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二人の男と姫 ―奇妙な始まり―

ロク城に来て、すでに一月半。


季節は初夏へと移り、湖面から吹き上げる風が湿り気を帯びていた。


廊下の突き当たり、バルコニーに佇むユウの金の髪が、風に大きく揺れる。


隣に立つシュリは、声もかけずにその横顔を見守っていた。


「失礼します」

背後から低い声が届く。


イーライだった。


振り返ったユウと目が合うのを避けるように、彼は慎重に告げる。


「お話がございます・・・どうか、お部屋へ」



部屋へ戻ると、イーライは深く頭を下げた。


「キヨ様からの報せでございます」


「・・・あの男の」

ユウの眉がぴくりと動く。


「シュドリー城を落とした、とのこと」


一瞬で、ユウの表情が固まった。


――母の生家が、またあの男の手に。


「・・・そうですか」


覚悟していたはずだった。


敵わぬと知っていた。


それでも耳にすれば、胸は抉られる。


「・・・マサシは?」

従兄の名を絞り出す。


イーライは目を伏せ、短く答えた。


「ご自害されたと」


背後でヨシノとシュリが息を呑む。


「そう・・・」

ユウは唇を噛み、俯いた。


「また一人・・・モザ家の者が消えたのね」


声は震え、今にも崩れそうに響いた。



「・・・お茶を淹れます」

イーライは深々と頭を下げ、無言のまま茶器を並べ始めた。


湯の温度を測り、茶葉を掌で包み込むように扱う。


一つ一つの所作は驚くほど丁寧だった。


ユウは、その真剣な横顔に視線をとめた。


「・・・ミミ様に、お茶を淹れるよう命じられたの?」

悲嘆を慰めるように、そう配慮されたのだろうか。


イーライは手を止めず、静かに首を振った。


「違います」


「だったら・・・なぜ?」


問いかけると、伏し目がちだったイーライが顔を上げ、青い瞳をまっすぐに見つめ返した。


「私が――ユウ様にお茶を淹れたいと思ったからです」


一瞬、時が止まったようだった。


ユウの胸がひときわ強く打つ。


思わず視線をそらし、カップに目を落とした。


「・・・そう」

それだけを返す声が震えていた。



差し出されたカップを両手で受け取り、口に含む。

ほのかな渋みと温かさが、冷えた胸に広がっていく。


「美味しいわ・・・」

自然と口に出た言葉。


その言葉にイーライは、脳面のような顔の表情を緩めた。


「ありがとうございます」


ーーその言葉が聞きたくて、茶を淹れた。


「・・・イーライ」

ユウはそっと名を呼んだ。


手にしていた空のカップを机に置き、青い瞳で彼をまっすぐに見つめる。


「あなたは聡い。そして・・・人を思いやれる」


黒い瞳に、一瞬ざわめきが走った。


「ありがとうございます」

淡々と返した声は、しかし僅かに震えていた。


「そんなあなたを、あの男は戦場に連れて行かない。・・・どうしてかしら」


鋭い問いに、イーライはわずかに伏し目になった。


――言えるはずがない。


ユウ様に男がつかぬよう監視せよと、命じられているなど。


喉までせり上がる言葉を押し殺し、彼は低く答えた。


「私は・・・武術に秀でた者ではございませんので」


「・・・あなたは、武術が得意ではない?」

ユウの眉がわずかに寄せられる。


この時代、家臣に求められるのは武と力。


戦場で役立つ者こそ重んじられる――それが当然だった。



「はい。私の生家は、代々セン家に仕える家柄です。

ですが、私は三男で・・・剣を学ばぬまま十五を迎えました」


イーライの言葉に、シュリはわずかに頷いた。


彼も早朝稽古に顔を出してはいたが、その剣筋は確かとは言いがたい。


「何の才覚もない私を、キヨ様は拾ってくださった。

そこから必死に剣を学んでも・・・腕は上がらない」


淡々とした声の奥に、押し殺した悔しさがにじむ。


「私ができることといえば・・・人質の確保、交渉、そして茶を淹れること」

それは静かな悔しさが滲んでいた。


「・・・私は役に立たぬ人間なのです」

表情を動かさぬ顔に、押し殺した無念さが浮かんでいた。



「役に立たないということは・・・ないわ」

ユウは静かに口を開いた。


その声音に、イーライの手がピクリと止まる。


ゆっくりと顔を上げ、彼女に向き合った。


「・・・ユウ様」


「あの男は・・・小賢しく抜け目がない。役に立たぬ男をそばに置くはずがない」

ユウは少し顎を上げ、静かに告げた。


「しかし・・・」

思わずイーライは顔を上げる。


「サムが良い例だわ」

ユウの視線は揺らがない。


「レーク城の元重臣。一番冷静で賢い男を、キヨはここでも重臣にした」


背後で聞いていたシュリは、思わず小さく頷いていた。


セン家に仕えて生き残った重臣は四人。


その中でも一番能力の高いサムを、キヨが選んだのは必然だった。


「あなたの能力は、今の時代に合わないだけ」

ユウは淡々と続けた。


「今回の争いは交渉の余地がなかった。勝ち戦は最初から決まっていたのだから」


「・・・はい」

イーライは押し黙った。


――その言葉、確かにキヨ様も話していた。


戦を知らぬ少女が同じことを口にするとは、思いもしなかった。


「けれど、あの男にとってノルド城の争いは人質の交渉が全てだった。・・・母上を救うために」



ユウの瞳が一瞬揺れ、すぐに閉じられる。


再びイーライを見据えるその眼差しは、もう揺らいでいなかった。


「だから、その争いには、あなたを連れて行ったのよ」


「・・・はい」

イーライは控えめに頷く。


――だが実際には、ユウの母シリの救出は失敗に終わった。


自ら救えなかったことを、彼はいまも責め続けている。


それを見透かしたように、ユウは言葉を繋いだ。


「あなたの交渉と人質の対応は見事だった。淹れてくれたお茶も、美味しかった」


顔を上げたイーライに、ユウは震える声で告げた。


「母上は・・・自ら死を選んだ。イーライに落ち度はない」


その瞬間、イーライは崩れ落ちそうになった。


ポットを持つ手は激しく震え、声はかすれていた。


「・・・ありがとう・・・ございます」


ユウは深く息を吐き、落ち着きを取り戻す。


「そのうち、平和な時代が来たら、あなたはキヨにもっと重宝されるわ」


否定したかった。――そんなことはない、と。


けれど、イーライは言葉を飲み込む。


ユウの眼差しは領主のように深く、揺るぎなく自分を見つめていた。


だからこそ、彼は静かに頭を垂れた。


「・・・そのお言葉を励みに、日々精進いたします」


イーライの胸の奥で、何かがじわりと熱を帯びる。


否定され続け、自分でも諦めていた存在を――今、この姫は確かに肯定したのだ。


頭を下げた先に、空になったカップが見えた。


「・・・お茶のおかわりを」

イーライは震える声で言った。


「お茶のお代わりは、ヨシノに任せるわ」

ユウが静かに告げる。


「・・・?」

疑問に思ったイーライが顔を上げた瞬間――


「イーライ、こちらへ」

ユウは向かいの椅子をすすめた。


「い、いえ! 私は・・・!」

イーライの声が途端に硬くなる。


家臣と姫が向かい合って座る――それは、あってはならぬ行為だった。


「構わないわ。シュリもこちらへ」

ユウは隣の椅子を指差す。


「はい」

ユウの扱いに慣れたシュリは、静かに腰を下ろした。


「イーライも、早く」

ユウはわずかに顎を上げて命じる。


「・・・はっ」

小さく頭を下げ、イーライは畏まって腰を下ろした。


その心臓は早鐘のように鳴り、座った椅子の冷たさが、なおさら身分の壁を意識させていた。


三十分後――。


ユウの様子を案じたサムが、部屋の扉をノックした。


扉を開けたヨシノが、不安そうな彼に小声で告げる。


「大丈夫ですよ」


その声音は、意外にも穏やかだった。


ヨシノの視線の先に目をやったサムは、思わず息をのんだ。


ユウがシュリとイーライと並んで座り、談笑している。


ユウは嬉々として戦術を語り、シュリが静かに応じる。


向かえに座るイーライは背筋を伸ばしたまま、黙って聞いていたが――その横顔には、かすかな楽しげな影が差していた。


そして何より。


ユウの表情は、かつて仕えたシリを思い出させるものだった。


妃であり、領主でもあったシリ。


その血を濃く受け継ぐユウ。


彼女の隣に座るシュリとイーライ――

その姿は、いずれユウを支える者たちの影を、かすかに映していた。


三人の姿は、どこか不思議な調和を見せていた。


けれどその調和は、同時に――奇妙な始まりを告げるものでもあった。


次回ーー明日の20時20分

ユウとシュリ、イーライの間には、静かな調和と淡いざわめき。

一方、馬場に現れたウイの前には、かつて想いを寄せたリオウの姿――。

再会は喜びを連れてくるはずだった。

けれどその瞳が向かう先は、いつも姉のユウだった。


若草の香る午後、

ひとつの恋が生まれ、ひとつの恋が壊れ始める。

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