ルドウィグの辺境生活:二日目
「んじゃ、アタシは哨戒に行ってくるから、いい子で待ってるのよ」
「待つわけがないだろう、勝手に行け」
朝食を共有スペースで取ってから、レオは身軽な様子でひらひらと手を振って出ていった。軽装にマント、一振りの剣を穿いて出ていく背には、命を掛けに行くという気負いは一切無かった。
残されたルドウィグは、それを横目で見送ってから茶の入ったカップを傾ける。心配などするつもりはないし、見送る気も無い。
「閣下、本日のご予定ですが」
侍従、ハリーと名乗った男の予定を聞き流しつつ、ルドウィグは不思議な女の事を思い出す。
何を考えているのかわからない、気味が悪い女。へらへらとした、貴族らしさなど欠片もない、淑女としても落第点な態度の女。
どだい、理解できない存在としか映らなかったが、しかし。
(何を、考えているのだ……)
のらりくらりと、風に吹かれる旗のように気儘にはためく言動と態度を見て、本当にこちらへ興味が無いのだと、少しだけ思った。
少なくとも彼女は昨夜、こちらの寝所へ入り込むような無作法はしなかったのだから。書類上は夫婦である以上、その無作法をしても許される立場ではあるのだ。
肌を重ねずとも人形のように愛でるだけの、気色の悪いことをする女は居る。こちらの言葉など聞きもしない、こちらを格下と侮っている女が行う理不尽を思い出せば、未だに鳥肌が立って仕方がない。
故に、それをしなかった彼女は、忌々しい連中とは確かに違うのだと、そう思った。
・・・
ルドウィグの朝は、医師の診察から始まる。
「ふむ、やはり腰を損傷した事が原因による、両下肢の麻痺でしょうな。しかし動かすことも出来るというのならば、治療も不可能ではないでしょう」
「……治る、と?」
「そこまでは断言できません。しかし、ゼルツは何かと不可思議な事が起きる地ですからな。杖があれば立って歩く程度の事なら、可能かもしれません」
眼鏡の老医師は淡々と注意事項を述べ、足の可動域を見たりリハビリ方法を教授してきた。どれも、かつては取り組んだことのある代物であるが、いつからか止めてしまったのだ。
「使わねば徐々に腱が固くなり、伸びなくなります。石のように動かなくなるのがお嫌でしたら、死ぬ気で動かしなさい。ああもちろん、無理をしない範囲で。まあ、今後一生をベッドの上で、他人に下の世話をされて過ごしたいと言うのであれば、どうぞご自由に」
侯爵家へ招いた医者と違い、ここの医者は歯に衣着せぬ物言いである。
失礼極まりない言葉であるが、トイレにすら座れなくなるのは確かに屈辱ではあったので、医師の指導の元にリハビリに取り組んだ。
「貴方はまだお若い、体力が残っている内に出来ることは全てやっておきなさい。歳を取れば出来なくなる事は増えていくのですから」
医者らしく、とても実感のこもった言葉である。
久方ぶりのリハビリに疲労困憊し、今まで動かさなかった筋肉や節々に引きつれるような痛みを感じつつも、なんとかそれを終える。これが毎日のように続くと考えると、やはり嫌でも気が滅入ってくる。
「それでは閣下、ゼルツ家の湯治を行いましょうか」
リハビリ後は、汗を流すようにゼルツ家の城内部に所有している、温泉という場所へ連れて行かれる。なお、流石に米俵式運搬法ではなく、車輪付きの車椅子で運ばれた。
大地の底から湧き出てくる熱湯、硫黄の匂いが溢れるそこを石造りで囲い、魔道具で引いた水を利用してお湯にまで薄めたのがゼルツの温泉である。
「……湯が赤いように見えるのは気のせいか?」
「いえ、目は確かですな」
かすかに仄赤く透き通ったそれは、まるで血を薄めたかのようだ。微妙に気後れしている相手を慮ることもなく、ハリーはテキパキと準備をして湯治を行う。
入る際は染みるような感覚がしたが、慣れればじんわりと温かなそれに、感覚が薄いはずの足先まで解される気がした。
「ここの温泉には、竜の血が入っていると評判でしてな。仄かに赤いのは成分によるものらしいのですが、人間の再生能力を強める作用があるのは本当のようでして」
「……あの女も言っていたが、再生能力とは何なんだ」
「そのままの意味ですな。人間は怪我を癒す再生能力を有しております。レオ様のような突然変異は竜の血が色濃く出ているらしく、傷を負っても数時間で癒えてしまう程です」
「数時間? 冗談だろう?」
「いいえ、真でございます。先代様もそうでしたが、あの方々は腹に杭を刺されても平然と動き、数時間で傷が塞がってしまうのです。流石に首を斬られたり部位が切断されれば再生は出来ないそうですが」
まるで化け物だな、とルドウィグは内心で吐き捨てる。見た目は普通の女だったが、そのような人外の如き存在であるというのならば、なるほど確かに、子供など作る気はないと宣うわけだ。それを受け入れられる人間の方が少ないだろう。
「そのような女を相手にしろと、貴様らは言わないだろうな。そんな化け物の如き存在を」
「閣下とのご関係は、我らも周知されております。というか、閣下の件については既に皆が知っているかと」
ぴくり、と思わず眉が動いてしまった。
過去の屈辱的な話も、その全てを知られている。それに、ひどく居心地の悪い気分になる。
しかし、ハリーは好々爺な笑みに、どこか温かい眼差しでルドウィグを見て言うのである。
「この温泉には滋養強壮の効果もございますし、お年を召した方々からも、精力が戻ると評判でしてね。その手の機能が衰えた方が復活したという実績もありますし」
だからそう気を落とさずに、気長に参りましょう、と飄々と宣われたそれに、ルドウィグは何も言えず、羞恥に歯を食いしばる羽目になった。
・・・
ゆったりとした湯治の後は、水分補給を行ってからのマッサージ、昼代わりの軽食を食べる。
「そういえば、私はあの女の家族に挨拶をしなくてもよいのか?」
一応は礼儀として顔を合わせるべきだろうと思ったが、ハリーは肩を揺らしつつ首を振った。
「何分、ゼルツの皆様はお忙しくされておりまして。先代様は遠征、奥様は社交として王都におられますし、兄君のジョアン様は政務に忙しく、一同に会するのはもうしばらく後になるかと」
「……多忙なのか、あの女もそうだったが。仕事の多そうな地だ」
「左様でございますな。後援貴族の方々との日々の交流も大切ですし、王家からの要望を優先して聞くように取り計らう必要もあります。毎日のように魔物を狩り、その収穫物を持って帰って解体するだけでも手間が掛かりますし、加工品として交易に出される品物のチェックも重要ですな。商人達の出入りも盛んですし、王都の流行に合わせて流す品数を管理する必要もあります」
「ゼルツは、魔道具と魔物産の加工品が盛んだったか」
魔物は群れを成して人間の生存権を脅かすが、その脅威はともかく毛皮や鱗、多種多様な素材は人間の武具や家具に使用されている。特に毛皮製品は高級品として有名だし、武器の品質もまた定評がある。もっとも、魔物の素材だけでは武具の全てを賄うことは出来ないようだが。
「人間の返り血を浴びた毛皮を欲しがるのも、業の深いことだな……」
「使えるものは何でも使え、が人間の信条でございますからなぁ。人間の血が染み込んでいようとも、肌触りが良ければこぞってそれを使いたがるものです」
まあ、それを広めたのはゼルツなのであるが。
人間が魔物の一部を纏うのは太古からあったが、調度品として完成させたのはこの地の人間たちである。教会に金を積んで頷かせ、王侯貴族に魔物を纏わせた功績は大きいだろう。
つくづく、この地は強かと言うか、ぶっ飛んでいる。
・・・
午後からは特に予定は入っていないが、今後の日課としての散歩を促された。拒否しても良かったが、久しぶりに外へ出て新鮮な空気を吸うのも良いと思った。
車椅子に乗せられて、城内の庭園へと案内される。付き添うのは車椅子を押すハリーと、護衛の騎士二名。
城塞都市であるここは、基本的に石材建築による無骨で実用的な家々が多く見られたが、この庭園だけは緑溢れる場所であった。
「花が少ないが、やはり咲かないのか?」
「ええ、この地で農園は難しいでしょう。土壌によるものなのか、それとも竜の呪いなのかは、わかりませんが」
ゼルツの背後に聳える山脈も、緑が全く無い岩肌の多い地だ。木も黒く岩のように硬い代物ばかりで、柔軟性が低く耐久も悪いので建築にはあまり使われない。
されど、その不毛な土地でも、こうしてある程度の緑を作り出すことは可能らしい。
ハリーに車椅子を押されながら庭園を眺めていれば、ふと、進行先に誰かがしゃがみ込んでいる事に気がついた。花壇の前で膝をついていたその人物は、ふわりと揺れる銀の髪を閃かせながら、気づいたようにこちらへ顔を向けた。
その少女は、可憐な容貌を瞬かせ、次いでこちらへ満面の笑みで手を振った。
「あ、ハリーじゃん! やっほー!」
「ケーニ様」
駆けてくる、十代半ばの少女。年頃なのか動きやすいワンピースを纏い、園芸用スコップを手に無邪気な様子でやってくる。
それに、ルドウィグは思わず身体を硬直させた。
「ケーニ様、こちらはルドウィグ様でございます。そのような格好で徘徊されるのは如何なものかと」
「えー!? うっわイケメンじゃん! お兄さんがレオ姉さんの旦那様!?」
わーわーと歓声を上げつつ、無遠慮に見下ろしてくる。冷や汗を流して見上げるが、不自由な足では逃げ場など無い。
脳裏に過ぎってしまうのは、こちらへ手を述べてくる女の顔。
薹が立った化粧の厚い女は、気色の悪い笑みを浮かべて──
「あっ! そっかそっか、ごめん! これ以上は近づかないから大丈夫だよ!」
「……ケーニ様」
「おっと、これは失敬!」
再三のハリーの催促に、ようやくと言った風情で銀の髪の少女は胸に手を当て、ふわりと礼をした。
「ルドウィグ様、貴方のご事情は当主からお聞きしております。ここでは貴方を害する者を許すつもりはありませんので、どうかお健やかにお過ごし下さいませ」
「…………」
少女はいったい誰なのか、そして花壇で何をしていたのか、疑問が溢れて思わず口を開いたとき、
──高い、大きな鐘の音が響き渡った。
その瞬間、傍の者たちは一瞬で気配を変えた。
「ハリー、ルドウィグ様を地下へ」
「畏まりました。ケーニ様は」
「一応は出るよ。まあ、気休め程度だけどねぇ」
「わかりました。どうかご武運を」
空気を変えたケーニという名の少女は、ひらひらと手を振って城へと駆けていく。
そちらとは別の方向へ車椅子を押すハリーは、早足なまま、されど余裕を持った口調で述べる。
「ご安心を、我が城は鉄壁の防衛を誇るゼルツの誉れでもあります。どのような魔物がやって来ようとも、貴方様の御身に傷一つ付けさせることはございません」
ここまでくれば、先程の鐘の音が警鐘だというのは嫌と言うほどに察せられた。
次いで、先程の少女に関して尋ねてしまう。
「先程の娘は、ゼルツ家の者なのだろう? 彼女も戦うのか?」
「……ええ、それがゼルツの役割ですから。年齢も性別も関係なく、武勇か或いはそれ以外をもって貢献するのが、ここへ迎え入れられる条件ですので」
徹底した実力主義、それがここの流儀なのだ。
「だが、まだ年若い娘だ。傷でも付いたら大変では」
つい、お節介な事を言ってしまい、自分で眉を顰めてしまう。別に心配している訳では無いが、顔を合わせた相手に何かがあれば嫌でも気になる。
そう内心で呟いていれば、ハリーは背後で大きなため息を一つ、吐いた。
「ご安心を、あの方は……ケーニッヒ様は、男性ですので」
「………………は?」
脳が理解に至るまで数秒を要した。
先程の、可憐な、男なら守ってあげたいと思ってしまう程度には美しい、どこからどう見ても少女にしか見えない彼女は……男だった。
「…………な、なんで、あんな格好を」
「曰く、『僕は女の格好も似合ってる訳だから、じゃあその日の気分で好きな格好をするね! だって似合ってるし!』……とのことです」
「…………」
「ちなみに、あの方はレオノーラ様の弟君です。血は繋がっておりませんが」
女装趣味という貴族の常識の埒外に位置するそれに、ルドウィグは早々に理解を放棄した。
やはりこの地へ来たことを後悔しつつ、どうにもならない現実に遠い目をするしかなかった。




