記憶
最近夢見が悪い。
どんな夢を見てるの? と聞かれても、残念なことに答えられない。
なぜなら、朝起きると全部忘れているから。
でも、私の見ている悪夢が前世の記憶であることだけは確かだ。
夢の内容全然覚えてないけど、朝起きた時にいつも自分の手を見て違和感を覚えるのだ。
「あれ? 私の手ってこんな小さかったっけ?」――――と。
そんな違和感を感じる理由はひとつしかない。夢の中の私が、大人の姿をした前世の私だからだ。
この時期にこんな夢を見るなんて、不吉な予感しかしない。
だって私が思い出していない記憶といえば、接触していないヒーローズのことと大学三年生以降の記憶……つまり私が前世で死んだときの記憶くらいしかないからだ。
でも今みたいに嫌がらせなんて受けてた覚えないし、たぶん私の死因と嫌がらせに関連性はない。
一番濃厚なのは交通事故だと思うんだよね。大学に遅刻しそうになって飛び出して轢かれちゃったとか。
うん、それが一番ありえる気がする。
とにかく夢までそんなんだからさ、そろそろ強硬手段も辞さない私ですよ。
有体に言えば面倒になったんで、家族と月翔九十九にだけは気づかれないように対処します。
そう決意した矢先のことですよ。
「狩矢、ちょっとノート見せろ」
休み時間、眉間に思いっきり皺を寄せた月翔九十九はそう言って私に手を差し出した。
前後の脈絡もなくいきなり言われたので、私は目を真ん丸にして首を傾げる。
「えーっと、なんのノート?」
「国語」
「はい」
指定されたノートを渡すと、月翔九十九は若干驚いた表情で私の顔をまじまじと見つめて、ノートに視線を移した。
パラパラとページをめくり、ノートに何の問題ないことを確認するとさらに眉根を寄せた。
「どうかした?」
「……別のノートも見せろ」
「え…………」
他のノートを要求された私が躊躇う様子を見せたので、月翔九十九は訝しそうな顔をして「早く」と急かす。
私は渋々、机の一番上に入っていた理科のノートを彼に手渡した。
再びパラパラと数ページめくって中身を確認した月翔九十九の顔が、どんどん険しくなっていく。
その顔のまま、視線を私のほうに向けたので「あちゃ~」と頬を掻きながら、思いっきり顔を背けた。
「なんだ、これ?」
「いや~……見ての通り?」
特に弁明もせずそう述べると、彼は無表情でノートの一ページを開き、私のほうへ向けた。
「なんで理科のノートが漢字辞書みたいになってんだ」
彼が開いたページには、漢字一文字とその漢字が示す意味などについてびっしりと書き込まれている。
「来年あたり、弟か妹が生まれる話はしたじゃん? どんな名前がいいか候補あげて意味調べてたら覚えちゃって、それで授業中とか無意識のうちにこう……ね?」
「なにがね? だよ。わかるだろ? みたいに言われてもわかるか」
「八比呂くんいるじゃん」
「年子の弟の名づけにどう参加しろと?」
「愛。」
「わかった。浮かれすぎて頭がダメなことになってるのはよくわかった」
呆れた顔で「消しとけよ」と言って、月翔九十九は私にノートを返してくれた。
私は「えへ~」と誤魔化し笑いを浮かべてノートを受け取った。
ノートを机の中にしまいながら、内心で策がうまくいったことを心の底から安堵する。
私にしては珍しくまともに頭を使ったよ。やっぱり月翔九十九を騙すなら、このくらい手間暇かけないとダメみたいだね。
今回はすべてのノートを一斉に入れ替えたから、それ相応の理由を用意しないと確実に怪しまれると思った。
そこで用意したのが今回の策なわけですよ。ポイントは真実を織り交ぜることだね。
弟妹の名前を辞書で調べてたのも覚えちゃったのも本当だし、無意識のうちにノートとかに書きつけちゃってるのも本当。
ノート全入れ替えした理由だけが嘘。
月翔九十九は私の性格を知ってるし、ほぼ本当のことだから今回は騙されてくれた。
同じ言い訳が通じる相手じゃないから、もう二度と使えないのが痛いとこだけど、まあしょうがない。
もうしばらくの辛抱だ。
「狩矢、おまえ国語のノート、提出したのか?」
私が理科のノートと一緒に国語のノートを机にしまっていると、それを見ていた間宮くんに聞かれて、はっとする。
そういえば前回提出できなかった国語のノート、まだ提出していなかったっけ。
休み時間も少しだけ残ってるし、出しに行ってこようか。
「ううん、まだだったよ。ありがとう、すっかり忘れてたよ。これから出しに行ってくる」
「おう」
間宮くんにお礼を言って、私は国語のノートを持って教室を出た。
もうすぐ休み時間が終わるせいか、廊下には生徒の姿はほとんどない。
私たち五年生の校舎は北館の五階にある。
私の通う小学校には北館と南館の二つの館があって、北館を二年生、三年生、四年生、五年生が使い、南館を一年生と六年生が使っている。職員室は北館の一階だ。
ちなみに北館と南館は三階と五階には連絡橋が通っている。
生物室や美術室などの教室が南館にあるから、いちいち下まで降りていると時間がかかってしまうためだろう。
軽快に階段を下りていく。
行きはよいよい帰りは怖いっていうけど、まさにそう。
子供の若々しい肉体でも、五階分階段を上がるのはキッツいよ。
帰りの否応ない全力五階分ダッシュを思い、ほんのり憂鬱になりながら三階まで降りてきた。
タタタタタタタタタタタッ
上階から階段を駆け下りてくる足音が聞こえ、なんとはなしに立ち止まって上階のほうを見上げる。
たぶん私のようにノートの提出を忘れていた子か、次の授業が南館である子だろうと特に気にせず、視線を元に戻した。
タタタタタタタタッタンッ
階段を飛び降りて、着地する音がすぐ近くで聞こえた。
よっぽど急いでるんだなあなんて、思ってる場合じゃない。
私も早くしないと次の授業に間に合わないぞ。
急ぐ誰かを見習って私も急ごうと思いつつ、本当に何気なく急いでいるのがどんな子なのか気になって、振り返ろうとした、その時だ。
ドンッ
足が、地面から離れたのは。
誰かに押されたと気づいたのは、ぞわっと背中を駆け抜ける浮遊感を感じた時だ。
中途半端に捻っていた私の体は押された拍子に反転して、背中から地面へ落ちていく。
その時、私は彼女を見た。
私を突き飛ばした姿勢のまま、私と目が合い驚愕に目を見開く彼女の――杉澤菜津実の顔を。
彼女のその瞳を見た瞬間、私の頭の中で光が弾けた。
まるで映画のワンシーンを見ているかのように、次々と蘇る記憶に驚く間もなく、左腕と背中に衝撃を受けて踊り場を転がる。
「ゲホッ……っつぁ……ッ」
左腕と背中に走る鋭い痛みに呻き声をあげ、顔を顰めた。
背中も痛いが、それよりも左腕が心配だ。
落ちた時、左腕が背中よりも先に床と接触してしまって、全体重が左腕一点にかかってしまった。
たぶん、折れてない……と思うけど、動かせそうにはない。
痛みを押して右腕で起き上がると、どうやら私は三階の連絡橋へと繋がる踊り場に落ちたようだ。
通りで階段から落ちたにしては滞空時間が短いと思った。
連絡橋のある階は、階段が二段階層になっていて、階段の長さが短くなっている。そのおかげで、大怪我だけは避けられたみたいだ。
階段の上を見上げる。
杉澤菜津実の姿は、もうそこにはなかった。逃げたようだ。
沸々と怒りが湧いてくる。
この怒りは彼女に階段から突き落とされたから、だけではなく突き落されたことで、本当に嫌なことを思い出したからだ。
「はあ…………」
私は、重苦しくため息を吐いた。
刺すような左腕の痛みにじっと耐えながら、しばらくの間、茫然としていた私は授業のために階段を上ってきた先生に発見されて、保健室へと連れていかれた。
前世で大学に通っていた私は、大学で知り合った友人に誘われて、とあるサークルに入部した。
サークルといっても、大したことはしていない。サークルの基本方針はメンバー同士の親睦を深めること。
みんなでお菓子を食べながらしゃべったり、一緒に遊園地やスキーに行ったりする。ただそれだけのサークルだ。
私をこのサークルに誘った友人には、好きな先輩がいた。
彼女は高校の頃からその先輩のことが好きで、彼がいたから同じ大学を選んだと言っていた。
サークル中に先輩のことを指さして「あの人があたしの好きな人なの」と話す彼女はとても幸せそうで、私も彼女の恋が実ればいいなと心の底から願った。
私自身その先輩と接して、彼がとても優しくて思いやりのある人だと知っていたので、純粋に彼女の恋を応援したのだ。
長年片想いを続けた彼女が、先輩に告白する決心をしたのは、私たちが大学三年生の秋のことだ。
先輩が第一希望の企業に就職が決定したと、夏最後の合宿の時に報告した。
先輩と一緒に居られるだけで幸せだと語っていた彼女は、先輩の報告に冷や水を浴びせられたのだろう。
私たちは後一年、大学生活が残っている。
例え来年、彼女が先輩と同じ企業に入社したいと思っても、願い通りにいかないかもしれない。
そうすれば、もしかしたら今年を最後に先輩との縁が切れてしまうかもしれないのだ。
そう考えた彼女は、秋に思い切って先輩に告白した。
一世一代の告白。だけど、先輩から返ってきたのは「ごめん」という受け入れられないという言葉だった。
彼女からその話を聞いたのは、先輩に告白しに行った彼女の報告を聞くために空き教室で待っていた私の下へ彼女が帰ってきたときだ。
彼女は私を見つけると怖い顔で走ってきて、唐突に私の頬に平手打ちをした。
彼女にそんなことをされる理由がまったくわからなかった私は、呆然と彼女の顔を見つめた。
きょとんとする私に向かって、彼女は目にいっぱい涙を溜めて言った。
先輩にフラれた。理由を尋ねたら、彼は私のことが好きだから付き合えないと語ったと。
寝耳に水すぎる話に硬直する私に、彼女は「応援するって言った癖に!」と泣きながら去って行った。
私はどうしていいかわからずに、その場に立ち尽くすしかなかった。
翌日、私は彼女とちゃんと話をしようと思った。
先輩が私のことを好きだったなんて知らなかったし、先輩との仲を応援していたのも本当だと。
私を避ける彼女をなんとか階段の前で掴まえて、必死に弁明した。
だけど彼女は信じてはくれず、ますます目を怒らせた。
言い訳なんか見苦しい!
怒鳴りながら手を振りあげる彼女。
私はつい、反射的にその手を避けてしまった。
自分の背後には、なにもないことをすっかり忘れて。
ぐらりと傾く体。手摺を掴もうと手を伸ばしたけど、その時にはもう遅かった。
最期に私が見たのは、目を限界まで見開いた彼女の顔。
重力に従って真っ逆さまに階段から落ちた私は、踊り場に頭をぶつけてそのまま意識を手放した。




