「龍王」(『化物怪奇譚』)⑨
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運命というものが本当にあるのだとしたら、それは物語の伏線のようなものかもしれない、と僕は思う。僕の物語が「小暮の伝承」を主題とするなら、それが何処で終わったのか、未だに続いているのかすらも分からない。
そもそも、始まりすら定かではなかった。僕がこの日、この瞬間その場所に立っている事が必然だったのだとして、何処からがそれに基づく伏線、運命だったのだろうか。
櫛引に宵啼山への山小屋宿泊に誘われた時か。民俗学研究会に所属する事を決めた時か。櫛引と出会った時か。小暮に移住した時か。ややもすると、それは僕が生まれる以前、昭和の大凶作から曾祖父が村を守った時だったのかもしれない。村を救う事で一目置かれるようになった家の出身者が、その時点で既に”縁”のような因果関係に取り込まれていたのかもしれない。
白い光の粒でぼやけるような、遠い昔の事で、記憶か想像かも曖昧な事だが、僕は小さい頃、人里を離れたような深い森の奥に居た。そこには荘厳な瀑布があり、白い水飛沫が無数の波紋を生み出す滝壺に、僕は腰の辺りまで浸かっていた。木桶から水中に、大きな真鯉を流した。
真鯉は滝に近づいていき、身をくねらせるようにしてそこを登り始めた。幼い僕はそれを見て、拳を握りながら、行け、と声を掛ける。ゆらゆらと揺れながら白い波の中に見えなくなった鯉は、いつの間にか滝の上に到達したらしかった。刹那、木漏れ日の降り注ぐ枝葉の奥で、大きな花火が青空に咲いた。
僕は、大きな仕事を終えたような満足感と共に目を閉じた。
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僕たち七人は、山道の方まで行き、街へと下っていく竜巻を目で追った。
山元町へと降下した黒い風の渦は、積み木で出来た街の如く家屋を一瞬で呑み込みながら、市内を中心部の方に向かって進んだ。この山から市内へと流れている百々目川に下り、大量の河水を吸い上げながら、花火工場のある大杢町方面へと向かった。そのまま、町中に点在する森の一つに吸い込まれるように消えていき、先程までの雲のような薄赤い光を放ったように見えた。
翌日の小暮新報に、珍しく夜間に発生したこの竜巻の被害に関する情報が載ったのは言うまでもない。それによると、竜巻の収束した森は戌亥の森であり、量仁寺のお堂が破壊された事が最後の被害だったそうだ。
八月下旬頃、この寺では住職が謎の失踪を遂げており、スタッフやアルバイトも次々に急死、女性スタッフ一人が住み込みで維持をしていたらしい。奇跡的に、彼女に怪我はないとの事だった。
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翌日、今度こそ天気予報は的中し、昨日の陰鬱な雲や激しい雨風が嘘だったかのように空は快晴だった。僕は、工場の辺りを竜巻が通ったのを見ていたのですぐに師匠に電話を掛けたが、どうやらそれは工場を外れていたらしく、心配しなくてもいいと言われた。
櫛引たちもそれぞれの家族や知人に連絡を入れていたが、被害はなかったという事で安心した。だが、間違いなく死傷者が出ているだろうと思うと、間近で見ていただけに僕たちの気分は沈んだ。すぐに山を下りようと考えたが、山小屋を出た辺りでその進路を辿ってきた記者や消防の人たちと鉢合わせした。
「小暮新報の者です」
僕たちも夫婦も一斉に記者たちから話を聞かれたが、僕の前に来た男性は最初にそう言った。急な事で大変でしょう、と僕が言うと、彼は心からその通りだと言うように肯いた。
「参りましたよ。一昨日から、編集部の人員が一気に四人も減ってしまいましてね。アルバイトの学生さんは、この頃市内で起こっていた例の『辻斬り事件』、あれに巻き込まれたようで……何だかもう、嫌になってきます」
僕は、昨日三枝さんが、小暮新報編集部に憑き物があると言っているバイト生が居た、と口にしていた事を思い出した。被害に遭ったというのは、僕たちの後輩に当たるその子ではないか、と考え、僕は気味が悪くなった。
竜巻の発生を間近で見ていた訳ではない、と僕たちは話し、駆け付けた人々も含めて山を登る事となった。倒れたフェンスの向こうの立ち入り禁止区域は奥の方で沢に通じており、危険だと夫婦は言ったが、現場を見ておかないと土砂崩れなどの二次災害が発生するかもしれない、と消防が言うので折れた。
森の中は、巻き上げられた土砂が幾つもの山を成し、そこに折れたり粉砕されたりした木々の亡骸が混ざっていた。それらの折れた断面からは、頭が痛くなる程の生木の匂いが芬々と立ち昇っており、まだ温かい死体の傍に居るような、残酷な、という形容が相応しいような有様だった。
もう少しで沢に出る、という辺りで、木々が四方に薙ぎ倒された場所があった。僕たちを沢へ行かせまいとするように道を塞ぐ倒木の隙間から水が滲み出し、その空間の真ん中、少し窪んだようになっている辺りに水溜まりを作っていた。竜巻は最初、ここに降りたのだろうと人々は話し合った。
僕は水溜まりの中に、爪痕のような無数の深い溝を見た。それは倒木の方まで続いており、あたかも何か巨大な生き物が沢から這い出し、ここで大量の風を纏いながら山を駆け下りたようだ、と僕は想像した。小暮にはこのような、禁足区域とされた自然が沢山あるが、そこを媒介する何かが霊威を受け、完全復活を遂げようとしたのだろう。
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竜巻による家屋被害は全壊が十二棟、半壊、一部損壊が五六四棟で、死者は十五名、重軽傷者は八二一名だった。停電は夜明けから翌日の同時刻までに約三百件、断水やガス漏れなどの被害は特にない。
尚、量仁寺裏手の森の木々も宵啼山中腹と同様円形に薙ぎ倒されており、僕が発見したような爪痕のような溝が見つかったという。
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既に断った通り、僕にはこの一件がいつ何処から始まった事なのか、いつ終わったのか、そもそも終わっているのかどうかすらも定かではない。現在僕は、妹弟子と共に花火工場を引き継いで仕事をしているが、僕の卒業後の事はどうなるのか、未だに結論は出せていない。ただ小暮という街は、あの竜巻を見届けさせた事で、明確に僕の”役割”を示唆したように思えた。
今でも冷たい風が吹くと、僕はすぐに空を見上げる。そこに何処からともなく湧いた黒雲を認めた時、急かされているような、叱られているような胸騒ぎがわくわくと込み上げ、長胴太鼓の如く鎖骨のすぐ下を震わせる。
あの夜、舞い降りるかのように地上に尾を伸ばした漏斗雲の渦から、僕は今でも逃げ続けているような気がする。逃げていると認める事こそが、僕がこの街の伝承を受容したという証拠で、一層囚われるようだった。逃げても逃げても、この街は僕を捕らえて離さないのだと思った。
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家族には謝らねばならないのかもしれない。
僕は百年後、来るべき時に誰かが義務を引き継ぎ、その災厄を見届ける為に、ここで花火職人になるのだろう。そんな予感を、既に抱き始めていた。
(龍王・終)
「龍王」の修正が完了しました(2025/12/23)。『化物怪奇譚』連作の修正作業はこれにて全ておしまいです。毎回作中で取り入れている民俗学っぽいトリビアは、本作では特に多くなりました。私が「民俗学」という言葉を知ったのは小学校中学年の頃で、当時図書室にあった藤ダリオさんの「あやかし探偵団」というシリーズ(全三巻)を読んだのが始まりでした。本文中に登場する東京の三大妖怪(妖狐、貉、河童)の事や、屋敷神という神様の種類などはこのシリーズで知った事です。最近になって、『殺戮の天使』のアニメのストーリー構成・脚本を担当された藤岡美暢さんがこの藤ダリオさんの別名義だという事を知りました。
閑話休題──。
本作では「運命」という言葉が繰り返されますが、この連作を通し、小暮の運命に介入する人々、意図せずそれに参加する事になった人々が登場します。以下に簡単に記すと、
1.「役割」を持った人々
・花火職人…百年ごとに龍王が力を取り戻す際、その命を封じた双魚球を打ち上げて孵化させる(鹿嶋氏など)
・勢威家…百年間双魚球を保管する(勢威太一など)
・津篭家…龍王復活の年越しに「儀式」を行い、次の百年間に龍王の眷属である化物(肉食獣の姿のものと蜘蛛の姿のものの二種類)たちの小暮の支配権を巡る話し合いの場を設ける
・連家…蜘蛛一派を監視する
・山小屋経営者…孵化したばかりの龍王(二匹の鯉の姿)が最初に宵啼山に向かった際、それを匿う
2.意図せず運命に参加した人々
・北条家…勢威家から双魚球を預かり、保管を代行
・北条佳江とその両親…双魚球を奪った羽立からそれを取り戻し、更に保管を代行
・湊時雄、供華雛乃…双魚球の打ち上げを行い、鹿嶋氏の没後に跡を継ぐ
という感じです。「役割」を持った人々は、最初は無自覚ですが、小暮で暮らすうちに段々とそれらを知っていきます。山小屋の夫婦のように、祖先から伝えられた事やその場の判断などで無自覚なまま「役割」をこなす事もあります。
龍王が復活した小暮は、目に見える形での変化はないながら(現実の年中行事の折に行われる祈願のように、いつから神的な力が眠りに就くのかも定かではありません)、百年間のうちに間違いなく小暮に豊作と凶作は発生し、数年後に勢威家の墓にまた双魚球が現れます。これは祟りなどではなく古くからの信仰に起源を持つ伝統であり、「水晶球の双魚」で慎平君の祖母が言ったように、未開時代に人間が異界の存在と共にあった事の名残りです。龍王傘下の化物たちもあくまで「運命」の一環として人間界に干渉していたものの、時が移ろうに連れて信仰が風化し、人間による自然(=異界との境界)の蹂躙が進んだ為関係が悪化し、刑部さんのように人間に悪意を持った邪悪な化物も出現するようになった、というのが真相のようです。
本文中で三枝さんが刑部さんと血縁関係にある事を語りますが、そう考えると彼女は自覚がないながら化物(もしくはハーフ)である可能性が高く、人間と化物が共存可能である事は示唆されています(因みに彼女の語る福島県の民間伝承は「三本枝のかみそり狐」という話で、彼女のネーミングの由来でもあります)。とはいえ、「A子さん」の最期に関する話は「化物怪奇譚」で土門君に起こった出来事と非常に似ており、という事は最後に子供を抱いた状態で発見された彼女は何をするつもりだったのか……と考えるとぞっとするものがあるのではないでしょうか。
それと、連君の語る蜘蛛の話は、本連作の「蜘蛛」の内容を示唆するものになっています。「蜘蛛」で末崎住職が小暮を去った後、後任の蜘蛛によって歴史を改変された結果が「化物怪奇譚」「神」「水晶球の双魚」「龍王」(=「化物の百年間」の世界線)だった可能性もあります。
私が本連作を書くに当たって意識した事は、「語り」の効果です。本連作は、異界の存在を巡る事件に巻き込まれた大学生たちが読者に向かって一部始終を物語るような手法で書いており、作中でも人物が長い台詞の形で不思議な出来事を語る場面が随所に登場します。私が好きな森見登美彦さんの『きつねのはなし』や辻村深月さんの『きのうの影踏み』といった小説、民間伝承やネット上の都市伝説や「ほんとうにあった怖い話」などもそうですが、怪談は実況の形よりも回想のような形で語られる事の方が多いような気がします(この「龍王」の執筆中に柳田国男『遠野物語』を読み、作中にも影響が出ましたが、これも柳田が佐々木鏡石という遠野地方の知人から語られたものだそうです)。そして、個人的には回想の形で語られる話の方が却って臨場感があり、怖く感じられます。
語り手たちの中には明確に死亡が描かれた者も居り、これらの「語り」が各話のラストシーンの一瞬に行われたものである事は第一回から示唆されていましたが、湊君のみ花火大会と山小屋宿泊の翌年に起こった鹿嶋氏の死について語っていながら作中でその前年の出来事に「今年」という言葉を使っており、やや違和感を覚えられたかもしれません。しかし、こういった語りは往々にして語り手も聴き手(読み手)も過去と現在の間で浮沈を繰り返すようにして物語に引き込まれていくもののように私は思っています。山小屋宿泊の一日を軸とし、湊君の語りが回想の調子になった瞬間、ふっと現在に返る、という感覚が自然に起こればこの書き方は成功したように思いますが、果たしてどうだったでしょうか。
長くなりましたが、ここまでお読み下さりありがとうございました。作者も、久々に読み返しているうちにまたこういった怪奇幻想ものを書きたくなってきたのでまた機会があれば挑戦してみたいと思います(「それよりまず『リ・バース』を完成させなさい」という声が聞こえてきそうではあります)。




