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あの男の眼差しを継ぐ姫――歪んだ求愛

「キヨ様が、ユウ様との面談を望んでおります」


イーライの硬い声が、部屋に冷たく響いた。


その瞬間、ユウの頬から血の気がすっと引いていく。


――また、来るの? あの男が・・・。


顔を伏せたまま、イーライが小さく付け加える。


「お部屋を整えたいと存じます。・・・よろしいでしょうか」


深く頭を下げる姿に、ウイが思わず声を荒げた。


「そんな!」


ピクリとイーライの肩が震える。


恐る恐る顔を上げると、レイの黒い瞳がじっと射抜いていた。


その無言の視線は、言葉よりも鋭く彼を責め立てる。


居たたまれず、イーライは再び視線を落とした。


「ウイ、レイ」

静かな声が部屋を包む。


ユウのものだった。


「イーライを責めても仕方がないわ。この者も、頼まれているだけなの」


そう口にしながらも、ユウの指は膝上のドレスをぎゅっと握りしめていた。


「今回も・・・私の部屋ですか」

「・・・はい」


「・・・わかりました」

ユウはそっと目を閉じた。


「失礼いたします」

イーライは一礼し、静かに部屋を後にした。


「姉上・・・」

ウイの声が不安に揺れる。


「大丈夫」

ユウはゆっくりと答え、すぐにヨシノとシュリに視線を向けた。


「・・・部屋へ行きましょう」


立ち上がったその背を追い、木の廊下を歩く。


足音が軋むたびに、シュリは横顔を盗み見た。


「・・・ユウ様、大丈夫ですか」


ユウはまっすぐ前を向いたまま、かすかに笑んだ。


「大丈夫じゃないわ」


「・・・はい」


「でも、怯えるのはやめるの」

足を止め、振り返ったユウの瞳がシュリを真っ直ぐに見つめる。


「母上は強かった・・・。私は、その真似をするだけよ」


「・・・はい」


「シュリ、そばにいて」

その瞳が、かすかに揺れていた。


「もちろんです」

シュリは即座に答えた。


部屋に入ると、イーライは黙々とカップを並べ、紅茶の準備を整えていた。


続いて香壺を取り出し、火を入れようとしたとき――。


「イーライ」

ユウがわずかに顎を上げ、静かに言った。


「私、その香は嫌いなの」


イーライの手が止まる。


視線がわずかに泳いだ。


彼の手にある香は、キヨが女を抱く際に好んで焚くもの。


媚薬めいた催淫の香りを漂わせるそれを、領主は殊更に気に入っていた。


「・・・焚くなら、ミントにして」

ユウはソファに腰を下ろし、落ち着いた声音で命じる。


「・・・承知しました」

イーライは小さく頭を下げ、香壺に乾燥したミントの葉をくべた。


熱にあぶられて、清涼な香りがふわりと立ち上る。


ユウはその香気を胸いっぱいに吸い込み、かすかに呟いた。


「・・・これで、あの男に立ち向かえる」


「サム、お前まで付き添わなくてもいいだろう」

キヨはうんざりした顔でサムを睨んだ。


「申し訳ありません。エル様の命でございます。今宵はキヨ様に付き従うように、と」

サムは静かに頭を下げた。


先ほど、エルからそう命じられたのだ。


出陣を前にした最後の夜、兄であるキヨを見張れと――。


『勝手に妃の許可もなく妾を迎えれば、女同士のいざこざが起こり、この城は内から崩れる!』

エルの懸念は、切実なものだった。


「出陣前にユウ様と茶をしたいだけなのだが」

キヨは、面白くなさそうに口を尖らせる。


「申し訳ありません・・・任務ですので」

サムは短く頭を下げた。


「まったく、どちらが領主なのかわからんな」

不機嫌な声を残し、キヨはため息をついて西棟へと足を踏み入れる。


廊下の隙間から、ほのかに薄荷の香が漂った。


冷たく澄んだその香りは、清らかでありながら、どこか凛とした強さをも秘めている。


扉を叩くと、短い声が返ってきた。


「どうぞ」


キヨの顔に喜びが浮かぶ。


「邪魔をする」

そう言って扉を開けると、ソファに腰掛けたユウが待っていた。


「お待ちしておりました」

柔らかな言葉とは裏腹に、その眼差しは鋭い。


その目を見た瞬間、サムの背に冷たいものが走った。


――あの目だ。ゼンシ様の。


顔はシリ様そのもの。


だが感情が乱れた刹那、瞳の奥にゼンシ様の影が差す。


苛烈で残酷、見る者を怯ませる死んだカリスマの眼差し。


あの亡き主を思い出させる冷徹な光が、今まさにユウの双眸に宿っていた。


キヨは、その眼差しに惚けていた。


「ユウ様・・・今日も美しい」


甘い言葉に、ユウはわずかに顔を歪める。


「そうでしょうか」


「はい・・・」

キヨは視線を外さぬまま椅子に腰を下ろした。


「この香は・・・いつもと違いますな」


「私が命じたのです。あの香は嫌いなので」


――『嫌い』。


ユウは言葉に力を込め、キヨを真っ直ぐに睨みつけた。


香ではない。


嫌っているのは、この男そのものだ。


その強さを宿した視線に、サムは思わず息を呑む。


キヨはしかし、恍惚とした表情を浮かべていた。


ユウが怒れば怒るほど、嬉しげに目を細めて。


「出陣前に・・・ユウ様とお茶をしたくてな」

精一杯の厳しい顔をつくりながらも、声は浮ついている。


イーライが静かに茶を差し出した。


砂糖をたっぷりと入れたカップを持ち上げるキヨに、ユウは口を開く。


「シュドリー城を攻めるのですか」


ピタリと、キヨの手が止まった。


青い瞳が真正面から突き刺さる。


「そ、そうです。かつてゼンシ様が住まわれた壮大な城。攻めるのは心苦しいが・・・」


「・・・あの城は、私が九年間暮らした場所です。母上の生家」


「そう・・・ですな」

キヨの視線は落ち着きを失い、所在なく彷徨った。


女との語らいは、裁縫や花の話が常であった。


だが、この姫は違う。


政治に触れ、城に触れ、己の立場を知っている。


――この女は、他の女とは違う。


キヨの胸に恐れと欲望がないまぜになって渦を巻いていった。


「シュドリー城を落とし、モザ家を潰すおつもりですか」

ユウの瞳は真っすぐにキヨを射抜いた。


その鋭さに、キヨは一瞬圧倒される。


――ゼンシ様。


かつて仕えていた領主の眼差しを思い出し、動揺の影が瞳に走った。


――気付かれたな。

サムは冷静に分析する。


ユウ様の眼差しに、キヨ様はゼンシ様の面影を見ただろう。


さて・・・ここで退くか、それとも。


次の瞬間、キヨはうっとりとユウを見つめた。


「良い眼差しですな、ユウ様」


声には熱があり、粘度を帯びている。


怪訝な顔をするユウに、さらに呟いた。


「・・・私は、その眼差しが何とも良い」


その言葉に、サムの肩がわずかに震えた。


――あの眼差しが“良い”? なぜ・・・。


ゼンシ様を思わせるあの眼差しを、恐れもせず喜ぶとは・・・。


キヨ様は、やはり正気ではない。


ユウは眉一つ動かさず、鋭く睨み返す。


「難しい話はやめましょう」

キヨはイーライに命じ、紙の束を持って来させた。


「今日はお見せしたいものがある」

ゆっくりと広げられたのは、新城の設計図だった。


「わしは今、新たな城を築いております。来年には完成予定です」

図面を机に置き、にやりと口元を歪める。


「ユウ様にも、完成の暁にはこの城に移っていただきたい」


指先が示すのは、どの部屋よりも広い空間。


「ここが、ユウ様のお部屋です」


「寝室は・・・広めにしました。防音も」

顔を上げ、ユウをじっと見据える。


ユウの瞳が紙面に釘付けになったのを見て、さらに囁く。


「浴室も・・・つけましょう。特別に」


粘りつくような視線に耐えかねて、ユウは声を震わせた。


「このような豪奢なお部屋は・・・私には勿体ないです。私はいずれ、嫁ぐ身ですので」


「嫁ぐ?」

キヨの声が低く沈む。


「ええ。そのように・・・母から躾けられてまいりました。いずれ領主に嫁ぐ身と」


「そう・・・でしょうか」

キヨはなおも視線を逸らさず、ユウは紙面から目を離さずに答えを返す。


「それが女の幸せだと・・・思っています」


「誠に・・・そうですな」

キヨはじっとユウの横顔を見つめた。


――目を合わせない。絶対に。


ユウは意地でも紙面から視線を外さなかった。


重苦しい沈黙を破ったのは、サムだった。


「キヨ様、まもなく会議のお時間です」


「・・・もう、そんな時間か」

キヨは残念そうに顔を上げる。


「はい。エル様がお待ちです」

サムが静かに頭を下げた。


キヨは渋々立ち上がる。


「それではユウ様。争いに勝った暁には、またお話を」


ユウは答えず、紙面を見たままだった。


「・・・ご武運を」

声は確かに低く響いた。


だが指先は、膝の上で強く握り締められていた。


部屋には、紅茶と薄荷の香りだけが残った。


キヨは名残惜しそうに廊下に行き、イーライが深く頭を下げ、静寂が戻った。


ユウは、なお紙面を見つめたまま、唇を固く結んでいる。


サムはドアを閉めながら、その横顔を見て、ぞくりと背を震わせた。


――ゼンシ様だ。


あの苛烈な眼差しを、確かに宿していた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

少し雰囲気の違う短編を書きました。


『霊感少女カンナは、爽くんと友達になりたい!』(N6131KJ)

https://ncode.syosetu.com/N6131KJ/


平凡な女子高生カンナと、イケメンなのに“霊好き”な爽くん。

修学旅行の行き先は――まさかの血天井。

霊感少女の恋と騒動を描いた、現代ラブコメ短編です。


重厚な政略の物語とは少し離れて、

気軽に読める作品に仕上げました。

お口直しにどうぞ。



次回ーー

「誠に・・・良い眼差しをしておる」

廊下を歩きながら、キヨは不気味に笑った。


脳裏に焼きつくのは、ユウの苛烈な瞳。

それは恐れではなく、欲望を掻き立てる炎だった。


――少しずつ、手に入れてやる。

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