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「化物怪奇譚」⑨


          *   *   *


「まさか、二体目の化物が私の前に姿を現すとは思わなかった。あの存在が危険である事は、既に私は確信していた。そしてあれが、父を追い詰めた元凶ではないという事も。でも、殺す事は決まり事に反する。だから私は、今度はそれを梱包してあの人の元に返す事にしたんだ」

 化物は、本当はあれではなかったんだよ、と末崎住職は語った。

 数日、雨催いが続いていた空は、遂に号哭するように大粒の雨を降らせてきた。寺中に響くような雨音は、小学生の”彰人君”が燃える神社を見ていたという雨の日に続いているような感じがした。

「でも、私は未だにこの街で、あれが蠢動していると思っている。もしかしたら、三体目、四体目、もしくはそれ以上が居るのかもしれない。それではもう、私の手には負えない事だ。禍根を断つべきなのか、私は悩み続けた」

「それに結論を付けたから、住職は僕を引き寄せたのではないんですか?」

 僕は、いつの間にか峻刻とした表情になっていた住職に問い掛ける。

 ──彼が、君を引き寄せたんだよ。

「意図しなかった事とは言え、僕は仕事として刑部さんに二体目を配達した。住職のお先棒を担ぐ事になった訳です。そして僕は、彼に目を付けられる事となった」

「そうかもしれないね。決まりの上では、彼の方が私や先代より上の立場の存在なのだから。私が刑部さんに接触するには、彼を私に引き寄せる誰かが必要だった。私は彼と君の間に糸を張り……土門君、君をこの量仁寺に連れて来た」

 末崎住職はそう言うと、深々と頭を下げた。本当に申し訳ない事をした、という小さな声が、微かに僕の耳に届いた。

 耐えられなくなり、顔を上げて下さい、と僕は言っていた。

「僕は、それでも自分からこのお寺で働かせて欲しいと進み出ました。あの時の僕の気持ちは、誰のものでもなかったと思います」

「……ありがとう、土門君」

 彼は小さく言った。

「私の両親と、階蔀さんを殺したのは──」

 その時、部屋の入口に音もなく刑部さんが現れた。彼は傘も差さずに歩いて来たらしく、服の裾や髪の毛の先から止め処なくぬらぬらした雫を滴らせていた。

「そろそろ君も帰る時間だよ、土門君。ここからは、君とは関わりのない事だ」

 末崎住職が腰を上げ、刑部さんと睨み合うように立つ。

「さて、それはどうかな?」

 刑部さんは骨張った肩を竦め、挑むような口振りで言った。

 遥かな場所で、遠雷がドロドロと音を立て始めた。


          *   *   *


 それから間もない日、夏休みの最後の数日間の事。

 刑部さんが、彼の家だったあの森の奥の屋敷で死んでいるのが、最後の配達で彼を訪れた霞さんにより発見された。

 彼は玄関先で、全身を蜘蛛の糸のような粘つく白いものに絡み付かれて絶命していた。玄関扉は半開きになり、彼は(くつ)脱ぎの石に背中から凭れるようにして白目を剝き出し、口を開けていたそうだ。口腔から体内にまで入り込んでいたその蜘蛛の糸が喉に詰まった事による窒息が、死因だったという。

 同日、末崎住職は失踪した。


          *   *   *


 残された弘津さんが住職の行き先について何かを知っているのではないかと思い、僕は量仁寺を訪れた。住み込みで働いていた彼女の普段生活している部屋についてはあらかじめ聞いていたので、見舞いの花を持って行くと、少しばかり元気になったような彼女は喜んで僕を迎えてくれた。

 これが最後になるのだと僕は思っていたので、弘津さんとは様々な事を話した。

 先代の事、末崎住職の事、刑部さんの事、階蔀さんの事、彼女自身の事、僕の大学生活の事、昔の事、あまり話す事のなかった家族の事。そして、彼女は寺の皆を指して「擬似家族のようなものだった」と言った。

 住職の失踪を告げると、弘津さんは最初から分かっていたように肯いた。

「末崎さんは……彰人君は、遠い所に行ってしまったの。もう……会えないのよ」

 彼女はそう言って泣いた。僕が帰る時になっても、その涙は止まらなかった。


          *   *   *


 大昔、日本には八百万(やおよろず)の神々と呼ばれる神霊が、あらゆるものに宿っていると考えられていた、と聞いた事がある。この世である現世(うつしよ)、霊界である幽世(かくりよ)は重なり合うように存在し、山や大きな岩などはその境界であると信じられてきた。

 この境界を越える時、神隠しは起こるという。そしてそれは、自然の環境が変化するある地点だけではない。逢魔ヶ時や、丑三つ時といった時間帯もそのような境界に含まれている。

 夕方五時の少し前、僕は帰り道で立ち止まり、腕時計の長針が十二の数字に重なる瞬間をじっと待っていた。十二時辰では、(とり)の刻が逢魔ヶ時の始まりだ。

 針と数字が重なると、僕はゆっくりと夕染の街を歩き出す。


          *   *   *


 自転車に乗っていなかったのに、どうしてそれ程早くその場所に辿り着けたのかは覚えていない。ただ、僕はぼんやりとして、あのアパートの近く、地区巡視に協力していた霞さんと二度も遭遇した辺りを歩いていた。

 予想していた通り、曲がり角の向こうから、霞さんが現れた。

「お、璃紗。バイトは終わったのか?」

 僕は返事をする事なく、彼女の方に歩を進めていく。

 段々、頭の中がぼんやりと靄が掛かったようになってくる。ああ、やはりまだ、何かが僕の内側に残っていたのか、と悟った。

 階蔀さん。終わらせられなくて、ごめんなさい。

「璃紗、おい、どうしたんだよ。大丈夫か、聞こえているか?」

 僕は、一歩、また一歩と霞さんの方に歩いて行く。霞さんは困惑の表情を浮かべながら、ゆらゆらと覚束ない足取りで進んで行く僕を見ていたが、次第にその表情は困惑から怯えに変わり始めた。

 黒いコートを着ていなかった僕は、もしかしたらすぐに顔が割れて捕まるのかもしれない。そうでなかったら、まだ見ぬ三体目以降の化け物に「用済み」と見做されて始末されるのか。

 刑部さんはもう、この世に居ないのだよな、と思う。

 末崎住職は、今度こそ自分の明確な意志で禁忌を破ったのだな、とも思った。

 刑部さんは末崎住職の大切な人たちを奪い、遂に自身も手に掛けられた。それは末崎住職にとって、何も知らずに彼の使いを殺した事とは比べものにならない程の禁忌破りだったに違いない。だから、住職は消えてしまったのだ。

 僕と、彼女が最後の犠牲者だ。

「霞……萌花さん、ごめん」

 僕は呟いたが、その声は嗄れ、歪んで、最早僕のものではなくなっているようだった。それでも、最後に声が出せて良かったと思った。

 涙のせいか、何のせいなのかは全く分からなかった。

 視界が溶け落ちるように歪み、赤みを増してきた空と、その飴色の光線に照らされ同色に塗り替えられていく街の境界線がぼやけていく。陽炎(かげろう)の揺らめく坂道にでも立っているかのように、霞さんの姿も見えなくなりつつある。

 彼女の姿が完全に目視出来なくなる前に、僕は唸り声を上げて地面を蹴った。

 揺らぐ視界の手前の方に、前方の彼女に向かって差し出した僕自身の両腕が微かに形を持ったまま見えた。それは白いシャツに包まれてはおらず、毿々(さんさん)とした焦げ茶色の毛を纏っているようだった。黒く、鈍く光ったのは鉤爪だろうか。

「……さ! ……さ、……して……だよ?」

 もう何も聞き取れない。見えない。感じない。

 内に宿った何者かの狩猟本能に従い、僕は一直線に飛び掛かっていく。


          *   *   *


 霞さんの白い喉に、指先が触れた感覚だけが、確かな僕のものだった。

 僕が消える瞬間、刹那の幻視の中、あの化け物が嗤うように牙を剝き出した。



(化物怪奇譚・終)

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