第4話:断定できない違和感
乾いた音が、廊下に響いた。
——パリン。
次の瞬間、空気が止まる。視線が集まる先、床に散らばる破片。かつて花瓶だったものが、無残に砕けていた。
「……どういうことですの?」
静かな声で、ヴィオレッタは足を止める。状況を一瞥し、すぐに観察へと移行する。
人だかり。その中心。青ざめた表情で立ち尽くしているのは——ミレイユだった。
「わ、私は……」
震える声。言葉が続かない。
だが、周囲の視線はすでに結論へと向かっている。
(……早いですわね)
判断ではない。断定だ。しかも、揃いすぎている。
「また、あの使用人か」
「やはり問題があったのでは?」
囁きが広がる。先日の件と結びつけるには、あまりにも自然すぎる流れ。
(……整いすぎていますわね)
ヴィオレッタは一歩、前に出た。
「状況を説明しなさい」
ミレイユが顔を上げる。だが、その前に別の声が割り込んだ。
「廊下を清掃中、誤って手を滑らせたとのことです」
整った声。柔らかく、それでいてよく通る。
視線を向ける。そこにいたのは、一人の令嬢だった。
穏やかな微笑み。非の打ちどころのない佇まい。初対面——だが、妙に印象に残る。
「目撃者は?」
「複数おりますわ。皆、同じ証言です」
淀みのない返答。迷いも、揺らぎもない。
——完璧な流れ。
(だからこそ、不自然ですの)
ヴィオレッタは視線を落とす。床。破片。その散らばり方。
(落としたにしては、広がりが偏っている……?)
違和感はある。だが、それだけでは足りない。
「ミレイユ」
ミレイユの視線が、ほんの一瞬だけ揺れた。
——ヴィオレッタではない。
周囲でもない。
もっと別の方向へ。
(……今のは)
意識して逸らした動き。
まるで、“見てはいけない相手”がそこにいるかのような——
「……はい」
「貴方がやったの?」
一瞬の沈黙。周囲の視線がさらに強まる。
そして——
「……はい」
小さく、だが確かに頷いた。
ざわめきが広がる。これで“確定”だと、誰もが思った。
だが。
(やはり、おかしい)
証言が揃いすぎている。状況も、反応も、流れも——すべてが“都合よく”繋がっている。
「認めておりますし、これ以上の追及は不要かと」
先ほどの令嬢が、穏やかに言う。正論。誰もが納得する形。
——だからこそ、止める。
「いいえ」
静かに言い切る。
空気が変わる。
「断定はできませんわ」
「……ですが」
「証言は一致している。本人も認めている」
一拍。
「それでも、“事実である”とは限りません」
周囲がざわつく。理解できないという反応。
当然だ。
「証拠が不十分ですもの」
淡々と告げる。
論理としては正しい。だが、納得はされない。
視線が刺さる。疑問、困惑、そしてわずかな反発。
(……感情、ですわね)
“納得したい結論”が先にある空気。
そのとき。
「面白いな」
低い声が落ちた。ルシアンだった。
「認めている者がいる状況で、それを否定するか」
「否定ではありません。“確定していない”と言っているだけですわ」
視線がぶつかる。
「ならば、どうする?」
「保留にします」
即答。
「追加で確認すべき事項がある。現時点で責任を確定させるのは非合理です」
沈黙。
そして——
「……確かに、一理ある」
講師の声が入る。
流れが変わる。完全ではないが、止まった。それで十分。
ミレイユの処分は保留となった。
人が散っていく。ざわめきも、次第に薄れる。
——だが。
(……おかしいですわね)
違和感は消えない。
整いすぎた流れ。揃いすぎた証言。そして——あの令嬢。
ヴィオレッタは振り返る。
だが、そこにはもう誰もいなかった。
(……姿を消していますの)
偶然とは思えない。
関与している可能性。
だが——
(証拠がありませんわね)
思考が止まる。
結論に至れない。分類できない。評価できない。
——初めての領域。
そのとき。
「すべてを見抜けると思っていたか?」
隣から声。ルシアン。
一瞬、言葉に詰まる。
ほんのわずかにだけ。
「……当然ですわ」
返す。だが、自分でも分かる。
完全ではない。
「そうか」
それ以上は言わない。ただ、わずかに目を細める。
ヴィオレッタは前を向く。
論理は正しい。判断も間違っていない。
——それでも。
(……誰かが“意図して作った状況”ですわね)
その可能性だけが、静かに残り続けていた。
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