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幻想再帰のアリュージョニスト  作者: 最近
第4章 傷つけるのはハートだけ、口づけるのは頬にだけ
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終節:刃『Oedipus/Simplex』



 とても大切なことを忘れている気がして、旅に出ようと少年は思い立った。

 胸を締め付ける強迫観念。忘却から逃げ出さなければならない。だって、大切なことを忘れているだなんて無責任にもほどがある。正気ではとても耐えられない。


「だから行ってきます、父さん。先輩が言っていたあの島に行けば、俺は何かを掴める気がするんだ」


 頬肉の垂れたブルドッグの寝顔に静かに話しかける。大いびきをかく父はたったひとりで我が子を養うために夜遅くまで働き、疲れ果てて寝台に倒れ込んでいる。少年にとってこの家庭の安らぎは罪悪感の息苦しさでもあった。だから少年は逃げ出すのだ。幸福の中にいては、大切なことはわからないままだと心が叫んでいた。


 枕元に書き置きを残して、少年はわずかな名残惜しさと罪悪感を振り切って旅立とうとしていた。刃の視線が扉へと向かう。少年は戦いの決意を胸に出立する。深夜の家出、幼い道行き、行く手には濃い霧がかかっている。けれどこの旅を終えることができれば、少年は青年へと生まれ変われるだろう。


 暖かな犬小屋を出て、暗い星空を少年は歩む。眉目秀麗にしてすらりと長い手足は鋭く、艶やかな長い黒髪は冷たい夜風に流れて闇に溶けていた。

 ふと思い立って、長い髪を後頭部で括る。馬の尻尾のように垂れ下がる長髪の気配。しっくりとくる。これでいい。けれど、黒いゴムをどこで手に入れたのかは思い出せない。彼にはわからないことだらけだ。


 ――未熟者。


 これではまた、彼女に叱られてしまう。

 なにもわからない少年に、飼育委員で占い研究会でトップアイドルという謎めいた盲目の先輩は教えてくれた。死の女王島、その中に建てられた秘密の学院。そこには世界の忘れ物が隠されていると。

 先輩の予言は絶対だ。捜し物は島で見つかるだろう。

 だが同時に不安もある。彼女が残したもう一つの予言。それこそが彼に旅立ちを決意させた呪いでもある。


「まだ信じられません、先輩。俺が実の父を殺し、母を陵辱するようなあさましい怪物になってしまうだなんて」


 破滅の予言。宿命から逃れる方法を探すべく、少年は父の庇護を離れて遠い地に旅立つ。自分が何者かもわからない少年は、自分に優しさを向けてくれた者たちに親愛の念を抱いている。旅立つとは、その全てに背を向けるということだ。

 それでも少年は立ち止まらなかった。

 世界が暖かな朝を思い出すより先に、夜の冷たさを踏みしめて歩き出す。




 伸びた手指が刃を模せば、剣となって世界を切り裂く。

 剣詩舞の鮮やかさに舞台はひとときだけ呼吸を止めた。

 その鋭さはもはや時空を断ち切る魔剣の域。

 第四の壁を越え、観客席までもが凄絶な切れ味に息を飲む。

 全ての者が滑らかな手の甲を冴え冴えと煌めく白銀の刀身と確信した瞬間、閃光が万人の目を覆い尽くした。あとはただ舞い踊る刃の軌跡が世界に残るだけ。

 

 彼こそが王。

 新たなる我らが英雄。

 名も無き刃を宝剣と称える声は際限なく高まり、拍手喝采が巻き起こる。

 彼は外より来る風。颯爽と島に現れた強く美しい若者によって悪しき謎かけの魔獣は討伐された。

 主無き小さな共同体は救い手に縋る。

 もっと救いを。もっと希望を。

 舞い手は拍手と声援に応えなければならない。そうしなければ舞いが止まってしまうからだ。踊り続けるため、彼は王の役目を引き受けた。


 しかし光あるところには影が、繁栄には衰退が、栄光には凋落がつきまとう。美しき新王の秩序もまた破綻の足音を遠ざけることはできなかった。

 果たして、試練は醜悪な運命の形をとって訪れた。


「レイ様、新学院国王陛下! 暴れ教師です。暴れ教師が現れました!」


 土着の民族、まつろわぬ民、古き神々の眷属たち。

 旧来の強き権威が牙を剥き、民草の心を傷つけていく。

 そんな彼らを守るため、新たなる若き王は立ち上がった。楽団が勇壮な音楽を響かせ、少年たちが清らかな声を調和させていく。小鳥たちが森から飛び立つと、学院裏手の森に新世界への階梯が現れた。

 民衆が沸き立ち、期待を込めて叫ぶ。


「決闘だ! 心を巡る決闘が始まるぞ!」

 

 若き王、刃のごとき少年は舞い踊り、歌いながら天上へと駆け上がる。決戦の舞台は天使舞う宙の世界。裁定の巨剣が頭上で裁きの時を待つ中で、決闘者たちが踊り狂う。戦い、戦い、戦いの日々だった。王の決闘相手は次から次へと現れ、彼の試練は途切れることなく連なっていく。


「悪い子だ。お前のような子供は厳しくしつけてやらねばな。こっちに来い、口答えをするな!」


 生活指導の体育教師イアテムが竹刀を振り回す。ボート部とヨット部を全国制覇に導いた名コーチである彼は、生徒たちを導く真の教師であった。


「こんな、こんなにも細く柔らかく未成熟な身体つきでありながら、ここのものは既にこんなにも男ではないか。なんとはしたない、いやらしい、子供のくせに、本物の男ではないのに、我などは、ああなんと妬ましい!」


 あどけない美少年を本物の男へと鍛え直すため、これは必要な特訓なのだと教師は語る。口にすることもはばかられる行為は、ある時ついに終わりを迎えた。

 王の舞いが決闘場に風を起こしたのだ。

 百の乱舞が大気を回し、千の軌跡が光輝を惑わす。

 流麗な刃を直視した暴れ教師は、恍惚とした表情のまま心を奪われ天に召されていく。昇天する魂の下で、うつろな生身の首が王によって切断された。


「天職に巡り会えたし。ラクルラール学長の下で一生懸命に美少年たちを導くし」


 男子部初等クラスの新任女教師セージが涎を垂らして美少年を念写盗撮する。顔と経歴を自在に変えて逃走する最悪の変質者にして快楽殺人鬼は欲望のままに教師生活を満喫していた。


「美少年を犯して喰らって愛でたい気持ちに時代も国境も種族も関係ないし。エロスとタナトス、破滅的な少年愛は人類の普遍的欲求。美少年レイプ食殺だけが本物の人生、美少年を犯して喰い殺したことがない奴は本物の人間じゃないし!」


 いたいけな美少年を次々と殺し、奪い、勝ち取っていくセージ。旧来の常識で考えればこの上無く正しい行為は、王の治世下では許されぬ悪徳とされた。

 王の舞はかつてないほどに苛烈だった。激しい風がシルフたちをおののかせ、雄々しき嵐がフェーリムたちを怯えさせる。容赦のない裁き、死の斬撃が女教師を塵に変えた。王の剣は槍の秩序を認めない。ゆえに裁定は絶対であった。


「此度の演目は随分と強引だ。再演としての出来も悪い」


 外部からの敵は次々と襲来する。謎めいた島の調査に訪れた冒険家にして研究者グレンデルヒは顎に手を当てて静かに呟いた。


「古代において少年愛は美の世界への陶酔であり、耽美なる暴力であった。英雄が紅顔の少年をその毒牙にかけたとて、絵画や戯曲の中であれば咎める者もおるまい。私にとっても同じことだ。知恵の英雄である私の役割はさしずめ危険な家庭教師とでもいったところか」


 問答無用の斬首。宙を舞う英雄の顔が笑った。


「貴様の父親も過去に少年に性暴力をはたらいていたのかもしれんな。その忌まわしい宿業と呪いが父の招いた因果なら、貴様が怒りを抱くのは滑稽な必然だ」


「黙れっ」


 若き王は侮辱に更なる死の罰で応じる。手刀が遙か天上へと斬撃の言の葉を飛ばし、大剣を吊す糸を断ち切った。傲慢な男の頭部に落下した刃が不要な役者を退場させていく。彼に敵対する王国はこのようにして次々に滅んでいくのだ。

 勝利の歓声に包まれながらも、王は歯噛みしていた。彼にとって父は尊敬すべき対象だ。あの優しく不器用なブルドッグがそのような忌まわしい、口にすることすらはばかられる性的スキャンダルを抱えているはずがない。

 そのはずだ。それでも、呪いは王の胸に残った。


 突然、端から照明が落ちていく。舞台中央で王と敗者の亡骸だけが照らされると、不可思議な光の粒があたりに満ち始める。光の発生源は英雄の亡骸だった。卵の殻を破るように、内側から何か輝かしいものが誕生しようとしている。生命の気配にたじろぐ王。後ずさる間もなく何者かが飛び出してくる。反射的に受け止めようとするが、予想以上の重量と勢いに押されてそのまま倒れ込んでしまう。


「いったい何ごとだ、これは」


 衝撃から立ち直った王が自らの胸に乗ったものを見ると、それは黄砂色の長い髪を持った、それはそれは見事な少女人形だった。若き王は赤面した。少女は全裸だったのだ。呪脂塗装が剥離して石粉粘土の肌も露わな有様で、肩や脚の付け根の球体関節までもが剥き出しになってしまっている。王は低く唸ったかと思うと、


「は、破廉恥な」


 と言い残してがくりと気を失った。

 世界は失笑と共に暗転する。




「先程は不調法をいたしました。改めてご挨拶させて下さいませ。本日よりレイ様のお世話係を務めさせていただきます、舞踏科一年の渦巻羽クルミです。何卒よろしくお願い致します」


 新王こと無花果イチジクレイが学生寮の自室で目覚めると、侍女の姿をした少女人形が膝を折っていた。間違いない、敵として斬首した英雄グレンデルヒの中から出てきたあの破廉恥な女だ。レイは頬を薄く染めて言った。


「何故、貴様が」


「私はトロフィーです。英雄たる殿方が奪い、勝ち取るための価値ある財貨。侍らせるための女です」


「女子が男子部の敷地内に入ることは校則で禁止されている。さっさと帰れ」


「裁定の剣は既に貴方様の頭上にも存在します。王者に相応しい振る舞いをなさいませ。私はそのための道具、英雄の装身具なのです」


「俺は英雄などではない。この手で裁きを与えてきた連中もそうだ、英雄を名乗る連中などただの無法者に過ぎん」


 埒の明かない問答がしばらく続いた。クルミは王に仕えると言って聞かず、レイもまた侍女など不要と拒絶を続ける。侍女人形はあるべき英雄の姿を説き、若き王はあるべき秩序の形を示す。互いに歩み寄ることのない両者は会話をしているのではなく音をぶつけあっているだけだった。


「やー、目覚めて早々にこんな美少女に言い寄られるなんて、羨ましいねえ」


「馬鹿を言ってないでなんとかしろ。同室のお前にとっても迷惑だろうが、この女に居座られてもいいのか?」


 部屋の反対側、寝台に腰掛けた若い男が笑う。ひどく軽薄そうで、とても希薄な存在感の男は、制服を盛り上げる豊かな胸を強調しながら「ばいーん」などとふざけてみせた。


「まあまあレイちゃん、女の子同士、仲良くしよ?」


「殺すぞ。そのふざけた術を解除しろ、男に戻せ」


 いつの間にやら、ごく自然なことのようにレイもまた可憐な美少女へと変貌を遂げていた。ショートカットの女は悪戯っぽい表情で舌を出すと、次の瞬間にはレイ同様に線の細い男に変身する。幻影というよりは、夢から現に帰るような変化。


「はい元通り。ついでに女の子が怖いレイちゃんのために問題解決したよ。でも、メイド男子クルミくん、犯罪っぽくね?」


 言葉通り、部屋にいるのは男だけだ。

 侍女人形は、その形を美しい少年に変えていた。侍女の服装はそのままで、人形に備わっていたぞくりとするような艶めかしさ、精巧なつくりものとしての美はかえって倒錯的ないかがわしさを演出している。


「本人の同意なしに性別を変えるな。さっさと戻せ、トレミー」


 眉をひそめる王の言葉に肩を竦めてみせる、男とも女ともつかぬ奇妙なまじない使いトレミー。星読み、預言者、王付きの賢者を気取るこの若者は、王の同級生で親友を自称するルームメイトだ。

 

「お前がふざけた真似をするからこの女も困惑しているだろうが、反省しろ」


「殺し奪い勝ち取る。富も女も栄光も、敵の血肉すら我がものとするのが正しい英雄の作法です、おわかりですか、ご主人様?」


 誰がご主人様かと否定を返そうとしたレイは、クルミの視線が先ほどから一度もルームメイトに向けられていないことに気づく。それどころか先ほどのやりとりの一切を無視して話を進めようとしているのだった。


「無駄だよ。その人形には俺が見えていないし、見る気がない。見たくないことを選んでいるのだから、断絶を埋めることはできない」


 レイには、同時に語りかけてくる二人の言葉が理解できなかった。世界が揺らぐような、恐ろしい響きがする。


「お前が見ている虚ろな夢は、現が映すお前自身の瞳だよ」


 レイの瞳に映ったルームメイト。ただ独りの親友。

 誰だそれは。見たことも聴いたことも無い。

 いいやずっといたはずだ。『森』と第五階層が繋がった時から、イアテムの分身やセージの仮想使い魔やグレンデルヒの端末が探索しんりゃくに来るよりも早く、王と賢者は出会っていた。

 彼は、彼女はずっとそこにいた。

 王の瞳、その内側に。


「俺は肉の器を持った形じゃない。お前が泥であるように、俺は息吹なのだから」


 確かな形を持った侍女人形には見ることができない。

 魂無き器では捉えられない、曖昧な影。その髪は不自然な白に染め上げられ、瞳には星が煌めき、声はレイの耳にだけ響く。


「いい加減に諦めろってレイちゃん。この流れは変えられないんだ。俺らが自在に断ち切れるのはラクルラールの青い糸だけ。けどこの舞台を仕切ってるのはもうあの人形遣いじゃない。ここはおとなしくクルミと踊れ。やばくなったらいつも通りうまく運んでやるからさ」


「それで上手くいった試しは無いだろうが。だいたい、ここしばらく姿を見せなかった奴の言うことなど信用できん。何をしていたんだ今まで」


 レイの指摘に短く呻き、視線を逸らすトレミー。

 苦し紛れの言い訳を吐き出す。


「いやー、ちょっと久しぶりに実家の仔ライオンの成長ぶりを確認しに帰省をね。あとオトモダチのカーくんの顔が見たかったんさ」


「要するに遊んでいたんだろうが。だいたい貴様、クランテルトハランスの分際で俺より優先する対象があるとかおかしいだろうが、脳内妄想としての自覚を持て」


 苛立ちをぶつけるレイ、けらけらと笑うトレミー、それらを無いものとして扱うクルミ。事態は進行せず、ただ時計の針が周り、太陽と四つの月が巡りゆく。やがて若き王は侍女人形のいる日常を容認せざるをえなくなっていた。


「終わりの無い問答には飽き飽きだ」


 クルミも四六時中レイにつきまとってくるわけではない。彼女もまた学生であり、日中はレッスン、放課後も部活動で忙しい。問題は、舞踏科であり舞踏部である彼女とレイには接点があるということなのだが。


「まさかパ・ド・ドゥのレッスンをする時まで男子部の敷地から出て行け、なんて言いませんよね?」


「勝手にしろ」


 にこりと笑う侍女人形に、レイは額に皺を寄せて言い捨てた。

 そんなふうにして新しい日常が始まり、やがて退屈さに変わっていく。

 侍女人形は若き英雄を翻弄し、『男』の欠如を咎め、慇懃無礼になじってみせる。性別のあやふやな親友がそれを茶化し、うんざりした新王は無言で舞踏に没頭する。言葉を断ち切る彼の舞いは、しかし音などよりも雄弁だった。

 彼の英雄たる所以、王としての有り様を示すにはそれで足りた。風よりも鋭く、稲妻よりも激しい、剣の律動が民を魅了する。王国には精錬な秩序があった。純粋な法が恐るべき外部の敵と汚れた内部の敵を拒絶する。

 潔癖さの楽園。民は若き王を称えた。


「くっだらない」


 そんな王国を見て、小さく吐き捨てる侍女人形。

 けれどクルミは、繁栄していく世界の美しさを前に、小声で抵抗することしかできなかった。

 



 つんと鼻を刺激する、清浄なにおい。

 消毒液だ。レイは目を見開いた。

 けがれのない空気。寝台が並ぶ保健室に彼はいた。

 日常を過ごす中でも試練は途絶えない。

 度重なる敵との戦いで王は勝利を重ねていたが、蓄積した疲労はやがて彼に限界を教えたのだった。


「目覚めたようだな」


 低く通る声がかけられた。長く滑らかな黒髪、濃い色の肌をした白衣の男が寝台の脇に立っている。保険医のロウ・カーインだ。


「俺は、どのくらい寝ていた?」


「日が暮れるまでだ。疲れがたまっていたのだろう、寮に戻って休養をとるべきだな。一応、疲労回復の秘孔を刺激はしたが、しばらく舞いは控えたほうがいい」


 もっともな保険医の忠告に、レイは反発した。


「練習を一日でも欠かすことは表現者としての死に等しい。無茶を言うな」


「君は闇雲過ぎるな。休養と体調管理は万人に必要な技術だぞ。トロメリア、貴方からも何か言ってやってほしい」


「えー、レイちゃん頑固だからなー。まあいいじゃん、またぶっ倒れたらカーくんが治してくれるでしょ」


「貴方は私を何だと思って――」


 いつの間にかレイの真横で寝台に腰掛けていたトレミーとカーインは知り合いだったのか、両者の間に流れる雰囲気はどこか気安い。トレミーのいい加減な態度に手を焼いているふうなカーインに、レイはささやかな共感を覚える。


「ところで」


 カーインはふと表情を消すと、虚空に向けて無造作に手掌を突きだした。

 鋭い指先、貫手が『何か』を穿ち、衝撃が大気を走る。

 カーインはそのまま台詞を続けた。前学長直属の生徒会執行部メンバー、アイドルユニット『六王』がワールドツアーライブから帰ってくること、更なる試練が若き王に降りかかるであろうこと、恐るべき六王たちの逸話――そうした言葉は確かに劇中で流れていくのだが、レイはそれをどこか他人事のように感じている。


「演劇空間の経絡秘孔を突いた。一時的に浄界の掌握権限を乗っ取り、筋書きから逸脱した領域を作っている。ああ、我々の偽装人格に演技の代行をさせているからしばらくこちらに集中しても構わない」


「カーくんさあ、『経絡秘孔を突いた(キリッ)』って言えば何やってもいいと思ってるふしあるよね。先輩としてガバガバ設定の指導したいんだけど」


「先輩なのですから少し落ち着きを持って下さい。さて無花果レイ――いやこう呼ぼうか、『栄光の手』クレイ。君は状況をどのくらい把握している?」


 カーインの問いかけに、低い唸りが返された。

 クレイの反応は鈍い。鋭い視線はなまくらと化し、整えられているはずの呼吸も乱れている。トレミーが首を捻った。


「俺の加護が及んでいる以上、ラクルラールの青糸なんかに支配されることは無いはずなんよな。奴は前回の舞台で確かに敗れた。だからレイちゃんまでもが役割を強制されているのは、別の支配者が干渉しているからなんだけど」 


「やはりミヒトネッセに潜む盗賊王ゼド、あの無法者の英雄が黒幕なのか?」


「うーんわかんね。我らがマスターとも切り離されちったし状況も掴めんよ。つーかレオきゅんも正解を目指せるだけでまだ全知全能にはほど遠いからにゃー」


「呼び方――いやいい。どちらにせよ、アインノーラも共生者の保護で手一杯な以上、満足に動けるのは『主役』の中に宿る貴方しかいない。そして君もだクレイ」


 カーインはクレイの虚ろな瞳を覗き込んだ。

 来歴の不確かな、放浪する王子。『死人の森』を巡る戦いの運命は、その王権を司る若者に収斂しようとしている。


「見たところ君の技術は卓越しているようだが、未だに足りていないのは役と舞台に対する理解だ。台本をなぞるだけでは操り人形と変わらない。その視座で事態を暴き、己が解釈で舞台をものにしろ。トロメリアと共に敵を見つけるんだ」


 言葉と同時にカーインの指先がクレイの眉間、こめかみ、顎下を刺激していく。

 呆然とするクレイは一切の言葉が聞こえないかのようだったが、指先によって与えられた刺激によって小刻みに震え、短く吐息を吐いていった。


「深層意識に情報を刻んだが、この処置で足りるかどうか。敵の支配力が私の技術を上回ればこの行為は全て無駄に終わる」


「そん時はそん時でまた頑張るからいーよ。カーくんおつかれー」


 緊張感の無い声にカーインはなんとも言いがたい表情となるが、短く息を吐くと顔を上げて舞台袖に視線を向けた。端役でしかない彼の出番はじきに終わる。


「これで私の存在はしばらく空白になる。しばらく舞台裏を探ります。あとを頼みます、トロメリア」


「おー、なんか判明したら上手いこと連絡ちょうだい」


 そうして、舞台と並行して演じられた一幕が終わる。

 クレイはレイという役割に戻り、心の奥底に刻まれた言葉は浮上することなく、次なる舞台にシーンが切り替わっていく。

 虚ろな学院生活、行き先を知らぬ青年の自分探し、夢見る少女の期待、青春という名の青い闇。絶海の孤島には、常に嵐が吹き荒れていた。





 ばちんと音がして、スポットライトの下に現れる騎士とまじない使いの丸っこい人形。紅紫の少女人形トウコが声色を使って二役を演じていく。


「ベルグくんと!」「ガルラくんの!」「悪いがこの空間を遣わせて貰うぞ、そらどけ発勁用意だ死ね人形使い」


 突如として乱入した俺に蹴り飛ばされたトウコが人形たち共々舞台袖に転がっていく。「うわーん」という泣き声を無視して、ぞろぞろとやってくる俺ことシナモリアキラの団体。『マレブランケ』のメンバーを中心とした、多彩な顔ぶれが一堂に会していた。


「これより、シナモリアキラ脳内会議を始める」


 正式な劇中ではなく、幕間劇という舞台外の舞台だからこそ可能になった空間の乗っ取り。即席の会議室で、俺たちは情報交換を始めた。


「理解不能ですよもう。吸血鬼にボコられた俺の身体は? ていうか現実って何みたいな。劇とか舞台とかここ最近は足場ぐらぐらで目が回りっぱなしで」


 真っ先に銃士(カルカブリーナ)が悲鳴を上げた。背や腰に差した大量の弩弓や火器の多くは破損し、トレードマークのゴーグルも血に汚れている。常人に近い彼の感性でこの出鱈目な状況に耐えるのは難しいようだった。


「無理そうなら早めにトリシューラに申告することだ。シナモリアキラはやめてもいいんだからな」


 離脱するシナモリアキラもいる。それでいいとトリシューラは言っていたし、俺もそうあるべきだと思う。交換可能であるというのはそういうことだ。実際、狆くしゃ(カニャッツォ)はそうして辞めていったと聞いている。

 とはいえ、状況に対処するために最低限必要な人材はいる。

 不本意なことだが、今のところ最も頼りになるグレンデルヒは逆さまの道化姿、道化(アルレッキーノ)として宙に浮きながら思案顔だった。


「銃士の役割はもう無いと見ていい。その男が父と慕うバル・ア・ムントもこの舞台に取り込まれていたのは、『父と子』の関係性に導線を引くためだろう。しかしその流れは『コズエ』がラクルラールに銃弾を撃ち込んだことで潰された」


 すらりとした長身の蠍尾(マラコーダ)がそれを受けて頷く。


「カルカブリーナも人形劇の為に用意された駒ってこと。これは私も、そして他のマレブランケたちも同じ。そういう宿命に引き寄せられているの」


「僕たちの敵はまるで運命を司る神のようです。実際、第七階梯ネフィリム第八階梯エピック、紀神に準ずるだけの権能を有しているのでしょうけれど」


 眼鏡の小柄な少年が発言すると、お前いたのか、という顔のシナモリアキラたちに一斉に注目された。中傷者(ファルファレロ)はショックを受けた表情で「もしや忘れられてましたか僕」と叫ぶが誰も答えを返さなかった。


「だが気まぐれと偶然の紀神アエルガ=ミクニーですらこの世の全てを思うがままに動かせるわけではない。だからこそ神話の戦いが成立する。紀神に対抗する手段とて無いわけではないのだからな」


 厳かに言うのはルバーブの名に乱髪(スカルミリオーネ)の号を重ねた大柄な男だった。球神ドルネスタンルフの霊媒でもある彼にとって、紀神の力は決して扱いきれないものではない。グレンデルヒが言葉を繋ぐ。


「ここにいるシナモリアキラの構成要素は曲がりなりにも紀人とその眷属たちだ。その運命にここまで強烈に干渉できるとすれば、最悪の可能性を考えねばならん。第九階梯、紀神級の存在が最低でも二柱以上この第五階層に干渉し、我々紀人を駒として操っているのだ」


 常人寄りのメンバーたちが思わず息を飲み、総体としての俺もまた戦慄していた。恐がりの牙猪(チリアット)など頭を抱えてぶるぶる震えている。恐れなどのマイナス感情を引き受けてくれる彼の弱さはわりと重宝しているので、このまま怯え役を担当してもらう。


「どうも盤面を操ってる奴もプレイヤーもよくわからないんだよな。さっきの覗き見で、カーインの奴がクレイを通じて何かを探ってるっぽいのはわかったんだが、アイツもアイツで状況掴めてなさそうなんだよな」


 何かと怪しい奴ではあるが、今回の件では俺と同じように翻弄される側らしい。

 つまり、敵はラクルラールでも『下』側の勢力でも無いということなのか?

 他のメンバーに視線を向けるも、決定的な情報を掴んだ者はいないようだ。

 一番状況を俯瞰できているらしいグレンデルヒが口を開く。


「舞台のそこかしこに『上』と『下』の覗き屋どもがいるのに気づいていたか? 貴様がご執心のあの偏在する『店員役』、九英雄をまとめて相手にできる怪物が学院の購買でのんびり観劇しているのは何故だと思う? 地獄の最大戦力の一角である奴すら手出しできんからだ。紀神同士の激突は、ともすれば世界の均衡を揺るがしかねん。明日から世界全てが劇場と化していてもおかしくはない」


「おお、ブレイスヴァ! 破滅はいまや目前に!」


 髭大夫(バルバリッチャ)の号を持つオルヴァは老人の相で絶望を叫んでいた。彼には未来が見えてしまっているのだろうが、それを口にすればシナモリアキラ全体の破滅が確定しかねないのであえて何かを訊ねることはしない。なんて役に立たない未来予知者だろうか。


「紀人の次は紀神と、話が順当に大きくなってきたな。それにしても、店員さんが九英雄をまとめて? それは実体験か、グレンデルヒ」


「カッサリオの力は知っていよう。地獄の天主が動かんのは冬の魔女との決戦に備えて力を温存しているからというのもあるだろうがな」


「そこ、いまひとつ確信が持てないんだよ。店員さんがヤバめなのは俺が無意味に好意的な時点で明らかなんだが、まんま地獄の総大将でいいのか?」


「さてな。貴様が確信できないというのなら、私も貴様の認識を越えられん。確かなのは、現在の脅威は別にいるということだけだ」


 カーインにしろ店員さんにしろ今回は事態の中心にはいない、脇役でしかない。

 これは『死人の森』を巡る物語で、黒幕もその関係者であるはずだ。

 蠍尾(マラコーダ)に視線を向けるが、肩を竦めて首を振るばかり。

 そう、この妖精王の末裔もダミーだ。

 ノイズ情報が多すぎて、真実に辿り着く事が困難になっている。


「運命の操り糸を手繰るラクルラールやら生と死を司る『死人の森の女王』に加えて、紀神の疑いがある怪物なんてどこにいるんだ?」


「わかっているだろうが。あの薄汚い盗賊、ゼドだ」


 グレンデルヒの表情は口にするのも忌まわしいと言わんばかりだった。

 しかし、ゼドか。あいつが紀神だ紀人だと言われても、何かしっくりこない。

 確かに、『死人の森』に隠された神秘を狙う探索者ではあるのだろうが、あくまでもそれはグレンデルヒと同じ立ち位置でしかなかったはず。

 うっすらと舐めているのがばれたのか、鋭い眼光が飛んでくる。

 咳払いをして、道化師が続けた。


「思い返せば九英雄の中でも奴とユガーシャだけは異質だった。かつて第三階層で行われた大魔将戦、冬の魔女を除いた英雄すべてが参戦したあの戦いで、賢天主の使い魔はありとあらゆる魂と世界観を徹底的に破壊した。私の魂と肉体、ちょうどシナモリアキラにとっての『火車』に相当するグレンデルヒ本体すらあらがうことは不可能だったのだ」


「お前の生身、死んでたのか」


「紀人でなければここにいないところだ。いずれにせよ大魔将は破格だ。第七階梯きょじんであったエジーメ・クロウサーの小娘や不死の妖精王でさえ滅び去ったあの戦いで、盗賊王と吟遊詩人だけが無事に生き残った。後方支援だったから、逃げ回るのが得意だからなどとぬかしていたが、真実は違う。奴らは恐らく私と同等か、あるいは」


 グレンデルヒはその先を口にしなかった。彼は自らを強者と規定している。自傷行為をする意味は無いし、こうしている今も半信半疑なのだろう。グレンデルヒとゼドは相対して戦ったこともあるという。その実感と想定されるゼドの格が噛み合わないというのも気に掛かる。


「紀人、新しき神といってもその力量や性質は様々だ。巨人に劣る権能しか持たない限定的な存在や、特定分野にのみ強力な影響力を行使できる存在、紀神クラスの存在承認を得た強力な神格もいる」


 ルバーブの指摘に、マラコーダが頷いた。


「自分の眷属種や王国を持ち、一定以上の繁栄を勝ち得た紀人などがそうね。虹の紀人レメスとその眷属である虹犬ヴァルレメスや、美の紀人ミエス・リヴァとその眷属である北辺帝国の半妖精アヴロノなら貴方も良く知ってるでしょ?」


 虹犬の知り合いたち、そして忘れがたい修道騎士キロンのことを思い出す。そうした準紀神とか紀神候補とか呼べそうな強大な紀人が、ゼドの正体なのだろうか? それとも、ゼドの特性が神々と互するほどの神秘を宿しているのか?


「宿命、神、劇、父と子。魔女たちが女神の座を巡って争うって話が妙な方角に向かっているな。つまりこれは、トリシューラやコルセスカとどう繋がるんだ? ラクルラールと人形たちは? 森と六王はどうなった? ゼドは誰なんだ? クレイはそもそも何だ? これらの疑問に理解可能な回答は用意されているのか?」


 俺の問いに答える意思があった。

 舞台袖を見ると、小さな人形を抱きかかえた女が立っている。

 トウコ――いや、既に役割からは脱しているからアレッテか。

 敵の内部情報を聞き出したい所だが、そもそもこいつにはどの程度の自由意志があるのだろう? こんな幕間劇の空間を作り出せる時点で一定の支配権を確立できているはずなのだが、無気力な振る舞いに終始しているのは何故だ?

 これまでの舞台でのアレッテの沈黙はひどく不気味だ。

 かわりにミヒトネッセばかりが目立っているように見える。


「私も話し合いに混ぜて貰ってもいい? その権利はあるはずよ、敗北し、シナモリアキラに取り込まれたこのアマランサスには」


 どうやらここにいるのは単純にアレッテというわけではないらしい。アレッテ・イヴニルとアマランサスの関係も少々わかりづらいが、要するにこいつはあれだ。


「アマランサス、お前はどうも俺たちに近い存在だな?」


「ええ。かつて滅びようとしていたトリシルシリーズの失敗作アマランサスは、アレッテ・イヴニルの中に取り込まれたの。シナモリアキラがマレブランケや六王を取り込んでいったようにね。レッテにはその為の機能が備わっていた」


 マラードと合一し、アルトの名を奪ったのもその機能によるものだろう。俺がマレブランケを内包する機能を有していたことから、同じ『星見の塔』の技術と考えると納得が行く。


「レッテにとってのマレブランケ、冗長性、代用パーツ。それがアマランサス。だから私は、常に私でもある」


 その姿、気配が一瞬にして変質する。

 紅紫の長すぎる髪、呪わしくも大きく美しい瞳、艶めかしい人形の質感。つくりものとしての色香を漂わせながら、気だるげな女が目の前に立っていた。


「アルト、いや、アレッテか?」


「どちらでもお好きなように。名前なんて適当でいいわ」


 俺たちが注視する中で、アレッテは紅紫の瞳をまっすぐにこちらに向けてはっきりと口にした。


「既にこの舞台は私たちラクルラール派のコントロールを受け付けていない。恥を忍んでお願いするわ。私たちと協力してこの浄界の主と戦って。このままではミヒトネッセが潰されてしまう」


 仇敵と見定めていたはずの相手から差し伸べられた手。

 懇願に近い言葉が罠で無い保証は無い。

 邪視者の瞳には現実を変える力が宿るというが、それが幻ということだってあるだろう。人形姫のまなざしは真剣だが、俺はその真贋を判定できない。

 かわりに、問いを投げかけた。


「敗者となって役割の縛りから解放されたアレッテ・イヴニルの片割れ。お前は何を知っている?」


「敵の正体を。誰と誰が戦っているのかを。前回の舞台で勝利したのが誰なのかを知っているわ」


 女の顔が世にも美しい男のものに変わっていく。ルバーブが息を飲み、俺が手を伸ばして激昂を制する。目の前で鮮やかなグラデーションのかかった長髪が踊る。そこにいたのは美の化身、マラードだった。


「古今東西、駒を奪い合う盤上遊戯には様々な種類がある。俺たち六王の間で一時期流行っていたのが、『捕食者』と呼ばれるものだ」


 アレッテと合一した彼の意思はいま人形姫とひとつだ。その言葉は彼女の代弁でしかない。そうと分かっていても、ルバーブが感情を抑えるのは困難を極めた。

 マラードの顔をした人形は忠臣に目を向けることなく言葉を続ける。


「この遊戯を特徴付けるルールはシンプルだ。相手の駒を奪うと、その動きを奪える。つまりは敵の捕食。権能を取り込む略奪の遊戯というわけだ」


 言うまでも無く、六王を取り込んでいく俺とアレッテのことを示唆しているのだろう。駒の数が減るにつれ、盤上にはより多くの動きを取り込んだ強い駒が残る。弱者が淘汰された戦場に残された少数のクイーンたち。空間を制圧する女王たちが睨み合うゲーム盤は、広大に見えてひどく狭い、膠着したものになるだろう。

 これまでの戦いが六王という強力な駒を奪い合う『死人の森』争奪戦だとするなら、断章は思っていたほど重要な要素ではないのか?


「シナモリアキラとアレッテ・イヴニル、そして恐らくクレイが勝利条件に繋がる駒だ。一定数の生け贄を食らうことで駒は昇格する。魔女が使い魔を育成、強化するようにな。解説はこれくらいで十分だろう」


 こちらが情報を検証するのも待たず、人形は結論を急ごうとしていた。

 幕間劇の時間を強引に延長するのもそろそろ限界なのだ。これ以上は不審がられて最悪こちらの偽装を暴かれる。同盟を締結するならするで、決断するべきだ。


「このままでは私も危ういが、祭壇の準備程度の小競り合いでこれ以上我が軍を失うわけにはいかない。揺りかごの準備にかまけて出産予定日を忘れる愚か者はいないだろう? だから私の方にも余力は無い」


 アレッテには掌握したラフディと竜王国の騎士団を投入するつもりがない。この戦いはあくまでも前座で、本命はあくまでもこの第五階層を掌握した後の戦場のようだ。こいつらが待ち望むトライデントの『心臓』はそれほど重要なわけだ。


「私の命数のうち半分、アマランサスの力を委ねる。虹犬の抜け番を埋めておけ」


 トリシューラ不在の今、俺たちの決断は合議によってなされる。瞬間的な脳内会話の後に下された結論は、


「いいだろう、サイバーカラテ道場の門戸は万人に開かれている」


 アレッテの一部、アマランサスをシナモリアキラに正式に組み入れる。決断のあとはスムーズに事が進む。アレッテから分離したエネルギーのようなものが俺の中に吸い込まれて終わりだ。

 この場での用は済んだと舞台袖に去って行こうとするアレッテを、ルバーブが鋭く呼び止める。


「待て。貴様をこのまま見逃すわけにはいかん」


「私はね」


 振り返った人形の顔が、ふたたび女のものになっていた。

 気怠げな表情が、ルバーブに対してだけは憎々しげなものに変わる。


「勝ち負けなんてどうでもいいのよ。だって本当に欲しければ負けてたって手放さないもの。貴方がこの身を砕いても、絶対に彼は手放さない。下らない駒としての機能でもね、これだけはありがたいと思っているのよ、私」


 はっきりとした敵意をぶつけて、アレッテは去って行く。

 ルバーブは手を出さなかった。いや、出せなかったのか。

 同盟締結に反対票を投じた彼だが、状況を打破するためにはラクルラール派の力であっても使うべきだと頭では理解できているのだ。

 それに、紀人同士の戦いでどうすればアレッテだけを打ち負かせるのか、マラードのみを引きはがせるのかという算段がついていない。

 今の俺たちには、決定打が足りていなかった。

 強引にこの手を引いて世界を掻き回す、魔女の力が。


「そうそう、盗賊王の正体について、私の見解を述べておくわ。あれ、多分だけど松明の騎士の同類だと思う」


 最後に、闇の中に消えかけたアレッテが忠告するように言い残していった。

 その言葉に最も大きな反応を見せたのはグレンデルヒだ。

 傲岸不遜な万能者の逆さまの顔から、一筋の冷や汗が垂れ落ちていた。 

 俺もまた思考が凍り付くのを感じていた。松明の騎士、だって?


「忌々しい槍の英雄ども。放浪する無法者の系譜。もうひとつの七十一断片」


 それは今までに聞いた事も無い単語だった。

 だが俺はそれを知っている。

 いずれぶつかることになる真の敵の存在をずっと意識していたのだ。


「生まれついての種族に加えて、槍神の加護を重ねて受けた、再生者と同じ多重眷族種。槍の欠片に影響され、英雄となる運命を与えられた転生者。私たち魔女は、彼らをこう呼んでいる――『エアル=セイスの槍の民』と」


 俺の予感はいまや運命をはっきりと理解した。シナモリアキラの種族としての宿業、恐らく遙か未来に渡って繰り広げられるであろう長い闘争の未来を直観した。紀人化したシナモリアキラの敵は、同じく巨大な何かの総体でしかありえない。

 槍の民。俺たちシナモリアキラは、この種族と未来永劫に渡って憎み合い、殺し合うだろう。野生動物が天敵を嗅ぎ分けるように、紀人の感覚がそう叫んでいる。

 理屈に先行する確信を得る中で、オルヴァが高らかに破滅を称えていた。





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