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「蜘蛛」(『化物怪奇譚』)⑦


          *   *   *


 夏休みも後半に差し掛かってきた時、霞さんに花火に誘われた。

「私が変な話したのもいけなかったんだろうけどさ、璃紗最近暗いぜ? アパートに引き籠ったり古臭い場所でバイトしたりばっかりでも何だし、たまには夏っぽい事もしないとな」

 バイトが終わって他の皆が帰ってから、霞さんはそう言ってきた。僕には関係ない事だ、と気にもしていなかったのだが、近いうちに百々目(どどめ)川の河原で花火大会があるらしい。僕の元気のないのを気にして、というより、どうやら彼女自身が行きたいと考えていたようだ。それなら例の芙美さんと行けばいいのに、と思ったが、彼女には別の考えがあった。「花火=恋人と行くもの」という価値観が出来つつある今、男友達とでなければ何となく周りの目が気になる、とか何とか。

「海も花火も七夕もクリスマスも、何だってこう全部恋愛に繋げようとするのかね」

 彼女はそう愚痴っていた。彼女にも可愛いところがあるんだ、と新鮮に思った。

 霞さんの思惑が何であれ、当日、確かに僕は一時的とは言え心を落ち着ける事が出来た。彼女と同じ理由で中学校時代から参加を渋っていたこの手の行事だが、やはり夜空を背景に職人の手で生み出される火の芸術は息を呑む程だったし、涼風の渡る川の畔は清涼感に満ちて、また普段では想像すら出来ない菖蒲(あやめ)柄の薄い浴衣に身を包んだ霞さんは、どきりとする程艶めかしく美しく感じた。

「この花火を作った人、鹿嶋(カシマ)攝雄(セツオ)っていって、小暮で数少ない全国に誇れる人って言っても過言じゃない人なんだ。秋田の全国花火競技大会にも何回も出て、十号玉の部で中小企業庁長官賞受賞した事もあるんだぜ?」

 彼女は、自分の事のように誇らしげに語った。

「で、その人と私のお祖父ちゃんが私たちの農商大卒で、同じサークルの先輩と後輩の関係なんだよ」

「萌花さんは、会った事があるの?」

「まあな。お祖父ちゃんが元気だった頃はよく遊びに行って、鹿嶋さんと顔を合わせる事も多かった。その時は、線香花火なんかして遊んだよなあ。いい思い出だ」

 彼女はとろりとした目付きになり、眼下を潺湲(せんかん)と流れる百々目川に視線を落とす。

 小波(さざなみ)が浅瀬に()ぜ、そこに花火の光が反射して、彼女の横顔に網のような斑模様の陰影を映し出した。

「花火っていうのは、玉に『星』っていう薬剤を詰めるんだけど、この配合に微調整が利かなかったり詰める位置がズレたりすると、えらい汚ねえものになるんだって。鹿嶋さんは手先が器用だったんだな、花火以外にも、細工やら映写機やらも作って私に見せてくれたんだよ。ああいうの、子供の目から見ると幻想的だけど恐ろしいっても思うんだよな。絡繰(からくり)仕掛けの操り人形が特に印象に残っている。

 今度機会があったら璃紗にも見せてやるけどさ、それはちょっと怖い。折り畳み式の紙で作った立体構造で、小暮によく似た街を、顔のない女の子が幽霊みたいに彷徨っているんだ。その人形の首とか手足からは細い糸が伸びて街の上空に繋がっていてな、そこに大きな黒い怪物のようなものが居る。その黒い何かが、糸を複数の手で操って人形を動かす。鹿嶋さんが何処かのボタンを押すと、それが動いて目茶苦茶に踊るんだ。怪物の居る辺りに、花火みたいな光が何発も上がって。

 これは小暮に居る不思議な生き物なんだよ、って彼は言った。私は怖くて、あんまり見せないでって言ったっけ。何で今そんな事を思い出したのかはよく分かんないけどさ、花火が切ない思い出を運ぶって本当なんだな」

「もしかして萌花さんも、最近疲れているのかな。僕はよく昔の事を思い出してセンチメンタルになる時、自分が疲れているんだなって思うんだけど」

 僕が言うと、霞さんはふふっ、と意味ありげな笑い方をした。

「……死の呪い、か。嫌な事を言われたもんだよな」

 やっぱり気にしていたか、と心の中で呟く。平気な振りをして強がっていても、彼女自身は”不可解な出来事”の当事者なのだ。話を聞いただけの僕でさえ不安になるのだから、彼女の精神的負担はより大きいに違いない。

「萌花さんは死ぬ訳ないよ」

 僕は、気休め程度でもそれが癒えないだろうか、と思い口にした。

「剣士だったんだろう? 体も丈夫だろうし、普段はあんなに強いじゃないか。僕から言わせて貰えば、凄く溌剌としていて魅力的だと思うよ」

「全く。祭りムードにかこつけてそんな告白みたいな台詞を……」

 言いかけた霞さんの表情が固まった。その顔が、見る見るうちに青褪める。

「どうしたの?」

 言いながら、さすがにさっきのは行きすぎたか、と反省する。

 だが彼女は照れているというより、怯えているようだった。低身長の僕と高身長の彼女は目線がほぼ同じ位置にあるが、彼女はその高さから真っ直ぐに僕の目を見つめてくる。その顔に映る光の色が、ギラリと気味悪く光った。

 その光の中、彼女の目が潤んだ綺麗な色ではなく、瞳孔が開き白目が異様に血走っている事に僕は気付く。

「璃紗が今一瞬、セーラー服の女の子みたいに見えたから……」

「そういう冗談はやめてって言って──」

 はたと、僕は口を閉じた。

 霞さんが見たものが何だったのか、分かった。


 その百々目川花火大会の翌日、霞さんは三十八度の熱を出して病床に就いた。


          *   *   *


「君から彼女の名前を聞く事になるとは思わなかったよ。つくづく、世間は狭いなって思うね。いや、小暮は確かに小さい街なんだけどさ」

 僕と花火大会に行って体を冷やした事が、霞さんが体調を崩す原因になったのだろうか、と僕は不安になった。寺でも少しそわそわしすぎていたのか、裏庭の清掃中に上の空になり、灯籠にぶつかって倒してしまった。

 たまたま作務衣(さむえ)姿の浦隅氏が通り掛かり、叱言を喰らうかと思ったが、彼はそれよりも僕が怪我をしなかったかについて尋ねてきた。

「土門君が失敗するなんて珍しいじゃないか。何かあった?」

 と尋ねられたので霞さんの事を話すと、浦隅氏は意外そうな表情になった。

「蠨子ちゃんを撥ねた運転手の霞晴之さんが居ただろう。彼には執行猶予が付いたんだが、その時彼が私を訪ねて来たんだよ。蠨子ちゃんは助からなかったんだから、彼は過失運転致死という事になる。傷害や殺人とは異なるけれど、晴之さんが彼女の命を奪ってしまったのは確かだ。職場でも風当たりは強くなったし、隣人たちや親類からも白い目で見られる。家庭での空気もぎすぎすしたものになったしね。彼の娘さんが、土門君の言う萌花さんなんだろう。高校入学を間近に控えた彼女も居る中、職場に居られなくなった彼は、その色々と入用の時期に収入が得られなくなった。無論私にそれを話しても何もしてあげられないのだが、そういう事は誰かに聞いて貰うだけでも随分気持ちは違うものだから」

「その話って」

 僕は、つい浦隅氏の話を遮った。

「嘘なんですよね? 雑談とするにも、些か不謹慎な気がしませんか?」

「無論、問題は私が解決したよ。少しばかり、彼から対価は頂く事にしたけどね。そうでなきゃ、君と萌花さんは会えなかっただろうと思うよ」

 浦隅氏は、僕の言葉に含まれた棘に気付かなかったようだ。

「違います。僕の言いたいのはそうではなくて……交通事故なんて、本当はなかったんじゃないですか、って事です。蠨子ちゃんは確かに今も生きているんですよ」

「君が会ったのかい?」

「いえ、霞さんが、瓢家で彼女に会っているんですよ」

「瓢家で? それは……」

「蠨子ちゃんと、芙美さんの姉妹が暮らす家です」

 僕が言った途端に、浦隅氏の顔色が変わった。

「いや……嘘だろう。そんなはずは……」

 彼は、引き笑いのような呼吸音を口から零す。その乾いたような空虚な響きが、僕の心を不安にさせた。

「蠨子ちゃんは一人っ子だ。霊能を持っていたばかりに蜘蛛に憑かれ、操られて国道に飛び出した。私はそれをなかった事にしようとして、彼女の代わりにごく普通の娘さんを……瓢家に……」

「えっ? どういう事ですか?」

「対価を先延ばしにしたのがいけなかったのかな。だから、彼の現実と私の現実に食い違いが生まれて……いや、彼がそこまで出来るようになっている訳がない。もしそうだとすると、私は彼を見くびっていた事になる」

 浦隅氏は、何やら訳の分からない独り言のような呟きをぶつぶつと続けていたが、やがて矢庭(やにわ)にさっと顔を上げた。

「土門君、ありがとう。私は今、急用が出来たから今日はこの辺りで失礼するよ。何はともあれ、君が怪我をしなくて良かった。ああそれと、萌花さんのお見舞いに行くつもりなら早くした方がいいよ」

 一方的に捲し立て、彼は砂利を踏み締めながら寺の中に戻り始めた。僕は棒のように立ち尽くしたまま、取り残されたような気分を味わっていた。

 不意に、僕は(うなじ)の産毛が逆撫でされたかのようにぞわっとした。

 背後から、砂利の上を歩く足音のようなものがこちらに近づいてきた。

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