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エッグプラネットカフェ ~茄子神様の舞い降りた店~  作者: 矢凪
♪序章♪ 茄子色のプレリュード
14/35

♪第三章♪ 茄子色のカノン *1*

 一人暮らしをするようになってからというもの、橘田(きつた)悠馬(はるま)は、ブログを書くのが日課のひとつになっていた。

 当初は寂しさを紛らわすためであり、色々な感情を整理するための、本当につまらないただの日記だった。けれど、バイト仲間に勧められて、自分で作った楽曲を公開するようになってからは、ネットの向こう側にいる誰かを意識するようになった。

 そして今は、会ったことのない、あるひとりの人を意識して書いていた。

 きっかけは、ブログページの端に設置した短文だけ送れるメッセージボックス。

 半年ほど前に初めてそこに届いた、曲への感想だった。

 たしかに、誰かが感想をくれるのを期待して設置したつもりだったけれど、まさか本当にくれる人がいるなんて、思ってもみなかったのだ。しかも、メッセージは一通ではなく、新曲をアップするたび、アップしたその日のうちに送られてきた。

 どうやらいつも欠かさず、ブログをチェックしてくれているらしかった。


 ――今回の曲は、聴いていると元気になれますね。元気をありがとうございます!


 元気付けられているのはこちらの方だ、と彼女……もしかしたら彼かもしれないが、に伝えたかった。

 メッセージボックスにはメールアドレスを記入する欄もあったが、そこに記入されていることはなく、返信はできなかった。それでもやっぱりお礼を言いたかったから、ブログ記事の中で「ありがとう」の想いを(つづ)るようにしていた。

 そんな些細な、例え一方通行なやりとりでも、この時の悠馬はまだ満足できていた……この日、届けられたメッセージを見るまでは。

 新曲をアップしたわけではなかったのに。


 ――今日、あのカフェに入ってみました。スコーンと紅茶、おいしかったです。


 初めての、曲の感想ではないそのメッセージ内容に、悠馬は思わず立ち上がって窓の外を見てしまった。

「どんな人……なんだろう……」

 パッと思い浮かんだのは、今日バイトをあがる直前にレジを担当した女性客だった。

 長くてまっすぐに伸びた黒髪が印象的な、眼鏡をかけたちょっと大人しそうな子で、何より音楽の趣味が合いそうな人だった。

 まさか違うだろうとは思いつつ、つい変な期待をしてしまい、なんだか恥ずかしくなってくる。

 少なくとも、カフェに行けるくらいだから、この近くに住んでいる人には違いない。

「会えるといいなぁ……」 

 毎日あのカフェに通っていたら、いつか会えるかもしれない、という期待に満ちた深いため息が、五月の爽やかな夜風に吹かれて消えていった。 


 その翌日、いつもと同じように朝九時に起きて、牛乳とバナナで軽く朝食を済ませた悠馬は、自転車で二十分ほどの所にあるバイト先の楽器店に出勤した。着いたらすぐに店内をザッと清掃して回り、開店後は少ない客の相手をしたり、二階のCDコーナーの棚を整理したり、商品のポップを書いたりしていると、あっという間に昼休みになった。

 これまたいつもと同じように、楽器店のすぐ近く、同じ商店街に先月オープンしたばかりのエッグプラネットカフェに向かい、そのドアを開けた瞬間。

「いらっしゃいませー」

 女性店員の明るい声に迎えられたのもいつものこと。しかし、この日はいつもと違うことがひとつだけあった。

 店内に流れている音楽が、聞き慣れた、自分の好きなグループの曲だったのだ。

「あ……この曲」

 去年、サウスウィンドが一年間の休業宣言をする直前に出したアルバムの中で、悠馬が一番気に入っている『フェイバリット』という曲に、思わず音の出所を探してしまった。

 スピーカーは、カフェの真ん中に堂々と枝を伸ばしている謎の木の上に、ナス形の小さなぬいぐるみと共に取り付けられているのが見えた。

「今日もいつもの、ですか?」

 ナスを育てている庭が見える窓際の席に座ると、レモンで香り付けしてあるお冷やのグラスと、紙おしぼりをテーブルに置かれ、尋ねられた。

 悠馬が小さく頷き返すと、何やら言いたそうな女性店員と目が合った。

「……あの、何か?」

「いえ。アフタヌーンティーセットを、アッサムティーで、ですね。少々お待ちください」

 キッチンに入っていく彼女の背を追いかけると、今度は男性店員と目が合って、なぜか微笑み返されてしまった。

 なんだかいつもと違うカフェの雰囲気に戸惑いを覚えつつ、悠馬は窓の外を眺めた。

 初夏の明るい日差しを気持ち良さそうに浴びているナスの苗たちは、心なしか前よりも葉が大きく広がり、元気になったように見える。

 ナス好きが高じて、去年一人暮らしを初めてすぐに、プランターでナスを栽培し始めた悠馬は、その世話の大変さを少しは理解しているつもりだ。

 この時期になると、葉に虫がつき始めて弱ってしまいがちだ。しかし、そこはカフェの人もちゃんと育て方を知っているらしい、と勝手に評価して感心してみる。

 そんなことを考えていると、アフタヌーンティーセットが運ばれてきて、焼き立ての香ばしいスコーンの匂いが空っぽのお腹を刺激した。

 少し濃いめに入れられたアッサムティーに、ミルクと砂糖を入れてスプーンでそっと混ぜる。ほどよい甘さが口に広がり、ホッと息をつく。まだ温かいスコーンを二つに割って、お気に入りのナスジャムをつけて食べようとした――その時だった。

 ガッシャン!

 派手な音を立てて、フローリングの床にティーカップが落下して、その破片がテーブルの下一面に飛び散った。

 女性店員の悲鳴が上がり、悠馬はハッとした。

 カップに触ったつもりは全然なかったので、一瞬、割れたカップが自分の飲んでいたものだとは気付かなかった悠馬だったが、すぐに事態を把握して青ざめた。

「ちょっ……なんてことするのよ!」

 怒鳴り声に肩をすくませた悠馬は、すぐに席を立って、散らばったカップの破片を拾い始める。

 せっかく見つけた居心地の良い場所を汚して、迷惑をかけてしまったからには、もう顔を出せなくなるかもしれない。

 高価(たか)そうなティーカップの弁償をしなければならないことよりも先に、それが心配になった。

 フローリングにこぼれた茶色い液体が、悠馬の心にも嫌な感触を伴って広がっていく。

「あ……あの、すみません……僕、どうしたら……」

「やだ、私が怒ったのは貴方のことじゃなくて……ううん、それより、ピアノを弾く大事な手に傷でもついたら大変ですから、触らないでください!」

 ダスタータオルを持って駆け寄ってきた女性店員は、混乱気味にそう言うと、カップの破片を拾おうとしていた悠馬の手を押し留めた。

「え?」

 悠馬は瞬時に浮かんだ二つの疑問に、目の前の女性をじっと見つめた。

 怒ったのが悠馬のことではないというのなら、誰のことを言っているんだ? それよりも、なぜ一度も会話を交わしたことのない彼女が――?

「なんで、僕がピアノを弾くこと、知ってるんですか?」

 悠馬の問いに一瞬きょとんと不思議そうな顔をした女性店員は、すぐにハッとして自分の口を両手で押さえると、曖昧な笑みを浮かべた。


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