桃の乙女編 18
帰宅途中、美櫻は自宅最寄り駅の二つ手前の駅で途中下車し、川沿いの土手の桜並木の下を歩いていた。
ちょうど近くの小学校入学式帰りの親子連れが、嬉しそうに並んで写真を撮っている。
いつもなら早々に散っている桜だが、今年は珍しく少しく遅れて満開を迎えたので、真新しい制服を着た子供を連れた家族連れが写真を撮るために静かな川沿いの土手は賑わっていた。
賑やかな通りを抜けるとすぐ、自然豊かな山へと続く道へと足を向けた。
人通りを離れ、人の声や町の喧噪から鳥の声や風のそよぐ音へと変わっていく山の麓へ続くこの道が好きだ。
麓へと近づいていくほど清んでいくこの空気も好きだ。
少し時間は掛るのだが、祖母の家へ続く道は、心が澄んでいくようで、美櫻のお気に入りでもあった。
少し歩くと、門が見えてきた。
美櫻はその引き戸を開け、門を潜った。
門を潜ると手入れの行き届いた広い庭がある。
水が流れるように設計された池には、見事な錦鯉が泳いでいる。
ここは祖父が亡くなった後祖母が一人で住んでいるのだが、知り合いの女性の庭師、「茶山心花」が暇を見つけてはやって来て手入れをしてくれていた。
今日も心花が植木の手入れをしている。
ここでの作業は、気持ちが清んでいくので落ち着けるのだという。
庭師の中でも女性の数は圧倒的に少ない。故に様々な圧に耐えているのは容易く想像出来る。
普段ならすんなり出来る事も、圧がかかればすんなりとは進まない。
男性庭師からの妬みや圧力など周りに辛く当たられながらも頑張り続け、次第に認められていった結果、ついに自身の目標であった女性だけの庭師の店を立ち上げた。
当初は心花一人でチラシを配ったりして集客を試みるも、女生ということだけで見下され、なかなか仕事が回ってこなかった。
途方に暮れる心花を美櫻の祖母である「斎樹櫻羅」が相談に乗り、励ましてきた。
そして、櫻子が進めたある大きなイベントに参加した際、最高の栄誉を受賞したことをきっかけに売れっ子庭師となったのだ。
今では弟子も数人抱えている。
女性でしか出せない感性が話題を呼び、店も大きくなり、連日問い合わせが絶えない人気店となった。
だからといって、傲り高ぶることはない。
鋏を握っている時間が好きなのだ。
慢心や自己満足で庭の手入れをしていたら、こうも美しい庭は出来ない。
風を読み、草木の声を聞き分けながら手を進めていくその所作は美しく、どこか神秘的に見えた。
「おばあちゃ~ん、来たよ~。今日もよろしくね~。」
縁側で心花の仕事を見ていた祖母が、美櫻の姿を見てゆったりと微笑む。
祖母といっても美櫻の母は早くに結婚し美櫻を出産したため、櫻子はまだ60歳手前なのでまだまだ若々しい。
今風に束ねた少し長い白髪は、「どうせ白髪になるのだから。」と、自ら白くしたと言っていた。
「あら、美櫻ちゃん。いらっしゃい。今、お茶入れるわね。」
草珂露凪が美櫻の姿を見つけ、声を掛けてきた。
露乃は祖母にお世話になったという縁で、住み込みで祖母の身の回りの世話をしてくれている。
今日の祖母の髪も、祖母に似合いそうな髪型をインターネットで見つけ、結ったそうだ。
きちんと整えた髪は「若く見える」と嬉しそうに祖母は自慢した。
「そのうち美櫻ちゃんの髪も結ってあげたいわ。」
露凪はいつも(わざと)ボサボサにしている美櫻の身なりを気にしていた。
「ちゃんと整えれば別嬪さんなのに、本当にもったいない・・・。」
露凪のいつもの口癖だった。
美櫻はというと、なんと言われても興味がわかず、いつものように苦笑いをしてやり過ごそうとした。
「入学式は無事済んだんかぃ? 何とかいうお偉い先生に呼び出されとったんやないんかぇ?」
美櫻が隣に座ったと同時に、祖母の櫻羅が聞いてきた。
「入学式には参加しなかったの。その『お偉い先生』と会う約束をしていたから。」
「あれまぁ・・・。入学式は一生に一度やと言うに・・・。」
「どうせ理事長とかの長~~い挨拶を聞くだけでしょ? つまんないじゃない。」
その後、美櫻は今日の出来事を櫻羅に話した。
桃香が入学式前に思い切った行動に出て、ずっと想い描いていた未来図が動き始めたことや、東館に招待されたこと。
そして、曉月教授の研究室での出来事など・・・。
「おやおや、そんなイケメンやったら私も会ってみたいもんやねぇ。まぁ、じいさんには敵わんやろうけんどのぉ。」
櫻羅は少し頬を赤らめながら微笑んだ。
そんな祖母を見ると、いくつになっても「かわいい」と美櫻は思ってしまう。
祖父は先代「斎樹神社」の神主であった。
5年ほど前に体調を崩しのを期に息子にその職を引き継ぎ、祖母と共にこの家で余生を過ごした。
風の音が聞こえ、鳥のさえずりと共に目覚める。世俗から離れ、この自然に囲まれた静かな場所は、祖父母にとって数少ない落ち着ける場所であった。
祖母と共に静かに過ごしていた祖父だったが、病状は日々進行し、半年ほどであっさりとこの世を去った。
最後まで自分の足で歩き、家族にも迷惑も掛けず、いつもニコニコと微笑んでいた祖父。
祖母は『この世の去り方も、あの人らしい。』と、涙を流しながらも笑って見送った。
『唯一』を失った祖母はしばらくは塞ぎ込んでいたが、祖母にお世話になったという人がこの家に集まり、日々賑やかにしてくれることで徐々に立ち直り、今じゃすっかりこの「上げ膳据え膳」状態が身についてしまった。
かといって「邪が出たら、まだ私でも役に立つことはあるやものぉ。」と、日々の鍛錬は欠かしてはいない。
祖母の巫女としての「清めの舞」は、美櫻の母でもまだまだ敵わないほどの効果があるのだ。
美櫻はそんな祖母から「清めの舞」を伝授してもらっていた。
「まだまだ卵の殻にヒビが入った程度」と言われるものの、少しキツメの稽古に耐えられるのは、美櫻自身体を動かすことは楽しいという事もあるのだが、祖母の醸し出す雰囲気と、この家の心地よさが好きだからでもあった。
美櫻は稽古着に着替え、長いリボンの付いた鈴を持って舞を始める。
『型』と『唄』は覚えている。
今はそれを身に染み込ませていく過程に入っている。
「所作はきれいなんやけどのぉ・・・。」
美櫻の巫女舞を見るたび、祖母がそう口にした。
「型を覚えても、そこに『心』が存在しない限り、舞は完成しない。」
そう言われ続けているものの、美櫻にはその『心』のあり方が今ひとつ掴めていなかった。
幼少の頃より次代の巫女として舞を教えられていたので、型は完璧に近いほど覚えている。
だが、美櫻自身も何か物足らなさを感じていた。
「おばぁちゃんの舞は、本当に美しいのよね・・・。」
櫻羅は美櫻に教えるため、同じ型で同じ舞を舞っている。
その筈なのに、何処かが違うと痛感している。
それが何なのかはわからない。
舞が進むと体温が上がり、ほんのりと祖母の頬が桜色に染まっていく。
穏やかな笑みを浮かべながら舞うその姿は、「綺麗」というよりも「美しい」の言葉がしっくりと当てはまる。
実際、美櫻は体を動かすことは好きだから、舞を覚えるのは楽しい。
だんだんと出来るようになっていくことは嬉しく、同じように笑みを浮かべながら舞うことだってある。
だが、祖母とは同じようであって、まるで違う舞だと思ってしまうほどの違いを感じ取っている。
「美櫻は未だ本当の『愛』を知らんからのぉ。そやから『あい』でしか舞えんのや。」
祖母の言葉が頭の中で反芻する。
(舞うのは楽しいのに・・・。おばあちゃんの言う『愛』がよくわかんない。)
そんなことを考えていると、ふと入学式前の出来事が頭をよぎった。
(そう言えば、桃香のあんな嬉しそうな顔、初めて見た・・・。)
ずっと慕っていた相手に自分の気持ちを伝えられたこと。
その上、受け入れてもらえたという喜びが、桃香の前身から溢れていた。
「あの時の桃香、本当に綺麗だったな・・・。」
桃香にはよく「冷めている」と言われるほど、美櫻はあまり感情の起伏を表現しない。
高校時代も休み時間ごとに繰り広げられるガールズトークのあのテンションについていけず、一人でいることが多かった。
クラスの雰囲気にもなじめず、寂しいと感じることもあった中、救いだったのは桃香の存在だった。
桃香はテンション高めのガールズトークを楽しむ方だが、美櫻との時間も大切にしてくれていた。
「いろんな情報を手に入れることも出来るし、聞いているだけでも楽しいよ?」
桃香はそうやって誘ってくれるものの、美櫻には違う世界のように感じていた。
もともと、落ち着いた雰囲気が好きだという事もあり、どちらかというと祖母との柔らかい会話の方が、美櫻には心地よく感じられる。
日常によくある事柄のことで、よくあんなテンションでおしゃべりを展開出来ることを、美櫻はよく「何がそんなに面白いのかしら?」と桃香に愚痴をこぼしていたほどだった。
特に恋愛に関するおしゃべりが繰り広げられるのは苦手だった。
美櫻にはその感情が全く理解出来ないからだった。
「『心』・・・かぁ。」
桃香のように誰かを慕うことが出来るのなら良かったのだが、そもそも美櫻は他人に興味が沸かない。
根掘り葉掘り聞かないのは利点だと言われる事もあるが、「冷たい」「冷めてる」と言われる事の方が多かった。
自分自身、つくづく恋愛体質ではないと痛感している。
誰かと並んで歩いている姿なんて想像すら出来なかった。
だが、ふと今日の出来事が思い浮かんだ。
(確かに誰かと並んで歩く自分の姿なんて、想像出来なかったけど・・・。)
曉月教授の研究室から図書室までのごく短い距離だったけれど、漣に案内されながら並んで歩いた。
想定外に注目の的になってしまったが、不思議と居心地は悪くなかった。
(ただの思い過ごしかしら・・・?)
桜の花びらが、不思議な甘い香りを漂わせながら、美櫻を優しく包むように舞っていた。




