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叶わなかった願い 十一の妹は嫁に行く

「・・・わたしの耳に入らぬまま、婚礼を?」

静かな部屋に、ミミの声が響いた。


キヨは苦笑を浮かべ、グラスを持ち上げる。

「モザ家の姪と甥が結ばれる。めでたいことよ」


「めでたい、ですって?」

その一言で、空気が凍りついた。


香の煙がゆらぎ、男の笑みが止まる。

エルもイーライも、サムも、顔をこわばらせて俯いた。


ミミの声は低く、静かだった。

それなのに、どんな怒号よりも強く響いた。


「どうして、私に何も言わないの。

 姫様たちの婚礼は、シリ様から、私が託されていたのよ」


キヨは一瞬、口を開きかけ、言葉を探した。

「いや、これは・・・世のためでな」


「世のため、ねぇ」

ミミの唇がわずかに震える。

「その“世のため”の中に、妻も女も・・・入っていないのでは?」


その声は、怒りではなかった。

――長く連れ添った女だけが出せる、深い失望の声だった。


「うるさい! 女が政に口を出すな!」

キヨが顔を背ける。


「まぁ・・・」

ミミは呆れたようにため息をつき、静かに首を振った。


その沈黙を裂くように、ユウが一歩前に出る。


「レイが嫁ぐのなら、私が嫁ぎます」


一瞬、誰もが息を止めた。


ーー先ほどイーライが説得したのに!


この姫は、本当に強情だ。


エルの口が開く。



「ユウ様、それは・・・」

キヨの顔がこわばる。


ユウは金の髪を揺らし、凛として言葉を継いだ。


「私は、早く嫁ぎたいのです」


「それはなりません!」

慌ててエルが口を挟む。


「ロス家とは、すでに“レイ様”との婚儀で書状を交わしております」


ユウは一歩も引かずに、冷静に言い返した。


「それならば、私を“レイ”と称して嫁がせればよいのでは?」


息を呑む音が、部屋のあちこちで重なった。


サムが目を見開き、ミミがそっと扇を握りしめる。


「ユウ様・・・それは!」


それでもユウは淡々と告げた。


「十一の妹の代わりに、姉が嫁ぐ。それのどこが間違いですか?」


その声には怒りも悲嘆もなく、ただ揺るぎない理があった。


「無茶苦茶・・・だ」

エルが頭を抱えて呟く。


しかし、その無茶苦茶を押し通すだけの勢いが、ユウにはあった


「それは無理でございます」

淡々とした声が、張りつめた空気を震わせた。


イーライは黒い瞳でユウをまっすぐ見つめている。


「・・・イーライ、どうして?」

ユウは顎を上げ、問いかけた。


「もし、ユウ様がレイ様を称してロス家に嫁がれたのなら、こちらの信用に関わります」


「・・・私では、不満だと?」

ユウの眉がわずかに動く。


「そうです。レイ様として婚儀を進めていたのに、違う人物が嫁ぐ。

それでは、こちらがロス家を欺いたということになります」


ユウは唇を噛みしめた。


――確かに、そうなる。


イーライさえいなければ、自分の意見が通ったかもしれない。


この部屋の中で一番口が立ち、

そして自分と年の変わらぬ青年に理で封じられる――それが、何より悔しかった。


「ユウ様、どうかご理解ください。レイ様が嫁ぐことで、世が収まるのです」

エルが、必死に取りなすように言葉を添える。


――悔しい。


ユウは拳を握りしめ、俯く。


その様子を、ミミは気の毒そうに見つめ、

メアリーは静かに唇を結んだまま見守っている。


そのとき、背後から穏やかな声が落ちた。


「・・・ユウ様。戻りましょう」


シュリの声だった。


絶妙なタイミングだった。


ユウはゆっくりと顔をあげ、悔しげにキヨを一瞥する。


「失礼します」

短く言い残し、扉に背を向けた。


その背中が消えていくまで、誰一人として声を出せなかった。


扉が閉まった瞬間、張りつめていた空気が一気に緩んだ。


「・・・なんとも、気の強い姫様だな」

エルが呆れたように呟く。


そのあと、ぼそりと付け足した。


「無茶苦茶な論理だ」


「そうまでして・・・妹を守りたかったのよ」

ミミの声は静かだった。


カップの縁を指でなぞりながら、どこか遠くを見るような目をしている。


「イーライ、ユウ様に茶を入れてやれ」

キヨはため息をつきながら椅子に沈んだ。


「・・・わしは、また嫌われてしまったな」


「後ほど、伺います」

イーライは静かに目を伏せて答えた。


「後ほど? 今すぐではなくてか?」

キヨが不思議そうに首を傾げる。


「はい。・・・お気持ちが、収まるまで」


言葉は淡々としていたが、

その指先は白くなるほど拳を握りしめていた。


――乱れた彼女の心を鎮められるのは、自分ではない。


それを悟るのが、あまりに苦しかった。




足早に廊下を歩くユウの背を、シュリは必死で追った。


伸びた背筋は、どこか震えて見えた。


その肩に宿るのは怒りではなく――悲しみと、深い悔しさ。


妹たちに会う前に、少しでも気持ちを鎮めねばならない。


そう思い、シュリは躊躇いながら声をかけた。


「ユウ様・・・少し、お話をしましょう」


ユウは立ち止まり、短く息を吐く。


そのまま無言で振り返ると、静かに自室へと戻っていった。


人気のない部屋。


湖から吹き込む風が、薄いカーテンを揺らしている。


「・・・悔しい」

ユウの声は震えていた。


「私が・・・男だったら・・・レイを守れるのに」


その言葉とともに、張りつめた背中がわずかに揺れる。


肩が震え、拳がゆっくりと開かれていく。


「ユウ様・・・」

シュリはそっとその背に手を当てた。


温かさが伝わる。


だが、その熱はすぐに涙に溶けていった。


「どうして・・・女は、好きなように歩けないの?」


ユウの頬を伝う涙が、絹の袖に落ちた。


その問いに、シュリは言葉を失った。


「・・・私は」

シュリの声が、かすかに震えた。


「ユウ様が・・・嫁がなくて、ほっとしています」


その言葉に、ユウはゆっくりと顔を上げた。


涙に濡れた瞳が、まっすぐにシュリを射抜く。


「どうして・・・?」


その問いに、シュリの胸がきゅっと掴まれた。


――想いを言ってはいけない。自分は乳母子なのだから。


「それは・・・」

シュリは長いまつ毛を伏せ、かすかに息を呑んだ。


「・・・秘密、です」


一瞬、沈黙。


ユウの頬に、ほんのりと紅がさした。


湖の光がその横顔を照らし、ふたりの間に、静かな風が流れた。



ユウの行動は、結果的には何も変えられなかった。


けれど――領主に意見を伝えることができた。


それでも、確かに一歩を踏み出したのだ。


ユウは静かに目を閉じる。


――婚礼の報せに、姉は立ったのだ。


次回ーー本日の20時20分


妹たちの部屋に戻ったユウの顔を見て、

ウイとレイはすぐに結果を悟った。


――レイが嫁ぐ。


抱き合いながら泣く三人の少女たち。

夏の風が、静かにレースのカーテンを揺らしていた。


その夜、ユウはイーライと向かい合う。

妹を守れなかった悔しさと、まだ知らぬ世界への恐れを抱えて――。


気がついたら10万文字を超えていました。

いつも読んで頂きありがとうございます。

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