第1話 出会いは突然に、頭の上からこんにちはなのでしゅ♡
第1話 出会いは突然に、頭の上からこんにちはなのでしゅ♡
朝食の時間を半分も残して、アルフレッド・フォン・エルトリアは王立魔導院から届いた報告書を読んでいた。白いシャツの上に紺色の騎士服を着込み、金糸で王家の紋章を縫った上着は椅子の背へ掛けてある。食卓には焼きたての丸パン、厚切りの燻製肉、半熟卵、蜂蜜をかけた林檎が並んでいたが、手をつけたのは苦い紅茶だけだった。銀のポットから立っていた湯気も、細かな文字を追ううちに消えている。
「魔力を吸われて枯れた木が、昨日だけで二十七本か」
アルフレッドは報告書の端を指でたたき、向かいの席に立つ近衛騎士を見た。ローランドは灰色の騎士服を着て、いつもの無表情で燻製肉を挟んだパンを食べていた。呼び出しが早かったせいで朝食を済ませておらず、厨房の料理人が持たせてくれたらしい。
「三日前は五本でした。増え方が普通ではありません」
ローランドは最後の一口を飲み込み、紙袋を丁寧に折り畳んだ。袋の底にはパンくずが残っていたが、彼は指先で集めて口へ運び、何事もなかったように白い手袋をはめた。アルフレッドは昨日も同じように朝食を後回しにして侍従から叱られたことを思い出し、冷めた丸パンを一つつかんだ。
「魔獣が原因なら、放置はできない。私が直接確認する」
アルフレッドが言うと、ローランドは予想していたように腰の剣を確かめた。窓の外では夏の名残を含んだ風が木々を揺らし、庭師が落ち葉を掃く音が聞こえている。アルフレッドは蜂蜜のついた指を布巾で拭き、王立魔導の森へ出発するよう命じた。
王立魔導の森は、王城から馬で一時間ほどの場所にあった。アルフレッドは白馬にまたがり、紺色の騎士服の上から銀色の胸当てと黒い外套を身につけていた。ローランドは栗毛の馬に乗り、革袋から干し肉を取り出して時々かじっている。朝食を食べたばかりなのに、よく腹へ入るものだとアルフレッドは横目で見た。
「殿下もいかがですか」
ローランドは干し肉を一本差し出したが、表面には香辛料の赤い粉がたっぷりついていた。アルフレッドは首を横に振り、鞍へ結んだ水筒を口へ運んだ。幼い頃、同じ干し肉を二本食べて一晩中水を飲み続けた記憶がある。
「遠慮する。お前は任務中にもよく食べられるな」
アルフレッドがあきれた声を出すと、ローランドは干し肉をしまいながら、空腹では剣を振れませんと答えた。その言葉には妙な説得力があり、アルフレッドは反論をやめた。二頭の馬が森へ近づくにつれ、湿った土と苔の匂いが濃くなっていった。
森の入口には、王立魔導院の調査員が三人待っていた。彼らの白い外套には泥が跳ね、眼鏡をかけた青年は寝癖のついた髪を何度も手で押さえている。近くの切り株には、包みを開いたままのチーズサンドと飲みかけの林檎水が置かれていた。どうやら異変の調査を続け、昼食を取る時間も惜しんでいたらしい。
「殿下、森の奥から強い魔力の揺れを感じます。ところが、発生源が動き回っているのです」
青年は地図を広げ、赤い印を指で示した。昨日確認した場所と今朝の場所は大きく離れており、単なる魔力だまりとは考えにくい。アルフレッドは地図を受け取り、印の周囲に描かれた小さな沢と古い巨木を確かめた。
「生き物が魔力を吸いながら移動している可能性がある。ここから先は私とローランドで行く」
調査員たちは同行を申し出たが、泥のついた靴と青白い顔を見れば、昨夜から休んでいないことは明らかだった。アルフレッドは入口で待機し、食事を済ませるよう命じた。眼鏡の青年は恐縮しながらも、切り株のチーズサンドへ視線を向けた。
森の奥へ足を踏み入れると、鳥の声が急に少なくなった。木々の間を通る風は冷たく、落ち葉を踏むたびに湿った音がする。アルフレッドは剣の柄へ手を置き、苔で滑らないよう慎重に歩いた。道の脇には青いキノコが群生し、ローランドが一本へ手を伸ばしかけたため、アルフレッドはその手首をつかんだ。
「食べるな」
アルフレッドが低い声で止めると、ローランドは観察しようとしただけですと答えた。しかし、彼のもう片方の手には携帯用の塩が握られていた。アルフレッドは深く息を吐き、任務が終わったら厨房で好きなだけ食べるよう言い渡した。
「殿下、悲鳴です」
ローランドが顔を上げた瞬間、木々の向こうから甲高い声が聞こえた。鳥の鳴き声より細いのに、助けを求めていることだけははっきり分かった。アルフレッドは外套を翻して走り出し、ローランドも剣を抜いて後を追った。
巨木の根元では、黒い狼に似た魔獣が前足で何かを押さえつけようとしていた。狼の背中からは紫色の煙が立ち、周囲の草が触れるそばから茶色く枯れていく。その牙の先で、桃色の光が右へ左へ逃げ回っていた。よく見ると、それは親指ほどの腕と脚を持つ、小さな少女だった。
「いやなのでしゅ! ピコはおいしくないのでしゅ! 昨日、ニンニクの実も食べたのでしゅ!」
少女は桃色の羽を必死に動かしたが、片方の羽が枝に引っかかって破れていた。花びらを重ねた赤いワンピースにも泥がつき、片方の靴が脱げている。魔獣が口を開いた瞬間、アルフレッドは地面を蹴った。
「伏せろ!」
アルフレッドは魔獣と少女の間へ剣を差し入れ、振り下ろされた爪を受け止めた。金属のぶつかる音と獣臭さが一度に押し寄せ、腕に重い衝撃が走る。それでも足を踏ん張り、少女へ届かないよう魔獣を押し返した。
「ローランド、右から回れ!」
ローランドは返事の代わりに駆け出し、魔獣の横腹へ剣を振るった。魔獣が彼へ顔を向けた隙に、アルフレッドは胸元の魔石へ魔力を流した。青白い光が刀身を包み、森の湿った空気に焼けた鉄の匂いが混じった。
「これで終わりだ」
剣から放たれた光が魔獣を貫き、黒い体は紫色の煙となって崩れた。残った魔石をローランドが布で包み、革袋へしまう。アルフレッドは剣の汚れを枯れ草で拭いてから鞘へ戻し、巨木の根元を振り返った。
助けた少女は、両手で木の根をつかんだまま動かなかった。桃色の髪には枯れ葉が絡まり、大きな青い瞳からは丸い涙が次々と落ちている。アルフレッドが手を差し出すと、彼女は鼻をすすりながら、その指を両腕で抱えた。肌に触れた体は温かく、花の蜜と若草を混ぜたような匂いがした。
「もう大丈夫だ。けがを見せてくれ」
アルフレッドは少女を手のひらへ乗せ、破れた羽を確かめた。傷口から金色の粉がこぼれていたため、自分のハンカチを細く裂いて羽の根元へ巻く。王家の紋章が刺繍された高価な品だったが、この小さな体に使える布はそれしかなかった。
「あなたが、ピコを助けてくれたのでしゅか?」
少女は涙で濡れた顔を上げ、アルフレッドの指先をなでた。近くで見ると、睫毛まで桃色で、耳は花の葉のように先が尖っている。アルフレッドが名を尋ねると、少女は胸を張ったものの、片足しか靴を履いていないため威厳は出なかった。
「ピコは、由緒正しい森の妖精なのでしゅ! 今日は木苺を摘みに来ただけなのに、あの黒いワンワンが追いかけてきたのでしゅ!」
ピコは両手を大きく広げ、どれほど恐ろしい魔獣だったかを説明した。途中から魔獣の口が城の門ほど大きかったことになり、牙の数も百本へ増えていく。ローランドが黙って魔獣の魔石を見せると、ピコは気まずそうに顔をそらした。
「怖かったのだな。住み家まで送ろう」
アルフレッドがそう言った瞬間、ピコの視線が彼の金髪へ向いた。午後の日差しを受けた髪は、森の中でも明るく輝いている。ピコは羽を二、三度動かして傷みを確かめると、突然アルフレッドの手のひらから飛び立った。
「おい、まだ飛んでは――」
アルフレッドが止めるより先に、ピコは彼の額へ着地した。そのまま金髪をかき分け、柔らかな毛束へ体を沈める。髪の中を何度も転がったあと、頭頂部から顔だけを出し、満足そうに息を吐いた。
「ふわふわなのでしゅ! お日様の匂いもするのでしゅ♡」
ピコは両腕で金色の髪を抱きしめ、頬をこすりつけた。アルフレッドは頭上の姿を見ようと目だけを上へ向けたが、当然ながら何も見えない。ローランドは口元を手袋で覆い、木の幹のほうを向いた。
「ローランド、今、笑ったか」
アルフレッドが問いかけると、ローランドは咳をしただけですと答えた。しかし、その肩は小刻みに揺れていた。ピコは二人の会話を気にせず、アルフレッドの髪を小さな手で整え始めた。
「そこから下りなさい。君の仲間が心配しているだろう」
アルフレッドは髪を乱さないよう、指先でピコをつまみ上げようとした。ところが、ピコは両手両足で髪へしがみつき、桃色の羽まで広げて抵抗する。引けば自分の髪も一緒に抜けそうになり、アルフレッドはすぐに手を離した。
「ピコのおうちは、今日からここなのでしゅ!」
ピコは頭の上を指し示し、空いている場所を寝室、右側の毛束を居間、耳の近くを食堂にすると決めた。食堂を耳の近くへ作る理由を尋ねると、王子と話しながら木苺を食べられるからだという。アルフレッドは眉間を押さえたが、頭の上にいるピコには見えていなかった。
「人の頭を勝手に家にするな。森へ帰りなさい」
アルフレッドが言い聞かせると、ピコは少しの間だけ黙った。やがて小さな手が髪を握り直し、頭の上から金色の粉がぱらぱらと落ちてくる。先ほどまで弾んでいた羽音も止まっていた。
「ピコは、助けてもらったご恩を返していないのでしゅ」
ピコはアルフレッドの額へ下り、彼の眉間を両手でなでた。王子には恐ろしい敵がたくさんいるはずだから、自分が守らなければならないのだと言う。十五センチの妖精に守られる自分を想像し、アルフレッドは返す言葉に困った。
「私は王国の騎士たちに守られている。君が心配する必要はない」
アルフレッドがローランドを示すと、ピコはじっと近衛騎士を見つめた。ローランドの腰に下がる干し肉の袋を見つけた途端、警戒していた瞳が輝く。彼女はアルフレッドの頭から飛び、袋の前で羽ばたいた。
「それは、お肉なのでしゅか?」
ローランドが干し肉を小さくちぎって差し出すと、ピコは両手で受け取った。一口かじった直後、香辛料の辛さに目を見開き、アルフレッドの水筒へ飛びつく。水筒の蓋に水を入れてもらい、顔を半分沈めるようにして飲んだ。
「からいのでしゅ! 舌が火事なのでしゅ!」
ピコは舌を出して涙を浮かべたが、それでも残りの干し肉を花びらの服のポケットへしまった。あとで少しずつ食べるつもりらしい。アルフレッドはその食い意地にあきれながらも、口元が緩むのを止められなかった。
森の異常の原因となった魔獣は討伐したため、二人は王城へ戻ることにした。ピコを妖精の集落へ送り届けようとしたが、彼女は場所を教えようとしない。アルフレッドが馬へ乗ると、ピコは当然のように彼の頭へ戻り、髪を布団代わりにして横になった。
「せめて肩に座らないか。頭の上では話しにくい」
アルフレッドが提案すると、ピコは髪の間から顔を出した。肩では揺れて落ちるかもしれず、胸ポケットでは景色が見えないという。頭の上こそ安全で眺めもよく、最高の住み家なのだと主張した。
「それに、ピコは王子の守護妖精なのでしゅ。これからは、ずっと一緒なのでしゅ♡」
ピコはアルフレッドの髪を両手でつかみ、胸を張った。森を出ると風が強くなったが、小さな体は金髪の中へしっかり収まっている。アルフレッドは落とさないよう馬の速度を緩めた。
「ずっととは、どこまでだ」
アルフレッドが尋ねると、ピコは指を折って考え始めた。王子が食事をするとき、仕事をするとき、散歩をするとき、眠るときまで一緒だと数えていく。最後の一つを思いつくと、桃色の羽を嬉しそうに震わせた。
「あなたはピコの大事な王子なのでしゅ! 今日から寝るときも、お風呂のときも、一緒なのでしゅ♡」
ピコの声が街道へ明るく響き、ローランドの馬が驚いて耳を動かした。アルフレッドは手綱を握ったまま目を閉じ、これから始まる生活を想像した。王城で妖精を受け入れてもらうだけでも大騒ぎになるのに、本人には遠慮する気がまるでない。
「待て。最後の一つは認められない」
アルフレッドがきっぱり告げると、ピコは頭の上で不満そうに頬を膨らませた。それなら湯気の届かない脱衣所で待つと、一応の譲歩を示す。ローランドは再び咳払いをし、今度こそ隠しきれない笑い声を漏らした。
夕方、王城の門番たちは、帰還した第一王子の姿を見て目を丸くした。整っていたはずの金髪は小さな巣のように乱れ、その中央では桃色の妖精が干し肉をかじっている。ピコは門番たちへ元気よく手を振り、自分は王子専属の守護妖精であり、今日から城で暮らすのだと勝手に自己紹介した。
「王子のお部屋には、木苺を入れる棚が必要なのでしゅ。それから、ピコのお皿と、ふわふわのお布団も欲しいのでしゅ♡」
要求はすでに増え始めていたが、アルフレッドは追い返すとは言わなかった。頭の上から聞こえる小さな声と花の蜜の匂いは、いつの間にか嫌ではなくなっている。こうして第一王子は、世界で一番小さく、遠慮を知らず、そして愛情の重い守護妖精を頭に乗せたまま、王城へ帰還した。




