第三章 亢進(こうしん)〈2〉
文字通り、魔女は忽然と姿を消した。
頃合いを見計らって室内に乗り込む算段だったのが、全く無用のものとなってしまった。
寝所の出入り口の扉は閉ざされたままではあったが、物音などは何も聞こえてはこない。もし、なにかあれば、寝所の外で待機しているノックスがなんらかの合図をする筈だが、それもない。
ということは、本当に消えたのだ。
セルフィナは目を瞬かせつつ、抜け道からレティア女王の寝所内へと入って行った。
「まあ。セルフィナ王女、いつからいらしたのですか」
魔女との対峙に注意が向いていたためか、レティア女王はセルフィナ達の気配には気付いていなかったらしい。女王とはいえ、やはり緊張していたようで、セルフィナに続いて、室内に入ってくる面々の顔を見て、安堵したように表情を和らげていた。
「レティア女王、ご無礼を。まだ、ほんのいましがた来たばかりです」
「いいえ、いいえ、無礼だなど。
急を要する事態でしたから。それに、あなた方の顔を見て、安堵いたしました」
濃い金色のまつ毛に縁どられた瞳の視線を落とし、レティア女王は小さく首を左右に振った。
「さすがに、私も恐ろしさを覚えました。
あの、有無を言わさぬ気迫。
それほどまでに手に入れたいものなのでしょう」
レティアは再び、たった今まで魔女が立っていた場所へ視線をやると、身震いとともに自らを二の腕を摩った。
魔女は、冷静な判断力を持つ彼女のような女王でさえ、恐怖に慄かせた。
「魔女は自らをファルセアと名乗っていました。
彼女が探しているのは、リューレの遺した魔術に関する本です。
ファルセアが言うには、リューレの末裔とともにある……ということなのですが、生憎、私には見当もつかないのです。
隠していると疑ったようですが、そのような物があったなど、先代からも伝え聞いてはいないのですよ」
恐怖心をともに追い出すかのように、女王はセルフィナ達が尋ねる前に、魔女との一部始終を語った。
それはまさに、昨夜フローディアが明かした、フェニアの日記帳の内容に沿うものだった。
女王から得たいと思っていた情報ではあったが、期待は大きく外れてしまった。リューレの本の存在を知らなかったのは予想外だ。
「レティアさま。実は、わたくしたちも、その本についてレティアさまにお尋ねしようと考えておりました」
フローディアが女王の前に歩み出て、打ち明ける。
当然の反応ではあるが、女王は目を見開いた。が、すぐに「それは、ファルセアが探しているものが、どのようなものか心当たりがあるということですね」と尋ねる。
黙って頷くフローディアを見て、女王は表情を元に戻した。
「ラーシオン王家に伝わっていないのであれば、どこかの分家筋で、ひっそりと受け継がれている可能性は十分にありますね」
そう言って雪のように白い顎に、同じく雪をいただいた小枝のような指を当てて、女王は思考した。
やがて、「私ができ得る限りの協力をいたしましょう」と鈍色の瞳をフローディアに向けた。
「感謝申し上げます。わたくしたちも、最善を尽くします」
フローディアが女王へ低頭すると、セルフィナ達も女王へ敬礼した。
全面的に女王の協力が得られることとなり、一行は女王の部屋を辞した。
女王の寝室の正面扉から外へ出ると、連絡係として待機していたノックスをはじめ、衛兵たちがまるで狐につままれたような表情で突っ立っていた。
「姫様、これは、一体?」
足早に廊下へ流れ出るセルフィナ達に吸い寄せられるようにして合流しながら、ノックスが説明を求めた。
「神殿へ戻る」
眉を顰める側近に、セルフィナは「戻りながら説明する」と付け加えた。
§
現在、ラーシオン王国で女神として信仰されているリューレは、元来、闇の魔術師だった。
しかし、偶然の出会いを経て、時のラーシオン王と恋に落ちてしまった。
神聖なる王と結ばれるためには、闇の魔術師でい続けるわけにいかなかった。
そこでリューレは自らの魔術を用いて、闇の自分を切り離すことにした。
術は成功し、リューレの闇の部分は消え去ったかにみえた。
ところが、切り離したリューレの闇の部分は具現化し、災いをもたらし始めたのだ。
リューレが切り離した闇の部分は、あらゆる悪意を目敏に見つけては吸収していった。
程なく、依り代となる人間を探し、憑依し始めた。具現化だけでは不安定だったのだ。
リューレの悪意は次々と憑依する者を変えていった。
憑依した者のもつ悪意に基き行動し、その力を増幅させた。
依り代にされることを恐れた人々からは、不可視の魔女と呼ばれるようになっていったのだ。
切り離した自分が人々の平和な暮らしを脅かしていると知ったリューレは、ラーシオン王の元を去り、不可視の魔女と対峙しようと決意する。
だが、あろう事か、不可視の魔女はラーシオン王に憑依し、己を切り離したリューレ本人に取って代わらんがために襲いかかったのだ。
愛する人を救うべく、リューレは不可視の魔女と対峙し、見事に打ち勝ったのだった。
§
神殿へ戻った一行は、ヘレンからリューレに関する伝承を聞いた。この後の本の捜索の手掛かりがあるのではないかと考えたからだった。
「打ち勝った……って、どうやって?」
少し間があって、アルフレッドが訊く。
「残念ながら、神殿に伝わっているのは、これで全てです」
王家の祖先を神格化したものなのだから、多少の脚色はあるのだろう。それでも、これだけでは情報不足としか言いようがない。
「そこが肝心なんだけどな」
「俺が知ってる伝承録の内容と殆ど同じだな」
お手上げであると示すように、セルフィナは両手を挙げた。
「もしかすると、リューレの遺した本が見つかれば、それも分かりそうですね」
ヘレンの言う通りである可能性は高い。しかし、今のところ、手にしている情報はここまでだ。
「リューレの末裔の元にある筈なのですよね」と独り言ちるように続けて、ヘレンは吐息とともに肩を落とした。
だから、王立図書館の閲覧制限区域が襲われた。しかし、本は王立図書館にもなければ、リューレの直系子孫であるラーシオン王家に生まれた女王の手元にもない。
「ラーシオンは代々、王族間の近親結婚を繰り返している。手間だけど、他の国ほど血縁者が散らばってはいない。ラーシオン中の王家との血縁者を順番に辿ってみるか」
提案しつつも、面倒さからセルフィナは自分の亜麻色の髪を無造作に掻き乱した。
「その中のどこかに密かに受け継がれている可能性はあるな」
一同の同意を取り付けるように、アルフレッドが言うのを、「……待って……」と、フローディアが遮った。
「どうされました? フローディア様」
ヘレンが小首を傾げて聞き返すのに合わせて、みな、フローディアに注目する。
「リューレの娘が、ラーシオン国外へ嫁いでいますよ」
捜索せねばならない範囲が、突然、一気に広がる事実だった。
「……どこへ?」
「……ヴァルカスです」
「あっ……」
セルフィナは弾かれたように目を見開いた。
自らの系譜のことなど、すっかり忘れていたのだ。
「ヴァルカス王家も、遠くはあるが、リューレの末裔……ってことになる、か」
アルフレッドの言葉に、フローディアに注がれていた視線が、今度は一気にセルフィナに集中する。
急すぎる展開に、暫し緑の瞳を左右させていたセルフィナだったが再び、今度はなにやら合点がいったという風に「あぁ、そういうことか……」と嘆息した。
「心当たりが、あるのですか」
フローディアに問いただされ、「ああ、あるんだよ……。心当たりが」と、セルフィナは力強く頷いた。




