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■ 前 編

 

 『甘えられないトコに行くんだから~・・・』

 

 

 

そうナツに言い放って、すぐには帰らないと宣言したあの日の自分の言葉を

アキはひとり、思い返していた。

 

 

その日アキはホームステイ先のいつまで経っても慣れない自室のベッドに

突っ伏してひとり、声を殺して泣いていた。


枕に押し付けた顔。

哀しくすすり泣くその声は、水鳥羽毛に吸収されくぐもって響く。

硬いベッド、ムダに大きいフカフカすぎる枕、脂っこい料理、早口なガイジン。


この国が、嫌いになりそうだった。

あんなに憧れたこの国のすべてが、大嫌いになりそうだった。

 

 

慣れない環境、聞き取れない言葉、伝わらない気持ち、たったの一人でさえも

いない知人。


完全に打ちのめされていた。 帰りたくて帰りたくて、無意識に口から洩れる

言葉は『ナツぅ・・・。』 そればかりだった。

 

 

ステイ先には同じ日本人がひとり居ると、事前に聞かされていた。


それだけで、どこかホっとしていたアキ。

出発前からそれがどんな人か想像していた。

 

 

 

 

  (同年代の女の子だったら心強いけど、


   もし男の子でも、ダイちゃんみたいなタイプならいいなぁ・・・。)

 

 

 

 

しかし、その日本人は外国人よりも冷たくて、素っ気なくて、意地悪だった。

 

 

 

 『ぁ・・・ はじめまして。 お世話になります、オノデラ アキです。』

 

 

 

初日、緊張の面持ちで笑顔を作り自己紹介したアキに、

 

 

 

  ”留学してんだから、英語で言えば? ” 

 

 

 

流暢な早口の英語が返ってきた。 

日本語で返事をされると思って疑わなかったので耳に飛び込んできたそれに、

所々しか聞き取れなかったアキ。


それは、シュウと言う名のアキより1才年下の男子だった。

痩せて不健康そうな青白い顔、鋭い目つき、決して笑わない真一文字の口角。

3年の予定で留学しているらしい彼は、1年遅れでやって来たアキに冷たい

目を向ける。


もしかしたら日本語じゃないからキツイ感じに聴こえるのかもと、

アキはその後もなにかとシュウに話し掛けたが、彼はいつも決まって

早口の英語で突き放す。

 

 

 

 『ナツぅ・・・。』 

 

 

 

アキはシュウに打ちのめされた夜はいつも、ベッドに突っ伏して泣いていた。

ステイしてからほぼ毎夜、泣いていた。

 

 

 

現地の新学期が始まるのは9月。


それまでの間アキはステイ先の家の手伝いをしたりして、少しでも環境に

慣れるために早目に現地入りしていた。

それを勧めてくれたのはホストファミリーの老夫婦で、その間もしっかり

サポート出来るからと言われ安心してやって来たのだが。


そんなアキの世話係は、冷たくて意地悪なシュウだった。

 

 

 

 ”日本語使うな! ”


 ”甘えるな! ”


 ”なにがなんでも、ジェスチャーででも伝える努力しろ! ”

 

 

 

連日シュウに早口英語で怒鳴られる。


怒鳴られて萎縮してしまって ”もっとゆっくり話して ”の一言さえ

言えなかった。 アキはシュウのことが大嫌いだった。


今まで誰にも意地悪もされた事なければ、そんなキツイ口調でまくし立て

られた事もない。 人間関係で嫌な思いをした事など、17年間生きていて

一度も無かったのだから。

 

 

ステイ先の老夫婦がアキを心配して声を掛けるも、なんて言われているのか

分からずただアキは首を横に振って愛想笑いを向けるだけだった。


英語が怖くなってしまって、単語ひとつもまともに返せなくなっていった。

 

 

 

 

9月になり、遂に交換留学がスタートした。


そこはシュウが通う学校とは別のところだった。 

例え同じ学校だったとしてもなにかあっても助けてくれるような人ではないし、

いてもいなくても同じだった。

むしろシュウにいられるとビクビク怯えてしまいそうだから、別の学校という

事にホッとしていた。 少しでもシュウとは離れたかった。

 

 

一人でも日本人がいてくれればというアキの願いは呆気なく打ち砕かれ、

クラス内に日本人はおろかアジア系すらアキひとりという事実に、絶望感

すら憶える。


初日。 

みなアキを気にして話し掛けてくれるが、早口なネイティブ英語に全く耳が

追い付かずただ情けない顔をして愛想笑いをするのが精いっぱいだった。

 

 

 

 

  (帰りたい・・・。)

 

 

 

 

そればかり毎日毎日考えていた。

交換留学が終わるまであと何日かを、先のカレンダーを何枚も何枚もめくって

数えた。

 

 

 

数日経った頃のこと。


気が付くとクラスの子たちが、やたらとゆっくり発音して話し掛けてくれる

ようになった。 ジェスチャーを入れながら、まるで小さな子供を相手する

ように話してくれている。


それでも聞き返すことは多かったが、通常の速度でしゃべられるよりは

格段に聞き取れる。

アキも下手くそな英語で、身振り手振りを交え懸命に伝えようと努力した。

そのお陰で少しずつ少しずつ友達が増え、まだ少しぎこちないけれど笑顔が

戻りだしていた。

 

 

 

 

 

それは、ある雨の夜の事。


自室で和英辞書に目を落としていた時、突然、胃の痛みに体を屈めたアキ。

少しベッドに横になって様子を見て、ダメなら胃薬でも貰おうと思って

いたのだが弱かった痛みはどんどん我慢出来ない程強さを増していく。

呼吸するのすらツラく苦しい。

 

 

 

 

  (ご夫婦に、言わなきゃ・・・。)

 

 

 

 

そう思いつつも、

 

 

 

 

  ( ”胃痛 ”ってなんて言うんだっけ・・・。)

 

 

 

 

腹部を押さえ、顔を苦痛に歪ませるアキは机に置いてある辞書まで手を

伸ばすことが出来ないほど痛みに苦しんでいた。

 

 

 

 

  (えーっと・・・  ”belly ”じゃなくて・・・ えーっと・・・。)

 

 

 

 

どんどん脂汗をかいていく体。

自分でも気付かぬうちに小さく呻き声が漏れていた。


血の気が引いてゆくようにガタガタ震える体。 

だんだん遠のいてゆく意識の中、誰かに怒鳴られたような気がして、

ふっと意識が戻る。 


痛む胃を押さえながら、薄目を開けるとシュウが真っ赤な顔を向けている。

アキの上半身を抱えるように起こし、肩をつかんで揺さぶっている

その大嫌いな怖い顔。

 

 

 

 『いいから、日本語で言えって!!!』

 

 

 

 

 (あー・・・ また怒られてる、私・・・


  この人、なんでそんなに私のことキライなんだろ・・・


  私・・・ そんなに嫌われることしたかなぁ・・・。)

 

 

 

アキは薄れてゆく意識の中で、『 stomachache 』

やっと思い出した ”胃痛 ”という英語を絞り出すように呟いた。

 

 

次に意識が戻った時、アキは病院のベッドの上に横たわっていた。


ステイ先の自室にだってまだ慣れる事が出来ていないのに、知らない病院の

病室で腕からは点滴が伸び付け放しのテレビからはコメディ番組が勿論英語で

流れている。 眩しさにしばしばと目を細めたアキに、ホストファミリーの

老夫婦の心配そうな顔が飛び込んだ。

 

 

 

 ”アキ・・・ 大丈夫? ”

 

 

 

困ったような泣きそうな顔を向けるその老夫婦は、アキの手を握ると

『 I'm all OK 』 と情けない笑顔で呟いたアキをぎゅっと抱きしめた。


その抱きしめられたあたたかさが、乾いた心と体に点滴よりも瞬時に浸透

してゆく気がした。

 

 

まだぼんやりする頭で、倒れた時のことを考えていたアキ。

痛みに苦しむさなか、アキに気付いてくれたのはシュウだったような気がする。


しかし、軽く病室内を見渡すも、その姿は見当たらない。

老夫婦にシュウの所在を訊ねるも、『 He is at home , now 』

との返事が返って来た。

 

 

 

 

  (お見舞いなんか・・・ 来てくれるはずないか・・・。)

 

 

 

 

諦めたように少し嗤って、かぶりを振った。

夫婦がその後なにか言っていたがアキは聞き取れず作り笑いをして誤魔化した。

 

 

 

  ”シュウがアキを慌てて病院に運んで、


   ついさっき迄、ずっと心配そうに付き添ってたのよ ”

 

 

 

そう英語で言われた事など、アキは知る由も無かった。

 

 

 

急性胃炎で一日だけ入院しあとは自宅療養という指示が出て、翌日退院した

アキはまずはシュウにお礼を言うため、どこかバツが悪そうに部屋の前に

立っていた。


そのドアを叩こうとする拳は恐怖で少し震え、躊躇う。

 

 

 

 

  (ガマンなんかするなって、また怒鳴られるかもしれない・・・。)

 

 

 

 

中々ノック出来ずドア前で立ち尽くしていると、突然ドアが開いた。


シュウが気配を感じ、開けたようだった。

その顔は、咄嗟に俯いて泣きそうに顔を隠したアキを見つめ、

小さく溜息まじりで。

 

 

 

 『ほんと・・・ 迷惑かけてごめんなさい・・・。』

 

 

 

消え入るようなか細い声で言って、


(ぁ・・・ 日本語だからまた怒鳴られる・・・。) 


条件反射のように肩に力を入れたアキ。

 

 

すると、

 

 

 

 『・・・大丈夫なの?』

 

 

 

シュウから日本語が返って来た。

その懐かしい響きに思わず泣きそうになるアキ。


しかし、泣いたらまたシュウに怒鳴られる。 唇を噛み締め、ぐっと堪えた。

 

 

そして、

 

 

 

 『 Thank you very much 』

 

 

 

深々と丁寧に頭を下げてシュウの顔は一度も見られずにアキは部屋を後にした。

アキの小さな背中を見送るシュウが、どこか寂しげな顔で笑っていた。

 

 

 

数日ぶりに登校すると、友人が大慌てで駆け寄りアキの肩に手を置いて

心配そうに顔を覗き込む。


慌てているから口調も早口になってしまっていて所々の単語しか聞き取れない。

でも、”大丈夫? ” ”心配してたよ ”という意味だという事は分かった。

 

 

”ホストファミリーとシュウという日本人同居人に助けてもらった ”と

片言で説明したアキ。


すると、他の友人がやって来て話しはじめた。

彼女は一番最初にアキを気遣ってゆっくり話し掛けてきてくれた子だった。

その会話の中に ”シュウ ”という名前が入っていた気がしたアキ。

 

 

 

 『 Please ・・・ say it once more 』

 

 

 

全部は理解出来なかったが、大体こんなような事を言われた気がした。

 

 

 

 ”私の友達がシュウと仲良くて。


  アキっていう日本人が来るから、頼むって。


  多分、全然ヒヤリング出来ないから、


  ゆっくり喋ってやってくれ、声掛けてやってくれ。


  愛想笑いして泣きそうなのガマンするはずだからって。”

 

 

 

アキが目を見張って立ち尽くす。

 

 

聞き間違いかもしれない。

全然ヒヤリングが出来ないだけの、解釈違いかもしれない。


もし仮に大体間違っていなかったとしても、きっともっとニュアンスは違う

はずだ。 あのシュウが、冷たくて意地悪ですぐ怒鳴るシュウが・・・

そんな訳はない。

まともに目も合わせてくれない、あのシュウが。


第三者を介すうちにだんだん物腰がやわらかく変化しただけのことだきっと。

 

 

 

胸に引っ掛かるものを感じながらその日の授業を終えステイ先に帰宅したアキ。

ホストマザーのメアリーが、広い庭の花に水やりをしているのが目に入った。

 

 

『I'll help 』 たどたどしく言って手伝おうとしたアキへ、

メアリーは嬉しそうにそのシワが刻まれた目尻を更に下げ、アキへ噴射式の

ガーデンホースを渡した。


アキが水を撒く隣で、メアリーが枯れて萎れた花びらを摘んでいる。

噴射した水が太陽の光を受けて七色を作り出す。

マーガレットの白い花びらに細かな水滴が愉しげに揺れる。

メアリーが目を細めやさしく微笑んでいる。

 

 

なんだか穏やかな時間で、1秒1秒がやさしく過ぎてゆく気がして、

気が付くとアキの目から涙がこぼれていた。

 

 

『 What's wrong? 』 心配そうにアキの背中に手を置き、

やさしくさするメアリー。

しわがれたその手の平の熱が、アキのシャツを通しじんわり肌に伝わる。


そして、”やっぱりアキは、泣きたいのガマンしてたのね ”と呟いた。

 

 

メアリーは言った。

 

 

 

 ”シュウを嫌いにならないで・・・

 

 

  早目にコッチに来るよう勧めたのは、シュウが・・・


  学校がはじまる前に、少しでも環境に慣らした方がいいって


  私達夫婦に言ってきたからなのよ。


  アノ子、1年前にココに来た時、だいぶ苦労してたから・・・

 

 

  当時、同じ日本人の子が一人いたんだけど、


  その子にばかり頼ってしまって、結局学校でも孤立して・・・  


  自分が最初大変だったから、きっと、アキには同じようにならないよう


  アノ子なりに考えたんだと思うわ・・・。”

 

 

 

メアリーは頬にやわらかい笑みをたたえて、目を細める。

 

 

 

  ”でもね・・・


   シュウがあんな厳しい口調で話すの、はじめてなのよ。


   ほんとはアキにやさしくしたいのに、アノ子、不器用だから・・・


   少しでもやさしくすると、


   その後厳しく出来なくなるとでも思ってるのかしらね? ”

 

 

 

アキの瞳から次から次へと涙が溢れる。

震える両手で顔を覆って泣きじゃくった。


”泣きたい時はガマンしなくていいのよ ”とメアリーが肩を抱く。

 

 

 

 ”アキが私達に笑顔を見せるときは、一番アキは寂しそうだわ ”

 

 

 

子供のように声を上げて泣いた。

この数か月必死に堪えていたものが溢れだしたかのように、アキが泣く。


メアリーのやわらかい胸にしがみついた。

まるでお母さんのような、そのあたたかさ。

 

 

 

泣いて泣いて、アキはその夜ひとつ決心をし、廊下に立っていた。

その片手には辞書を持って。


アキは、シュウの部屋のドアの前に立ちひとつ深呼吸をすると、

意を決して2回そのドアをノックした。

 

 



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