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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ

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転章『それは素朴で純粋な当たり前の』




 広さも定かならぬ暗い広間の中央に、一筋の光が落とされている。

 そこに少年が立っていた。

 燃えるような赤毛の下で力強く輝く瞳はしかと前に向けられて、これから起きる事を正面から受け止めようとしていた。いつ見ても不思議な光だ。強く深く燃えさかる、輝かしい闇の色。私は、そのさまを見ていた。


 続けて暗闇の中に薄い光が灯る。ひとつ、ふたつ、みっつ――。

 少年の周囲に浮かび上がった幾つもの輪郭は、石板のようだった。

 刻まれているのは槍を象った大神院の紋章――槍神教圏を統べる絶対権力の証。

 少年――『松明の騎士団』を統べるソルダ・アーニスタは槍神教全ての頂点に立つ『教皇機関』の補佐組織・枢機卿団の呼び出しを受けていた。

 原因は第五階層の異変によって明らかになった、この第九世界槍アイスナインの秘密についてだろう。


 ――僕たちが乗り越えるべき旧時代の遺物たちの醜い姿を、しっかりと覚えておくといいよ、アズーリア。


 少年の、そんな言葉を思い出す。

 私は広間の端の方で影と同化するように息を潜めていた。隣にはソルダの従者であるフラベウファがいるが、彼女はじっと主を見つめるばかりで無言のまま。

 彼らは私に――修道騎士アズーリアに何を見せようとしているのだろう。そして何を求めているのだろうか。彼は私に何かの相通じるものを見ている? それか、もっと別の――思考は石板たちから響く声によって遮られた。

 その集まりは糾弾から始まった。


「由々しき事態だな。よもや第八世界槍の認識封鎖を破られるなど。揺り籠の掌握にも失敗し、過日は第一階層に魔将の侵入を許す始末。君が槍の裔でなければ既にその任を解かれているところだぞ」


「左様。完全にして無謬なる我らの計画にはあってはならない失態だよ、君。大いなる聖ポルポフォンの御言葉にはこのような歴史は記されていないのだからな。何のための君、何のための『松明』なのかね?」


「無論、唯一絶対の『普遍史』を紡ぎ続ける教皇機関ファザーシステム』、大聖典『啓示告白』の記述を正しく実現させるためです、猊下」


 石板から響く厳かな老人たちの声。

 ソルダは恭しい態度で彼らに答えるが、石板からはふんと鼻で笑うような音が響くばかり。誰ひとりとしてソルダの態度を信用していないのだ。


「上辺だけの礼節が見え透いているぞ、英雄めが。全くもって喰えない男よ」


「第八聖女を預けているのは君のお遊びのためではないのだぞ、アーニスタ」


「――クナータ・ノーグについて、既に処女懐胎の兆しが現れている事はご報告の通りです。揺り籠の準備さえ整えば、救世主確保は容易かと存じます」


「だといいがな。第一世界槍のように、降臨したはいいものの融血呪の暴走と自壊で計画が白紙に戻るなどということが無いように祈るよ」


 石板たちの声は厳しい。

 だが『松明の騎士団』の不手際、ソルダの責任を追究するにしてはただ叱責を重ねるばかりで、踏み込んで処罰するような雰囲気はまるで無かった。

 それは、代わりとなる人材がいないから?

 代替不可能な存在――唯一無二の英雄を失うわけにはいかない。

 大神院は『記述』からの逸脱を何よりも嫌うからだ。

 遠くからの声が続いていく。


「ただでさえ戦況は芳しくない。第二世界槍は物質の楔を砕かれた上に本体をスキリシアに奪われ、第三世界槍は我らの文明圏から離脱しつつある。そして今回のこれだ。『氷槍』の制御を奪われるとは、君は昼寝をしていたようだ。亜大陸侵攻に関する情報操作、事象改竄に一体どれだけの労力と呪的資源が投入されたことか。それらが全て無為となった」


「我らの中にはあそこで狩りやキャンプファイヤーを楽しんでいた者もいる。万が一にも救世主に裁かれぬよう、また七面倒くさい贖罪儀式に資金を注ぎ込み、身代わりを立てねばならない。全て君の責任なのだぞ、それをわかっているのかね」


「返す言葉もございません。『死人の森の女王』に未だ九氷晶への干渉能力が残っていたのは誤算でした。ですが、これは修正可能な範囲です。二度目の干渉はありえませんし、露呈した第八世界槍とティリビナ人の真実については既に手を打っております」


「お得意の懐柔か? 先代ならば全て灰にして終わりだったろうに」


「殺して奪う征服の誉れを目前にしておきながら闘争に猛りもしないとは、それでも『槍』の体現者かね。いくら御使いや猫のお気に入りとはいえ、目に余る行動が多すぎる。多世界連合からの催促に対応するこちらの身にもなって欲しいものだ」


「しかし勝ち取ること――勝利こそが至上の価値と槍神教は定めているはず。ならば手段は何であろうと正当化されます。どうか今しばらくの猶予を」


「君が勝てるのならそれでいいがな」


 皮肉げに言う老人たち。

 彼らは石板の周囲に幾つもの立体幻像を浮かび上がらせていく。

 世界各地に存在する『世界槍』――そこで起きている様々な事件。

 世間一般に公表されているマスメディアの情報だけではなく、その場に立ち会わなければ知り得ないような詳細な事情が次々と映し出されていった。


 その中には既知の大世界槍だけではなく、私が知る文明圏の外側に広がっている異界の光景――人工的な世界槍での映像も含まれているようだった。

 大神院は世界を裏から支配しようとしている――市井の人々が囁くそんな噂話は誇張でもなんでもなく、ただの事実なのだと理解できた。


 ぞっとする。枢機卿団の語る言葉は壮大すぎて私には理解できない事柄が多すぎたけれど――槍神教の野蛮さを体現した彼らの有り様は、素朴な『当たり前』過ぎて怖かった。彼らは苛酷な世界に放りだされた生物として普通に振る舞っているだけなのに、それでも異様に感じられてしまうのだ。


「守護世界槍の運用開始は遅れる一方だ。本来ならば『蛮照松明』と『鉄願祈手』による文明圏更新はとうに始まっていなくてはならないというのに。速やかに世界樹の問題を解決し、末妹選定の完遂を急ぐのだ。上位紀天使や九尾伽ナインテイルズを待たせるのにも限界がある」


「君が失敗しても第四の嵐や第七の砂時計で進行中の更新計画が残っていることを忘れるな。魔女共の技術さえあればどうにでも辻褄は合わせられるのだから、本来は外聞を取り繕う必要は無いのだ。最悪の場合は真なる『御使い』か『松明』を投入して全てを書き換えるという脚本もあり得る。肝に銘じておくことだな」


「承知しております」


「いずれにせよ、新造世界槍の運用と管理のためにも『星見の塔』の技術供与はこれからも必要だ。幸い末妹選定の鍵たる『子宮』は我らが手中に収めている。この優位を生かさぬ理由は無い」


「左様。トライデントのためにも、新たな英雄アズーリア・ヘレゼクシュと『呪文の座』は有効活用せねば。女王気取りの機械人形も君がご執心の姫君も同じく、全ては救世主完成に必要な細胞たちだ。せいぜいしっかり守ってあげたまえ。その為の都合ならば幾らでもつけてやろう」


 遠大な話の最中に、急に自分の名前が出てきたものだから、私はびっくりして飛び上がりそうになってしまった。

 大神院は私たち『呪文の座』の動きを関知している?

 それどころか彼らの計画に私たちが組み込まれているというのか。

 ソルダは私にこれを聞かせたかったのかもしれない。


「母胎回帰、影槍複写、聖人淘汰、鏖殺機関、創世計画、天層播種、超人武練、そして末妹選定。世界の熱的死、回避不可能な破滅を前にただ諦めることはできん。救世主到来をただ祈り、救済の運命を手繰り寄せるのだ」


「これ以上の計画遅延は許されんぞ。わかっているな、松明の騎士」


「は。この槍に誓って」


「次は良い報告を期待する。全ては聖なる御言葉のままに」


 それを最後に、石板から紋章の輝きが消えていく。

 どうやら大神院の意思は既に去ってしまったようだ。

 ソルダはふうと息を吐くと、お疲れ様でしたと声をかけるフラベウファに向けて肩を竦めて見せた。それから私の方を向いて、暴言を吐いてみせる。


「意識を聖典と同化させ、普遍石板に記され続ける記述と成り果てた老人会。聖職者である必要すら無く、王侯貴族や宰相など国家の要職にある者が金と呪力を積めばなれるお手軽な不老不死の座。何の意味も価値も無い、文字通りの石塊だ」


「ええっと」


「何もしない、何も出来ない連中の繰り言だよ。だが、奴らは君たちを利用してトライデントを私物化し、救済されたいと願っている。俗物はその俗物性ゆえに厄介なこともあるから、一応覚えておくといいよ」


「はあ。あの、ありがとうございます」


 なんだかとんでもない場面を見せられてしまったような気がする。

 ソルダ・アーニスタは明らかに大神院に対して叛意を抱いている様子だが、この人はどうして私をここまで信用しているのだろう? それとも、今の様子を見せれば少なくとも中央の傀儡になることは避けるだろうと判断した?

 ならその目論見は成功だ。少なくとも私が大神院側について彼の敵となることはまず無いだろうから。そもそも、トライデントが末妹になることを前提にしているのが気にくわない。私は、必ずハルベルトを末妹にすると決めているのだから。


「さて。悪いけど退屈な見物に続いて面倒な手続きをしなければ。むしろ今日呼び出した本題はこっちだ。心の準備はいいかな?」


「はい、そのつもりで来ています」


 今の私は夜の民の正装である黒いローブではなく、戦場に赴くような漆黒の神働装甲に身を纏っている。修道騎士としてこの場に立っている事を示すためだ。


「じゃあ行こうか。松明の間で、皆が君を待っている」


 そして私たちは世界槍の上層を移動して、より高い空へと向かって行った。

 階段と昇降機が繰り返される複雑怪奇な、しかし壮麗な塔の内部。

 第一階層――聖女クナータが掌握する『松明の騎士団』にとっての本拠地は、変わらずに美しい在り方を保っている。


 けれど、第五階層で『死人の森の女王』が全てを変えてしまった事実はもはや覆せない。ミルーニャたちからの報告、リールエルバとセリアック=ニアの顛末――全ては変わり続ける。同じように在るものなんて何一つとしてない。

 それは、私も同じだ。


 やがて、その場所に辿り着く。

 遙か雲上、世界槍の穂先にほど近い高み。

 天の威光が最も強く降り注ぐ聖なる場所に、その大広間はあった。

 門を開けば一直線の赤絨毯、壁や床そのものが微かな燐光を放ち、薄暗い状態を維持している。広間の奧には槍と一体化した祭壇があり、それを取り囲むようにして八本の槍が並んでいる。


 いや、良く見れば槍の穂先は少しだけ前方にずれていて、刃の背後には窪みがあった。中には松脂に浸した布きれが詰め込まれており、火を灯すためのものだとわかる。それにしても暗い。私は困らないけれど、ここまで薄ぼんやりしていると夜の民以外は困るんじゃないだろうか。


 けれど、ソルダは迷わずに真っ直ぐに歩みを進めていった。

 私は入ってすぐの入り口に近い槍の手前で足を止め、ソルダは中央の祭壇と一体化した槍の前で立ち止まった。フラベウファもその隣だ。

 まず第一の火が灯された。九槍の第一位、ソルダ・アーニスタの炎だ。

 一本目の槍は情熱的に燃えさかり、彼の髪色さながらに周囲を照らしている。


「では始めよう。『松明の騎士』ソルダ・アーニスタの名において、『松明を掲げる者ピュクティエトの貧しき同胞たち』の頂点たる特任司教、階層掌握の権限を有する守護の九槍をここに召集する」


 ソルダの宣言に応じるように、闇の中に幾つもの気配が生まれる。

 大きな呪力の乱れと共に、小さな次元穴――『扉』が次々と開いていく。

 第一階層の中でのみ可能な、守護の九槍だけに許された『扉』使用の優先権。

 すなわちこれから現れる者たちは、『松明』が誇る最大戦力に他ならない。


 総団長に続いて灯されたのは私の左手に位置する槍だ。

 守護の九槍第二位、聖女とも称される可憐な予言者クナータ・ノーグ。

 槍の穂先で揺れる神秘的な紫色の炎が、カシュラム系アヴロノであるノーグ氏族最後の生き残りの横顔を照らす。異教の女神像の如き超然とした美少女の佇まいに、私は息を呑んだ。十字の瞳がこちらを向く。無邪気な微笑みにどきりとした。


「ごきげんようアズーリア。これまでの活躍がこうして認められるのだと思うと、なんだかどきどきしてしまうわね」


「――あなたの記憶に恥じぬよう努めます」


 彼女の無垢な好意は嬉しかったけれど、今はそう短く答えるに留めた。 

 次に灯されたのはクナータの隣。

 誰よりも強く輝く灼熱が皓々と世界を照らす。

 純白の松明は天から降り注ぐ陽光にも似ていたが、驚くべき事に現れた第三位は槍の松明に灯った炎よりも更に輝いていた。

 

 その姿は天上の美を体現し、輝く貌は直視すれば目を灼かれかねない。

 あまりにも超越的な美しさを物質世界が捉えきれず、概念的な『美貌』が翻訳された結果として『輝き』という認識として出力されているのだ。

 頭上には燃える光輪、長い髪は光の奔流、背には六枚の翼。

 纏っているのは長方形の一枚布から作られた古めかしい衣服キトンとサンダルで、彼の彫刻の如き肉体にはぴたりと嵌まっていた。

 『義国の聖剣』『央都の守護者』『選定する権威』『無敵の人』『剣聖』――数々の二つ名を持つ最強の修道騎士。その迸る生命のエネルギーに触れたあらゆる不浄の者、冥府の眷族たちはことごとく滅び去ると言われている。


「御使いの三六九番、地上に於ける代行者名『フォルス=エウリュティオン・キャレプター』が推参致しました」


 三桁台の炎天使――最初期に神々の影響を受けた太陽の欠片そのものが、燐血の民という化身の姿で顕現していた。自らの紀を自覚した燐血の民が前世に覚醒した時、まれにこのような超越者が生まれてしまう。

 その圧倒的存在感に呑まれていると、続けてとてつもない迫力の塊がその場に現れた。なにしろ勢いが凄い。『扉』から飛び込んできたのは巨大な馬――いや、騎乗した修道騎士だった。騎士は荒々しくそして華麗に馬を操ると、やあ、とう、といったかけ声と共に広間をひとしきり駆け回ってフォルスの隣に辿り着く。第四位の槍が黄色い炎を灯した。


「馬上から失礼! 第三階層にて夷狄いてき征伐に当たっていた直後の召集だったため、急いで次元騎行で参った次第! 愛馬の粗相は笑って許されよ!」

 

 第四位カーズガンの下で、雄々しく馬がいなないた。

 えっと――馬って足が六本あって、蹄が燃えてて、口から火を吐くんだっけ?

 つぶらな瞳が周囲の空間を絶えず事象改変しているようにも見えるし、流石『草の民』が頼みとする『三本足』の呪力は凄まじいと感心するばかりだ。

 

 魁偉な容貌の見上げるような巨漢で、重量感のある肉体が僧服を内側から押し上げている。戦場帰りにも関わらず神働装甲を纏っていないのは、余裕の現れか、単に邪魔だからなのか。カーズガンの容貌は噂に違わぬもので、私が知る中で最も屈強な肉体を持つ修道騎士ペイルより更に力強い。


 堂々たる勇士といった評判に違わぬ姿ではあるが、一方で彼は『草の民』が槍神に頭を垂れた象徴たる『屈辱の英雄』とも呼ばれている。更には総長ソルダの直属として知られ、反乱鎮圧や少数民族の抵抗運動弾圧などの汚れ仕事を任されることが多いという噂もある。この地上においては、英雄たちもまた後ろ暗い部分を抱えずにはいられないのだ。


 荒ぶっていた馬が大人しくなり気付いたが、第五位の松明が既に灯されている。灰色に揺らめく静かな炎。その傍らに立つのも同じように物静かな女性だった。改造した修道服を着崩し、頭巾ウィンプルのかわりに大きな耳当てを頭に乗せた気怠げな表情の美女。年の頃は私よりもいくらか上で、すらりと長い脚を衣服のスリットから覗かせている。

 異常に柄の悪い不良シスターといった風貌ながら、得も言われぬ上品な色香と高貴な雰囲気を醸し出す女性だった。ソルダを挟んで私の正面にいるが、目を閉じて耳当てに手を当て、小さく身体を揺すっている。何を聴いているのだろう。


 寡黙な第五位は『詠唱者』テッシトゥーラ・ティータ。

 彼女は聖女派とでも呼ぶべき特殊な立ち位置で、司祭ですらない一介の読師だが、クナータたっての希望により抜擢された天才的呪文使いだ。

 当時は魔将ユネクティアに殺された前五位『聖典拳』ダルクエイムの欠番を埋めるようにしてその座に座った彼女の実力を疑う者もいたらしいが、不満を唱えた当時の第六位『竜牙槍』アルティウスをたやすくねじ伏せ、更には第七魔将アケルグリュスを討伐した功績により実力を疑う者はいなくなった。


 聖女派は私の出向元である『智神の盾』とほぼ同じ勢力で、槍神教の内部に入り込んだ『星見の塔』所属の魔女や西北系のアヴロノ諸族が作り上げた派閥だ。教会の主流派にとっては目の上の瘤だが、私にとってはクナータと並び心強い味方のはずだが、『塔』の中でも派閥争いがあるからちょっとめんどくさい。

 

「おいおいンだよ、キロンの席に見慣れねえチビがいやがるな」


 荒っぽい声が私に向けられている。

 怯むわけにはいかないと、私は第六位の席に視線を向けた。

 藍色の炎が灯る下で、鋭く小さい黒目が私に狙いを定めている。

 脱色された短髪、細い眉に三白眼、ノコギリじみたギザギザの歯。

 斜めの前打ち合わせに大きく開いた胸元をネックレスとなった金鎖が飾り、左右の指全てを飾る高価そうな指輪の数々と共に派手で品の無い印象を協調している。袖口の広いサープリス・ブラウスを男性向けに仕立てたふうの服は血に濡れたような赤白斑のデザインで、私からすれば悪趣味の一言だ。


「はん、潔癖そうな英雄サマタイプね。なるほどそうかいそりゃその位置だわ、だがまあアイツ同様に脆そうな在り方じゃねえの。おいガキ、英雄が辛くなったら言えや。金出しゃ贖宥状しょくゆうじょうくらい馬鹿みてえに刷ってやる。特別サービスで俺様の告解室に招待してもいいぜ」


 ぎょっとした。

 攻撃的な意志を向けてきたと思ったら、それが急に『慈悲』に変わったからだ。

 私にはその優しさが本物だと思えた。というより、私の後ろに何かを見ている?


「ネッスス、あまり若者を脅かすものではありません」


「了解。以後は控えます、フォルスさん」


 第三位フォルスが窘めると、第六位ネッススは素直に従った。

 第六位と第三位、確かこの二人は共に本国――央都から来た大神院の精鋭たちだったはず。槍神教の中心経典に忠誠を誓う式職者たちで構成される『義国派』。神働教皇機構『啓示告白』は世界最高の魔導書として現在も大神院で人類のあるべき姿たる『普遍史』を紡ぎ続けており、その維持と保全こそが彼らにとって至上目的であるとされている。


 『中央』の権威を体現する二人と『地方』の権威を束ねるソルダは微妙な力関係で互いを牽制し合っている。先ほど見せられた大神院のソルダへの叱責や態度からすると、彼が暴走しないかどうかを監視するための『目』が第三位と第六位なのではないだろうかとも思えた。


「ふむ! そして相も変わらず第七位殿は欠席か! いつものこととは言え、少々寂しくもあるな!」


 第四位の言葉通り、第七位の席には誰もいない。

 しかし何故かそこには緑色の炎が灯されており、また不在が問題視される事も無かった。私は沈黙を保ったまま、その炎を強く睨み付けた。


「はん、ヴィティスのだんまり野郎が恋しいってのは正気かぁ? 同じ裏切り仲間で徒党でも組む気かよ」


「はっはっは、我が信仰は戦士としての求道の末に目覚めたもの。けして草の民の誇りに反したものではないと、いずれは我が同胞たちに理解してもらえると信じている! ヴィティス殿とて想いは同じであろう!」


 突然、第六位ネッススが露骨な挑発をし始め、第四位カーズガンが豪快にそれを受け流した。間に挟まれた第五位テッシトゥーラが眉根を寄せてうるさそうにしている。第三位が再び窘めると第六位は大人しくなったが、第四位との間には微妙な緊張感が残っているような気がした。


 なんとなく、ネッススはただ粗暴なだけの男ではないような気がした。

 何らかの牽制、あるいはカーズガンを含むソルダの派閥に向けた『呪文』だったのではないか。私は先ほど見た大神院の事も含めて、彼ら『義国派』に対して気を緩めないようにしなければと決意を固めた。


「いやはや、ここに並んだお歴々の姿のなんと勇壮なことでしょうか! わたくしめはいたく感動いたしました! 僭越ながら! 是非! 槍神と皆様を称える歌を歌わせていただきたい! このアレッシオの溢れる信仰心がそうさせるのです!」


 朱色の炎が揺らめくと同時、良く通る声が広間の隅々まで響き渡った。

 現れた顎髭の男性はすらりとした長身で、演説向きの低い声を持った美丈夫だ。 司祭服の胸に手を当てて響かせた歌声は確かに見事なものだったが、あまりにも強烈な『意味』が付与されすぎていて凶悪な洗脳呪文と化している。

 私もかつての仲間に教わった『鼓舞』の呪術を使うが、このアレッシオが伝播させている呪力はその比では無い。戦意昂揚・扇動・宗教色を盛り込んだ作詞作曲――この歌からは、尋常では無いほどの原始的衝動の喚起力を感じる。


 一瞬で嫌悪感が膨れあがった。

 彼が歌を戦争の道具として扱っているのだと理解できたからだ。

 その感情は、けれど自己嫌悪にも似ていた。

 アレッシオは私と同じ、人の心を弄ぶタイプの呪文使いなのだ。

 唐突な歌唱が終わると、しばしのあいだ広間に静寂が満ちる。


「ご静聴、ありがとうございました」


 腰を折るアレッシオ。ソルダがやや困惑した様子で言葉を繋げた。


「あー、初対面の者も多いだろうから紹介しておくよ。このたび大神院からの推薦で新しく第八位に就任したアレッシオ特任司教だ。元々は央都で軍歌作曲と軍楽隊の指揮を任されていた辣腕のアイドルプロデューサーと聞いている」


「界隈では親しみを込めて『マーチP』と呼ばれております。どうぞよろしく」


 界隈が何かは知らないが、アレッシオは朗らかに笑ってそう言った。

 前の八位ネドラドは自ら九槍を辞して第五階層に向かったと聞いている。

 そこで行方不明になったというが――『死人の森』を巡る恐るべき戦いが報告の通りであれば、彼はもう無事ではないかもしれない。

 第六位が鼻で笑ってみせる。


「打ち壊し野郎はただの力不足だ。内世界爆破で第五階層を原始時代に回帰させるくらいの気概を見せろってんだ。まあシャハル爺さんの後任は荷が重かったな」


 何だろう、今の。私の内心の独白に反応した?

 私の違和感をよそに、フォルスもネッススに同意するように頷いて見せた。


「前第八位ネドラドの独断専行は我ら『松明』とは関わり無きこと。彼の後先を考えぬ身勝手な愚行はけして槍神教の教えに基づいたものではなく、彼独自の妄想が行き過ぎたゆえのものです。正しく神の教えを実践していれば、堕落することも失敗することも無い――彼はまっとうな信徒では無かったのです」


 その失敗もその罪も、槍神教とは切り離されたものだとフォルスは言った。

 彼がそう言えばそれは確かな事実となる。

 フォルスの腰に下げられた聖剣『切断処理』と不可視化された神働装甲『無謬』があらゆる暴虐の責任を切り離す。彼と槍神教は絶対的に正しく、その正しさを脅かすものがあるとすればそれは槍神教とは無関係な『間違い』とされる。

 ゆえに彼は絶対正義。聖なる御使いに過ちは無い。フォルスが振りかざす全ての権力、全ての権威は純粋な善であり、誰も彼を裁くことはできないのだ。

 

「まあ、そんなわけで九槍の顔ぶれも入れ替わってきた。そして今回はもう一人、我々に頼もしい味方が加わることになった。既に知らせているように、今日はそのお披露目と叙階の儀式を兼ねた集まりだ」


 ソルダの言葉に、私は気を引き締めた。

 略式とはいえ、これから行われるのは秘蹟である。

 位階を授けるための儀式、『守護の九槍』第一位にのみ許された叙階の権限。

 通常、槍神教における聖職位階は司教ビショップ司祭プリースト助祭ディーコン侍祭アコライト読師レクター及び聖歌隊、祓魔師エクソシスト守門ドアキーパーの七つ。更に教皇の完全なる在り方を支えるため御使いエンジェル枢機卿カーディナルという人ならざる超越的存在が最上位に君臨し、槍神教の九位階を構成している。


 修道会、特に騎士修道会に所属する修道士の中には叙階を受けていない者の方が多いし、そもそも修道誓願をせず修道士でないまま戦場に立つ者すら『松明の騎士団』には存在している。槍神の兵士を確保するための措置として、仮の修道士身分や聖職者位階を与えることが常態化しているためだ。


 それを象徴するのが『守護の九槍』に与えられた特権――『特任司教』。

 世界槍の階層掌握者としての権威付けのため、また『教区での布教』という大義名分を与えるため、九槍には『階層という教区を統括管理しても許される位階』を特例で認めている。それが世界槍のみで機能する『特任司教』の位階だ。

 この中に司教以上の高位聖職者は第三位フォルスと第六位ネッススしかいないのだが、これにより全員が司教という扱いを受ける。

 だから『守護の九槍』の任命というのは非常に強大な権力を与えることを意味している。そしてそのために必須とされている資格は『強さ』に他ならない。

 少年は祭壇に並べた蝋燭に火を灯した。


「『松明の騎士』の名において、これより『叙階』の秘蹟を執り行う」


 ソルダは任命書を読む代わりとして油を塗った紙を燃やし、記された文字を灰の呪文として宙に舞わせていく。この秘蹟はあらゆる『言葉』を圧縮して行われる。『九槍』の任命は必要とあれば戦場でも行われるためだ。実際、前任者が戦死した直後にソルダが戦いながら後任に叙階したことが幾度もあったという。

 だからこれは、ひどく荒々しい戦闘準備だ。


 朗読、受階者の約束、連願といった厳かな手続きに代わって行われるのは、兵士としての資質を試すための耐久試験。

 ソルダは従者を伴って中央の祭壇からこちらに歩み寄ってくる。

 私は槍の傍に跪き、静かに彼の訪れを待った。

 やがて少年が私の目の前に立ち、言った。


「『松明の騎士団』におけるこの秘蹟は、夜の民とひどく相性が悪い。エルネ=トモランの九槍にこれまで夜の民出身者がいなかったのはそのためだ。だから僕にはこう告げることしかできない。アズーリア、君を信じている。生存を祈るよ」


 言い終えると同時、彼は脇に控えたフラベウファから受け取った油で私の兜に塗油を行った。すなわち思いきり油をぶちまけて、松明から直接掴み取った『炎の呪力』を燃え上がらせながら私の兜に叩きつけたのだ。荒々しい按手の儀式と同時、フラベウファが投擲した書物が私の頭上で静止する。浮遊する書物は聖別された魔導書――すなわち聖典である。直後、呪文の集中豪雨が降り注いだ。


 恐るべき灼熱と、あらゆる闇と影を掻き消すような光の衝撃は凄まじかった。

 頭上から私の存在を規定しようとする聖なる御言葉。

 文字列となって燃え上がり、私を呪縛していく槍神教の権威。

 自我を侵食し、私の『個』の在り方を強制的に書き換えていく『教え』。

 これは呪文戦だ。

 地上最大の権威を預かると同時に、その力に屈さず、我が物とするための闘争。

 上からのし掛かってくる権力との闘争。

 自分自身が力と一体化してしまわないための闘争。

 痛みに屈さないと意思を振り絞る私に、ソルダは更なる追い打ちをかける。


「これなるは炎の司教冠ミトラ。そして灼熱の司教杖バクルス!」


 呪文と共にソルダの手から出現した二種の炎が私に襲いかかった。

 燃える冠が私の頭蓋から思考を呪縛していく。

 蛇のようにのたうつ炎の帯が私を締め付け、熱波と権威の力で苦しめる。

 漆黒の鎧はいまや死の棺桶だ。聖なる松明の炎は私の呪力を削ぎながら夜という神秘を退けていく。夜の民が九槍になったことは無い――その事実が私に重くのし掛かってくる。これは、私という存在を焼き尽くす呪いなのだ。


 この炎、この灼熱は『異質な外敵』を討ち滅ぼすための光。

 異獣と定めたものを浄化する正義の輝きだ。

 炎の赤は、きっと流れ続ける血の赤なのだと私は思う。

 鮮血の記憶を想起する。私は強くその罪を噛みしめた。

 振り下ろした斧槍、笑って死んだ誇り高き人狼。

 私はその屍を踏み越えていくと決めた。


 私の影が、ざわりと揺らめく。

 炎が落とす暗い影、それが私だ。

 私の自己像、それは私が歩んできた道、私を構成する仲間たちの中にいる『アズーリア』が織りなす色彩。炎による自我への干渉なんて今更だ。

 思い出せ、こんな熱さはなんでもない。

 誰かの光が重なり合って、私という影が幾重にも分裂していく。

 『松明の火を掲げるアズーリア』という形もまた、私を支える連関のひとつ。

 これも私だ。力に溺れる恐怖を断ち切れ。

 

 それは時間にして一瞬のことだった。

 永遠の拷問と感じられたようで、振り返ればなんでもないような試練。

 そして私は、自らの松明を灯した。

 乗り越えた。その確信を得た私はすぐ傍の槍を見上げて、愕然とした。


 『守護の九槍』はそれぞれが異なる色の松明を持つという。

 先代であるキロンは透き通るような青だったと聞いているが、果たして私の目の前にあるはずの槍の松明にはなにも灯されてはいなかった。

 私の呪力、私の資格に呼応して燃え上がるはずの炎が無い。

 つまり、私は。

 

「これはまた――アズーリア殿には資格が無かったと言う事ですかな?」


 アレッシオが拍子抜けしたように言うと、場に落胆したような空気が満ちる。

 そんな、こんなことって。私は息を止めて槍を見上げるが、現実は変わらない。この世界のどこにも、私の炎が灯る場所などありはしなかったのだ。


「『この世界』にはな。目を閉じてよく観ろ。影が揺らめいてるだろうが」


 嘲るように――そして称賛の響きを滲ませながら言ったのはネッススだ。

 そこでようやく私は気付いた。

 槍の穂先と一体になった松明の部分が、いやに暗い。

 既に九槍たちの炎によって広間は随分と明るくなっている。

 にもかかわらず、九位の槍周辺だけが不自然に闇が濃い。


「実体無き影の炎――強いて色彩に当て嵌めれば黒き松明といった所ですね」


 フォルスの言葉が続く。今度は意識せずとも理解できた。

 私の足下に広がった影が、ゆらゆらと燃えている。

 影世界の松明が実体世界を逆向きに照らし、松明に黒い影を落としているのだ。

 アストラル界への感覚を研ぎ澄ましていればすぐに分かる事実だ。

 試練を乗り越えたという安堵が私の目を節穴にしていたらしい。


「アズーリア・ヘレゼクシュ。汝を『守護の九槍』が第九位と認め、その身に『病者への塗油(アノイント)』の秘蹟を授ける」


 そして、『松明の騎士』ソルダによる新たなる『槍』の任命が完了する。

 私に許されたのはかつてあのキロンが担っていた癒やしと慈悲の秘蹟。

 それを受け継ぎながら、私は迷宮で屍を積み上げていく。

 なんて皮肉な巡り合わせだろう。

 私の影が蠢き、平面の方形盾と透かし彫りされた厚みのない影の斧を手に取った。これは私の決意、闘争心の表れ。


「おめでとう。立つがいいアズーリア特任司教。これから君は、我々と同じ地平に立ち、地獄との闘争に身を投じることになる。覚悟はいいね?」


「無論です」


 ソルダの問いに即答して、私は決意を新たにした。

 そう、私はこれで槍神教から『階層掌握者になる資格』を勝ち取った。

 かつては許されない独断専行とされたあの罪は、もはや私が果たすべき使命となったのだ。これならば今度こそ、と私は強く拳を握った。

 約束を果たせる――私は彼を迎えに行ける。


「ふう、これで一安心だね。さてみんな、儀式が終わったばかりで悪いけど、引き続きちょっとした話を聞いて貰えるかな? 九槍が集まることなんてあまりないからね、今後のことを話しておきたいんだ」


 儀式の緊張と興奮も冷めやらぬままに、雰囲気をがらりと変えながらソルダが言った。中央の祭壇に向かうと、ぐるりと周囲を見渡して全員の顔を順番に見ていく。誰からも異論は無い。皆が疑問に思っているのだ――『松明の騎士』は、一体何がしたいのか?


「ここ最近立て続けに起きた世界的大事件の連続に、みな戸惑っていると思う。特にアズーリアは第二世界槍の異変で心を痛めていたろうに、こちらの都合で叙階を急がせて申し訳無かったね。ご家族は大丈夫だった?」


「はい、私の故郷は世界槍からだいぶ離れた場所にありましたから」


「それは良かった。いや、それでも一大事には違いない。そしてなにより、我々にとってより問題となっているのは、この世界槍に纏わる真実――第八世界槍を上書きした第九世界槍がこの槍だ、ということなんだけど」


 少年の軽い口調はかえってこの話題の深刻さを浮き彫りにするようで恐ろしく響いた。万人の認識を書き換えていた事象改編。その意味を、彼はどれだけ知っているのだろうか。争い合う二大勢力の頂点に立つ少年は、腕組みをして首を傾げた。


「実を言えば僕もこのへんの事情を正確に知っているわけじゃないんだ。何しろ世界樹を焼き払った姉さん――というか姉さんの前世体であるアルメ=アーニスタは第八階層に封印されたままだし、当時の九槍は戦死して全員入れ替わっている。唯一の生き証人である第七位ヴィティス、いや当時は第七位でもヴィティスでも無かったけど、彼はここにはいないし、僕は嫌われてるし。うん、困ったね」


 ソルダ・アーニスタはどこまで本気なのか?

 私が疑問を抱く中、ネッススが口を開く。


「世界槍の番号だ元々は枯れ木共の棲家だって事実がいまさら問題か? 邪魔な連中ぶち殺して道を切り開くのは同じだろうが。それより問題は第五階層だ。ここしばらく第六階層と第四階層でヴィティスとイェレイドの戦争ごっこに終始するばっかで何一つ進んでねえ。キロンがぶち殺された挙げ句、ガロアンディアンだ何だとほざく魔女がのさばって、ようやく邪魔くせえ『死人の森』が消えたんだろ。なら攻めろや。掌握できねえ理由は何だ?」


「それが今回叙階を急いだ理由だよ。第五階層は『守護の九槍』の第九位が掌握し管理する。それは前九位キロンの時に決まった『未来の記述』だ。そして、聖女クナータが日誌に記した確かな記憶でもある。整合性を取りに行きたい」


 ソルダに言及されたクナータは、相変わらず内心の読めない穏やかな微笑みを浮かべている。けれど、どういうことだろう。彼女は私を知っていた。私がこれから迷宮を踏破していく未来を回想していた。果たしてそれは、キロンが第五階層を掌握するという未来と整合するのか――?

 聖女の未来回想に対しての『松明の騎士団』の姿勢、解釈の仕方にも疑問があるし、そもそも彼は大神院の脚本に沿って動いているはずだ。


 んん? でも更によく考えると『義国派』のネッススも大神院の意向を受けて動いているはずで、もしかしてさっきの発言は第八世界槍に関しての疑念から話を第五階層の方に逸らそうとしたのかな、えっと――よくわからない。

 私があたふたしているのとは関係無く、話は進んでいく。


「一部の修道騎士たちが『腐敗した悪徳の都を滅ぼす』なんて息巻いているのは知っているよ。しかし、かの機械王国の実態を明らかにしないまま手出しするのはあまりに迂闊だと思わないかな。なにせ複数の紀人を擁する国だ。そのうち一柱は異界転生者ときている」


 ソルダの視線が私に向けられて、思わず身を固くする。

 彼は私を明確に意識している。

 最初から、私に対して話していたように思う。


「第五階層が中立を謳って明確な敵対姿勢を見せない以上、我々が取れる最も穏便な手段は対話による決着、あるいは宣教による教化だ。すなわち『智神の盾』によるガロアンディアン併合と、異獣扱いになっている第五階層の住民たちを眷族種に吸収する。地上に溢れた吸血鬼やティリビナ人に対して行われた事を、もう一度やるだけなんだけど――」


 ソルダはそこで意味深に言葉を切った。

 第五階層に、対話に値する価値があるのか。

 大神院の意向がある限り、ソルダの一連の発言は全て茶番だ。

 彼は方針を既に決めている。

 それでも九槍の前では『松明の騎士』としての建前が必要なのだろう。


 もう一つ、不安材料がある。

 大神院は『末妹選定』の遂行を望んでいるが、重要視しているのはトライデントだけで他の末妹候補の価値を低く観ている可能性がある。

 ましてその使い魔ともなれば、なおさらだ。

 私の不安を反映するように、第八位アレッシオが沈黙を破る。


「失礼。発言よろしいですかな――ありがとうございます。先ほど団長殿が仰っていたように、『智神の盾』による第五階層への平和的アプローチは既に計画が進行中でして、私は微力ながらお手伝いをさせていただくために大神院から参りました――そう! 地上が誇る超・絶・歌・姫! 『Spear』ちゃん専属プロデューサーとして! いやあ光栄ですなあ!」


 予想はしていたが、あまりにも看過しがたい発言だった。

 彼は大神院が『呪文の座』を縛るための首輪だ。

 

「そんなわけですが、ライブをするにあたって懸案事項がございます。穢れの象徴であり過日エルネトモランで『再生者事変』を引き起こした遠因ともされる恐るべき邪神、『死人の森の女王』が未だに第五階層で健在だという情報が入ってきているのですよ。これは第五階層に潜伏中の諜報員からの確かな知らせです」


 アレッシオは深刻そうな表情で語り続ける。

 私は何か無いかと必死に自分の中で言葉を探し続けていた。


「更に『死人の森の女王』は機械女王の使い魔、新たに誕生した異界の紀人シナモリアキラと一体化し、第五階層そのものに転生したとされております。これは第五階層を掌握し、槍神教の文明圏を展開する障害となるのではないでしょうか」


 私は思わず口を挟んでしまう。まずいと思いつつも、止まれなかった。


「ならば『死人の森の女王』は紀人シナモリアキラの従属神格ですから、彼が我々にとって敵対する存在では無いと証明できれば問題はありません。そして彼には私が所属していた部隊と共に魔将エスフェイルを討伐したという確かな実績がある」


「だがキロンを殺ったのも奴だ。そこんとこは誤魔化せねーぞ、ガキ」


 ぞっとするような響き。試すように鋭くこちらに向けられたネッススの視線に、私は後退りそうになった。ギザギザの歯を剥き出しにして男が言った。


「シナモリアキラって紀人は俺様に狩らせろ。異邦の神なら俺らの流儀で染めればそれで終わりだ。クソみてえに浄化して天使コレクションに加えてやるよ」


 私は、第六位が何と呼ばれているのかを思いだした。

 『紀人狩り』ネッスス。

 槍神教圏の外側、辺境で信じられている巨人や紀人といった超越的存在を槍神教の解釈で上書きし、下位序列の『守護天使』に貶める神働術の使い手。

 彼もまたアレッシオ同様に第五階層を攻め落とすのに最適な人員だ。

 ここで私がその行動を止める理由はとても希薄だった。

 そもそも、私のこの衝動自体がひどく個人的なこだわりに過ぎない。

 それに前九位キロンは元々は『義国派』に所属していたはず。

 ならネッススたちにとってシナモリアキラは仲間の仇だ。

 私には彼らの意思を否定する事ができない。

 焦る私。ところが、ネッススは簡単に戦意を収めた。


「控えなさい、ネッスス。第五階層の見極めはまだ済んではいません。強引な宣教や改宗の強制は禍根を残します。まず対話から始める必要があり、そのために最も適した人材がアズーリア卿なのですよ」


 穏やかなフォルスの言葉。

 それだけでネッススは「了解しました」と牙を隠してしまったのだ。

 わからない。彼は一体どういうつもりでいるのだろう。

 第六位は深く嘆息し、呆れたような視線を向けてくる。

 

「おいおい、なにぼんやりしてんだよ第九位。てめえで動かねえと出遅れるだけだろうが。勝ち取れよ、欲しいものは自分で奪うのが俺らの流儀だ。違うか?」


 ネッススの言葉は荒っぽいが同時に奇妙な柔らかさも内包されていた。

 もしかして、彼は私を教え導こうとしている?

 それは九槍の先達としてか、槍神教の聖職者としてか。

 『殺せ、奪え、勝ち取れ』――聖なる野蛮の教えをどう体現するか。

 ネッススはそのことを正しく理解している。なんとなくだけれど、そう思った。


「ソルダ団長。第五階層の掌握――私にやらせて下さい!」


 遠い約束。仲間たちと決めたこと。

 戦いの責任の所在について、私は思いを巡らせる。


『この者、シナモリ・アキラの世界槍内部における行動の全責任を、アズーリア・ヘレゼクシュが負うものとする』


第五階層シナモリアキラの始末は、私がつけます」


 これは私の役目だ。

 私自身があの階層の掌握者となり、守るべきものを守らねばならない。

 迎えにいくと約束した――だからこそ、私はあの地にもう一度赴くのだ。


「うんうん、やる気だね。それじゃあ聖女の予言や大神院の意向、『智神の盾』という立場を踏まえて、今回の第五階層攻略はアズーリアが主導するってことでいいかな? 異論がある人はー?」


 ソルダの言葉に反応する者はいない。

 あれ。ひょっとして、これって私待ち?

 さっさと自分から「やります」って言えば終わってた話だったの?

 それから場の空気が加速していった。


 今後の段取りが次々と決定されていく。九槍はひとりひとりが異なる役職を兼任しており、世界槍の内外で噴出している反乱や抵抗運動、文明圏の破損、隣接する世界槍からの文明圏侵食など様々な問題に日々対応している。彼らはそれぞれの報告と今後の方針を議題に上げ、それをフラベウファがスムーズに記録しつつ特に問題も無く簡単な会合が終わった。


「ではアズーリア殿、詳しい打ち合わせはまた後ほど。このアレッシオ、『智神の盾』との合同任務を必ず成功で終わらせてみせますぞ!」


 第八位に声をかけられて、私ははっとして姿勢を正す。

 あれよあれよという間に事が進んでしまって頭が追いつかない。

 えっと、これで終わり? いつの間に解散になったの?

 九槍たちは元来た『扉』に戻ってそれぞれの任務に戻っていく。

 私はその場に立ち尽くした。ついに、決まってしまった。

 ここからの戦いはこれまでとは違う。

 ただ敵を倒す、それだけじゃ不十分だ。

 ネッススが言うように、私自身が動いて勝ち取らなければ駄目だ。

 

「お疲れ様、アズーリア」


 ソルダがやってきて、私を労う。

 そして、何故か指を上に向けてこう言った。


「悪いんだけど、もう少し付き合ってくれるかな。今の話を踏まえてもう一つ、僕から個人的に話しておきたいことがある」


 今度のは私も予想外。それに近くにいたフラベウファも目を丸くしている。

 ソルダが示しているのはこの『松明の間』の上。

 ほとんど最上階に近いこの場所から更に上というと――。


「邪魔が入らない所がいい。ちょっと穂先に来てよ」


 そんな軽い口調で、ソルダは世界槍で最も厳重に守られた秘密の場所に私を誘い出したのだった。





 世界槍の天頂――雲を突き破る途方も無く巨大な穂先。

 隠されたその内部に立ち入ることは決して許されず、ただひとりソルダ・アーニスタのみが秘密の全てを手中に収めているのだという。


「用件は二つ。今回の任務について内密に頼みたい事がひとつ。もうひとつは、ちょっとした自分語りのようなものかな。信仰告白と言ってもいい」


 長い通路、無限にも感じられる空間を私たちは歩いている。 

 あまりにもあっさりと私は穂先の内部に足を踏み入れていた。

 いや、この言い回しが正しいのかどうか。

 私はどうやってここに来て、いつの間にこうして歩いていたのかをはっきりと思い出せない。ソルダの導きで昇降機の中に入り、何故か下降して、扉が開いたら泡に包まれて無数の世界の狭間をふわふわ泳いで、それから鳥に乗って空を飛び、時の流れに逆らってさっきの自分の真横を抜けて、静止した世界に足を踏み入れ、それからそれから――そうだ、全てが凍り付いていた。


「ここは、第一階層じゃないんですね。異世界――第零階層、とかですか?」


「その理解で概ね正しい。ここでは全てが凍っている。時も、意味も、価値も。僕たちがこの穂先を出た時、外で待機しているフラベウファは一秒ほども待っていないんだ。はぐれないでね、アズーリア。僕が近くにいないと、君も凍るから」


 ぞっとして、前を行くソルダに少し近寄った。

 長い通路は透き通った氷で出来ていて、何も無い虚空の上を歩いているようで不安だった。足場の無い世界。どこに繋がっているかもわからない、無限の広がり。私は耐えきれなくなって思わず訊いてしまった。


「あの。団長は、この階層世界をどういった意図で創造されたのでしょうか」


「僕はここの掌握者じゃない。限定的な掌握者権限を代行しているだけだよ」


 意外な答えだった。

 ソルダだけが出入りできるこの穂先の階層世界が、彼のものではない?

 なら一体何者がこの世界を創造し、どんな目的で維持しているというのだろう。


「この世界はね、あらゆる命と――いや、死と拮抗しているんだ。物語の重力といってもいいかな。『今はまだ』という停滞と遅延で守り続けている」


「守る――?」


「そう。全てを混沌に融かしてしまう救世主から、尊い純粋さを守っている」


 ソルダの言葉は謎めいていて、私にははっきりとした意味が掴めない。

 彼はこちらを振り返ること無く、静かに言葉を重ねた。


「君は理解してくれるような気がしたんだ。これから、純粋な『歌姫Spear』の在り方を守っていかなければならない君ならば」


「それって」


「アレッシオやテッシトゥーラには気を付けるといい。君の大事な歌姫が勇壮な軍歌や耳障りの良い鎮魂歌を押し付けられた挙げ句、犠牲と死を積み上げるための道具としてすり潰されていく光景は見たくないだろう? 美しいものは簡単に穢されてしまう。僕たちは、それを守らねばならないんだ」


 彼の言葉には、私に対する共感があった。

 どうしてだろう。彼にも、私と同じように守りたい何かが在るから?

 それはひょっとして運命の恋人であると言われている神話の――。

 不意に景色が切り替わった。

 透明さだけが広がっていた上下左右に、様々な泡が浮かんでいる。

 その泡のひとつひとつが小さな世界――このゼオーティアに存在する様々な世界槍、そして文明圏の景色だった。


「世界は疲弊している。闘争は――生存競争はとにかく疲れるからね。だからさ、そろそろ戦争の落とし所を考えるべき時が来ていると、僕は思うんだよ」


 ソルダの発言は立場を考えると危険なものだったが、他の世界槍でも休戦や停戦が成立したり、厭戦ムードが広がったりしていることは知っていた。

 彼の思想はもしかすると私たち『呪文の座』に近いのかも知れない。

 過度な期待をするべきではないが、私の心は浮き立った。

 彼もまた、私に近しいものを感じてこうして声をかけてくれたのかも。

 『松明の騎士』が味方になってくれれば心強い。

 ソルダは私の考えを裏付けるように、自分の考えを述べていく。


「大神院――『義国派』は末妹選定が救世主を生み出してくれることを期待しているけれど、同時に長年の仇敵である鈴国圏の殲滅も望んでいる。トライデントを利用して世界を救いつつ『下』を滅ぼしたいわけだ。だからフォルスやネッススなんかには悟られるわけにはいかないんだけど――もう『松明』は前の姉さんがいた頃とは違う。異獣は全て滅ぼすなんて野蛮さは捨てるべきだよ」


 こんなことを『松明の騎士』が言ったなんて知られたら、それこそ大神院と『義国派』は彼の解任や順正化処置による洗脳を考えるだろう。

 時の止まったこの世界でしか言えない、彼の心からの本心なのだ。


「必要なのは、自分と相手が違うということを認め合う寛容の心じゃないかな。同じ神を信じることが出来ないとしても、それを邪神などと否定するのではなく、上手に折り合いをつける方法はある。実を言えば『松明の騎士団』より『智神の盾』の方が僕にとっては理想的なんだよね」


 確かに、彼の精神性は私たち寄りだった。

 なんという皮肉だろう。

 聖絶を推し進め、地獄を滅ぼすための尖兵たる『松明の騎士団』を率いる少年がこんなにも優しい考え方をしているだなんて。

 思えば彼と初めて出会った時、追い詰められた竜神信教の人々を彼はできる限り救おうとしていた。ソルダ・アーニスタの本質がどのようなものか、私は既に知っているはずだったのに。


「もちろん異獣側――たとえばティリビナ人たちだって僕たち異教の教えを許容できる者ばかりじゃない。だが『智神の盾』が解釈によって『異教の神を守護天使と読み替える』という妥協点は少なくとも流れる血を減らしてきた。傲慢なやり方だが、大神院のご機嫌取りを考えると現状選び取れる次善の策だ」


 とはいえ、ソルダが直面している現実は厳しい。

 少年が抱く理想は現実の醜悪さによって簡単に歪められてしまう。

 それでも彼は可能な妥協点を探り出そうとしているのだ。


「そこで本題だが、『智神の盾』から出向している呪文使いとしての君に依頼したいことがある。ただ第五階層を掌握するだけでは反発や流血は避けられない。だから、君にティリビナ人たちを説得して欲しいんだ」


 ソルダは振り返り、私に頭を下げて頼み込んだ。

 その意味を考える――彼は『松明の騎士』だ。

 聖絶を主導した『松明の騎士』にはこの役目は果たせない。

 『智神の盾』の私だからこそできることなのだ。

 ソルダは頭を上げて続けた。


「ティリビナの巫女――プリエステラを連れて行くんだ。第五階層のティリビナ人たちを我々が守るべき眷族種――『街路樹の民』として保護する。その過程で、彼女の存在は必ず必要となる」


 『呪文の座』とプリエステラには実績がある。

 このエルネトモランでティリビナ人たちを保護しているという前例。

 それがあれば、第五階層にいるティリビナ人たちとの衝突を最小限にしつつガロアンディアンとの調停や和解を成立させられるかもしれない。

 もちろん、私は最初からプリエステラに同行してもらうつもりではいたけれど、こうしてソルダの方から許可が出るとは思っていなかった。

 第五階層を取りまく状況は厳しいけれど、希望は見えてきた。

 だが、ソルダの表情は険しい。


「いいかい、恐らく、いやほぼ確実に同行するアレッシオ特任司教の妨害があるだろう。彼は歌姫のライブそのものを汚染し、大神院に都合のいい視座で君たちを操ろうとするはずだ。君は覚悟を決める必要がある。これまで数々の戦場で『従軍アイドル』をプロデュースしてきた男の横槍を凌ぎ、無血で第五階層を掌握するんだ。わかるね?」


「はい」


 第八位を見た瞬間に、彼とはそういう戦いになる予感があった。

 少し前、ミルーニャたちは第五階層であった出来事を私に教えてくれた。

 アイドルとしての闘争、演劇儀式としての闘争、役者と舞台を巡る闘争。

 そしてまた、次の舞台では私たちのハルベルトが舞台に上がり、世界を変えるために歌を響かせるだろう。


 けれど、純粋な呪術戦として行われていた演劇空間と次の舞台は違う。

 また、地下アイドル空間の観客たちが呪術と闘争にどっぷりと浸かった特異な客層であった『空組』の経験をそのまま活かすことも難しいだろう。

 何故なら『歌姫Spear』のライブは直接世界に向けて行われる。

 観客との闘争、どう舞台を組み立てていくかという創造。

 表現者として、自らの内側や運命に潜っていくだけではなく、外側や視線に対応していかなければならないのだ。


 世界は私に英雄を求めている。

 人々は歌姫に何を求めるだろう?

 義国派とアレッシオはきっとそこを突いてくる。

 私たち『呪文の座』は政治的な思惑や原始的な排除の欲求からハルベルトの表現を守り、同時に観客の求めにも応じなければならない。


 第八世界槍の真実が明らかになったいま、虐げられ続けたティリビナ人たちもハルベルトの歌を聴くだろう。

 過去の惨劇から繋がった苦しみの現在――ハルベルトはそこで平和のために歌うことになる。それはかつて無いほどに困難なライブになるだろう。


「私は『呪文の座』の末妹候補ハルベルトの使い魔です。彼女の純粋な歌を何があっても守り抜く。そのためなら、私は何だってできる」


 私の答えに、ソルダは満足そうに頷いた。

 それから、再び私に背を向けて歩き出す。


「アズーリア、君に世界槍の秘密を教えてあげよう。君が守るべき真実、紡ぐべき物語の正義がどこにあるのかを知っておいて欲しいんだ」


 そう言ったソルダが一歩を踏み出した瞬間、世界が流転する。

 落ちて――いや、切り替わった?

 いつの間にか、また別の場所に立っている私たち。

 天と地を流れていくのは世界を内包した泡、大河、海、いや混沌?

 彼方から融けだして、またどこかへと染み込んでいく大いなる流れだ。

 

 激しく変化を続ける世界の中で、ひとつだけ微動だにせずに存在しているものがある。私は息を呑んだ。そこがこの世界の中心だと理解できたからだ。

 それは、混沌の中心で揺らがずに静止する氷の結晶。

 その内側で、途方も無く美しい白銀の少女が眠りについていた。

 私は、彼女の名前を知っている。

 ソルダは愛おしむように氷の結晶に手を伸ばし、届かない指先を震わせながらそっと息を吐く。そして、私に告げた。


氷血クォーツウォッチのコルセスカ」


 彼女は。

 透き通る氷玉の中で世界の時計を支配している。

 夢見る目蓋の内側で世界の祖型を見つめている。

 誰もその冷たい躯とは融け合えない。

 誰もその頑なな心には触れられない。

 それは完全なる個として凝固された結晶。

 それは不動なる己として隔絶された表象。


「彼女こそが本物だ。間違った解釈で歪められた偽物なんかじゃない。雑多な編纂で曲げられた神話像なんかでもない。ありのまま、最初のままの純粋なコルセスカはこの原典を凍らせた世界にしかいないんだ」


 氷の中で眠る少女はいつか目にした『颯爽とした探索者の英雄』とあまりにも似ていたけれど、異様なまでにイメージが重ならなかった。

 凛々しさと強さを兼ね備えた透明な快活さはそこにはなかった。

 大きな眼帯もすらりとした背丈も姿勢の良さも無い。

 幼さと小柄さが目立ち、触れれば溶けてしまいそうなほど儚くて、その姿はまるで雪の化身みたいだった。


「だとしたら、『痕跡神話』は」


「僕たちこそが『真なる邪視の座』だ。少なくとも『塔』と大神院が末妹選定をこの世界槍で行うと決めた時にはそうなるはずだった」


 ソルダはそこから何かを続けようとしたが、頭を振って口を閉ざした。

 深い、深い溜息。

 どうしてかその姿が老人に見えた。

 この少年は何を背負っているのだろう。

 何かの重さに疲れ果てているのに、それでもそれを捨てることができない。

 呪いのようだと思った。

 やがて少年は曖昧な笑顔を作り、こう言った。


「物語はさ、幸福な結末のほうが好きなんだ。恋人同士が引き裂かれて終わりなんてあんまりだよ。どれだけの時間を隔てても、最後にはめでたく再会して結婚式を挙げて、二人は末長く幸せに暮らしました、で終わった方がいい。そうだろ?」


「それは、そうですね」


 私には事情が分からないままだ。

 どうしてここにコルセスカがいるのだろう。

 彼はこの眠っているコルセスカを求めている?

 じゃあ私が一瞬だけ擦れ違った、サリアの大切な人は誰なの?

 困惑する私をよそに、ソルダの口調には熱が込められていく。


「そう、面白みが無くても退屈でもそういうのが大事なんだよ。暗い展開とか悲劇とか切なかったり苦かったりする結末とか泣ける要素とかやめろよ、人を殺したり別離させたりすれば楽しいのかよお前らいい加減にしろ僕はもううんざりだ!」


 私はとてもびっくりして、何と言っていいかわからなくなってしまった。

 この少年が、こんなに激しく怒る事があるなんて。

 彼は悲しんでいる。嘆いている。嫌いなもの、見たくないものに心を痛めて子供みたいに泣き叫んでいるのだった。

 ソルダはずっと溜まっていて、けれどはき出せなかった鬱憤を一気に口から放出していった。その勢いは火を吐く亜竜よりもさらに激烈だ。


「何が『色々な正しさがある』『人には人の趣味嗜好が』だ、寛容? 許し? ざけんなゴミかよ辞書ごと言葉が死んでしまえ! お前たちの好みなんてものは全て汚物だ! お前らのクソまみれの世界観を美しいものに押し付けて汚すな価値が損なわれるだろうが原作への尊敬が無いんだよ挙げ句の果てにヘイト創作だの陵辱だの寝取られだのマジでぶち殺すぞだいたいモブのおっさんごときに僕が負けるわけないだろモブじゃ無くても最悪だけどなにがオリ主だ脳腐れが!」


「ひっ」


 こわい。

 迂闊に触れたら大やけどしそうな凄まじい熱が少年から迸っている。

 ていうかあの、さっきの寛容とか許し合う心とかそういう理想の話はどこに行ってしまったのだろう。彼は優しく純粋な少年のはずだったのに。

 ぜえはあと息を乱して肩を上下させるソルダ。

 おろおろとする私の目の前で、急激に下がって行く語調と熱。


「ていうかさ、根本的な問題として。それ『コルセスカ』でやる必要ある?」


「えっ。その、私に訊いてます? どうなんだろう、それ言われると、コピペ種族としては苦しいといいますか」


「中途半端にさー、創造性発揮してくるほうが厄介なんだよね。だから君はまあいいんだよ。そうだな、アズーリア。例えば『歌姫すぴにゃん腹パン本』なんて二次創作をどう思う。歌姫は語尾が『にゃん』にされてるやつ」


「絶対に許さない」


 私は真顔で即答した。


「だろ? コルセスカはもっと酷いのが、それこそ口に出すことすら憚られるようなのが沢山あるんだ。雪原に佇む清らかな花のように控え目で可憐な彼女が、何故かゲーム狂いの引きこもりオタクとかいうキャラ崩壊を起こしながら良く分かんない設定のオリキャラ連中と次々くっついていくみたいなやつがね」


「うわっ」


 こわい。製作者は何を思ってそんな暴挙を?

 たしかにそこまでするなら完全なオリジナルでやれ、とソルダに言われるのも仕方が無い、何しろ彼にはその資格がある。

 これはつまり『怒られ』が発生しているやつだ。

 私はそう理解した。


「神々を気取ってる連中の下らない解釈なんて全部いらない。ゴミみたいな展開を役者に押し付けてくる演出家なんて皆殺しにしてやる。不確定に揺らぐ二次的な人物像も編纂された神話の総体も正統な彼女を穢すだけだ。僕は僕以外の解釈を一切認めない。一切だ。世界観も神も、ただひとつがあればいい」


 異端への焦げ付くような憎悪、正統への燃えるような愛。

 揺るぎない信仰心、純粋すぎる宗教的情熱。

 私は、致命的な誤解をしていたのかもしれない。

 ソルダ・アーニスタは確かに『松明の騎士』だった。

 その炎で敵を焼き尽くす神火明光の槍。

 だが彼の信仰は槍神に捧げられたものではない。

 少年にとって譲れないものは、この少女だけなのだ。


「わかるかいアズーリア。この世界槍こそが世界を『普遍ゼオーティア』で完結させるんだよ。永遠の最果て、『幸福ハッピーエンド』に至るために」


 いつの間にか、少年の手には槍が握られていた。

 凍てつく氷の長柄武器――『氷槍』が。

 彼は私に微笑みかける。


「だが――悪魔にもなりきれない敵を殺してハッピーエンドなんて、そんな結末には愛がない。異世界転生者シナモリアキラは僕に倒されてなお幸福になってもらわなければ困る。だからこそ君が必要なんだ、アズーリア」


 今の彼は激しく心を燃え上がらせているけれど、それでも第五階層を無血で攻略して欲しいと言った純粋な少年と同じ理想を持ち続けている。

 ソルダ・アーニスタの見ている未来はどこまでも優しい。先ほどの怒りも根っこは同じだ。ただ美しく純粋な世界を望んでいるだけなのだと、そう思えた。

 だから彼はこう続ける。

 そうあることが当たり前なのだというように、私の前にその未来を提示する。


「君がシナモリアキラを救ってあげるんだ。僕は彼を打ち倒すけど、その全てを否定したいわけじゃない。君がいるのはその為の運命だと確信している――善良なるアズラよ。誰もが幸せになりました、そんな世界にしようじゃないか」


 私とソルダは同じ気持ちを共有した。

 共感した私たちは、同じ優しい理想の下に幸福な結末を目指して共闘できる。

 詳しい事情は分かっていないけれど、彼は可能な限り多くの人が幸せになれるように最大限の努力をする人だと信じることはできた。

 でも、どうしてだろう。

 私は彼の輝く瞳に、その奥の闇に畏れを抱いた。


「唯一無二の固定された視座、不変の関係性。愛はひとつ、ひとつだからこそ愛なんだ。最果ての二人は対であるからこそ美しい。だから、そこに不安定な揺らぎなんてものはいらない。過去も現在も未来も、愛は等しく確かなんだから」


 だからね、とソルダは底の見えない淵から響くような声で続ける。


「『ゆらぎの神話』は、この僕が殺す」


 私は、答えを返せない。

 もはや選択肢は無い、『松明の騎士』たるソルダに本心を打ち明けられた以上、私は彼に協力する道を歩むしか無いのだろう。

 でも、そうして進んだ先に私の――私たちの未来があるようにはどうしても思えなかった。急に寒気を感じて身震いする。私はソルダの前で立ち尽くした。

 

 もしかして、ソルダ・アーニスタは。

 世界を滅ぼす火竜や世界を救う末妹より、ずっと恐ろしい存在なのでは――?

 私の問いに答えを示す言葉は無く。

 生や死、救いや破滅よりも畏怖すべき、私の知らない価値観の持ち主は、うっとりとした表情で未来を思い描き続けた。

 これからの戦いは、目の前に立ちはだかる敵とぶつかり合うだけでは無くなるだろう。その思いはますます深まっていく。


 正しさも、理想も、純粋さも、そうじゃない全ても。

 私はまだ、何も知らないままなのだ。

 永遠を凍らせた世界の中心で、私は惑い、祈ることにさえ怯えていた。

 私の心を占めていたのは、たったひとつの欲求だ。

 ハルベルトに、仲間たちに会いたい。それだけ。それが全て。

 それはきっと、質的にはソルダと大差が無い、ありふれた感情だった。




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