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輿入れ前夜、母の手紙が届く

密談を交わすキヨの執務室。

重苦しい空気の中、扉が突然――“ドン”と叩かれた。


力強い音に、イーライは思わず顔を上げる。


「随分と乱暴な――」

エルが言いかけた瞬間、扉は勢いよく開かれた。


廊下の光の中に、ひとりの女が立っていた。

キヨの正妻、ミミ。


小柄な体でありながら、その立ち姿には凛とした威圧感があった。

一瞬、キヨの喉が「ひっ」と鳴る。


「明日の輿入れについて、ご相談をされているのかしら?」


穏やかな声。

けれど、その底には鋭い刃のような響きがあった。


即座にイーライが頭を下げる。


「はっ。万全の準備を整え、送り出すためでございます」


キヨの顔には動揺の色がありありと浮かんでいる。


「ミミ様。今回の婚礼では、衣装の件で大変お世話になりました」

エルが慌てて取り繕うように言うが、声は裏返っていた。


「そうね」

ミミは二人をじっと見つめた。


その目には、静かな怒りが宿っている。


「私は、この婚礼に反対だと伝えに来ました」


ミミは静かに部屋へ入り、キヨの正面に座った。


「いや、ミミ。これはめでたいことだ。ゼンシ様の血が繋がり――」

キヨは焦ったように笑いながら言う。


「お母上が亡くなったばかりなのに? まだ幼いレイ様を嫁がせるのですか!」

ミミは机を挟んで詰め寄った。


「ミミよ、これは・・・もう決まったことだ」

キヨの額から汗が流れ落ちる。


「だとしてもです!」

ミミは一歩も引かなかった。


その瞳が、キヨの心を貫く。


「ユウ様とウイ様の婚礼の際は、私も口を出します」

凛とした声。


まるで戦場の宣言のようだった。


「・・・あ、ああ。もちろんじゃ、もちろんだとも」

キヨは上擦った声で答える。


事情を知るエルとイーライは、同時に俯いた。


ミミは懐から一通の封筒を取り出した。


「私は、シリ様に託されました。姫様たちの縁談を見守るようにと」


それは、シリが遺した手紙だった。


キヨはただ黙って頷くしかなかった。


「今後の縁談の際は、必ず――私を通して下さい」


ミミは立ち上がり、エルとイーライを順に見据える。


「はっ」 


二人は揃って頭を下げた。


「話は、それだけです」


そう言い残して、ミミは踵を返し、堂々と部屋を出ていった。


扉が静かに閉まる。


しばしの沈黙。


「兄者・・・ミミ様は、気づいておられます。兄者の・・・心の内に」

エルの声はかすかに震えていた。


「わしは諦めん」

キヨはケロリとした表情で言い放つ。


「いつか――ユウのほうから、わしに身を開く時がくる。その時まで、待つ」


あまりに狂気じみたその言葉に、エルは口を開けたまま声を失った。


――それは、絶対にあり得ない。


そう思いながらも、兄の“成し遂げてきた力”を知っているからこそ、否定できなかった。


イーライは黙って目を伏せた。


――ミミ様こそ、希望の光。


けれど、それを口に出すことは、決して許されなかった。



ミミは扉を出たあと、廊下で小さく息を吐いた。


――シリ様。姫様を必ず守ります。


月明かりが長い影を落とす中、ミミは静かに歩き出した。



◇その頃――西棟の一室には、灯のように柔らかな明かりがともっていた。


「今日は・・・姉上と姉様と一緒に寝る」

枕を抱えたレイの黒い瞳が、心細げに揺れている。


「・・・もちろんよ」

ユウは微笑もうとした。


けれど、唇の端だけがわずかに震え、どうしても形にならなかった。


ウイは黙って、何度も首を振った。


それ以上の言葉が見つからなかった。


その時――乳母のヨシノが静かに口を開いた。


「姫様方に・・・今夜、お渡ししたいものがございます」

いつもとは違う、かしこまった声音。


その背後には、ウイとレイの乳母たちも控え、深く頭を下げている。


「シリ様から預かっていた手紙です」


乳母たちの手には、黄ばんだ封筒が握られていた。


角はすり減り、封の蝋は欠けている。


それでも丁寧に守られてきたことが、一目でわかった。


「手紙・・・?」

ウイが首を傾げる。


母が亡くなったのは半年前――


その手紙は、きっとそれよりも前に書かれたものだろう。


ヨシノがゆっくりと口を開いた。


「これは・・・十一年前、シリ様が書かれた手紙です」


「十一年前?」

ユウの目が見開かれた。


「はい。あの頃、シリ様はグユウ様と共に死ぬおつもりでした」


その言葉に、空気が凍りつく。


三姉妹の胸の奥に、痛みのような記憶が蘇った。


ユウは知っていた。


父の懇願によって、母は“生きる”ことを選んだのだと。


レイは、乳母サキの手元で震える封筒をじっと見つめていた。


「覚悟を決められたシリ様は、私たちに手紙を託されました」

ヨシノの声が、静かな蝋燭の灯に溶けるように響く。


「“折を見て渡してほしい”と。・・・そして、私たちは話し合い、今夜がふさわしいと決めました」


十年以上、守り続けた手紙。


ヨシノはその封を見下ろし、深く息を吐いた。


――何度も、処分しようかと迷った。


けれど、そのたびに、あの方の声が蘇った。


『あの子たちが生きる限り、私の言葉も生きるでしょう』


この手紙を渡す日が来るとは――運命とは、なんて残酷なのだろうか。


ヨシノはそっと顔を上げ、三姉妹を見渡した。


レイは涙をこらえ、ウイは唇を噛みしめ、

ユウはまっすぐにその封筒を見つめていた。


灯の光が三人の顔を照らし、影がゆらめく。


手渡された手紙の封を、ユウがそっと開けた。


静かな沈黙が、部屋いっぱいに落ちる。


紙が擦れる音だけが響いた。


蝋燭の灯が揺れ、その光がユウの横顔を淡く照らす。


真剣な眼差しで文字を追うユウの姿を、シュリは黙って見つめていた。


――なんて、書かれているのだろう。


聞きたくても、聞けない。


ただ、その横顔の強さと儚さに胸が締めつけられた。


しばらくして、レイが小さく震える声を出した。


「・・・光輝く道・・・」


その言葉に、ユウとウイが顔を上げる。


レイの指先が震え、紙の端を握りしめる。


「私の名前の由来が、書いてあるの」

レイは手紙を見つめたまま、静かに涙をこぼした。


ユウは、黙って頷いた。


――レイが生まれた日のこと。


その記憶は、ユウの中で鮮やかに残っている。


よく晴れた春の日。


産まれたばかりのレイと母の寝台に、皆が集まっていた。


『この子の名前は、レイにしよう』

父がそう言いながら、レイを抱いていた。


あの時、幼かった自分にはわからなかった。


けれど、あの城はすでに敵に囲まれ、滅びの時を迎えようとしていたのだ。


『争いの世が明けぬなら、この子が――光輝く道を歩めるように』


その声を、今でも覚えている。


「母上は・・・“良い名前です”とおっしゃっていたわ」

ユウが静かに話す。


「幸せそうだった」

ウイは記憶をたどるように呟いた。


レイは唇を噛み、手紙を胸に抱きしめる。


「この手紙には・・・“一緒にいてあげられなくて、ごめんね”と書かれている。

でも、私は――十一年間も、母上と過ごせたの」


その声は、涙に濡れて震えていた。


「私の手紙にも・・・父上のことが書かれていたの」

ウイは震える声でつぶやいた。


「父上は、私の瞳を見て、

“群青色・・・オレとシリの瞳を混ぜた色だ”と、笑ったって」


一瞬だけ、父の笑顔が脳裏に浮かんだ。


その瞬間、涙が頬を伝った。


けれど、ウイは泣きながら笑っていた。


「ヨシノ、モナカ、サキ・・・手紙を、ありがとう」

静かにそう言って、深く頭を下げた。


ユウは黙って、二人の妹を抱き寄せた。


蝋燭の炎が揺れ、部屋に小さな影をいくつも落とす。


その光の中で、三姉妹の頬を伝う涙が、ゆっくりと光った。



次回ーー本日の20時20分

雨上がりの朝。

十一歳の花嫁、レイの出立の時が来た。


「レイ!」――姉の叫びが、霞む城下に響く。

追いすがるユウの涙を、誰も止められなかった。


見送る人々の中で、ただ一人、キヨだけが笑っていた。

それは“勝利”の笑みだった。


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