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3/3

ようやくお金を手に入れました

 回る回る、色とりどりのドレスの華。

 絞られた幻想的な照明の下、仮面の紳士淑女たちが相手を変えて踊り明かす。

 招待状が届いた者であれば、今夜は無礼講。

 身分の高き低きを問わず、目くばせひとつで泡沫の夢を見られる、一夜限りの舞踏会。



 

「……場違いだわ」


 アリスターシャは呻いた。大抵の呟きは、楽団が奏でている音楽でかき消されてしまうだろう。それを隠れ蓑に、アリスターシャは言いたい放題だ。


「やっぱり来るんじゃなかった。何なのよ、この茶番。約束の半年も過ぎちゃったし、信じるんじゃなかったわ、あの嘘つき」


 いや、お互い様かもしれない。

 アリスターシャだって、セレンナーグの制止を聞かずにロレインとの婚約話を受けたのだから。結婚式の日取りも決まりつつある。

 ――だからセレンは、エリザンド様と一緒にいるのかもしれないわね。

 きっとアリスターシャに愛想を尽かしたのだ。

 

「華やかすぎて落ち着きませんね」


 ロレインが長身を屈め、耳打ちをしてきた。耳朶に生暖かい息が吹きかかる。

 反射的に鳥肌が立ってしまい、アリスターシャは目元と鼻先までを隠す銀の仮面の下で顔をしかめた。

 公爵家、それも王家と縁の深い由緒正しいグログラード家主催の舞踏会ともなれば、たとえ匿名性が高くとも最上級のドレスコードが求められる。当然、リンデン伯爵家にそれに値するようなドレスはない。だからアリスターシャの衣装は、ドレスから小物まで、全てロレインが準備した。落ち着いた赤のドレスは、流行を追いながらも伝統を感じさせる代物で、なかなかに趣味がいい。なにより、顔立ちのはっきりしているアリスターシャによく似合っていた。それがどこか腹立たしい。

 ――このまま結婚することになるのね、この人と。

 内心で諦観を覚えながら、ロレインに手を引かれるまま二度目のダンスに繰り出そうとしたアリスターシャの背中を、しわがれた囁きが打った。


「リーシャ様」


 愛称を、確かに呼ばれた。

 振り向くと、老齢の従僕が頭を下げていた。立派なお仕着せを着ている。公爵家の使用人だろう。

 従僕は仮面のアリスターシャに目交ぜをすると、踵を返し、人波を縫うように歩き出した。アリスターシャは一瞬の逡巡ののち、ロレインとともに彼の後を追う。

 眩暈がするほど豪奢な大広間を出て、幾つもの控えの間を通り過ぎ、赤絨毯の敷きつめられた大階段を四階までのぼる。その先の廊下を右手に折れると、明らかに居住空間と知れる部屋の扉が幾つも現れ、アリスターシャはうろたえた。

 従僕は足を止めることなく、アリスターシャたちを導く。ロレインも戸惑っているようだ。彼は平民だから、余計に気後れするだろう。

 乗りかかった船、と覚悟を決めてついていくと、突き当りに近いひとつの部屋の前で、やっと従僕が歩みを止めた。

 

「お二人とも、こちらのお部屋へどうぞ。すぐに侍女が参ります」


 通された室内は居室のひとつのようだった。だが、人が使用している気配はない。グログラード公爵家ともなれば、部屋も有り余っているのだろう。

 勝手にソファに座るのもためらわれて、窓辺に佇み、繊細なレースの向こうの風景を見るともなしに見たアリスターシャは、遠くに見える別棟の廊下に、二人の男女の姿をみとめた。

 女性の素性は、ドレスで分かる。本日の仮面舞踏会の主催者として一同に紹介された、グログラード公爵夫人だ。

 だが、男の方には見覚えがない。グログラード公爵の服装とは異なるようだし、どうにも若すぎる。

 突然、二人が抱き合った。男が女に深く覆いかぶさり、濃厚に絡みながら室内へと消えていく。

 ――不貞行為。

 アリスターシャは声を洩らしそうになって、口元を抑えた。

 侍女が入ってきてお茶の準備をしている間も、アリスターシャは窓の向こうの光景に気を取られたままだった。

 すると、


「さすが姉上、勘が鋭い。僕が何も言わなくても大丈夫そうですね」


 聞き慣れた声が響いて、アリスターシャは弾かれたように扉の向こうを見つめる。

 そこにはセレンナーグが、いたずらっぽい笑みをたたえて立っていた。


「セレン……!」


 直接話すのは半年ぶりだ。こんなに離れたことは、今まで一度もなかった。

 駆け寄ろうとしたアリスターシャを制するように、セレンは一歩下がり、慇懃な仕草で一礼した。

 

「ご無沙汰しております。姉上と、それからモルド氏。あなたとはほとんど初対面ですね。初めまして、アリスターシャの義弟のセレンナーグ・リンデンです」

「ああ、セレンナーグ様。初めてお目にかかります。しかし、このような場所で、なぜ」

「僕たちの企みの仕上げを特等席でご覧いただきたく、ご招待したのですよ」


 そう告げると、セレンナーグは部屋の灯りを消した。

 

「え、なんで?」

「明るいと、向こうからも見えちゃうからね。――侍女は残しておきますから、どうぞそのまま鑑賞ください。僕は役者の一人なので、参加してこなきゃならないんですよ」

 

 暗くなった室内に戸惑うアリスターシャを安心させるように、「すぐに終わりますから。そうしたら明かりを点けていいですよ」と言い置いて、セレンナーグは部屋を出て行った。

 何が起きているのか、いまいち飲み込めないアリスターシャだったが、セレンナーグを追うのは諦め、彼が言った通りに窓の外へと目を凝らす。

 いつの間にかロレインも隣に来てアリスターシャに寄り添ったが、ここには侍女がいる。少し身をこわばらせたものの、なんとか心を落ち着け、並んで別棟を見つめる。

 やがて、視線の先の廊下にセレンナーグが姿を現した。先程アリスターシャたちを案内した従僕と、若い従僕の二人を伴っている。

 男女がなだれ込んだ居室の前で彼は止まった。

 懐から何かを取り出したようだ。鍵のように見える。

 ――なんでセレンがあの部屋の……たぶん公爵夫人の寝室の鍵を?

 疑問を抱く暇もなく、セレンナーグは鍵を回して扉を開け放った。

 寝室にセレンナーグが吸い込まれていき、しばらくすると、例の若い男が半裸で飛び出してきた。そのまま逃げ去ろうとした男を、あの老齢の従僕が馬乗りになって取り押さえる。暴れる男をものともしない。

 男は両手首を背中側で縛られ、立ち上がらされた。老従僕と若い従僕に肩を掴まれ、アリスターシャたちの視界から消える。

 ややして、はしたないほどドレスを乱した公爵夫人が、まろぶような足取りで寝室から姿を現した。

 扉にすがりつくようにして立っていた公爵夫人は、突然、ある一点を見つめて動きを止めた。――視線の先には、グログラード公爵が。ここからは距離がある上に、横顔しか覗いていないせいで、公爵の表情はアリスターシャには窺い知れない。

 公爵夫人は全身の力を失ったかようにへたり込むと、髪をかきむしりながら天を仰ぎ、激しく喉元を震わせた。

 夫人の寝室からやっと出てきたセレンナーグは、彼女を一瞥もせずグログラード公爵に近づき、一礼してから何かを手渡した。たぶん、寝室の鍵だ。

 そしてセレンナーグも退場し、アリスターシャたちから見えるのは公爵夫妻だけとなった。

 狂人のごとく泣き叫び続ける公爵夫人を直視できず、アリスターシャはそっと目をそらした。

 見せられたのは、おそらく、王族の血に連なる姫君だった公爵夫人の破滅の一幕だった。

 

「……セレンは何をしたの?」

「おそらく、取引でしょうね」


 アリスターシャの呟きは、問いかけではなかったが、ロレインは尋ねられたように受け取ったようだ。


「取引って――」

「恐れながら、アリスターシャ・リンデン様。のちほどご令弟より詳細なお話があるかと」


 アリスターシャの質問を遮るように侍女がそう述べることで、悲喜劇は強制的にお開きとなった。


 


 ※


 


「……眠れる訳がないのよ」


 家紋のないお忍び用ではあるが、充分に立派な公爵家の二頭立て馬車で自宅に返されたアリスターシャは、非常に悶々とした気分で寝返りを打っていた。

 感情が昂っていて眠れそうにない。セレンナーグはどうしてあそこにいたのだろう。何のために、あんな真似をしたのか。

 理由ならきっと、アリスターシャの結婚を阻止するためだ。

 でも、それと公爵家での出来事は、どう繋がるのだろう。

 アリスターシャはついに起き上がった。

 枕元の明かりを点けて、ベッドから出る。

 まるでそれを見ていたかのように、ガラス戸が密やかな音を立てた。

 一回、二回。ややして、もう一回。規則正しく鳴ったガラスに、アリスターシャは窓辺へと駆け寄る。カーテンを開けた先のバルコニーには、やはりセレンナーグがいた。

 すぐに迎え入れると、きっちりと戸を閉めた上で、アリスターシャはなるべく声を潜めてセレンナーグを一喝した。


「遅い!」


 アリスターシャの叱責を受けて、セレンナーグは懐かしそうに目をすがめる。


「ええ……さっそく怒られるんですか? ちょっとはねぎらってくださいよ、頑張ったんですから」

「だって約束の半年を過ぎちゃったわ。その間、何の連絡もくれなかった」

「問題がうまく片付いてからご連絡しようと思ってたんです。ぬか喜びさせたくないし」

「そうよ、その、問題が片付いたっていうのはどういうこと? さっぱり分からないんだけど!」

「だからこうやって忍んできたんですよ。説明しないと、姉上は今夜眠れないでしょう? まだ後処理があるので、しばらくは帰れませんが、落ち着いたら改めて家に顔を出しますから」


 長い付き合いだから、性格はすっかり知られている。

 返事をする代わりに、アリスターシャはベッドに座るよう促した。セレンナーグは少し目をみはり、わずかに眉を下げて視線をそらした。


「……椅子を借ります。ベッドはさすがに刺激が強いので」

「ば、馬鹿!」


 そんなやり取りをしているうちに少し肌寒くなってきたので、アリスターシャは上着を羽織る。

 その間にセレンは書き物机の前の椅子を跨いで座り、背もたれの上で腕を組んだ。考え事をするように、視線を宙へさまよわせる。


「何から話せばいいかな」

「……エリザンド様と懇意にしてるっていう噂で持ち切りだけど」

「ああ、彼女とは利害が一致したんですよ。共闘相手といったところかな」

「前にお見合いをした方よね」

 

 思い出すのも忌々しい、あのミクリアルの前の婿入り先候補、ヒューゼル家のご令嬢だ。アリスターシャの一押しだった。

 

「ええ。お互い譲れないものがあるのが分かったので、手を組むことにしたんです」

「仮にもお見合いの場で、なんて色気のない話で盛り上がってるの。というか、私にも一言説明しておきなさいよ」


 そうしたら、こんなにやきもきしながら待つこともなかったのに。

 アリスターシャの苦情を受け流して、セレンナーグは続けた。


「エリザンド嬢は兄上が邪魔だった。何しろ彼女の兄オルラードはろくでもなくて、領地経営の才能も努力する気概もない、女遊びに全身全霊を費やす男でしたから。そんな兄に家を継がせれば間違いなくヒューゼル家は傾くと、兄を潰すことにしたそうです。そのための火種は幾つもあった。そのひとつが、グログラード公爵夫人との秘密の関係です」

「あ! 兄って、あの密会相手の男だったのね!」


 放蕩息子という噂はアリスターシャも聞いていた。あそこまでとは思わなかったが。

 

「一方のグログラード公爵も悩んでいたそうです。妻の度重なる不貞行為で心がすり減っていた。けれど彼女は王族なので、見て見ぬふりをするしかなかった」

「そこに話を持ち掛けたのね」

「はい。エリザンド嬢の家はグログラード公爵家と縁戚関係にあるから、彼女も話を通しやすかったみたいですね。まあ、その縁で公爵夫人とオルラードの関係が始まってしまったらしいですけど」


 セレンナーグは喉の奥で笑った。

 一体誰を嗤ったのだろう。


「公爵の命で、オルラードはあの姿のまま階下へ下ろされ、仮面舞踏会の客人たち多数に目撃された。あからさまに情事の最中なオルラードが人目に触れて、舞踏会の夜にあれだけの騒ぎになれば、あとは誰かが人々に囁くだけでいい。『公爵夫人とヒューゼル家のオルラードは、ただならぬ関係にあるらしい』――もともと噂はあったから、大醜聞に発展という運びです。公爵もその輝かしい名に(きず)をつけられましたが、それでも別れたい気持ちの方が勝ったみたいですね」

「あなたの役目は何だったのよ」

「僕は、公爵夫人にお誘いをかけられた、無垢な貴族の青年ですよ。『公爵夫人に一夜を共にとお声がけいただいたが、お断りしようと公爵家の使用人を連れて部屋に伺った』ら、別の男との密会場面に遭遇してしまってあたふたする道化役」

「それだと、あなたの評判にも瑕がつくんじゃない?」

「もともと大した評判なんてないし、かまわないですよ。公爵もそのあたりは配慮してくださると約束してくれました」


 アリスターシャは、薄く笑みを浮かべるセレンナーグをただ見つめる。

 セレンナーグはアリスターシャのために、自身を犠牲にしたのだ。

 ――ごめんなさい、と言いかけて、別の言葉に言い直す。

 

「ありがとう、セレン」

「……姉上のためじゃない。僕のためです」


 どうやら正解を引き当てたようだ。露悪的な台詞とは裏腹に、セレンナーグの笑みは、どこかはにかんだような可愛らしいものに変わった。

 さて、もうひとつの本題である。

 

「それで、汚れ役を請け負うことで報酬をもらったのね?」

「正解です。エリザンド嬢からは、ヒューゼル家が持つ鉱山のうち、ニデル地方の鉱山開発共同事業の権利。グログラード公爵からは、事業が軌道に乗るまで、最長三年間のリンデン領への資金援助を、がっちり取り付けました。援助金はまず一年分、小切手でいただきました。……姉上、もう無理に結婚しなくていいんですよ」

「そう簡単にはいかないわ。正式に婚約を結んでるのよ。結婚話だって出てるわ」


 ここにきて反論されるとは思わなかったのか、セレンナーグの表情が途端に翳る。


「……そんなにあのおじさんがいいですか」


 アリスターシャは大きく胸を張った。


「いいえ。お金の心配がなくなったなら、愛のない結婚なんてお断りよ」




 ※



 

 それから程なくして、セレンナーグはリンデン家へ戻ってきた。

 彼の姿を目にするや否や、父が顔を真っ赤にして怒ったのは意外だった。その後、力いっぱい抱きしめていたが。

 義母の方は「心配したのよ、連絡くらいちょうだいな」と口にしながらも、セレンナーグ不在の間、あまり不安そうな素振りを見せなかったので、もしかしたら密かにやり取りをしていたのかもしれない。

 セレンナーグが手に入れた報酬の額に、父は目を白黒させた。

 何か良からぬことをして得た金銭じゃないだろうね、と訝しんだものの、あの夜アリスターシャにした説明を、若干脚色した内容――特に公爵夫人のくだりは――で伝えたこと、公爵家からも改めて家紋入りの書状で謝意が伝えられたことで納得に至ったらしい。まあ、グログラード公爵家なんて大物が出てきてしまったら、口をつぐまざるを得ないだろう。

 ロレインには、セレンナーグが忍んできた翌日に婚約解消を申し出た。

 先方の代理人からは、婚約解消自体はかまわないが、一度会って話をした上で受け入れるとの回答があったので、アリスターシャは付き添いのセレンナーグを伴い、指定先のホテルへと向かっている。

 ロレイン側も、代理人の立ち合い等はなく、本人のみらしい。セレンナーグが手を回している気配がぷんぷんするが、アリスターシャは見て見ぬふりを貫いた。義弟の腹黒さから目をそむけたい、ただの現実逃避だ。

 ホテル最上階の客室は、ひとつきりだった。そこそこの格のホテルとはいえ、室料は高いだろう。

 ――もっと安いお部屋で良かったのに。部屋代を請求される、なんてことはないわよね。

 うっかり貧乏根性が顔を出す。

 だが、今回は密室でするべき話し合いだ。

 かといって、どちらかの屋敷で、というのも躊躇われる。

 結局ホテルが一番いいのだろう。

 ――セレンもいるし、大丈夫、よね。

 指定された部屋の扉の前で、アリスターシャはセレンナーグを窺い見る。

 セレンナーグは目ざとくアリスターシャの視線に気づき、安心させるように片眉を上げた。

 

「ああ、お待ちしておりました」


 婚約を破棄される側だというのに、ロレインはごく穏やかにアリスターシャたちを出迎えた。


「お掛け下さい。今、お飲み物を用意させます。ここの紅茶はなかなかのものですよ。スートリア産の春摘茶葉だとか」


 広い客間に向かい合って座る。緊張するが、アリスターシャの隣にはセレンナーグがいてくれる。

 給仕が茶を提供して退室したのを見計らい、まずアリスターシャが頭を下げた。


「この度は、わたくしの我がままで婚約解消を申し出ましたこと、深くお詫び申し上げます」

「いいえ、こんな年寄りが相手ですからね。アリスターシャ様には意に添わぬお話でしたでしょう。一度は受けていただけて、望外の喜びでしたよ」

「そんな……」


 しおらしく俯きながらも、アリスターシャは内心で、しめしめと頷いている。

 そんなアリスターシャの本心を見透かしたように、ロレインは商人の狡猾さを覗かせた。


「――まあ、私はある程度の爵位持ちの家のお嬢様であれば誰でも良かったんだ。君のように番犬がついていないお嬢様なら、なおいい。だから婚約解消に異論はないよ。安心してくれ」


 急にぞんざいになった言葉遣いに、アリスターシャは眉根を寄せる。

 対照的にセレンナーグは、面白そうに口角を吊り上げた。


「話が早くて助かります。すんなり身を引いてもらえるとは思いませんでしたから」

「誰だって狂犬病は怖いだろう?」

「ちょっと――」

 

 アリスターシャが立ち上がろうとしたのを、セレンナーグが片手で制する。

 そのまま彼は優雅に長い脚を組み、ソファの肘掛けへ肘を乗せて、ゆったりと身を預けた。


「狂犬ですか。さすがは敏腕の商人だ、見立ては間違ってませんね」

「ああ、人や物を見る目はあるんだよ」

「奇遇ですね、僕もなんです」

 

 あの夜、婚約破棄を促したセレンナーグに、アリスターシャは尋ねた。――あなたのことだから、婚約解消の手段も考えてくれてるんでしょ、と。


「モルドさん。あなたは僕の大事な大事な姉上の婚約者だ。隅々まで調べさせてもらいましたよ」


 ロレインの顔色がわずかに変わる。動揺を努めて隠すかのように、セレンナーグを真似て脚を組む。

 セレンナーグは涼しい表情で続けた。


「リンデンの義父は、新興事業詐欺に遭いました。ご存知ですよね。昨今流行っているらしいですね、この手の詐欺は」

「……そうらしいね」

「商才のない貴族が食い物にされる。そして財産を失った彼らは、金のある商人に泣きつく羽目になる。あちらは金銭を、あなたたちは由緒ある地位を。悪くない取引ですね、あなたたちにとっては」

「一部にそういった同業者がいるとは耳にするがね。私は関係ないよ」

「では、説明していただきましょうか」


 そう言ってセレンナーグは胸元から分厚い封筒を取り出し、テーブルの上へと放り出した。


「調査書の写しです。あなたが詐欺のために借りた偽オフィスの賃貸契約書、既存の果実酒に別ラベルを貼るよう指示された業者、共同契約者として仕立て上げた男の証言、もろもろ揃っていますよ。もっとも、詐欺の相手はリンデン家ではありませんでしたが、複数人で示し合わせて別々の家を対象にしたんでしょう。その方が発覚しにくいですから」


 アリスターシャの父を騙したのは、ロレインの仲間だ。

 彼らは結託して、複数の貴族の家を標的にした。ロレインが騙した貴族の家には、別の商人が声を掛け、金銭援助の代わりに娘を差し出させる。アリスターシャの家は、別の商人が陥れ、ロレインが救いの手を差し伸べるといった具合に。

 紛れもない犯罪行為だ。

 このからくりを知ったアリスターシャは、腸が煮えくり返り、結局一睡もできなかった。

 そんな下衆な輩と、危うく結婚してしまうところだったのだ。

 反論できずに押し黙るロレインの一挙手一投足をつぶさに眺めながら、セレンナーグは殊更ゆったりと脚を組み替えた。


「このまま書類を国家警察に持ち込んでもいいんですが、一度は姉上の婚約者になった人ですからね。自首をお薦めします。僕からは何も話しません。もっとも、お仲間は今ごろ連行されているでしょうから、出頭は早い方がいいでしょうね」

「……先日の公爵夫人の顛末を、取引に使うと言えば?」

「何かいい材料がありましたか」

「分かってますよ、あんたがたが嵌めたんでしょう、グログラード公爵夫人を」

「グログラード『元』公爵夫人ですね。そうだな、もしあなたが思い上がって取引を持ちかけようなんて考えるなら、――まあ、いい死に方はできないでしょうね。グログラード公爵家を敵に回す覚悟があるなら、どうぞ」

「……貧乏貴族風情が!」


 捨て台詞を吐き、ロレインは荒々しく立ち上がった。

 売られた喧嘩は買いたい。

 気色ばむアリスターシャをなだめるように、セレンナーグは彼女の手の甲へ手のひらを重ねた。

 

「姉上、しょせん小物の負け惜しみですよ。相手にするだけ無駄です」


 逃げるように部屋を出ていくロレインは、もう二人を振り返らなかった。

 怒りをぶつける先を失ったアリスターシャは、さりげなくセレンナーグの手の下から自分の手を取り戻し、すっかり冷たくなった紅茶にスプーンを突っ込んでぐるぐるとかき回した。悔しいが、香りはとてもいい。

 少し不満げにアリスターシャを見やったセレンナーグは、しかし口に出しては何も言わず、宙に浮いた手を膝の上に下ろした。

 既視感のある、どことなくぎこちない沈黙が落ちかかる。

 アリスターシャは努めてセレンナーグを視界に入れないようにしながら尋ねた。


「仮面舞踏会の夜、あいつをあの場に同席させたのは、これからも公爵家に見張らせるためだったのね」

「ええ、すべてを失うだろうモルドに反撃されないよう、保険をかけました。大きな秘密を共有したことで、あの男はもう逃げられない。――僕も、姉上もね」


 最後の部分は恐ろしいので聞かなかったことにした。

 ――まあ、公爵夫人の醜聞の舞台裏なんて、誰にも話す気ないけど。

 アリスターシャはどこまでも呑気だった。自身もセレンナーグによって首輪をつけられた事実に気づいていない。


「でも僕、エリザンド嬢から話を持ち掛けられなければ、モルドを脅して金を得るのもありかなと考えてたんですよね」

「ちょっと、また恐い話はやめてよ。……あなたはそういうことしないでしょ」


 被害者の中にはリンデン家も入っているのだから、彼らの悪事に加担するような真似、義弟がするはずはない。

 アリスターシャはこの点に関しては、セレンナーグに全幅の信頼を寄せていた。


「どうでしょうね。何しろ手駒が少ないもので、使えるものは何でも使いますよ。それで欲しいものが手に入るのなら」


 そう呟いて席を立ったセレンナーグの横顔は、アリスターシャがまるきり知らない色を湛えていた。





 


 グログラード公爵家の醜聞は、一時、王国を揺るがす程の騒ぎとなった。

 その陰に隠れるようにして、アリスターシャ・リンデン伯爵令嬢の婚約解消と、彼女の元婚約者モルド・ロレインの逮捕が社交界を駆け巡った。

 婚約証書の取り下げは各々の代理人によってあらかじめ協議決定されていたため、婚約解消後の逮捕となったが、やはり人々は口さがない。

 アリスターシャは心労を理由に――実際は、面白おかしく噂されたり、上っ面だけの同情をされたりするのに耐えかねて――領地の館へ静養に出た。

 こまごまとした後始末と、『かつて同じ宝石鉱山を有していたため、発掘作業に知識がある』リンデン伯爵家とヒューゼル伯爵家の、ニデル地方の鉱山開発共同事業のために、本邸のある王都とニデル地方を駆けずり回っていたセレンナーグがアリスターシャの元に顔を出したのは、冬の足音が忍び寄ってきた時節だった。

 義弟が先触れもなく来訪した時、アリスターシャは部屋に引きこもっていた。

 降雨量の少ない地方にも関わらず、珍しく長雨が続いたのち、晴れ間が差したある日の正午の話だった。

 

「ご機嫌よう、姉上」

「ご機嫌はよくないのよ。もう、面倒くさくて消えてなくなりたい」

「姉上にしては、やけに後ろ向きな発言じゃないですか」

「……あなたは元気そうね。おんなじように渦中の人なのに」

「人の噂話なんて、すぐに別の話題に取って代わりますよ。ほら、外へ出ましょう。太陽の光を浴びれば気分も晴れますよ」

「いやよ、ここで腐ってたい」


 ()()グログラード公爵夫人に声をかけられた、リンデン家のもう一人の話題の人物は、他人の評価など頓着しない、と言いたげに明るく微笑んでみせた。

 半ば無理やり、中庭へ連れ出される。

 確かに、やや冷たくも清々しい風を頬に受ければ、落ち込んでいたアリスターシャの心にも小さな灯りがともるようだった。

 

「ありがとう、少し元気が出たみたい」

「それは何よりです」


 使用人が押しつけてきた昼食入りのバスケットの中身を、地面に広げた敷物の上に甲斐甲斐しく広げていきながら、セレンナーグは頷く。

 薄切りの燻製肉とチーズと野菜がふんだんに挟まれたパン、甘いシロップの入った炭酸水に浸された色とりどりの果物、温かい南瓜の裏ごしスープ。全部アリスターシャの好物ばかりだ。特に炭酸水のデザートは、ここの使用人が知るはずのないものだから、セレンナーグがわざわざ用意してくれたのだろう。

 向かい合わせになって食事を摂る。

 言葉少なに近況を問うアリスターシャに、セレンナーグもまた端的な内容で返す。

 次第にどちらも口数が減っていき、アリスターシャが手つかずの食べ物の多さに視線を落とした瞬間、セレンナーグが居住まいを正した。


「姉上も僕も、お相手がいなくなりましたね」

「……そうね」


 慎重に相槌を打つと、セレンナーグは両の拳を膝の上で握った。緊張した素振りだ。アリスターシャもこっそり息を呑み、続く台詞を待つ。


「だから、――あまりもの同士まとまったらいいじゃないですか」


 ――やり直し!

 アリスターシャは内心で駄目出しをしつつ、口に出しては別のことを言った。


「……もう少しましなプロポーズの言葉はくれないの?」

「っ、好きです。あなたが好きです、もうずっと前から。僕と結婚してください、僕を幸せにしてください。あなたのことも必ず幸せにしてみせます」


 アリスターシャの言葉尻にかぶせるように言いつのったセレンナーグに、婚約解消の痛手を癒していたリンデン伯爵令嬢は吹き出した。久しぶりの、心からの笑顔だった。


「はい。お受けしますわ、セレンナーグ様」


 正直、恋であるのかと問われれば首を傾げてしまうが、アリスターシャが一番愛しているのはこの義弟だ。

 ならば、この答えが正解なのだろう。

 セレンナーグは翡翠の双眸を零れんばかりに見開いて、それから膝立ちになり、押し倒さんばかりの勢いでアリスターシャを抱きしめた。


「ちょっと、食べ物がめちゃくちゃになるわよ!」

「姉上、姉上、姉上!」

「姉上じゃないでしょ」

「……アリスターシャ……!」


 耳の奥へ流し込まれた自分の名前に、うっかりときめいたのはアリスターシャだけの秘密だ。




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