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「蜘蛛」(『化物怪奇譚』)⑤


          *   *   *


「君、あの子と面識があったのかい?」

 翌日量仁寺に行くと、浦隅氏と顔を合わせる事になった。挨拶をするや否や突然切り出され、僕は思わずたじろいだ。

「あの子?」

「蠨子ちゃんの事だよ。昨日彰人さんから、土門君があの子の話を持ち出してきたって聞いてね。懐かしい名前だったから、つい反応してしまった」

 浦隅氏は、珍しく微笑すら浮かべながら言う。

「浦隅さんも、蠨子ちゃんを知っているんですか?」

「知っているとも。元々彼女は、彰人さんではなく私の所に、霊体が見える体質の事を尋ねに来たんだからね」

 さらりと言われ、僕は「えっ」と裏返りかけた声を出してしまった。

「そ、それで、彼女に何と返したんですか?」

「モノに憑かれやすい体質だって話したよ。実際、彼女はそんな感じがした。長い間修行をして、悟りは得られなかったけれど、そういう事に関する何か超常的な勘が鍛えられたのかな。彼女は……匂いが違った」

「匂い、ですか」

「ビビッと来るような、なんて言ったら陳腐な表現かもしれないが、まさにそういう感じだった。あれは、普通の人間の感覚ではない。恐らく、彼女は霊媒になりやすい体質だったのだろう。だから、そういうモノに対して免疫が付いたんじゃないかって言ったんだ。実際蠨子ちゃんは幼い時、急に原因不明の熱を出したりふらりと居なくなったりする事がよくあったというしね」

 つまり、蠨子ちゃんに診断を下したのは浦隅氏だったという訳か。

 だが、そうなると疑問は残る。何故彼女とその両親は、浦隅氏による診断を受けた後末崎住職の元へ行って同じ相談をしたのだろうか。

 どちらかが嘘をついている、と思った。だが、どちらの話も霞さんの話と基本的な点は矛盾していない。唯一おかしいのが、「”住職”が診断を下した」という部分をどちらも否定している事だ。

「それから彼女はよく来たね。私のような中年の坊主に会うのがそれ程楽しみだったとは思えない。だが、それは単に自分の特殊能力に関する出来事を雑談交じりにしに来た訳ではなかったんだ。彼女は、自分にも超自然的な何かが憑いている、と怖がっていた」

 浦隅氏が言うので、僕は思わず口を挟んだ。

「それは、蜘蛛に似た化け物ですか?」

「……何で知っている?」

 浦隅氏の目が、眼鏡越しにすっと細められた。

「末崎住職に聞いたんですよ」

「いや待て、それはおかしい。彼女と蜘蛛の話を知っているのは、私だけのはずだ」

「浦隅さんに相談する以前に、末崎住職に話したのではないですか?」

「それは有り得ないんだ。確かに蠨子ちゃんは私が霊能について教えた後、よく寺に来るようになった。私とも彰人さんともよく顔を合わせた。だが、私の元を訪れてその話をする最後の日まで、(しば)らく彼女は寺に来なかったんだ。彰人さんも、彼女が来なくなった事についてずっと首を傾げていた」

「最後?」

「あれ、君は知っていて話を持ってきたのではないのかい? あの子は……蠨子ちゃんは小学四年の夏に、もうとっくに死んでいるはずなんだよ」


          *   *   *


「あの日の事は、一度この身で経験したら忘れられない出来事だよ。陽炎(かげろう)が立つような夏の昼間、ほんの短い時間に詰め込まれた出来事だったからね。

 彼女は怯えていたんだよ。自分に取り憑いている蜘蛛の化け物は、守護霊なんてものじゃない。もっと恐ろしく、力あるもので、邪悪ではないけれど人間にとっては敵対する存在なんだ、って。いつかそれは、自分をその不可視の糸で操って連れて行ってしまうんだと。

 あれは普通の様子じゃなかった。彼女は本当に、怖がっていたんだよ。私に話している間も、ずっと声は震えていたし顔も蒼白だった。薄い夏服は、茹だる熱気でというより冷や汗で身体に貼り付いていた。喋っている間に息がどんどん上がってきて、今にも過呼吸を起こして倒れてしまうのではないかと思った。私が支えてあげようとしたら、彼女は急にきっと顔を上げて私を睨んだんだ。

 怖い顔だった。今でも克明に覚えている程、一度見たら忘れられないような程ぞっとする顔だった。あれはもう、人間に出来る顔じゃない。懸命に人間の振りをしようとしている人外、獣の顔だったよ。

 一通り話すと、彼女は泣き出した。皆、嘘つきだって言った。人の振りをして自分に怖い事をしようとしているんだって言った。彰人さんも、そして私も、蜘蛛なんじゃないのかと言ってきた。私はそれを聞いて、心臓が食い破られたかと思った。

 私が何も言えないでいるうちに、彼女は蹣跚(まんさん)とした足取りでここから出て行った。今にも転びそうなのに、気味が悪い程にぎりぎりで転ばない。そんな風にして歩いて行くから、私はつい追ってしまった。

 彼女はやがて、辰巳の森を突っ切るようにして抜けて、車の激しく往来する国道へ出た。私は彼女を引き留めようとしたよ。このままでは車道に飛び出してしまうと思ったからね。だけど不思議な事に、森の木立ちはいつまで経っても私を向こう側に行かせてくれない。進んでも進んでも森なんだ。私は走っていて、彼女は夢遊病者のような足取りだったんだから、追い着けるはずだった。

 そうしている間に、彼女は何かに引かれるようにして車道に飛び出した。破裂音みたいな音と共に、彼女の体は森の中に吹き飛んできた。運転手の男性は路傍に車を停め、森の中に走ってきて蠨子ちゃんを抱き起こした。

 大丈夫か、しっかりしろと呼び掛ける彼を、私は妙に冷めたような気持ちで見ていたよ。呆然としていたのか、何を思っていたのかは思い出せない。

 私はただ『救急車を呼びます、あなたの名前は?』とだけ口に出せた。

 彼は『霞晴之(ハルユキ)です』と答えた」


          *  *   *


「蠨子ちゃんの名字について、教えて頂けますか?」

 僕は、唾液が凝固して息の根を止めようとしてくるかのような、不快な息苦しさに抗いながらそう尋ねた。頭から血が落ちているのか、視界が暗く感じる。

 浦隅氏は、額に縦皺を深々と刻んだまま俯いている。心なしか、彼の顔色も話を始める以前よりずっと青褪めているような気がした。

「……(ヒサゴ)。瓢蠨子、というのが彼女の名前だよ」

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