燃費の悪い身体
翌日、身体の変化はすぐにやってきた。
朝日が差し込む食堂で、ソラリスは自分の異変に戸惑っていた。腹が減る。それも、これまで経験したことのない速さで、際限なく減っていく。
「食べても食べても、腹に溜まっていく感じがしない……」
呟きながら、目の前に積み上がった皿の山を見つめる。すでに七、八人前は平らげているはずなのに、胃袋はまだ物足りなさを訴えていた。
もう一度何かを口に運ぼうとして、ふと動きを止める。
これだけ食べているのに、腹の底に満足感が根付かないし、食べれば食べるほど、次の空腹が予約されているような、奇妙な感覚だった。
(でもこれって、俺だけじゃないんだよな)
そう思って周囲を見渡すと、確かに同じ光景が広がっていた。
強化兵らしき男たちが、大皿を何枚も積み重ねながら黙々と食事を続けている。誰も驚いた様子はない。
むしろ、それが当然の光景だとでも言うように、淡々と箸やフォークを動かしていた。
「お、やってんな〜」
聞き覚えのある声に顔を上げると、リゲルが一人前の食事が乗ったお盆を手に立っていた。涼しげな笑みを浮かべながら、対面の椅子を引く。
「リゲル、これも強化兵になった障害か?」
向かいに腰を下ろしたリゲルを前に、大量のラム肉をもぐもぐと咀嚼しながら尋ねる。
リゲルは興味深そうに首を傾げながら答えた。
「障害というより、エイリアン細胞の本来の性質だな。エイリアン細胞は常に膨大なエネルギーを消費している。だから強化兵は一般人の七から十倍ほどの食事量が必要なんだ」
「えっ、そんなに!?」
思わず声が裏返った。
育ち盛りの十六歳、しかも元々の食事量は同年代よりも多めだったソラリスだが、それでもこんな量を食べたことは一度もない。
目の前の皿の山が、急に重みを増して見えた。
「エイリアンもこんなに食うのかな……」
ぽつりと呟くと、リゲルはフォークを咥えたまま考え込むような表情になった。
「エイリアンどもも大量のエネルギーを必要とするけど、人間とはエネルギーの獲得方法が違うんだ。エイリアンはもともとエイリアン細胞によって構成された生命だから、その高い代謝を自分の身体に合わせて進化させてる」
淡々と説明するリゲルの声には、慣れた講師のような落ち着きがあった。
「でも、人間はその代謝をもっていない」
「……人間の身体なのに、内部だけエイリアンの代謝システムが動いているってことか?」
ソラリスが尋ねると、リゲルは箸の先をこちらに向けながら頷いた。
「そういう事。だから強化兵は、とんでもない量の食事が必要になる。軍では『強化兵にとって食事は娯楽ではなく、治療の一部』なんだ」
その言葉が、思いのほか重く胸に響いた。
ソラリスの脳裏に、悪循環の構図がぼんやりと浮かび上がる。
侵食が進めば、エイリアン細胞の活動が強くなる。
活動が強くなれば、必要エネルギーが増える。
エネルギーが足りなければ空腹が強くなり、それでも食事が足りなければ身体はエネルギー不足に陥る。
そうなれば、細胞は宿主を守るためにさらに活性化し──結果として、侵食率がまた上昇する。
食べることすら、生き延びるための戦いの一部なのだと、ソラリスはようやく実感として理解した。
「なるほど……」
小さく頷きながらも、どこか釈然としない気持ちも残る。
「でもそんな説明、受けたかなぁ……」
首を捻るソラリスに、リゲルは呆れたような視線を向けた。
「お前、同意書ちゃんと読んでないな?ちゃんと記載されてるはずだぞ」
図星を突かれ、ソラリスは思わず頬を掻いた。
「あー……マジか」
あの日、シリウスの前で迷わずサインをした自分の姿が思い出される。
ツクヨミに近づけるということばかりが頭を占めていて、渡された書類の細かな条項など、まともに目を通してもいなかった。
今更ながら、自分の詰めの甘さに苦笑いが漏れてしまう。
話の流れの中でふと気になったことがあった。
「ってことは、ツクヨミもかなり食うんだよな?」
尋ねる声に、無意識のうちに期待が滲む。
「ああ。いつも食堂の隅っこで、黙々と食べてるぜ」
リゲルの返答に、ソラリスは思わず食堂の隅々まで視線を巡らせた。
残念ながら、探していた銀色の髪はどこにも見当たらない。
「……今は、いないみたいだな」
僅かに落胆した声が漏れた。
「昨夜、急遽任務が入ったとかでアレスを出て行ったぞ」
その説明に、ソラリスの肩からわずかに力が抜けた。予想していたよりも、あっさりとした答えだった。
「そっかー。明日は会えるといいな」
気を取り直すように呟くと、リゲルは肩をすくめながら笑った。
「はは、同じ職場なんだからいつでも会えるさ」
その気楽な言葉に、ソラリスの口元にもようやく笑みが戻ってきた。
焦る必要はない。今日会えなくても、明日がある。
そう思うと、目の前に積まれた皿の山さえも、少しだけ愛おしく思えてくる。
「よし、もう一皿もらってくる!」
勢いよく立ち上がったソラリスに、リゲルが呆れたような声で「まだ食うのかよ」と呟いたが、その顔にはどこか楽しげな色が浮かんでいた。
腹が満たされた頃、食堂を出たソラリスを待ち構えていたのは、思いがけない伏兵だった。
「見つけた!」
廊下の角から飛び出してきたのは、昨日ベッドの上で対面したエルフの女性──カペラだった。
両手を広げ、まるで逃走経路を塞ぐかのようにソラリスの前に立ちはだかる。
「うわっ! び、びっくりした……」
思わず後ずさったソラリスに、カペラはにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「三日間安静なんでしょ? なら、暇してるはずだよね」
有無を言わせぬ勢いで手首を掴まれ、ソラリスは半ば引きずられるようにして生体研究部の一角へと連れて行かれた。
真っ白な壁に囲まれた検査室には、見慣れない機材がずらりと並んでいる。
医療用の分析装置、無数のケーブル、そして壁面に映し出された細胞のモニタリング画面。
研究者らしい雑然とした熱気が、部屋のそこかしこに漂っていた。
「ちょっと座って座って」
促されるまま椅子に腰を下ろすと、カペラは目を輝かせながら医療用のライトを取り出した。
「じゃあ、失礼して……」
言うが早いか、カペラの細い指がソラリスの左瞼をそっと持ち上げる。至近距離から覗き込まれる感覚に、ソラリスは思わず身を強張らせた。
「わぁ……本当に綺麗な水色だ。しかも、瞳孔の反応が普通と全然違う」
独り言のように呟きながら、カペラは手早くペン型のスキャナーを取り出し、瞳の表面をなぞるように光を当てていく。
真剣な横顔には、昨日の子供っぽい勢いとは違う、研究者としての鋭さが宿っていた。
「エイリアンの血が入ったって聞いたけど、詳しく教えてくれる? 何歳のとき? どんな状況で? 痛みはどれくらい続いた?」
矢継ぎ早に質問を重ねられ、ソラリスはたじろぎながらも、記憶を辿るように答えていった。
六歳のあの夜のこと、焼けるような痛み、そして助けてくれた銀髪の少年のこと。
話しながら、あの夜の記憶が鮮明に蘇ってくる。
「……なるほどなるほど。うんうん、興味深い」
カペラは端末に何かを打ち込みながら、幾度も頷いた。話を聞くたびに目の輝きが増していくのが、傍から見ていてもよくわかる。
「ねぇ、ちょっとこの光、見つめてもらってもいい?」
差し出された細い光の先を目で追いながら、ソラリスはふと尋ねた。
「なあ、カペラは何を調べてるんだ?」
「私はね、エイリアン細胞と侵食率の研究をしてるの。それと──」
言葉を切り、カペラはモニターに表示された数値をじっと見つめた。その横顔が、一瞬だけ真剣な色を帯びる。
「あなたの左目みたいな、通常では説明のつかない反応を示す症例。前例がないものほど、燃える性質でね」
にっと笑うその表情には、どこか少年のような無邪気さが滲んでいた。
検査は、想定していたよりも長く続いた。
瞳孔反応、神経伝達の速度、微弱な光への感応度──カペラは次から次へと検査項目を繰り出し、そのたびに歓声にも似た声を上げては、忙しなく端末へ記録を打ち込んでいった。
椅子に座ったまま何十分と検査を受け続け、さすがに肩が強張り始めた頃、検査室の扉が静かに開いた。
「カペラ」
低い声とともに姿を見せたのは、シリウスだった。手元の端末に視線を落としたまま、感情の読み取りにくい表情でカペラを一瞥する。
「……術後患者を、こんなに長く連れ回さないでください」
抑揚のない声だったが、その一言には確かな圧があった。カペラは肩をびくりと震わせ、それでもすぐに口を尖らせる。
「でも、貴重な症例だから! こんな反応、他のどの兵士にもないんだよ?」
「だからといって、安静期間を無視していい理由にはなりません」
シリウスは検査台の上に置かれた記録用のタブレットを一瞥し、そこに刻まれた経過時間を確認するように目を細めた。
「彼は昨日、手術を受けたばかりです。今の時点で最優先すべきは、貴女の研究欲求ではなく、彼の身体の回復です」
淡々とした言葉の一つひとつが、どこか静かな怒りを孕んでいるようにも聞こえた。
カペラは、しゅん、と肩を落とし、しばらく渋っていたが、やがて観念したように両手を挙げる。
「うぅ……わかったよ。今日はここまで」
その様子に、ソラリスは思わず苦笑いを浮かべた。研究者としての情熱と、患者を守ろうとする医師の姿勢。二人のやり取りには、どこか長年の呼吸を思わせる息の合った空気があった。
「ソラリスさん。今日はもう部屋へ戻って休んでください」
シリウスがそう告げた、その時だった。
モニターに視線を戻していたカペラの指が、ふと止まった。
「……あれ?」
小さな呟きに、シリウスの視線が動く。カペラは眉根を寄せ、画面に表示された数値をじっと覗き込んでいた。
「これ、昨日のデータと違う……?」
呟くような声だった。慌ただしく別のウィンドウを開き、昨日採取したデータと今のデータを並べて表示させる。細かな波形のグラフが二つ、画面の上に並んだ。
「カペラ?」
シリウスが端末越しに覗き込む。だがカペラは何も答えず、ただじっと画面を見つめたまま黙り込んでいた。
その真剣な横顔からは、先ほどまでの軽やかさがすっかり消え失せている。
「……いや、うん。まだ何とも言えないか」
しばらくして、カペラは自分に言い聞かせるようにそう呟くと、無理に笑顔を作ってソラリスの方を振り返った。
「なんでもない、なんでもない! また今度、続きさせてね」
明るい声とは裏腹に、画面から視線を離したカペラの表情には、まだ僅かな戸惑いの色が残っていた。
「また今度もあるのかよ……」
ソラリスは苦笑いを浮かべながら、凝り固まった肩をほぐすように回した。
カペラの一瞬の変化には気づかなかったが、それでも悪い気分ではなかった。
自分の左目に、これほど純粋な興味を向けてくれる人がいる。
それは、どこか誇らしくもあった。
検査室を出ると、廊下にはすでに宵の気配が漂っていた。
窓の外、アークの光がぽつりぽつりと灯り始めている。ソラリスは大きく伸びをしながら、居住区への道を歩き出した。
三日間の安静期間は、まだ始まったばかりだった。
慌ただしく過ぎていくこの一日一日の中で、確かに新しい生活の輪郭が少しずつ形になっていくのを、ソラリスは感じ始めていた。




