麦の房
ウェスティン侯爵はすぐに馬車を出しヨハンナを迎えに行かせた。会場の中の貴族には娘や親類の子をオーランドの妻の座にと狙っている者も居た、先手を打ちヨハンナの身の安全を確保しなければいけない事と、この知らせを早く伝えなければいけないという意味もあり王家に仕える魔法師が一人付き迎えの馬車は走り出した。戴冠式の会場は別の祭場になるので皆そちらに動き出した。カリンはその波に乗らず主巫女の側に立っていた。
「忘れていたことって、こんな大事なだったんですねぇ。」
「ええ。お二人ともお気持ちはお互い同じなのに侯爵令嬢の母親の事で踏み込めないていたのです。ですが、ヨハンナ嬢は熱心な信者でオーランド殿下は民を思い兄君を支える良き王弟。ならばこの際主神自ら恩赦のような形で祝福されたらということになりました。」
「素敵です。お二人ともとてもお似合いなのに、残念に思っていましたから。私も嬉しいです。」
「そうか、それなら良かった。少なくとも、一人は二人を祝福してくれる者がいるのだな。今回はファンテーヌの時の様に身分差というわけではないからどうなるかと思ったが、お前が味方ならば上手く運ぶだろう。さて、ではいよいよ帰るか。」
「お帰りになるのですね、寂しゅうございます。またお会いできるのでしょうか・・・。
」
「さぁ、それはなんとも言えんな。しかし、お前には以前と違った意味でルディがいる。そう思えば私も、ハプトマンに仕える者達も安心できる。お前はとにかく身体を大事にし元気な赤ん坊を産んでくれ、あとは何も憂うな。」
「・・・はい。ありがとうございます。」
「では、帰ろうか。」
「はい。カリン、健やかにお過ごし下さい。」
そう言うと二人は風が吹くかの様に姿が掻き消された。その後に残されたのは一房の麦の穂、カリンはそれをそっと手に取り戴冠式の会場へと向かった。一方、それと時を同じくしてオルボアの町に鐘の音が鳴り響いていた。
「まだ定刻じゃないのに、しかも祝いの鐘なんて戴冠式も終わってないだろうに誰のイタズラかしら。」
慌てて教会の表に出るヨハンナが見たのは無人で鳴り響く鐘の姿であった。
「・・・どういうこと・・・?」
そこへ丁度迎えの馬車と、鐘の音を聞きつけて来たイェンナが現れた。
「ヨハンナ様、これは一体何事?」
「ああ、イェンナさん。私にもさっぱり・・・あら?実家の馬車だわ何事かしら。」
実家の馬車には違いないが、降りて来た人物に見覚えはなかった。しかも、魔法師の正装を着ている。
「初めましてヨハンナ・ベル様。私は王室魔法師です、この度は火急でありますが王室とお父上の命により貴女様をお迎えに上がりました。」
「え!王室⁉︎」
「はい、恐れ入りますが説明は馬車の中でいたしますのでこのまま私と共に王宮まで起こし願えますか?」
「え、でも・・・」
「ヨハンナ様、教会は私に任せて。子ども達の世話もしとくから、早く馬車に乗って!もしかしたらお父様に何かあったのかもしれないわ、急いだ方がいい。」
そう諭されて着の身着のまま馬車に飛び乗った。鐘はまだ鳴り止まなかった。その頃カリンは戴冠式会場の上階にある一つの部屋を訪ねていた。
「お疲れ様、ルディ入ってもいい?」
魔法師の正装に身を包んだルディが片手を上げ呼び寄せる。カリンは既に用意されていたルディの隣のソファに腰掛けた。ルディは机の上に置いてある地図の様なものから目を離さずに声をかける。
「ごめん、今仕事中だから目が離せないんだ。これ、会場の見取り図だよ。見てごらん人の数だけ色が着いて光ってるだろう?この中でオレンジが肯定的な人、青は反王太子派でちょっと注意が必要。で、赤いのが要注意人物。ハーヴェイ様はもう帰られた?」
「ええ、この麦の穂を一つ残して。」
「麦の穂か、オーランド殿下への祝福だな。全くあの場で高らかに宣言されたから、この赤い点が急に増えちゃってこっちは大変だよ。」
「どういうこと?」
「つまり侯爵と王室が即、心配した通りヨハンナ嬢とオーランド殿下の縁談を快くない人間が前面に出ちゃってるんだよ。戴冠式自体には直接影響ない話だけど、さてねぇ・・・アルベリヒ様はお世継ぎ問題をクリアしているけど王弟殿下の花嫁の座はそれなりに魅力的だからね。その座を狙う貴族は多かったんだよ、だから正式に話が決まる前にヨハンナ嬢をどうにかしようと画策する輩がもう動き出してるってことなんだけど。参ったなぁ、迎えの使者には腕の立つ魔法師が選ばれてるはずなんだけど、僕達はこっちで手一杯だから彼女の警護まで手が回らない。」
ハーヴェイが宣言した時点でヨハンナ・ベルの王室入りは実質決まった様なものだった、しかし神の宣言を侵してまで彼女の王室入りを止めたい貴族が何人いるのだろう。カリンはオルボアの地で穏やかに教師生活を送るヨハンナを思った。
「私・・・」
「駄目だよっ!」
「まだなんにも言ってないっ」
プッと膨れるカリンの気配に少し柔らいだ声でルディが答える。
「そうだね、ごめん。でも、言いたかったのはこうだろう?ヨハンナ様が心配だから側に居たいって、違う?」
「うー、そうだけど。」
それまで見取り図に釘付けだった視線を体ごとくるりとカリンに向き直り、魔法師の虹彩の瞳から自然な瞳に戻ると真剣な表情で話す。
「こういったらなんだけど、僕にとっては君が一番大事なんだよ?いまその身重の身体で君にもしものことがあったら僕は何をしでかすかわからない。」
金の瞳が憂いを帯びている、自分はまた大事な人を傷つけてしまった・・・。カリンは自分の今の立場を軽い気持ちで思いついた事を深く反省した。




