第1話 帳簿は嘘をつかない
その手紙は、いつもの商人からの請求書に紛れていた。
伯爵家の郵便物は私がまとめて受け取る。取引先からの納品書、社交の招待状、領地の陳情書、季節ごとの挨拶状。結婚して五年、この家の書類仕事と帳簿と商談と使用人の采配はすべて私の手を通る。夫のヴィクトルはそのあいだ何をしているかというと、社交の場で領民に愛想を振りまいたり、狩猟仲間と馬を走らせたり、つまり数字と紙の関わらない仕事を全力で担当している。
適材適所と言えば聞こえはいい。
封を切ったのは昼過ぎだった。宝飾商ペルティエからの手紙で、封蝋に店の紋章が押してある。秋の納品の請求書だろうと思って開いた。
中身は請求書ではなく、礼状だった。
「ランベール伯爵家ご担当者様。日頃よりご愛顧賜りまして誠にありがとうございます。秋季にご注文いただきました品、フォレ様へ無事お届けいたしましたことをご報告いたします。翡翠の耳飾りにつきましてはたいへんお喜びいただけたとのこと、職人一同、光栄に存じます」
フォレ様。
知らない名前だった。
ランベール伯爵家の贈答品はすべて私が手配する。取引先への季節の挨拶も、社交で世話になった家への贈り物も、一件残らず私が品を選び、金額を決め、発送の手配をしている。宝飾商ペルティエには確かに伯爵家の顧客口座があるが、この秋に翡翠の耳飾りを注文した覚えはない。
私が注文していないものが、伯爵家の口座から支払われて、知らない相手に届いている。
窓の外では庭師が菩提樹の落ち葉を掃いていた。穏やかな秋の午後で、書斎には紅茶の湯気がまだかすかに立ちのぼっている。ハンナが淹れてくれた紅茶はいつも温度がちょうどいい。この家で私の好みを正確に覚えているのがメイド長だけだという事実について、今は考えないことにする。
礼状をもう一度読み返した。文面は丁寧で、常連客への定型的な季節の挨拶を兼ねている。つまりこれは一回きりの注文ではなく、継続的な取引があることを前提にした書き方だった。「日頃よりご愛顧」という一文が、妙に重い。
棚に手を伸ばしかけて、やめた。
帳簿を引っ張り出して支出の記録を洗えば、この「フォレ様」宛の注文がいつから続いているかはすぐに分かる。私は五年間この家の帳簿をつけてきた人間で、数字の扱いには自信がある。一晩あれば全容が出る。
でもその前に、もっと簡単な確認方法があった。
ペルティエの礼状を封筒に戻し、他の郵便物と一緒に机の端へ寄せた。それから居間の飾り棚へ向かった。
伯爵家の顧客台帳——ペルティエから届く年次の取引明細書は、毎年一月に届いて、私がファイルに綴じている。過去の明細が居間の飾り棚の下段に年度別で並んでいるのを、私以外の人間はたぶん知らない。夫は書類の保管場所に興味がないし、使用人にこの棚を整理させたこともない。
去年の明細を開いた。
春。ルビーのブローチ、フォレ様宛。
夏。銀細工の髪留め、フォレ様宛。
秋。真珠の腕輪、フォレ様宛。
一昨年の明細を開いた。同じ名前が四回。
三年前。三回。
四年前。二回。
結婚した年の冬。
象牙の小箱、フォレ様宛。一件。
明細書を膝に置いたまま、しばらく飾り棚の硝子に自分の顔が映っているのを見ていた。怒っているのか悲しいのか、自分でもよく分からない顔だった。分かっているのは、この家の帳簿をつけ、この家の書類を整理し、この家の商人とやり取りしてきた五年間の実務能力が、いま私に見たくないものを正確に見せているということだけだ。
仕事ができるというのは、ときどきこういう罰がついてくる。
廊下に足音がした。
ヴィクトルが外出先から戻ったのだと分かったのは、歩調が少し速かったからだ。上機嫌のときの癖で、誰かと楽しい時間を過ごしたあとはいつも足取りが軽くなる。以前はその足音を聞くと少し嬉しかった。夫が楽しそうなら、それでいいと思えた頃があった。
足音は書斎の前を通り過ぎて、奥の自室へ消えていった。
立ち止まらなかった。声もかけなかった。妻が書類に埋もれていることに気づいたかどうかも怪しい。五年間ずっとこうだったのだと思えば腹も立たないが、五年間ずっとこうだったのだと思うと別の感情が胸の底で硬く丸まる。
「君がいてくれるから安心だ」と結婚三日目に言われた言葉を、私はよく覚えている。あのとき素直に嬉しかった自分を、今は少しだけ殴りたい。
明細書を元の順番に戻して棚に収めた。ペルティエの礼状だけは封筒ごと自分の書斎の引き出しにしまった。
明日、夫の書斎を訪ねて聞く。「フォレ様とはどなたですか」と、帳簿管理者として当然の確認をする。声を荒らげるつもりはない。泣くつもりもない。私がやるのは確認だけで、答えを出すのは数字だ。
ただ、一つだけ分かっていることがある。
ヴィクトルがどう答えても——あるいは答えなくても——私の中ではもう計算が終わっている。結婚初年度の冬から五年間、季節ごとに宝飾品を贈り続ける相手は、取引先ではない。
窓辺の花が一輪、萎れて首を垂れていた。朝のうちに替えるつもりだったのに、仕事をしているうちに忘れてしまった。いつものことだ。この家では、私が気づかなければ誰も花瓶の水を替えない。
冷めきった紅茶のカップを持ち上げて、一口だけ飲んだ。
ハンナの紅茶は、冷めてもそれなりに飲める。五年間で唯一、裏切らなかったものがメイド長の紅茶の腕だというのは、笑えない冗談だった。




