入り婿を掻っ攫う事にしたわ
ゼルツ辺境伯、もといレオノーラは、話を聞いた一月後に旦那様を迎えにいった。
ゼルツ家の所有する飛竜にライドして大空を駆けること数時間、件の侯爵家の本邸へと降り立つ。千里の道すらも一瞬で踏破してしまうのは、飛竜を持つゼルツ家や王家だけの特権だ。
「よ、ようこそおいで下さいました、ゼルツ辺境伯。この度はまこと……」
「ああ、そういうのは結構よ。アタシは礼儀作法なんて気にしないし、ゼルツの地では無意味な代物だから」
玄関で出迎えた侯爵への、まさしく竹を割ったかのようなそれは、見る者が見れば憤死するレベルの無作法であるのだが、ゼルツの一族がほぼ全員、こういう感じなのは周知の事実であった。例外は兄のジョアンだけである。
超人一族の先頭に立つ超人の中の超人、拳一つで山をも吹き飛ばすなどと言われている畏怖の対象である少女は、見た目だけは普通の女性にしか見えないだろう。黒い髪を頭頂部で結い上げ、勝ち気な表情には不敵な光を抱く赤い瞳がよく映える。血を浴びすぎて真っ赤に染まったという曰くのある瞳は、平和な時でもどこか油断ならない光を纏っていた。
若きルーヴェ侯爵は冷や汗混じりにレオを見つめるが、レオは一瞥しただけで相手の人となりを把握する。
(神経質そうだけど、どこか柔和な印象ね。あと、アタシを怖がっているのと、心配している? たぶん、お兄さんを)
兄弟仲は悪くなさそうだ、と把握してから、レオはルーヴェ侯爵へ提案する。
「それで、こちらへ届いていた婚姻届は王都へ提出してあるけども、問題は無いわね?」
「……ありません。我が家の不徳と致すところを、貴方に背負わせるのは心苦しくもありますが」
「いいっていいって。この十年間、お兄さんを支えてあげられたのは、間違いなく侯爵閣下の優しさだわ。アタシはそれを尊敬するし、ゼルツへ委ねる判断をした勇気を称賛する」
「……ありがとう、ございます」
引き籠もっていた兄を外へ出すことは叶わなかった弟は、それでも手を尽くして足の治療だけでも試みたのだと言う。近年では兄が怪しい医者なども呼び寄せて治療させていたらしいが、弟はそれを諌める事は出来なかった。
全てが無為に終わり、藁にも縋る思いでゼルツの温泉に頼ることにした。無論、そこで魔物の襲撃に遭って死んでしまうかもしれないという、リスクも込みで。
(訂正ね、彼はゼルツをゴミ捨て場にするつもりはない。なら、優しくすることも有りかしらね)
とはいえ、引き籠もっている兄貴を引っ張り出す事は出来なかったらしく、居並ぶ使用人も窶れ果てている。随分と手のかかる病人のようだ。
侯爵に連れられつつ、レオは引き籠もりの部屋へと向かう。
その扉の前で、背後の者たちへ言った。
「ここから先はアタシが行く、貴方達は待っていなさい」
敬礼するゼルツ騎士と不安そうな侯爵達を残し、レオは鍵の掛かっているであろう重苦しい扉と相対し、そして一切の躊躇も無いままに、
──部屋の扉を粉々に粉砕、もとい蹴り開けた。
凄まじい轟音と共に扉が木屑となって飛び散り、背後の人々が悲鳴を上げる中、やった当人は悠々と足を踏み入れる。
「ハロー、新しい旦那様。花嫁が迎えに来てやったわよ」
不敵に、傲慢に、いっそ清々しいほどの態度でレオは部屋へと押し入って、格子の嵌った窓際で椅子から落ちたように腰を抜かす男を見た。
歳は二十八、腰よりも長い白金の髪に、宝石のような青い瞳。端正な姿はまるで陶器人形にすら見えるが、中性的な雰囲気の中に男性的な特徴が見える。しかし、今は窶れた頬や目の下の濃い隈が、それら美貌を台無しにしていた。
驚き戸惑う男は、這いずりながら窓枠に手をついて体を起こした。
「な、な、何だ、貴様は……!? 私の部屋に誰の許可があって入ってきた!?」
「誰って、侯爵閣下の許可だけど?」
その名を口にした途端、男はキッと眦を釣り上げて憎々しげに睨みつけてくる。
「あいつか、私から地位を簒奪したあいつが、遂に私を捨てる事にした訳だ……は、はっはっは……!! それもそうだな、侯爵家の穀潰しなど飼い殺しにしていたところで何の益もない、ああ実に良い判断だよ!」
その叫びに、向こうの侯爵が痛ましげに目を伏せた。
現状を把握しているようだが、弟の心象までは理解できない、否、したくないのだろうな、とレオは他人事のように思った。
「それで旦那様、悪いけどアタシと一緒にここを出て新天地で生活しない? っていうか決定事項なんだけども」
「私の知ったことか!」
「そもそも、アタシが来ることって聞かされてなかったの? 今日、迎えに来るってお話されてない?」
「……そんな話は覚えていない、覚える価値などない。いいから帰ってくれ!」
虚ろな青い瞳のそれに、室内に充満するどこか甘い香り。
レオはピンと来て室内を歩き、喚く相手など気にもせず、薄汚れた室内の各所に捨てられるように置かれていた塗り薬の残りと、様々な薬の包みを見て、そこに書かれた文字に鼻で笑う。
「……さまざまな治療を施した、か」
レオの見たところ、中には劇薬もある。確かに薬にもなるだろうが、こう取っ替え引っ替えに薬ばかり飲んでいれば、そりゃ副作用も出てくるだろう、と。中には麻薬に近い代物もある。それほどまでに必死だったのだろう、或いは無頓着だったのだろう、とは察せられるが。
包みを放り、レオは男へ目線を降ろした。レオの周囲の男性陣とは正反対の、軟弱そうな、一回り年上の男は、薬物中毒者のように酩酊したような眼差しをしている。
それがどうにも気に食わなくて、レオは笑みを浮かべて、ゼルツの流儀に沿うことにした。
「引き籠もりって、部屋が無くても引き籠もれるのかしら?」
「……は?」
次の瞬間、呆けた男の前でレオが足を振り上げ、背景の壁をぶっ壊した。
轟音と共に窓ごと壁が粉砕され、綺麗な青空がお目見えする。
同じように、レオは次々と外に面した壁を壊しに壊し、ついでに壊した。
綺麗に取っ払われた一面、外は肥沃な山々に覆われたルーヴェの地が拝めるのを目にし、唖然呆然に呆ける相手へ、レオはとても良い笑顔で言い放った。
「さて、貴方の部屋は無くなっちゃったけど、まだここにいる? ああ、言っておくけど貴方が籠もろうとする部屋は全て、アタシがぶっ壊すから、そのつもりで」
最初から掻っ攫って連れ帰る事はできたが、それでは引き籠もりなのは解決しない。なので、まずは力関係を相手に叩き込ませるために部屋を破壊したのだ。承諾を取っている筈の侯爵は真っ青な顔で遠い目をしているが。
男は引きつり、ギリギリと歯を噛み鳴らすようにレオを睨め上げる。そこに怒りはあれど、恐れは無い。
それに、レオは好印象を抱いた。
「それじゃあ、あんまりこの屋敷を破壊するのもアレだから、失礼するわね」
「なっ……何を、やめろっ!?」
悲鳴を上げる相手を問答無用で抱えあげる。いわゆる、お姫様抱っこ。
男は唖然として後に、急に顔を羞恥で真っ赤に染めた。
上背の差など苦も無く行うレオの腕の中で男は文字通りに暴れるので、仕方なく米俵式運搬法によって運び出される事となった。
「降ろせぇっ! この無礼な小娘が! もっと持ち方を考えろっ!!」
「はいはい聞いてるわよ~。あ、飛竜の上で暴れたら落ちるから」
「っ!?」
こうして飛竜の背に乗って、心配気なルーヴェ侯爵一行に見送られつつ、レオは婿を連れてゼルツの地へと戻ったのだった。
・・・
「辺境伯様だぁぁっ!! ドラゴンよりこえーお人だぁっ!!」
「うおおおぉぉぉレオの姐さぁぁん!! 今日もべっぴんだぜえぇぇい!!」
「結婚してくれぇぇぇっ!!」
飛竜の上からでもわかる、都市の荒くれ騎士や傭兵共の口笛やらを歓迎に、レオは意気揚々と飛竜を城へと乗り付けた。旦那を米俵式運搬法で抱え上げて。旦那はもはや無の顔であった。
飛竜から飛び降りれば、短い青髪の貴公子然とした男性が玄関から出て来て出迎えた。レオノーラの兄、ジョアン・レント・ゼルツである。
「おお、レオ! 無事に戻って……来たかどうかは怪しいところだが、無事に連れてこれたようだな」
「兄さん、やっぱりルーヴェ家の部屋を壊しちゃったから、弁償とか慰謝料とか諸々を宜しくねぇ」
「軽く言うな、許可を取ってあるとは言え、こっちは胃が痛いんだぞ。……ああその、婿殿? 何かあれば申し付けてくれ、可能な限りは応じよう」
神妙なジョアンに、旦那は縋るような目を向けたが、相手は遠い眼差しでスイっと目線を逸らした。助ける気はない。
頭痛がしそうな兄と気軽に挨拶し、レオは旦那を自室に招いて……もとい、運んでソファに座らせた。まるで物を置くような所作である。
苛立たしげに睨む相手の向かい側に腰掛けて、レオは不敵に笑みを浮かべて口を開く。
「それじゃあ、改めて始めまして、旦那様。アタシはレオノーラ・ゼルツ。この辺境の地を治めるゼルツの当主をやっているわ。そして貴方とアタシはこの度、めでたく婚姻を結んで、既に王都の教会へ提出してある。つまり、既に書類上は夫婦になっているというわけ」
「…………貴様は、」
男は口を開く。隈のある険の深い青い瞳は、レオの赤い瞳と真っ向から対峙していた。
「私の状態を聞いていないのか? 私は子供を作れない、貴族としては致命的な欠陥を持った出来損ないだ」
「そうかしら、別に実子だけを後継に選ばずとも良いじゃない? 向いている人間を一族の中で選んだ方が、生存競争では生き残れるわよ」
「馬鹿馬鹿しい、身内同士で骨肉の争いに発展するだけだ。良いか娘、貴族は何よりも血を尊ぶ。高貴な血筋を持つ人間を重視し、そこに付帯する権威を継ぐためならば、何でもやる生き物だ。たとえ血が近かろうともな」
「ああ、近親相姦ってやつ? アレって子供が弱く生まれる事も多くなるから、ゼルツではやらないわね。そもそも、アタシも子供を作らないつもりの結婚だったし」
「……は」
男は今度こそ空いた口が塞がらない様子で、そんな相手など気にもせずにレオは侍女の入れたお茶を飲んだ。ゼルツの地では貴重品の紅茶だ。
「アタシは当主として、戦うことを義務付けられている。兄よりも戦いの才や再生能力が強いからこそ、兄を押しのけて当主となった。それがゼルツの流儀よ」
「……それで、殺し合いが起きたらどうする」
「決まってる。殺そうとする相手を、徹底的に殺し返すだけだ」
ヒヤリと背筋を撫でるかのような言葉。権謀術数すらも跳ね除けて地位に収まるのがゼルツ辺境伯という存在だ、それで死ぬのならば相応しくなかったというだけ。より相応しい存在が座れば良い。
レオは、そう言ってのけた。
「戦場では礼儀や過去や血筋ではなく、今の手際のみが問われるもの。だからそれらは不要な価値観でしかなく、故にゼルツは血よりも力を重視する。それはアタシのような暴力であるし、兄さんのような頭脳でもある。それらを統べてこそ、ゼルツの領主と言えるし、西方魔族の流入を抑える要塞、ゼルツという民のやり方として成立している」
「……だが、それが貴様が子供を作らないという理由にはならんだろう。貴様が才能ある人間だというのであれば、その子供もまた才を継いで生まれるに違いない」
「アタシは養子よ、先代辺境伯との血の繋がりは無いわ」
父と慕ってはいるが、レオと先代は本当の親子ではない。兄ジョアンこそが先代の子なのだが、当人は自ら身を引いてレオへ座を譲っているし、ジョアン自身もそれが当然だと思っている。
「ゼルツでは、血にさして意味はない。価値があるのは才能だけ。だって、ここではアタシのような怪物がその辺でポコポコと生まれてるのよ? 血に拘るだけ馬鹿馬鹿しいじゃない」
「だ、だが、その血を掛け合わせれば更に強い戦力が生まれるかもしれないだろう」
「そうだけど、それってアタシがやらなきゃ駄目な事?」
平然と、言ってのけるそれに、相手は言葉を失った。
「アタシは一級の戦力と自負しているし、常に最前線で戦い続けるわ。丸一年も子供を作っている暇が無いくらいに忙しい場所なのよ。特に最近は魔物の王が生まれたとかで活気づいてるから、侵攻頻度も多くなってるし」
なんだか不安になる話である。引き籠もっていた男は知らない情報に戦慄し、ついでに「なんて所に連れ去られて来たんだ……」と愚痴を吐いた。
「だから、アタシとの結婚はあくまで家同士の利益を重視した契約でしかない。貴方はアタシを愛する必要はないし、アタシもそれは同じ。でもま、余所余所しいのって柄じゃないから、適当な友人関係くらいの距離感が理想かしらね?」
「…………貴様は、バカなのか?」
憮然と言い放つそれに、レオはカラカラと笑い飛ばした。これだけ嫌悪感に溢れた相手であっても、彼女は気にする素振りすら無い。
「いいじゃない、貴方の人生は長いんだし。こんなバカげた状況を楽しんでおきなさいな」
「…………、ルドウィグだ」
不意にそれに、レオはしばし目を瞬かせてから、いたずらが成功した子どものように笑みを零した。
「あら、良い名前ね。ルドウィグ、と呼んで良いかしら? アタシの事はレオって呼んでちょうだい」
「レオ? まるで男のような名だ、名は魂を体現するというがその通りのようだな」
「あっはっは! そうなのよ、やっぱり強そうな名前のほうが箔が付くじゃない? レオ辺境伯って響きが格好いいし!」
「この国では称号とファーストネームは同時には使わんし、短縮名も使用しないぞ」
「あら、残念」
ようやくカップに手を伸ばし、不承不承という所作で男、ルドウィグは紅茶を飲んだ。ひとまずは現状を諦め、もとい受け入れてくれたようである。
そんな相手を眺め、レオは目を細めて笑った。