第13話「“ここにいる自分”の方が自然だった」
日高 恒一は、会社のトイレで鏡を見ていた。
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スーツ。
疲れた顔。
少し伸びた髪。
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特別おかしいわけではない。
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でも、どこか“借り物”みたいに見えた。
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(こんな顔だったっけ)
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水を出す。
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冷たい音。
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その現実感が少しだけ遠い。
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最近、会社にいる時間の方が短く感じる。
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正確には違う。
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“感情が動いていない”。
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時間だけが流れていく。
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会議。
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資料。
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指示。
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全部こなしている。
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でも中身がない。
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田辺が声をかける。
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「日高、今日どうする?」
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もう説明はいらない。
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「行きます」
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反射で答えている。
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田辺は笑う。
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「即答じゃん」
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日高も少し笑う。
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その笑いが自然だった。
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会社で笑う時より自然だった。
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夜。
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エレベーター。
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もう考えない。
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ただ上がる。
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扉が開く。
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音。
光。
人。
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その空気に入った瞬間、
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少しだけ呼吸が楽になる。
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(ああ)
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そう思ってしまう。
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(戻ってきた)
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その感覚に、自分で驚く。
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“戻る”?
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ここは本来、日常ではないはずだ。
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なのに。
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真白が近づく。
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「こんばんは」
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その声を聞いた瞬間、
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肩の力が抜ける。
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日高も返す。
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「こんばんは」
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真白は少しだけ笑う。
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「今日疲れてる?」
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「そんな顔してます?」
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「ちょっとだけ」
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その言葉に少し安心してしまう。
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会社では誰も気づかない。
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誰も聞かない。
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でもここでは、
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少しの変化を見ている人がいる。
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その違いが大きかった。
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奥の席。
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美玲が煙草を吸っている。
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こちらを見て言う。
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「顔変わったね」
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日高は少しだけ固まる。
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「悪い意味ですか」
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美玲は少し笑う。
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「いや」
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「“こっちの顔”になってきた」
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その言葉が胸に残る。
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“こっち”。
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もう何度も聞いた言葉。
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なのに最近、
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否定できなくなってきている。
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席に座る。
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笑い声。
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近い距離。
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ゆるい会話。
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その空気の中にいる自分が、
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一番自然に感じる。
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そして気づく。
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(会社にいる時より、“自分”っぽい)
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その感覚は危険だと分かる。
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でも同時に、
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少しだけ嬉しい。
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帰り道。
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夜風。
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ネオン。
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電車を待ちながら、
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ふとスマホを見る。
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通知はない。
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なのに孤独じゃない。
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以前の自分なら、
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それを“救い”だと思った。
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でも今は違う。
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(ここがないと、ちょっとキツいかもな)
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その考えが自然に出てきた瞬間、
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日高は少しだけ目を閉じる。
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どこから壊れ始めたのか。
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もう分からなかった。
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第13話 終




