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姫に触れた罪

「そのドレスも・・・レイ様にお似合いでしょう」

メアリーが目を細めて微笑む。


レイの婚礼まで、もう一か月を切っていた。


豪奢な婚礼衣装が次々と三姉妹の部屋に運び込まれ、

その光景に、ユウの胸には――喜びよりも、寂しさと悔しさが迫った。


その日、メアリーは弟のリオウを伴って訪れていた。


「リオウ、無事に家臣になれて・・・おめでとう」

ユウは心からそう言った。


「すべて・・・姉上のおかげです」

リオウは俯きがちに答える。


その横で、メアリーが静かに笑った。


「キヨ様にお願いしたの。弟を仕えさせてほしいって」


「・・・そう。よかったわね」

ユウは頷き、午後の光が彼女の金の髪を照らした。


「・・・はい」

リオウはしばらく何かをためらうように黙っていたが、

やがて意を決したように口を開いた。


「ユウ様・・・少し、お時間をいただけますか」


バルコニーの方を指さす。


その仕草に、ユウはわずかに眉を動かした。


――断るのも、不自然すぎる。


チラリとシュリを見た。


傍らにいたシュリは、無言で小さく頷いた。


ユウは静かに立ち上がり、リオウのあとを追う。


湖を望むバルコニーに、背の高い二人の影が並んだ。


「あの二人、絵のようにお似合いね」

メアリーが遠くで呟く。


「・・・はい」

ウイは小さく答えた。


唇を噛み、胸の奥を押さえる。


あの人の視線が姉に向くたび、心が軋んだ。


――この気持ちを、誰にも悟られたくなかった。


その横で、レイは静かにお茶を飲んでいた。


揺れる湯気の向こうで、妹の瞳は湖のように澄んでいる。




バルコニーに出ると、夕陽が湖面を金に染めていた。


ユウの肩を、橙の光がそっと包み込む。


その光景を、少し離れたところから、シュリが剣を片手に見守る。


シュリの任務は、ユウの警護。


けれど、胸の奥で何かが軋む。


姫と乳母子としての距離を、改めて思い知らされるようだった。


「・・・レイ様が結婚するとは、驚きました」

最初に口を開いたのは、リオウだった。


「ええ」

ユウの声はわずかに硬かった。


レイの婚礼の話になると、どうしても胸の奥がざわつく。


「代われるものなら・・・代わりたいの」

ユウは小さく息を吐き、言葉を継いだ。


「私が嫁ぎたい。まだ、幼いあの子が嫁ぐなんて・・・」

悔しさが滲む声。


遠くで鳥が一羽、短く鳴いた。


「けれど・・・私は、それすらできない」

ユウの声は少しずつ震えはじめる。


「嫁ぐ妹を見守るだけ。私は・・・」


その言葉を、リオウの沈黙が遮った。


やがて、湖面のきらめきを映すような目で、ユウを見つめた。


「私は――」

声が震える。


「あなたが嫁がなくて、安堵しました」


ユウの胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちた。


リオウは一歩、近づいた。

白いドレスの裾が揺れ、彼の指先がその端に触れた。


ほんの一瞬。


けれど、その熱が触れた瞬間、

ユウの胸に浮かんだのは――別の人の面影だった。


「ユウ様を・・・好いています」

リオウの言葉が、風のように静かに届く。


胸の奥が、痛いほどに熱くなった。


彼の気持ちに応えてあげることができず、苦しい。


リオウの黒い瞳は、燃えるように真剣だった。


まだ若いその顔に、迷いはなかった。


「今の私は・・・ただの家臣にすぎません」

リオウの声は静かで、けれど熱を帯びていた。


ユウの手を包む彼の指先が、ぎゅっと強く力を込める。


その力は、想いの証のように確かだった。


「けれど・・・必ずコク家を再興して、ユウ様を迎えたい。私の妻になってほしい」


リオウの真剣な眼差しに、ユウは息を呑んだ。


言葉を失い、ただその手を見つめる。


逃げたいのに、逃げられなかった。


バルコニーを渡る風が、二人の髪をそっと撫でていく。


沈黙が長く続いた。



その二人を、少し離れた場所からシュリが見ていた。


唇を強く噛みしめる。


胸の中にある想いは――羨ましい。


その一言に尽きた。


自分も、あの時ユウに伝えた。


「嫁に行かなくてよかった」と。


けれど、そこから先の言葉は言えなかった。


乳母子の自分には、決して許されない言葉だった。


それは、家柄も立場もあるリオウだからこそ、真っ直ぐに口にできる言葉。


シュリは静かに目を伏せた。


その影が、夕暮れの光に長く伸びていった。


「・・・私には、自由がないですから」

ユウは優しく、リオウの手を振り払おうとした。


だが、その手をリオウは離さなかった。

むしろ、強く握り返す。


「それでも」

リオウの声が震える。


それは若さゆえの無謀な言葉ではなく、真っ直ぐな願いのこもった声だった。


「たとえどんな形でも・・・あなたを守りたい」



少し離れたテーブルで、メアリーはその様子を淡々と見つめていた。

白い指先がカップの縁をなぞる。


レイはこわばったまま、シュリの背中を見つめている。


その横で、ウイは唇を噛みしめながら、バルコニーに立つ姉とリオウをじっと見つめていた。


――それは、ただの世間話には見えなかった。


言葉こそ聞こえないが、その空気は明らかに違う。


まるで、プロポーズのようにも見えた。


静寂を破るように、扉がノックされた。


メアリーがハッとして立ち上がる。


入室したのは、イーライだった。


「失礼いたします」

深く頭を下げる姿に、メアリーの心臓が一瞬跳ねた。


――まずい。


彼女は慌てて身を翻し、バルコニーに立つ二人を隠そうとする。


キヨに直通の家臣であるイーライに、この光景だけは見せたくなかった。


だが、イーライの視線はすでにメアリーを越え、

まっすぐバルコニーの二人へと吸い寄せられていた。


リオウは真剣な表情でユウを見つめ、

ユウは顔を赤らめながら、困惑したように立ち尽くしている。


その一瞬で、イーライの胸に冷たいものが走った。


――何をしている。


彼の任務は、ユウに悪い虫がつかぬよう見張ること。


それが命令であり、責務だった。


イーライは無言のまま、静かにバルコニーへと歩み寄った。


視界の端で彼をとらえたユウは、ハッとしたようにリオウの手をそっと離す。


手のひらに残る温もりが、一瞬にして冷えた。


「ユウ様・・・日差しが強うございます。

 中へお戻りになってはいかがでしょうか」


イーライの声が、わずかに上ずった。


それは、滅多にないことだった。


ユウは短く頷き、リオウと視線を交わすことなく室内へ戻る。


イーライはゆっくりと息を吐いた。


胸の奥で、理性と感情がぶつかり合っていた。


――任務は“監視”のはずだ。


それなのに、あの人に触れる男を見ると、胸が焼けるように痛む。


イーライはしばらくその場に立ち尽くす。

視線の先では、湖面の光がゆらゆらと揺れている。


――あの手に触れたのか。


胸の奥で、何かが鈍く疼いた。


「・・・シュリ」

イーライの声は低く、どこか震えていた。


「はい」

振り向いたシュリの声は穏やかだった。


「お前は・・・乳母子だ。なぜ、あのような・・・」

そこまで言って、言葉が途切れる。


続きが、出てこなかった。


自分でも、何を責めているのか分からなかった。


“理”としてではなく、“感情”が先に立っていた。


「例え、異性であったとしても・・・リオウ様は従兄弟です」

シュリは淡々と答える。


表情ひとつ変えず、まっすぐにイーライを見ていた。


「私もそばにおりました。二人きりではありません」


その冷静な声が、かえってイーライの胸を締めつけた。


正論だ。


だが、理屈で抑えられない何かがある。


――そう言うお前も、あの人を見ていたではないか。


唇を結び、視線を落とす。

床に落ちた光が、ゆらりと揺れていた。


――嫉妬。


その言葉を認めた瞬間、心臓が痛む。



「・・・そうか」

イーライはそれだけを絞り出し、目を伏せた。


シュリは黙って彼を見つめた。


ーー気づいてしまいましたね。


――リオウは昔から上手だった。


手を取るその一瞬で、相手の心を揺らす。


けれど決して、越えてはならない一線を超えない。


もし、あのままユウ様の手を離さなかったなら――止められたのに。


シュリはそっと息を吐いた。


カーテンが揺れ、湖の風が二人の間を通り抜けていった。


ーー誰も、あの方に夢中だ。


湖に映る夕日を見つめながら、シュリは静かに思った。


好いている。


けれど、言葉にはできない。


リオウは、元領主の息子として堂々と想いを告げ、

イーライは忠臣として理性で抑え、

自分は――何者としても届かない。



イーライはそのまま部屋の外に出た。


廊下に出ると、夕陽が赤く差し込んでいた。


光は長い影を作り、彼の足もとを染める。

報告しなければ――そう思うたびに、足が止まる。


――なぜだ。


彼は拳を握った。


報告をためらうのは、職務怠慢ではない。


ただ、自分の心が――あの姫に向かっているのを、否応なく感じてしまった。


――あの方の手を握りたい。

その身を抱き寄せたい。

そんな愚かな願いが、胸の奥で沸々と湧き上がる。


いずれ、主の妾になるはずの姫。


触れることさえ、罪だとわかっているのに。


唇を噛み、拳を握る。


想いが叶わぬのなら、今はせめて、任務を全うしよう。


バルコニーに残るリオウとシュリの横顔を思い出し、

イーライは静かに誓った。


「・・・あの方を、誰にも触れさせない」


呟きが風に溶けた。


湖面の光はすでに沈み、空は薄い群青に変わっていた。


イーライはその中を、ただ無言で歩き去った。


自分の影が、長く長く伸びていた。



次回ーー明日の20時20分


嫁ぐ妹、残る姉たち。

秋のレーク城跡で交わした“最後の約束”。

血のように赤い花びらが舞う中、三姉妹はそれぞれの未来へ――。

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