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勝てる気がしない。

 梅雨が明けると、ほどなく夏休みが始まる。

 誰も彼もが今か今かと夏休みが訪れるのを指折り数え、友達同士で夏休みの予定などを話し合ったりしていた。

 みんながニコニコ笑顔で迫りくる夏休みに心躍らせる中、私はひとり処刑台に立たされた罪人のような気分になっていた。

 それというのも先日、夕食のあとに家族で団欒していたときのことだ。

 その日は扇兄さんは生徒会の用事、円は部活があり、父と母さんの3人での夕食だった。

 食後の紅茶に舌太鼓を打っていると、徐に視線を感じて顔を上げた。

 見るとなぜか母さんが、私の顔をじっと見つめている。


「京、こちらへいらっしゃい」

「? はい?」


 目が合うと、母さんは私を手招きした。

 なんだろうと思いながら傍に寄ると、母さんは私の頬を両手で包み込んでまじまじと顔を見つめた。

 子供の欲目を差し引いても美人な母さんに見つめられると、表には出さないけど内心どぎまぎする。

 なんというかこう……あなたの麗しさを受け継げなくてすみません、と謝りたくなってしまうというか。

 ゲームの”狩矢京”は美人で私の好みの顔立ちだったんだけど、鏡で見た自分の顔を美人とも好ましいとも思えないんだよね。

 同じ”狩矢京”であるはずなのに、この差はなんだろう?


「あら、やっぱり……」


 思わず遠い目をすると、母さんの呟きが耳に届いた。


「どうかしましたか?」


 首を傾げつつ、尋ねる。


「京、あなたちょっと丸くなったわね」

「…………え」


 聖母のような微笑を湛えての言葉は、私の心にかつてないダメージを与えた。

 反射的に自分の顔を触る。

 なにも変わってないように思うんだけどわからない。

 腕とかお腹とか触ってみても、ちょっと柔らかいけどそんな太ったような感じはしない。


「……そうか?」


 それまで近くの椅子に座って静観していた父が、わずかに眉を寄せて母さんに問う。

 母さんはこれまた聖母の微笑を浮かべて間違いないと力強く断言した。

 瞬間、私のライフポイントがガリガリと削り取られた。


「京、実感がわかないなら手っ取り早く量ってきたらどうかしら?」

「行ってきます!」



 …そして私は直視したくない現実を目の当たりにするのだった。



 幽鬼のようになりながら母さんたちのところへ戻った私は、母さんの提案でダイエットをすることにした。

 まだ子供なのだから多少は、と難色を示していた父を笑顔で黙らせての決定だ。

 母さんは優美な美女のイメージだが、社長夫人だもの。一筋縄でいくような性格はしていない。

 そんなところも含め好きだし尊敬しているが、敵に回すとおっかないので逆らうことはしません。

 母さんの提案で食事は野菜を中心としたヘルシーメニューに変更。

 もちろん間食は禁止。甘い物はもってのほか。

 週に2日、習い事のない日は狩矢家うちが所有するスポーツクラブへ行って有酸素運動をおこなう。

 ちなみに、内容は水泳だ。夏も近いしね。


 こうして私のダイエット生活が始まった。――が、目の前の苺とパンナコッタのゼリーを前にさっそく挫けそうだ。


 給食を終えて、狙いすましたようにデザートをもってきた幽に殺意を覚える。

 偶然だと思えないのは、ひとえに奴の人柄のせいだろう。

 あああ食べたい! けど、ダイエットがなあ……!

 母さんにバレたら後が怖いから、ここは我慢我慢。


「…狩矢、食べないのか?」

「……食べていいよ」

 

 目の前のゼリーに手を付ける様子を見せない私に、月翔九十九が柳眉を寄せて尋ねてくる。

 私は泣く泣くゼリーを月翔九十九へ譲渡。

 ダイエット中だもの、仕方ない。

 ……月翔九十九、やっぱり返せなんて言わないからゼリーは落ち着いて食べよう。

 頼むから凝視するのもやめてくれ。目がぎらついて怖い。

 苺への執念恐るべし。

 

「なに、ダイエット~?」

「デリカシーを持て」


 今の私はかなり気が立ってるから、おまえの顔面に拳叩き込むくらいはするぞ。

 幽にバレずにって無理があるけど、できればバレずにいたかった。

 バ幽もんのすごいいい笑顔しやがって。

 しばらくは食後のデザート攻撃が続くな、絶対。


 案の定、幽はその日から絶えずデザートを持ってきた。

 だが、私は誘惑には屈しなかった。屈しなかったとも。





 水泳の1日のメニューは想像以上にキツそうだ。

 まずウォーキングを1往復。ちなみに1往復は100メートルだ。

 クロールを1往復、平泳ぎを1往復、自由形を1往復だ。

 合わせて400メートル。

 メニューを聞いたとき、母さんの本気を感じたよ。

 これも初っ端から挫けそうだ。でも母さんを敵に回すと以下略。

 

 というわけで、準備体操を念入りにやってっと。

 はい、気張って頑張ろー。

 勢いよくプールの中に飛び込んでみて、びっくり!

 足が! まったく! つかない!!

 これでどうやってウォーキングしろと!?

 え、無呼吸潜水? 古式泳法? ハードル高いよ!

 必死にあっぷあっぷしてたら、慌ててやってきたインストラクターさんが助けてくれた。

 すみません、ありがとうございますっ。

 咳き込みながらお礼を言うと、インストラクターさん曰く、案内するプールを間違えたらしく、逆に恐縮して謝られた。

 ああ、なんだ。

 さすがに無呼吸潜水と古式泳法はハードルが高すぎると思ったよ。

 

 改めて案内されたプールで、気を取り直してトライ。

 今度はちゃんと足がつきました。

 歩きながら視線を巡らせる。

 プールには私以外に、年下の女の子や男の子たちがいて、インストラクターさんの指導の下に泳いでいる。

 私はプールの端っこでのんびり歩いてる。

 いいなあ、楽しそう。

 ちびっ子たちが楽しそうに泳ぐ姿を見ていると、前世で家の近くにあった市民プールを思い出す。あそこの小さいプール、よくちびっ子たちが遊んでたっけ。

 私も前世はよく友達と市民プールに行ったけど、今生は一度も行っていない。

 立場が変わったから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。

 今生で入ったプールといえば学校とこのスポーツクラブのプールくらいだよ。

 久しぶりに流れるプールとかウォータースライダーとかやりたい。

 できればできれば艶子さんも誘って。…ただのも…もとい想像だったけど、案外悪くないぞ。

 よし、夏休みに入ったら誘ってみよう!

 そのためにも、この難関を乗り切らねば!

 

 ――と、意気込んだはいいものの…。


 ウォーキングの後にクロールと平泳ぎ、自由形でクロールを終えると、身も心も疲れ果て、冗談抜きでしばらく動けなかった。

 ……艶子さんを誘うのは、また今度でいいかな。

 自分の意思の弱さに目から汗が出そうだよ。

 にしても、これを毎週続けなくてはいけないのか……。ほろり。




 数々の苦行を乗り越えて、ようやく私は母さんが定めた目標体重まで減量することに成功した。

 喜び勇んで報告すると、母さんはなぜか目を瞬かせた。

 え、なんですか。その反応。


「そう、おとせたの……」

「……無理だと思ってたんですか?」


 それはちょっとショックです。


「正直に言うとそうね」


 頬に手を添えて神々しく微笑む母さんの言葉に、また私のライフポイントがガリガリと……。せめて歯に衣着せて誤魔化してください、母さん。


「ところで京、あなた体重計に乗ってなにか気づかなかった?」

「え?」


 なにかとな?


「特に気づきませんでしたけど……」


 考えてもなにも思いつかなかったので、正直にそう答えると母さんは「あら、そう?」と楽しそうに目元を和ませた。

 その意味深な笑みに、これはなにか企んだなと直感する。

 これまでの母さんの言動を思い返して、少し頭を捻れば答えはすぐに出た。


「……まさかとは思いますけど、体重計に……」

「ええ、細工したわよ」


 やっぱりか!


「なんでそんなことしたんですか!?」

「そのほうがダイエットする気になるでしょう?」

「まあ、そうですが……私、そんなに太ってましたか?」

「標準体型くらいかしらね。でも、私が用意したドレスを着るならもう少し痩せてたほうがいいかと思って」

「……はい?」


 おかしいな、幻聴かな。

 今、もんのすごく聞きたくない言葉を聞いたような気が……。


「ドレス?」

「ええ、ドレス」

「なんで私がドレスを着るんですか?」

「女の子だからかしら? 私としては、スーツもかっこよくていいと思うのだけど、公の場でそういうわけにもいかないでしょう?」

「母さん宝塚好きですもんねー……って、そうじゃなくて。公の場って?」

「言ってなかったけど、8月の下旬にパーティーを開くの。もちろん狩矢家うち主催のね」

「は!? 私、なにも聞かされていませんが!?」

「言ったでしょう、言ってなかったけどって」

「なんで言ってくれないんですか!」

「あなたが嫌がると思って」

「それはまあ、嫌がりますが……」


 だからといって駄々をこねたりボイコットなんてしないのに。

 これでも一応、社長令嬢としての自覚はあるのだ。

 最低限の義理は通しますよ。


「それに、ドレスを着るためにダイエット頑張ってって言っても、頑張ってくれないでしょ。だったら伏せておいたほうがいいかなって思って」

「本音はそれですか」

「えへ」


 えへって、そんなふうに笑っても全然可愛くなっ……いや、可愛いですが。

 でも、それで騙されると思わないでください。

 母さんはパーティーには幽や月翔九十九、それに艶子さんも呼んだということを語った。

 艶子さん、来るんだあ。

 艶子さんは何を着てくるんだろう? やっぱり着物かなあ。それとも趣向を変えてドレス?

 艶子さんならどっちも似合うけど、私としてはドレス姿の艶子さんも見てみたいなあ。

 桜色のドレスとか似合いそう。あ、でも夏だし水色のドレスも涼しげでいいよね。


「艶子ちゃんなら、どっちも似合うわよね」

「そうですよね~」


 さすが私のお母様、よくわかっていらっしゃる!


「でも、せっかく艶子ちゃんが可愛い格好をしてくるのに、京だけみっともない格好はできないわよね」

「もちろんです!」


 艶子さんに恥をかかせるなんて真似、死んでもいたしませんとも!


「じゃあ、パーティーまで今の生活を続けましょうね。せっかく痩せたんですもの。リバウンドしてしまったら大変だわ」

「はい!」


 勢いよく返事をしてから、はたと気づく。

 あれ…もしかして私、ノせられた……?

 しかも何気に、あの地獄のような日々を続ける約束までしてしまった気がするぞ。


「京」


 慌てて訂正しようと口を開きかけるが、迫力満点の笑みの前に言葉が出ない。

 聖母もかくやという微笑は大変美しいが、なんでかな。

 今は聖母の微笑が、悪魔の微笑みにしか見えないんだ。


「女にも、二言はないでしょ?」


 聖母の姿をした悪魔の言葉に、私はただ頭を垂れるしかないのでした。

扇と円が誰似か、おそらくはわかったんじゃないかなと思います。

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