53.穏やかな眠り
祭りの喧騒が、潮が引くように遠ざかっていく。
商人たちは手慣れた様子で荷をまとめ、楽師たちは名残惜しそうに最後の一曲を奏でていた。親に手を引かれた子供たちが、何度も振り返っては手を振った。
広場の大樹の根元で、カナはそのたびににこやかに手を振り返した。隣に立つメアが、僅かに顎を引いてそれに応える。それが、この騎士にできる精一杯の挨拶だった。
やがて楽師の最後の一音が消え、大樹の葉擦れだけが広場を満たした。
七日間咲き誇った花々が、少しずつ花弁を閉じ始める。鳥たちが一羽、また一羽と屋根を離れて城壁の向こうへ飛び立ち、壁を彩った蔦は剥がれ、蝶は夕闇に溶けていく。森であった広場が、ゆっくりと元の石畳へと戻っていく。
それを見守るカナの瞳を、メアの視線が捉えた。群衆の前では沈黙を貫いた男が、二人きりになった途端、言葉を探して彷徨い始める。
「……寂しいのか」
声はどこまでも低く、柔らかかった。
メアの手がカナの手を探り当てる。指を絡め、強く握りしめる。決して離さないという固い意志が、その掌から伝わるように。
「隊長、カナさん」
大樹の影からエイが姿を現した。目元に薄い隈を刻みながらも、その微笑みは健在だ。彼の手には、重厚な封蝋が押された一通の書簡があった。
「枢密院からの正式通達です。異議申し立て期限の満了をもって、婚姻届の法的効力が確定しました」
エイは一拍置き、その微笑みを深めた。
「おめでとうございます。カナ・グレンダン殿」
夕日が完全に沈もうとしていた。広場の花はことごとく閉じ、生き物たちは去ったが、この大樹だけは七日前に突然茂らせた瑞々しい緑を落とすことはなかった。頭上で葉が風に揺れ、二人の上にさらさらと音を立てる。それは森が残した、最後の置き土産だった。
カナの瞼がゆっくりと閉じかけた。祭りの間、彼女は笑い、踊り、水を操り、初めての人間の祭りを全力で駆け抜けた。その心地よい疲れが、夜の帳と共にどっと押し寄せている。
カナの頭がメアの肩に預けられる。一瞬だけ強張った騎士の肩から、すぐにゆっくりと力が抜けた。
「……ここで寝るな。宿舎に戻るぞ」
返事はない。彼女はすでに穏やかな微睡みの中へ落ちていた。
エイが書簡を懐に収め、静かに身を引く。大樹の影に溶けるように立ち去る道すがら、彼はガルドに目配せをした。声をかけようとしたガルドも、エイに首を振られると、黙って踵を返した。
広場には、二人だけが残された。
肩にかかる重みを感じながら、メアは大樹に背を預けた。石畳が夜の藍色に染まり、東の空に星が一つ瞬いている。
メアは慎重に腕を差し入れ、彼女を抱き上げた。腕の中のカナは驚くほど軽い。その異質さに慣れてしまった自分自身に少しだけ驚きながら、彼は歩き出す。カナの頭がメアの胸元に転がり、穏やかな寝息が首筋にかかった。
夜の王都を、石畳を踏む靴音だけが抜けていく。
宿舎に辿り着いた頃には、月が天頂に昇っていた。メアは彼女を寝台に横たえ、毛布を引き上げる。それからようやく自分も寝台の端に腰を下ろし、靴の紐を解いた。
七日間、一秒たりとも警戒を緩めることはなかった。群衆の笑顔の裏に刃が潜んでいないか、彼の瞳は常に探し続けていた。
メアは寝台の反対側に身を横たえた。カナとの間には拳三つ分の隙間。それが彼なりの節度ある距離だった。
しかし、眠りに落ちる直前、カナが寝返りを打った。拳三つ分の隙間はあっけなく消え、細い指が無意識にメアの袖をぎゅっと掴む。
メアの眉間に刻まれていた険しい皺が、ふっと消えた。
そこにあるのは、どこまでも静かな、穏やかな眠りだった。
第二章完。お付き合いありがとうございました。
次章 最終章
無口な騎士と森の娘。2人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
※1日1エピ朝更新に戻ります
GWらしいお祭り騒ぎ感出てたかな?楽しんでもらえてたら嬉しい!




