第1話「仕事終わりの帰り道は、いつも同じはずだった」
夜の駅は、毎日同じ匂いがした。
酒。
汗。
コンビニの揚げ物。
それらが混ざった空気を吸い込みながら、日高 恒一は改札を抜ける。
時計は22時47分。
残業としては特別遅いわけではない。
だが、体は重かった。
---
「お疲れー」
背後から聞こえる声。
振り返らなくても分かる。
田辺だった。
---
「……お疲れ様です」
日高が軽く頭を下げると、田辺は缶コーヒーを片手に笑った。
35歳。
独身。
彼女なし。
貯金なし。
なのに、なぜかいつも楽しそうな男だった。
---
「今日どうする? 行く?」
“行く”の意味は一つしかない。
パチンコだ。
---
「いや……どうしようかな」
そう言いながらも、断る空気ではない。
というより、断った後に何をするのか自分でも分からなかった。
帰宅して、動画を見て、寝る。
その繰り返し。
---
「行きましょうよ」
今度は平岡が来る。
28歳。
資格持ち。
強引。
妙に自信家。
そしてギャンブル好き。
---
「今日は取り返せる気がするんですよ」
平岡は毎回そう言う。
そして大抵負ける。
だが次の日にはまた同じことを言う。
---
「まぁ平岡は一生言ってるからな」
後ろから岡本が歩いてきた。
42歳。
腹が少し出ている。
資格なし。
見栄っ張り。
昔はモテたらしいが、本当かどうかは誰も知らない。
---
「お前ら若いんだから、もっと夢持てよ」
岡本はよくそんなことを言う。
だがその直後に、数千円単位でパチンコに金を入れる。
日高はその姿を見るたびに、妙に不安になる。
---
駅前のネオン。
いつもの道。
いつもの流れ。
気づけば日高も、自然とパチンコ店の方向へ歩いていた。
---
「十五は?」
日高が聞く。
---
「あいつはまた断り」
田辺が笑う。
「資格の勉強だってさ」
---
平岡が鼻で笑う。
「真面目だよなぁ」
---
岡本は肩をすくめる。
「若いうちしか遊べねぇのにな」
---
だが日高は少しだけ考える。
十五は同期だった。
同じ時期に入社して、同じ仕事を覚えた。
なのに少しずつ差が開いている。
---
十五には彼女がいる。
資格も取った。
最近は後輩指導まで任されている。
---
一方の日高は。
仕事が終わればパチンコ。
休日は寝るだけ。
通帳の残高は増えない。
恋愛経験もない。
---
(なんか、差ついたな)
---
ふと、そんなことを思ってしまう。
---
パチンコ店に入る。
騒音。
光。
タバコの匂い。
もう慣れているはずなのに、今日は少しうるさく感じた。
---
田辺は真っ先に台へ向かう。
平岡はデータを見ている。
岡本は常連らしき客と話していた。
---
日高も席に座る。
千円札を入れる。
画面が光る。
演出。
ハズレ。
また千円。
---
時間が消えていく。
---
二時間後。
日高の財布には、ほとんど金が残っていなかった。
---
「うわぁ……」
田辺が頭を抱える。
「今日ダメだわ」
---
平岡はまだ粘っている。
岡本は無駄に余裕ぶっていた。
---
「まぁこういう日もあるって」
岡本は笑う。
だが、その笑顔の奥に疲れが見える。
---
日高は椅子にもたれた。
ふと思う。
---
(俺、何してるんだろ)
---
24歳。
まだ若いと言われる年齢。
でも最近、毎日が同じだった。
---
朝起きる。
仕事へ行く。
怒られる。
疲れる。
パチンコ。
帰宅。
寝る。
---
その繰り返し。
---
昔は「そのうち何かある」と思っていた。
彼女とか。
趣味とか。
人生が変わるきっかけとか。
---
でも最近は分かる。
何もしない人間には、何も起きない。
---
「帰るかー」
田辺が立ち上がる。
時刻は23時半を過ぎていた。
---
店を出る。
夜風が少し冷たい。
---
コンビニ前で、四人は立ち止まった。
田辺が煙草を吸う。
平岡はスマホを見ている。
岡本は缶コーヒーを飲んでいた。
---
その時だった。
---
「お前ら、また行ってたのか」
---
低い声。
全員が振り向く。
---
富島だった。
63歳。
会社のベテラン。
資格持ち。
昔は相当ギャンブルにハマっていたらしい。
---
「富島さん」
田辺が苦笑いする。
---
「若いうちから金捨ててんなぁ」
富島は笑う。
だが責める感じではない。
どこか、昔の自分を見ているような目だった。
---
「いやぁ、でも趣味ないですし」
田辺が言う。
---
富島は少し黙る。
そして日高を見る。
---
「お前、まだ若いんだから、別の世界見とけ」
---
「別の世界?」
---
「そうだよ」
富島は缶コーヒーを開けながら続ける。
---
「同じことばっかやってると、人間そのまま止まるぞ」
---
その言葉が、妙に残った。
---
田辺が笑う。
「富島さんみたいにですか?」
---
富島も笑う。
「まぁ半分そうだな」
---
だが次の瞬間。
富島の表情が少しだけ真面目になった。
---
「でもな」
---
「止まったまま年取ると、戻すのキツいぞ」
---
夜風が吹く。
誰もすぐには返事をしなかった。
---
平岡が空気を変えるように笑う。
「まぁまだ24ですから」
---
岡本も頷く。
「若いうちは遊ばないとな」
---
富島は何も言わなかった。
ただ、小さく笑っただけだった。
---
帰り道。
日高は一人になる。
駅前のネオンが滲んで見える。
---
ポケットの財布は軽い。
スマホに通知はない。
部屋へ帰っても、誰もいない。
---
なのに。
なぜか今日の富島の言葉だけが残っていた。
---
> 「別の世界見とけ」
---
(別の世界って何だよ)
---
日高は苦笑する。
どうせ自分には関係ない。
そう思う。
---
だがその時。
スマホが震えた。
---
田辺からだった。
---
> 「日高、今度面白いとこ連れてくわ」
---
その一文だけ。
---
日高は少しだけ眉をひそめる。
---
だが、この時はまだ知らなかった。
---
その“面白い場所”が、
自分の人生を壊して、
そして選び直させる場所になることを。




