第1話:レベルが低すぎませんこと?——減点方式の令嬢
——この世界の殿方、レベルが低すぎませんこと?
カップを傾けると、琥珀色の液体が静かに揺れた。対面の男は上機嫌に微笑んでいる。仕草は丁寧で、声も落ち着いている。
——だが。
(……一つ)
判断が遅い。こちらの反応を見てから言葉を選ぶ。主体性がない。
(……二つ)
視野が狭い。会話の流れを読めていない。目の前しか見えていない。
(……三つ)
自分を理解していない。この場で自分がどう見られているか、それすら把握できていない。
(……この程度で満足していた頃の自分が、愚かに思える)
かつての自分なら、条件だけで判断していた。
——だから、失敗したのだ。
紅茶の香りが、わずかに鈍る。
——三つ。その時点で、彼女の中では終わりだった。
(時間の無駄ですわね)
カップを戻す。音は立てない。評価は、動かない。
「いかがでしょう、ヴィオレッタ嬢。私との縁談、前向きにご検討いただければ——」
「お断りいたしますわ」
言い終わる前に、切り捨てた。一瞬、男の笑みが止まる。
「……まだ、私の話は——」
「必要ありません」
かつての自分なら、条件だけで判断していた。
——だから、失敗したのだ。
声は柔らかい。だが、隙はない。ヴィオレッタはゆっくりと視線を上げた。
「まず一点。貴方は“相手の意図を読む”能力が欠けております」
「なっ……」
「二点目。ご自身の立場の理解が甘い。今この場で主導権がどちらにあるか——お分かりになっていない」
言葉が重なるごとに、男の顔色が変わっていく。周囲の空気も、わずかに揺れた。気配が動き、視線が集まる。
——当然だ。
「そして三点目」
一拍、ほんのわずかに間を置く。
「——魅力が足りませんわ」
静寂。次の瞬間、ざわりと空気が波打つ。息を呑む音、扇の向こうで交わされる視線。男は言葉を失ったまま、動かない。
(以上。合計減点——論外)
椅子を引いて立ち上がる。この場に、もう価値はない。
「お時間をいただき、ありがとうございました」
礼は形式だけ。それで十分だ。背を向ける。
——勝負ですらなかった。
廊下に出ると、空気が少しだけ軽くなる。だが、足取りは変わらない。
(……やはり、期待値が低すぎますわね)
貴族社会。血筋も、財も、教育も揃っている。本来なら“優秀”であるはずの集団。
——それが、この程度。わずかに思考が冷える。
(選別する価値すらない)
そのとき。
「随分と、手厳しいな」
低く、静かだがよく通る声が落ちた。足を止め、振り返る。
壁にもたれていた青年が、こちらを見ていた。整った容姿。無駄のない立ち姿。
だが——
(……この視線)
ただ見ているだけではない。測っている。それも、かなり深いところまで。
「聞いておりましたの?」
「否。聞くつもりはなかったが、聞こえた」
あっさりした返答。悪びれない。
(……減点が、見当たりませんわね)
一瞬だけ思考が止まる。初めての感覚。
「では——どなたかしら?」
わずかに踏み込む。問いというより確認。青年は目を細めた。
「ルシアン・フォン・エーベルヴァイン」
短い名乗り。それだけで十分だった。
(公爵家……)
納得が落ちる。あの余裕、あの視線。理由が繋がる。そして——
(現時点評価——保留)
初めての例外。
「率直に申し上げますと、あの程度で縁談を持ち込むこと自体が問題ですわ」
「なるほど。では君は、“減点方式”で人を見るのか」
一瞬、間が空く。
(……なぜ分かるの)
口には出さない。
「お分かりになるのなら話は早いですわ」
「合理的だ。だが——」
そこで言葉を切る。
「それでは“何も残らない”可能性を切り捨てている」
静かに刺さる、鋭い指摘。
「人は、完成されていないからこそ価値がある場合もある」
「非効率ですわね」
即答。迷いはない。
「かもしれない。だが現実は非効率でできている」
視線がぶつかる。逸らさない。
「君のそれは正しい。だが——」
わずかに口元が緩む。
「本質を見誤る」
——言葉が残る。静かに、深く。
(……)
反論はできる。いくらでも。だが、ほんの一瞬だけ思考が止まる。
「覚えておきますわ」
それだけを返す。評価はまだ下さない。下せない。
再び歩き出す。だが、胸の奥にわずかな違和感が残る。
(……あり得ませんわ)
即座に否定する。判断は正しい。常に正確。揺らぐ理由はない。
——それでも、消えない。あの視線と、あの言葉が。
思考の奥に、静かに残り続ける。
——否定しきれない。
その事実こそが、すでに“異常”だった。
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