「水晶球の双魚」(『化物怪奇譚』)①
カウンターの奥にある座敷で、店に並べる陶磁器や彫刻の出し入れをしていると、裏庭の方で物音がした。少し間があって、インターホンが鳴ると同時にテレビの脇にある電話の子機がランプを点滅させる。
またか、と少々辟易しながら、僕は子機の前に向かった。
「はい」
『ああ、もしもし。慎平君かな? お父さんは、お店の方に?』
「勢威さんですね。父なら今、有鱗屋に出ていますよ。手は空いていると思うので、僕が呼んできましょうか?」
『そうして貰えると助かる。私はここで待っているよ』
聞き慣れた男の声が途切れると、僕は店の方に出た。暖簾を潜り、靴を履いて土間のような空間に下り、「父さん」を声を掛ける。駄菓子屋のような、細々としたものが無秩序に並ぶカウンターに座り、父は何やら手帳に記入をしていた。
開け放った入口の扉の向こうでは、何人かの通行人が軒先に並んだ木彫りの動物や七福神、龍などを珍しそうに眺めているが、彼らに購入する気はないという事は僕でも分かる。父が、営業中にも拘わらず顔を上げないのも肯ける話だった。
「父さん、勢威さんが来てる」
呼び掛けると、彼は振り向き、露骨に迷惑そうな顔をした。渋々といった様子でパイプ椅子から立ち上がると、僕に「ちょっと留守番頼むぞ」と言い、奥に引っ込んで行った。
「あの人、最近よく来るようになったね」
「ちょっとした付き合いだ。最近、幾つか話し合う事があってな」
父はいつも、こうして説明を省く。僕の予想通りなら、あの勢威太一という男は父個人というより、この有鱗屋自体に深い関わりがある。僕も、最後の青春を認められ大学には通わせて貰っているが、近い将来この店を継ぐ事は決まっているのだから、今のうちに知っておくべき事は知っておかねばならないのに。
カウンターに腰を下ろし、暇に任せて店をぐるりと見回す。
幼少の頃から見慣れているので取り立てて珍しいものがあるようには感じられない。老舗の骨董店とは言えども、北条家が個人で営業し、仕入れ先も殆ど市内のアンティークショップか知り合いの細工師だ。その為現代に作られたアクセサリなども多いし、「古美術品、古道具を売る店」としての性格は失われつつある。
渋い趣味だ何だとは言われるものの、僕はこの店が好きだ。例の細工師の家の息子は、跡継ぎである事に嫌気が差し、中学卒業後すぐに家を出たとの事だったが、僕は「有鱗屋」という名のこの店を、形が変わってもいずれ自分のものにしたい。
八月下旬に入ろうとする、最後の数回であろう夏風の一吹きが開け放しの入口から吹き込み、かびた土のような匂いを巻き込んで僕と擦れ違った。
* * *
小暮市は自然が豊かな街で、古くからの街並みが至る所に点在する地方都市だ。見渡せば山や森はすぐ傍にあり、古民家などが立ち並ぶ昭和風の景観もあちこちで見られる。それらの場所には当然、古くから根差した風習に基づく生活が営まれ、戦前から続く店などもごく普通に幾つもある。
有鱗屋は、北条の一族が代々経営してきた骨董店で、営業が始まったのは小暮の興って間もない頃、大正初期だそうだ。当時の店主は僕の曾祖父で、上京する以前から棟方志功とも面識があったとの事だが真偽は不明である。
百年の歴史を持つ老舗ではあるが、決して順調に時を紡いできた訳ではない。
中心部近くである事から、太平洋戦争末期には仙台空襲の前後に爆弾の投下を受けてほぼ全壊に近くなったり、戦後は父・周作が継いで蔵に残っていたコレクションを、当時現在のアンティークショップの場所にあった別の小売店に卸してそれを乗り切ろうとしたが、やがて小売店は先に破産。間の悪い事に、それは最後に卸した骨董の代金を有鱗屋に支払う以前の事だった。
何故そのような事になったのかについては、町内で様々な憶測が飛び交った。多額の負債の滞納が限界になった時期が丁度そこだった、というごく普通の意見もあれば、金庫の現金が盗難の被害に遭った、闇金が主人に手を下した、などの物騒な噂も立った。
真相はともかく、有鱗屋も倒産寸前まで行ったのだが、父は借金を作りながらも何とか地獄を乗り切ったと言った。その辺りの詳しい話は知らないが、その後例のアンティークショップが出来て連携を強化出来た事などから、現在まで営業が続けられているのだそうだ。
この一件は、実は「双魚球」を楔に現在まで続いていたのだった。
これは、僕たち北条家三代に渡る因果の話であり、僕が有鱗屋の跡継ぎに相応しい人間かどうかを最後に試された”試練”の記録でもある。
* * *
この話を始めるに当たり、勢威一族と「双魚球」について説明する必要がある。
件の勢威太一さんは、昔から有鱗屋をよく訪れていた男性である。かつて市内の中心部にあった加苅神社の氏子総代であり、その神社の墓が大半を占めていた宗派不問の霊園で、水晶の付いた墓を有していた。
二十年程前、僕が生まれる少し前だが、加苅神社に落雷があり社殿が全焼した。神社は経営を維持出来なくなり、その際氏子だった人々は霊園から墓を多く市外へ移転した。維持費が集められなくなった霊園は時期を同じくして閉鎖、勢威さんたちの墓も移転される事になった。
「この水晶によく似た宝玉を知りませんか?」
初めて彼が北条家に訪ねて来たのは、僕が小学校に入学するかしないかという時期だった。それ程昔の事なのによく覚えているのは、その最初の訪問があまりにも印象深かったからだとしか言いようがない。
「北条さんも、我々の墓地の事はご存じでしょう。水晶の墓と言えば、昔この辺りでは有名でしたから。これはその水晶なのですが、本来墓に飾られていたのはこれではなかったのです。それが、双魚球だったという訳です」
初対面だというのにかなり私的とも取れる話をする彼に、父が眉を潜めた。
話によると、双魚球とは人間の頭より一回り大きな水晶である。その時勢威さんが持参した、墓に取り付けられていた水晶の優に五倍以上ある。その中には、真鯉と緋鯉と思われる二匹の魚が立体的に描かれ、泳ぐように見えたという。
勢威一族は、小暮市が誕生する以前からこの地に暮らす一族で、その双魚球を代々継承する役目を担っていたらしい。現在の当主である勢威太一さんは前当主の甥に当たる人物で、先代の一人息子が病死した事で跡目を継ぐ事になった人だった。
「先代は、北条さんのご尊父、粂蔵氏の朋友でしてね。彼は戦争でビルマの方へ出征する事になり、現地で戦死したのですが、それ以前に双魚球を粂蔵氏に託しているような事が記録文書に仄めかされているのですよ。当時は皆貧しかったですし、墓にあった双魚球が盗難に遭う恐れもありましたからね。それに、家族の中でもあれを売って稼ごうという意見も出たようですし。あれの重要性は、代々の当主と跡継ぎにしか知らされていなかったようですから。私がお伺いしたいのは、まだこのお宅にあると思われるその双魚球の事です」
六十年近く前の事ですが、そろそろ色々と準備の時期に入っているのですよ、と勢威さんは言った。そう言いながらも、準備が何なのか、双魚球がどのように重要なのかなどについては口を噤んだままだった。
「父からは何も聞いていませんね。彼は現在市立病院で寝たきりの状態ですし、話を聞こうにも聞けません。土蔵の中を調べてみます、何か分かった事があったらこちらから連絡しますので」
父は、その時そう言った。勢威さんは「お願いします」と言い、一言二言言葉を交わした後帰って行った。
僕の記憶の中で最も古いものとも言えるその出来事の後、一歳か二歳の時僕も会っているという祖父は亡くなり、土蔵からも特に何も出てこなかった。そして、父と、北条家と、有鱗屋と、その勢威さんという男性との奇妙な繋がりは始まった。
* * *
「顧客情報は明かせないと言っているでしょう。確かにこの店で売っているものは大抵がガラクタですが、後から鑑定して値が付く事だってあるのです。個人情報についての取り扱いは基本中の基本ですが、この商売では……」
暇に任せて、二階へ上がったらしい父と勢威さんの会話を聞くともなしに聞いていると、ようやくかなりはっきりした父の声が聞き取れた。
「私もそれは重々承知です。しかしですね、状況は以前とは違うのですよ。お見せしました通り、伯父は確かに生前双魚球を有鱗屋に預けたという記録文書を残していました。北条さんがご存じなかった事から推測するに、粂蔵氏はあれを預託されてから動かしてはいないのでしょう。ならば、間違いなくお宅にはあるはずです」
「しかし、私はあなたに立ち会って頂いた上で、土蔵もギャラリーの控えも全て調べました。しかし、そのようなものは存在しなかった」
「ええ。ですから、北条さんの覚えていらっしゃらない昔に、売り払われてしまったのではないかと私は考えているのです」
勢威さんの声も、普段の話し方ではあるものの、ここまではっきり届く程の声量になっていた。何か揉めているようだな、と思う。こんな事は初めてだ。
「絶対に、情報は口外しません。どうか、一度だけでも顧客リストを」
「この手の商売で問題が起こる時、必ずそのような言葉が出るのですよ。仮に、父が双魚球を売り払ってしまっていた場合、そのお客様の元を訪れて、あなたは何かをするのでしょう?」
「なるべく穏便に済ませますよ。しかし、事実を明確にしない限りはこちらでも対応を決めようがない」
「勢威さん、私はあなたを信用していない訳ではないのです。ですが、何事にも絶対は有り得ない。事が起こってしまってからでは遅いのです」
「事が起こって大変な事になるのは、北条さんの周りの人も同じですよ」
「脅すつもりですか? とにかく、私も未だにあなた方にとって双魚球というものがどんなものなのか分かりはしない。一方的に顧客情報を見せろと言われましても、それは無理です。お引き取り下さい」
父の声がそう言い、また声量を下げた声が二言三言交された後、勢威さんが立ち上がって階段に向かう足音が響き出した。足音が階段を降り、座敷の向こうから「また来ますよ」という声がして静かになった。




