それでも
「あなたは聡いわ。
私が妊娠したことで、あなたまで疑われている。
キヨは……何年も子に恵まれなかったわ。
私が妊娠をしたことを不思議に思わないの?」
ユウの言葉に部屋は静まり返った。
イーライは思わず目を伏せた。
長い睫毛がわずかに震えている。
再びユウを見つめる瞳は、いつもの冷静な眼差しに戻っていた。
「正直申しますと、最初は疑っておりました。
他の想われ人は、お子を授からないので」
「そうね」
ユウは、重く頷いた。
ーーそれならば、なぜ。
妊娠がわかってから、自分を見る目が変わったのを肌で感じている。
けれど、イーライは変わらなかった。
「けれど、それは驚きでもあり、私にとって喜びでもありました」
「……喜び?」
ユウが怪訝な顔をする。
「はい。私がお守りしたいと思っている方の望みが叶ったからです」
イーライは、ユウを見つめた。
その瞳の奥には消せない痛みが宿っていた。
イーライの言葉にヨシノはかすかに首を傾げた。
けれど、シュリはわかっていた。
泉を求めて、東の山を訪れた際、イーライは誓ったのだ。
仕えるのはキヨ。
そして、命にかけても守るのはユウ、と。
「私の望みを覚えているの?」
ユウは、イーライに顔を近づけた。
イーライは、熱を帯びた目で見つめる。
ーー彼女の髪の一本一本まで、好いている。
父親が誰か、考えなかったわけではない。
だが、それを知ったところで、自分の務めは何一つ変わらない。
ユウ様の望みが叶った。
「はい。復讐でございますよね」
イーライは唇を動かさないまま話した。
「ええ」
ユウは頷いた。
それまで、溺れるようにユウを見ていた眼差しは消え、
いつもの重臣の顔に戻っていた。
「キヨ様が、お子と認めておられる以上、それがすべてでございます」
ユウは、イーライの顔を見つめた。
「ユウ様、おめでとうございます」
イーライは、静かに頭を下げた。
「イーライ、あなたが子授けの泉に連れて行ったくれたお陰よ」
ユウは、微笑んだ。
少しやつれたその顔が、どうしようもなく胸に迫る。
「はっ」
イーライは静かに頭を下げた。
◇
その日の夜、イーライは重い足取りのまま館へ帰った。
「お帰りなさいませ」
迎えた妻アリスは、穏やかに微笑む。
その後ろでは、赤ん坊を抱いた乳母が一礼した。
「元気だったか」
イーライは慣れた手つきで赤ん坊を抱き上げる。
「はい。今日もたくさん乳を飲みました」
乳母の言葉に、イーライは小さく頷いた。
腕の中の小さな命は、柔らかく、温かい。
そのぬくもりが、張り詰めていた心を少しだけほどいていく。
アリスは、赤ん坊を見つめるイーライの横顔に、そっと目を細めた。
子が生まれてから、イーライは以前より穏やかな表情を見せるようになった。
今日もまた、その優しい眼差しで我が子を見つめている。
けれど、その瞳の奥には、拭いきれない寂しさが静かに残っていた。
寝室で、イーライは沈んだ表情で椅子に腰掛けていた。
「眠らないのですか」
アリスが声をかけると、イーライは目を瞬く。
「もう、遅いな」
立ちあがろうとするイーライに、アリスは遠慮がちに声をかけた。
「最近、お城で何かあったのですか」
その言葉に、イーライは一瞬固まった。
その様子をアリスは、じっと見つめていた。
ーー噂は耳に入っていた。
ユウ様が懐妊された。
腹の子の父親は夫、かもしれない、と。
本来であれば、あり得ないと笑って否定できる。
けれど、お相手がユウ様なら――心のどこかで、その可能性を否定しきれなかった。
夫が誰よりもユウ様を想っていることは、知っている。
だからこそ、その噂を笑い飛ばすことができなかった。
何よりーー子が産まれてから、一度も夫と肌を合わせてない。
出産前は、夫は求めてくれた。
夫が自分を求めてくれる時は、決まってあの花の香りが夫から漂っていた。
この2ヶ月間、夫からあの香りが漂わない。
「問題はない」
イーライは、淡々と答えた。
その横顔を、アリスはじっと見つめた。
ーーこうやって嫉妬心を抱くのはみっともないこと。
重臣の妻であるのなら、夫が妾を持つのは当然のことなのだ。
夫は妾を作らない。
けれどーー心は常に違う人にむかっている。
部屋に沈黙が落ちる。
イーライが顔を上げると、アリスが静かに涙を流していた。
「どうした」
アリスは黙って首を振る。
ーー言えない。
涙を流し続けるアリスに、イーライは声をかけた。
「噂は根拠のないものだ」
アリスが涙に濡れた目で見つめ返すと、
イーライは小さく頷く。
「私とユウ様の間に、そのような関係はない」
「……そうなのですか」
「あぁ。心配をかけてすまない」
ーーこの人は嘘を言わない。
イーライが立ち上がろうとすると、
アリスがそっと袖を掴む。
「……どうした」
戸惑うイーライに、アリスは顔を伏せたまま話す。
「今夜は、少しだけそばにいてくださいませんか」
俯いたアリスの首が見る見るうちに赤くなる。
掴まれた袖は、いつの間にか強く握られていた。
イーライは、躊躇いながらその手を握り返した。
◇
部屋にアリスの小さな呻き声が響く。
それは、彼女のものとは思われないほど、か細い声だった。
声は断続的にふわふわと現れ、途切れた。
「体は大丈夫か」
イーライの声はすでに整っていた。
「……はい」
アリスは目元を赤くして、力なく頷く。
久しぶりの情事に、体の力が抜けていく。
イーライの胸の鼓動を聞きながら、アリスはそっと目を閉じた。
「アリスは、私にはもったいのない妻だ」
唐突にイーライがつぶやいた。
イーライの脳裏には、昼間見たユウの微笑みが焼き付いて離れなかった。
「アリスに相応しい夫になろうとしていた。
だが……それは難しい」
イーライは申し訳なさそうに目を伏せた。
「そんな……あなたは、素晴らしい夫です」
「……」
口を閉ざすのイーライに、アリスはぎゅっと抱きしめた。
その温もりにイーライは目を閉じた。
「感謝する」
イーライは、アリスの茶色の髪に顔を埋めた。
ーー忘れないまま、生きていく。
それでも、妻と子を蔑ろにしていい理由にはならない。
アリスを静かに抱きしめながら、イーライは目を閉じた。
次回ーー明日の20時20分
体調を取り戻したユウと、
毎晩のように部屋へ通うキヨ。
ユウを前に、意を決してあるお願いをするものの、
なぜか事態は思わぬ方向へ。




