。

 二重の発勁が落下のエネルギーを霧散せしめたのち、灰光が亜竜の体内へと浸透していく。

 巨体から力が抜けて、弛緩した胴体がぐったりと地に臥せる。

 轟くような声は弱々しい鳴き声に変わっていった。亜竜は激情と気力を喪失したのだ。


「点穴、情勁、いや七情掌法か。さては娘、その技は第七世界槍で磨いたものだな」


 動揺すらもか細く、亜竜は怯えるように鳴いた。

 弛緩した胴体の下から這い出たユディーアは小さく頷く。

 『内傷七情』とは東方の文明圏における思想だ。

 『山』での修行が彼女にこの技を会得させた。


「あたしは感情を制御するすべを知っている。だから落ち着いて。そんなに怒ったらまわりの人は不快だし、何より危ないでしょ?」


 もちろん、それはユディーア自身に対しても有効である。

 いつしか熱は失われ、世界は灰色に染まっていた。

 面倒ごとと分かっていて飛び出した瞬間の感情を、彼女はもう覚えていない。

 伝播する怒りを止めようと決意した心の動きを、彼女はもう理解できない。

 自分の中にあった燻るような不快感と怒りの正体を、彼女はもう考察できない。

 実感に乏しいモノトーンの世界から、あったはずの価値がゆっくりと遠ざかる。

 ユディーアの目の前で、全ての景色は色褪せていく。

 いつものように。





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