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影っ子鬼  作者: 鳥秋晴彦
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第一話 錆びた回覧板

実家の納屋の重い引き戸を閉めると、錆びた鉄の匂いが指先にこびりついた。

大学生活で使った安物のスチールラックや、もう読み返すことのない参考書の束を、実家の物置に押し込んできた帰り道。二駅分離れただけの自分の「新居」へ向かう電車の中で、何度も手のひらを擦り合わせた。四月から始まる地元企業での仕事。寮のアパートは、築年数こそかなり経っているが、一人暮らしには十分すぎる広さだった。

趣味のプラモデル作り、飾るスペースも十分。

大学に通うために住んでいたアパートは単身者用ワンルームで思うように製作できず気を揉んだが

これからは気にせず好きなプラモデルを買えるぞ、と心躍っていた。


最寄り駅からアパートまでの道は、妙に静かだった。

地元とはいえ、この二駅隣のエリアには幼少期に数回、親戚の家があった頃に祖父に連れられて来た記憶がある程度だ。街灯はまばらで昼間に見た景色よりも寂しい景色に見える。

アパートの階段を上がると自分の部屋である二〇二号室のドアノブに、回覧板が掛かっていた。

今の時代、LINEやメールで済む話をわざわざ回覧板で回すのか。少し閉口しながら、それを持って部屋に入った。

玄関の電球は、スイッチを入れてから一呼吸おいて点灯した。チチッ、という細い音が、静かな部屋に響く。

 

一応目を通しておくか、と帰宅後手洗いをする為にすぐ机に置いた回覧板を手に取る。

金属部分は錆びていて全体的に薄汚れているように見えた。

古いものなのだろう。

挟まっていたのは、一枚の藁半紙だった。

「規則」

一番上に、震えるような筆致でそう書かれている。

その下には、箇条書きで三つの項目があった。

 一、午後八時以降、影を数えてはならない。

 一、足音が重なった際は、歩みを止めること。

 一、回覧板は必ず「生きた手」に渡すこと。

悪趣味な悪戯だと思った。

引っ越してきたばかりの後輩を怖がらせる為にからかっているのか?

しかし、その下に続く署名欄を見たとき、私の指先がわずかに震えた。

そこには、十数人分の名前が記されていた。

その署名の中に、一つだけ、見覚えのある名前があった。

 

佐伯 慎二


二十年近く前、この近くの古い道で一緒に遊んだ歳の離れた従兄と同じ名前だった。

俺が小学生の時に事故で亡くなった従兄。

特に珍しくもない名前だ。

不可解な規則だが、亡くなった従兄とは苗字も世代も違うし、

悪戯だとしても偶然、もしくは本物の回覧板なのか。

そういえば従兄が亡くなった年齢は今の自分と同じくらいだったか…。

 

その時、部屋の外から音がした。

ペタッ、ペタッ、と、濡れた素足で冷たいコンクリートの床を歩くような音だ。

部屋の前で、その音は止まった。

 

 ドア越しに、何かがいる気配がする。

息を殺してドアスコープを覗きに行くと黒い影のようなものが一瞬遮ったような気がしたがドアの外には何もいない。

空き巣狙いの不審者?それかデカい虫…?

虫だったとしてそれはそれでドアを開けて確認する勇気はない。


 なぜかその時、思い出した。

幼い頃、祖父が俺をこの土地に連れてきた時、きつく言い聞かせた言葉を。

『いいか、この場所では、自分の影に他人の影を重ねさせるな。影が二つになったら、それはもう、お前じゃないものが混じっている証拠だ』

 あの時、影踏みに興じていた子供たちの中に、影が二つ重なっているような不思議な影を見たような気がする。

 死んだ慎二兄ちゃんだったか。誰だったのかは思い出せない。

ドアスコープから目を離すと

ガリッ、とドアの向こう側で、爪を立てて金属を削るような音がした。

回覧板を抱えたまま、部屋の隅へ後ずさった。

鍵はしっかり締まっている。

人でも虫でもこちらが開けない限りは大丈夫だろう、と思っていてもなぜか不安になってしまう。


しばらくドアを見つめてジッと音を出さないようにしていたが

外の気配は消えない。

 逃げ場を探してまだ引っ越して間もなくカーテンをつけてもいない窓を見た。

 窓の外を見るとポツンと少し遠くにある街灯の下、一人の男が立っている。


大きな封筒を手に持ったその男はこちらを見上げ、

目が合うと頭を下げた。



「ごめんね、帰り道だから柏木くんにこの封筒渡しに行ってほしいって言われてさ、寮とはいえ、社員が住んでる場所を会社が教えちゃ駄目だよね。」

「わざわざありがとうございます。大丈夫です。信頼出来る畠山主任ですし、俺は気にしてませんよ。」

街灯の下にいたのはインターンでお世話になった主任の畠山さんだった。

俺は主任の顔を見た瞬間に玄関のドアを蹴破るかのように開けて全速力で街灯の下まで走った。

幸い、玄関の外にはデカい虫も人もいなかったし

何よりも部屋に1人でいるのは不安で今すぐ主任と合流するのが最優先だった。

無事に主任から封筒を受け取り安堵していたが

勢いで出てきてしまったので鍵をかけてないことに気づいた俺は

折角だからうちに上がっていきませんか。と誘ったが封筒を渡すだけだから、また入社式でね。と無慈悲にもそのまま駅の方に歩いていってしまった。

今からでも大声で引き止めたい気持ちで

主任の背中を見えなくなるまで見送りながら

駅の近くのマンションで同い年の奥さんと3歳の娘さんと住んでいること、娘に会いたいから毎日なるべく早く帰りたいとインターンの時に言っていたことを思い出した。


その後、恐る恐る1人で階段を上り、誰ともすれ違うこともなく部屋に入った俺は

まだ何も仕舞っていない押し入れや風呂場、

トイレ、とにかく人が入れそうな場所を

110を打ち込んだスマホを片手に念入りに確認して戸締まりをしてから急いで風呂に入り布団に入った。


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