頭上の剣に気づけない。
前半の視点は幽、後半は京のものです。
京の様子がおかしい。
おかしいっつーか、普通すぎる。
昨日の夜、京に詫びだと言って昼間作った犬小屋を渡した。
表札に「京の家」って彫っといたから、今日にでも怒鳴りに来ると思ったんだけど……。想像に反して、京はなにも言ってこなかった。
俺が近づけば、いつものように胡乱気に眉を寄せて「なに?」と低く問うだけだ。
試しに袋の中身について触れてみたが、一応袋はちゃんと開けたらしい。それで「犬小屋ってなんだよ犬小屋って……」と不満げに唇を尖らせるのみ。
なにか企んでるのか、それとも単に表札に気づかなかっただけか……。
はっきり言ってわかんね。
あいつは意外にも嘘が上手い。
どうでもいい嘘はすぐ態度に出るからわかりやすいが、本気で隠されると俺でも判別がつかない。
それというのもあいつの兄、狩矢扇が世渡り術とかなんとか言って京に余分な知識を植えつけたせいだ。
俺、あいつ嫌いなんだよなー。
次男の円のほうはからかってて面白いんだけど、扇は京を溺愛してて本気で俺のこと消そうとしてきやがるから。
無駄に頭がよくて粘着質で気に入らない相手はどんな手を使ってでも潰す。敵に回すと一番めんどくせータイプ。
京はそのことに気づいてない。あいつ京の前では完璧な兄を演じきってるからな。
いつか化けの皮を剥いでやる。
兄貴の本性を知った時、京がどんな反応をするのか……面白そうだ。
話が脱線したな。
とにかく、俺にはわからない。
京のことだから犬小屋に怒ってさっさとしまったってのも考えられるけど。
ま、念のため用心だけはしとくかな。
今朝、私がなにも言わないことを訝しんだ幽が鎌をかけてきた。
だがしかし、私には扇兄さん直伝の世渡り術がある。
それを駆使してうまいこと幽を騙すことに成功した。――――が、油断はできない。
あいつは私が兄さんに嘘のつき方を伝授されたことを知っているからな。
騙されたふりをしているのか、本当に騙されたのか、私にはわからないから引き続き警戒を怠らないようにしなければ。
さて宿泊学習もそろそろ大詰め。
施設に泊まるのは今日が最後。明日にはまたバスに乗って学校へ帰ることになっている。
狙うなら今日しかない。もとい、今日だ。
今日ほど報復に絶好の日は他にない。
待ってろよ、幽……絶対に泣かせてやるからな!!
幽に見られないようににたりと笑う。と、偶然にも向いた方向に岸山くんがいて、ばっちりと見られた。
彼は涙目になって、半ば落ちるようにロープを滑り降りていった。
四日目の午前中はツリークライミングなのだ。
ううむ、しまった。
間宮くんのような誤解者を、また生んでしまうかもしれないな。
なにより幽にバレる。もっと表情を引き締めよう。
ツリークライミングを終え、お昼を食べたらお待ちかねの飯盒炊飯が始まる。
作るものはキャンプなんかでお馴染みのカレー。
定番すぎて精彩に欠けるとお思いか?
だがしかし! 幽への報復に、これほどおあつらえ向きな料理はない!
幽ってあんな性格してるからさ~弱味を絶対に他人に見せようとしないんだけど~そんな奴の弱味のひとつがこれなのさ。
――――そう、辛いものだ。
そこで私が用意したのがこれ――――タバスコだ。
こんなこともあろうかと持ってきといてよかった。
タバスコをポケットに入れて、あとは機会を窺うだけ。
ふふふふっ、目に物見せてやるぞ、幽!!
――――が、予想外にもカレー作りで幽が出張ってきた。
私を決して鍋には近づけさせず、野菜洗いをその後の皿洗いを命じてきた。
こちらの思惑に気づいたのか……いや、まだ用心の段階だろう。
なに、悟られたところで問題はない。私の計画に狂いはないのだから!
さっそく出来上がったカレーをみんなで食べる。
綾里さんや茅島さんたちと美味しいねと会話をしながら、ちらりと幽を見やる。
奴はカレーを一口食べて、なにも入っていないことに安堵しているようだ。
そうだ、安心するがいい。
私は真実、おまえのカレーに指一本触れてはいないのだから。カレーには……ね。
スプーンでカレーを口に運び、ゆっくり咀嚼する。
その動作を何回か繰り返して、すっかり安心しきった幽は水に手を伸ばした。
コップを傾けて水が奴の喉を通るのと同時に、耐えきれず私は口端を吊り上げた。
コップを持つ幽の手が、徐々に震え始める。ほんのりと赤い顔には、よく見ると冷や汗が滲んでいた。――――報復成功だ。
私がタバスコを仕込んだのは、奴の水の中。一滴くらいなら水に入れても、よくよく目を凝らしてみなければ気づかない。
ましてや幽は水にはなんの警戒もしていなかったから、気づくはずもない。
込みあがる笑いを必死に押し殺すと、わずかに肩が揺れた。
目敏くそれに気づいた幽が、もんのすごい形相で私を睨みつけてくる。
そんな涙目で睨まれても怖くないしー。
射殺さんばかりの視線を満面の笑みで受け流し、私は清々しい気分でカレーを頬張った。あー美味し。
宿泊学習、ラストの夜はキャンプファイアー。
館長さんのファイアーパフォーマンスを観覧し、焚き火の周りでフォークダンスを踊ったり歌を歌ったり。
幽への報復を果たした今、なにをしてもより楽しく感じる。
「宿泊学習も、もう終わりだね」
「そうね。そう思うと、少し寂しいわ」
宿泊学習を経てすっかり仲良くなった綾里さんと茅島さんの会話に耳を傾ける。
二人はこの四日間の思い出を語り合い、寂しさを滲ませながらも楽しそうに笑っている。
この四日間かあ……いろいろなことがあったなあ。
オリエンテーリングで岸山くんに仮装の交換を求めて怯えられたり、肝試しでは幽の足を踏みつけたのを間宮くんに見られて引かれたっけなあ。
昨日は幽にカヤックから落とされたり「京の家」と刻まれた犬小屋を貰って、その報復に幽の水にタバスコ仕込んで……。って、なんか碌なことしてないぞ私。
彼女たちみたいに微笑ましい思い出がなさすぎやしないか私。
あ、でも間宮くんという新たな友達もできたし、これはいい思い出といってもいいんじゃないかっ。こういうのは数じゃない、質だよ!
いったい誰に対して言い訳をしているのか、正直私にもわからない。……これ以上はやめよう、空しくなるから。
ため息をひとつ吐いて不毛な考えを彼方へ追いやると、誰かの手が肩に置かれた。
肩越しに振り返ると、月翔九十九が難しい顔で私を見下ろしていた。
「どうかした?」
「……おまえ、気づいてないのか?」
「え?」
質問に質問で返され、私はわからずに首を傾げる。
気づくってなにがですか?
尋ねると、月翔九十九は無言で私の背中に触れる。――――ぺりっとなにかを剥がす音がした。
「……これ、背中についてたぞ」
渡された紙には、たった一言だけ書かれていた。
――――「私はポチです。」と。
高揚感が音を立てて引いていき、瞬時に別のぐつぐつと煮えたぎるようななにかへとかわっていく。
私にこんなことをするのは、今のところ一人しかいない。
紙をぐしゃぐしゃに握り潰し、膝に額をあてて大きく息を吐き出す。
隣で遠慮がちに月翔九十九がなにかを言っているけど、もうなにも聞こえなかった。
次の瞬間、私は勢いよく立ち上がると握りつぶした紙を大きく振りかぶった。
声に出せないもどかしさすら怒りに変えて、怒号とともにそれを投げ放つ。
あぁぁぁぁぁぁんのぉぉぉぉぉ……バ幽がぁぁぁぁぁぁぁぁー!!!
紙は綺麗に弧を描いて焚き火のなかへ吸い込まれていった。
二人はたびたび、このような嫌がらせ合戦を繰り広げています。
たぶん死ぬまでやめないんだろうなあと私は思ってます。
そして幽。
扇のことを粘着質で手段を選ばないとか、おまえが言うなって感じですよねー
幽と扇は完璧に同族嫌悪なんですけど、絶対に自ら認めようとしない。
円は絶対に気づいてて「どっちもどっちだっつーの」とか思ってる。
幽は紙を京がキャンプファイアーでぼけっとしているときに張り付けました。
ちなみにタイトルは「ダモクレスの剣」ということわざから京と幽へ向けて。
早い話が油断大敵。




