第6話:揺らぎの理由
夜。
屋敷の一室に、静かな灯りが落ちていた。
ヴィオレッタは書類に視線を落としながら、ペンを走らせる。規則正しい筆跡。一定の速度。いつも通り——そう言えるはずだった。
だが。
ほんのわずかにだけ、線が揺れる。
(……影響されていますわね)
思考に混じるノイズ。
原因は明確だった。
——ミレイユ。
そして、セレスティア。
(感情に引きずられるなど、非効率ですのに)
そう切り捨てる。
だが、完全には排除できない。
ペンを止める。
わずかな沈黙。
(……なぜ、あの選択をしたのか)
思考が、そこに戻る。
ミレイユは理解していたはずだ。あの状況で“責任を引き受ける”ことが、どれだけ不利かを。
それでも、選んだ。
(合理では説明がつきませんわね)
——だからこそ、引っかかる。
そのとき。
控えめなノックが響いた。
「入りなさい」
扉が開く。
現れたのは、ミレイユだった。
「……失礼いたします」
静かな一礼。
だが、以前よりもわずかに迷いが見える。
(来ましたわね)
ヴィオレッタはペンを置いた。
「何かしら」
「……本日の件について、ご報告が」
形式は守られている。
だが、それだけではない。
(自分から来ましたわね)
つまり——
(何かを決めた)
「続けなさい」
「処分の件ですが……保留となりましたこと、感謝申し上げます」
丁寧な言葉。
だが、それで終わるはずがない。
沈黙が落ちる。
ミレイユは視線を下げたまま、動かない。
(……まだありますわね)
ヴィオレッタは待つ。
急かさない。
やがて——
「……一つだけ、申し上げます」
小さく、だがはっきりとした声。
「今回の件は……“偶然ではございません”」
一瞬、空気が止まる。
(……ほう)
予想はしていた。
だが、本人の口から出る意味は大きい。
「理由は?」
「……申し上げられません」
即答。
だが、その声音に迷いはない。
(守ると決めていますわね)
誰かを。
あるいは——何かを。
「では、なぜそれを今、伝えるのですの?」
核心。
ミレイユの指先が、わずかに震えた。
だが。
「……ヴィオレッタ様であれば、見抜かれると判断いたしました」
顔を上げる。
視線が合う。
そこには、はっきりとした意志があった。
(……評価を更新しますわ)
ただ従うだけの存在ではない。
選び、判断し、そして——背負う覚悟がある。
沈黙。
だが、それは不快なものではない。
むしろ——
(……悪くありませんわね)
ほんのわずかに、思考が変わる。
「分かりましたわ」
ヴィオレッタは静かに頷く。
「ならば、その前提で進めます」
それで十分だった。
ミレイユは一礼する。
「……ありがとうございます」
今度のそれは、はっきりと届いた。
扉が閉まる。
再び、静寂。
だが——
(……完全ではありませんわね)
情報は足りない。
証拠もない。
だが、確信だけが積み上がる。
(誰かが、意図して動かしていますわ)
そして——
その“誰か”は、すでに視界に入っている。
ヴィオレッタは窓の外へ視線を向けた。
夜の闇。
静かで、何も見えない。
——だからこそ。
(……見えないところで動いていますのね)
思考が、さらに深く潜る。
合理だけでは届かない領域。
だが、それでも。
(私に見抜けないものなど、ありませんわ)
そう断じる。
——そのはずだった。
だが。
ほんのわずかにだけ。
その確信が、揺らいでいることに——まだ気づいていなかった。
※毎日20時更新予定です。
ミレイユ:ご覧いただけるのであれば、ブックマークしていただけると嬉しいです。




