第1話
死の間際。最初に浮かんだのは『あぁ、なんてことをしてしまったのだろう』という後悔だった。
殺されたことは不本意だし、望んだことではなかった。けど、殺されても仕方がないことをしてきたのは間違いなく私だ。
……もちろん、殺人を肯定するわけじゃない。
ただ、私を殺した犯人にも情状酌量の余地くらいはあるのかなって。それだけ。
「フィロメネにとって、僕は使い捨ての駒だったんだよね。踏み台になる価値もなかった」
頬に温かいものが触れる。手のひらだと理解するのに、時間はかからなかった。
「いっそ踏みにじってほしかったよ。中途半端に優しくされるから、期待してしまう」
私は悪女らしく、あなたという存在を踏みにじればよかったの? でも、できるわけないじゃない。
「気まぐれでもいい。一時的だけでもいい。僕は、キミに愛してほしかったんだ」
顔に水滴が落ちてくる。
なんで、殺すほうが泣くの? 泣きたいのはこっちだというのに。
(この人も悪を貫けないのね。私たちって、似た者同士だったんだ)
手を伸ばして、指先で彼の涙を拭った。
最期の力を振り絞り、私は精いっぱいの笑みを浮かべる。
(好き、だったよ)
私と彼の『好意』の種類は違う。
私のものはあくまでも友情がベースとなった『好き』で、彼のものは恋慕がベースとなった『好き』だから。
(大型犬みたいに懐いてきて、私といるときはいつも笑顔。嬉しそうにはにかんだ表情が、とっても素敵だった)
もし、来世があるのなら。
私はこの人生を教訓として魂に刻み込み、同じ過ちは繰り返さないと誓う。
(人の気持ちを大切にする。それだけでいい)
私は愚かだった。自分の目的のために人の気持ちを踏みにじり、利用した。
結果、一番の友人を殺人者にしてしまった。
『僕のものにならないキミなんて、いらない』
彼が私を刺したとき。耳に届いた言葉。
悲しみとか苦しみとか、憎しみとか。たくさんの感情がごちゃ混ぜになっていた。
なのに、ほんの少し込められた『好意』に、私の心は救われた。
あぁ、こんな私に好意を向けてくれる人がまだいたんだって――。
(バイバイ、ユスターシュ。私の一番のお友だち)
ユスターシュ・リカール。
私の一番のお友だちで……私の命を奪った殺人者。
そして、なによりも。悪女に人生を壊されてしまった……可哀そうな、男。
私、フィロメネ・ヴィゴはサロート王国の末端男爵家の長女だ。家族は両親と弟と妹。弟と妹は双子。
二人が生まれたころ、家は男爵家なりに裕福だった。高位貴族みたいに贅沢三昧はできないけど、普通の生活に困ることはない。領地は裕福……とまでは言えないけど、特別貧しくもなかった。
けど、弟妹たちが五歳になったころ。領地で大きな水害が起き、状況は一変した。
領地収入が数年見込めないだけでなく、あちこちの修理費や領民たちへの暮らしの支援。男爵家は転がり落ちるように貧乏になっていった。
家財道具を売り払い、使用人のほとんどに他家への紹介状を持たせて暇を出した。私たちの暮らしも切り詰めるところまで切り詰めて、お金を工面した。
それでも足りず、お金を借りる。収入がないこともあり、借金は雪だるま式に増えていくばかり。
領地がそれなりに立ち直ったころには、我が家の家計は火の車どころの騒ぎではなかった。
頭を抱える両親を見て、私もなにかがしたかった。自分でもできることを――と考えて、一つだけ思いついた。
――私が玉の輿に乗るという方法だ。
(未婚の若い令嬢というだけで、婚活市場では価値があると聞いたわ。お金持ちと結婚して、借金を返済すればいいの!)
善は急げと、私は両親に結婚の意思を伝えた。
この際老人貴族の後妻でも、変な趣味の男でもいい。私と引き換えにお金をくれるのなら、だれだっていい。
そんな私の提案を、両親は「馬鹿を言うな」と突っぱねた。
「お前はまだ子どもなのだから、お金の心配はしなくていい。わかったなら、ふざけたことは二度というな」
両親は私に幸せな結婚をしてほしかったらしく、まともに取り合おうとしなかった。
(だからといって、家がなんとかなるとは思えない。……なら、両親が認めるお金持ちの人を捕まえればいい)
お金持ちで未婚の男の人を見つけて、親しい仲にならなくちゃ。なりふり構っていられなかった。
まず、身分の近い人に声をかける。そこから相手の伝手を使って、身分の上の人と知り合う。もっと上の人を紹介してもらって、乗り換えていく。ひたすらこの作業を繰り返した。
社交界では『ふしだらな娘』とか『悪女』とか言われたけど、気にしなかった。
だって、生きるためにはお金が必要。周りからの評価じゃ食べてはいけない。
両親はたびたび私の素行を注意したけど、気に留めなかった。お金が手に入ったら、両親だって認めてくれる。褒めてくれる。そんな未来があると信じていたのだ。
――あの日、ユスターシュに刺されるまでは。
瞼を開けると、見慣れた天井が映る。何度か瞬きをして、勢いよく起き上がった。
「生きてる?」
絶対に助からないと思っていたのに――。
けど、違和感もある。死にかけたはずなのに、こんなに身体は軽いものだろうか?
私は恐る恐る左胸に触れた。ここにユスターシュが魔術で作った短剣が刺さった……はず。
「傷痕がない。どういうこと……?」
疑問で頭の中を埋め尽くしつつも、私は寝台から下りる。
そして、姿見の前に立った。本当に傷痕がないのか確認しようと思っていた。でも、そんな必要はなくなった。
私は手のひらで鏡に触れる。もう片方の手で自分の頬をつねった。痛い。夢じゃない。
(どういうこと?)
鏡に映る私は、確かに私自身。ただし、その姿は三年前――十八歳のもの。
余計に混乱してその場にしゃがみこむ。
「今までの出来事はすべて夢だったの? ううん、そんなはずない」
だって、本当に痛かった。苦しかった。感覚はいつも鮮明で、現実味があった。
鏡の中には、エメラルド色の瞳を揺らす女の子がいる。低身長で細身。触れるだけで折れてしまうのではないかと思うほど、か弱く見える少女。彼女の表情には強い不安が宿っていた。
「このころはまだ、私にも人の心があったんだ」
十八歳といえば、私が悪女の振る舞いをはじめて一年という頃合いだ。
このころはまだ男の人を利用することに抵抗感……というか、罪悪感があった。いつしかそれは消え失せ、『玉の輿に乗る』という使命感にも似た気持ちとなっていた。まるで流れ作業のように同じことを繰り返し、私はたくさんの人を傷つけてしまった。
「人生をやり直せるのなら、やり直したい。……今度は、絶対に人の気持ちを踏みにじったりしない」
あれが夢なのか現実なのかはいまいちはっきりしない。だけど、今はそれよりも重要なことがたくさんある。
「私のせいで人生がおかしくなった人たちを救いたい」
私が踏み台としてきた人。好意を無下に扱い、傷つけた人。なによりも――私のせいで、犯罪者となってしまった人。
「これは私の自己満足の償い」
周りの人を不幸にせず、今度こそ実家を救ってみせる。
「もう、間違えたりしない。人の気持ちを大切にして、尊重する。きちんと、人と向き合う」
鏡の中の私自身に向かってつぶやく。鏡に映る私の瞳から、不安が少し消えたのは、勘違い……かも、しれないけど。




