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怒りと涙の果て、禁断の口づけ

扉が閉まる音、そして廊下を行き交うざわめきを聞きつけ、ウイとレイが慌てて部屋に駆け込んできた。


「姉上!! 大丈夫?」

ウイの顔は青ざめていた。


ユウはソファに座っていた。


衣服に乱れはない。


けれど、その指先は白く強張り、膝の上で固く握られていた。


ヨシノとシュリがすぐそばにいる。


その光景を見て、ウイはようやく胸を撫で下ろし、ユウの隣に腰を下ろした。


「・・・姉上、ご無事で良かった」


一方のレイは、じっと部屋を見渡した。


蒼白なユウの顔。


剣に手をかけたまま立ち尽くすシュリ。


寝室の扉を背に塞ぐように立つヨシノ。


テーブルにはカップが二つ。


片方は空、もう片方はユウの前に置かれたまま、一口も減っていない。


鼻につく甘い香りが部屋に充満し、喉の奥を不快に刺す。


レイはシュリと目を合わせた。


彼は一瞬だけ頷き――すぐに目を伏せた。


剣を握る手がかすかに震えている。


――何か、あったのだ。


ユウは小さくとも、しっかりとした声で言った。


「大丈夫よ」


立ち尽くすレイに目を向け、力なく微笑む。


「心配しなくても・・・平気」

そう告げると、少しだけ顎を上げてみせた。


そのとき、扉がノックされる。


「夕食の準備が整いました」

レイの乳母・サキの声だった。


ユウはゆっくりと立ち上がり、ソファから背を離した。


「・・・行きましょう」


部屋を出る直前、振り返ってヨシノに命じる。


「香を全部片付けて。窓も全開にして」


甘ったるい匂いに満たされた空気が、ユウの背に絡みつくように残っていた。



夕食の席でも、ユウはいつも通り気丈に振る舞っていた。


笑顔を浮かべ、妹たちに声をかける。


けれど、フォークはほとんど進まない。


口に運んでも、すぐに茶で流し込むばかりだった。


その様子を、レイはじっと見つめていた。


笑顔と、食べられない姿の落差。


幼い心にも、それが無理をしている証だと分かってしまう。


「・・・今日はやることがたくさんあるの」

ユウがふと顔を伏せて口を開いた。


「ウイとレイは、二人で寝てくれる?」


「姉上・・・そうなの?」

ウイが不思議そうに首を傾げる。


「ミミ様に、お礼状を書かないと」

ユウは淡々とした声で言い、視線を落とす。


「明日から・・・また一緒に寝ましょう」


そう提案するユウの横顔を、レイはただ黙って見つめていた。


――笑っていても、苦しんでいる。

幼い妹は、そのことを痛いほど悟ってしまっていた。


妹たちと別れ、ユウは自室へ足を運んだ。


まっすぐに伸ばした背筋を、ヨシノとシュリは不安げに見つめながら跡を追う。


扉を閉めた瞬間、ユウは力なく床に座り込んだ。


部屋には、まだあの香の匂いがかすかに染みついている。


「ユウ様・・・!」

ヨシノが駆け寄る。


「・・・気持ちが悪い」

ユウは低く、吐き出すようにつぶやいた。


「あの男が・・・母上のために作った部屋。そこに・・・私が住むなんて」


キヨの顔が脳裏に浮かび、背筋を冷たいものが這い上がる。


怖れとともに――それ以上に、燃え上がる怒りが瞳に宿った。


その目は、氷のように冷たく、同時に炎のように烈しく揺らめいていた。


視線の先にあったのは、さきほど彼が腰掛けていた椅子。


ユウは立ち上がり、怒りのままにその椅子を蹴り飛ばした。


重厚なオーク材の椅子が鈍い音を立てて床を転がる。


「ユウ様!」


ヨシノが息を呑む間もなく、ユウは再び椅子に足を振り下ろした。


無言で、何度も、何度も。


「おやめください!」

シュリが駆け寄り、ユウの肩をつかむ。


「この椅子を見るたびに・・・腹が立つのよ!!」

ユウの叫びが部屋を震わせた。


蹴り続けるうちに、足元が赤く擦れ始める。


シュリは慌ててユウの両腕を抱え込み、力で押さえた。


「これ以上は・・・怪我をします!」


しかしユウの視線はなお、別のものに突き刺さっていた。


テーブルの上の、繊細なカップ。


彼女は手を伸ばし、それを振り払った。


白磁が床に砕け散り、甲高い破片の音が部屋を切り裂いた。


「ユウ様、落ち着いてください!」

シュリは震えるユウの手を握りしめる。


「母さん・・・!」

シュリは振り返り、声を荒げた。


「少し席を外して!」


ヨシノは息を呑み、迷いを含んだ瞳を向けた。


だが、ただ頷き、扉を閉めて部屋を去った。


残されたのは、ユウとシュリだけ。


窓の外、夕陽が沈みかけ、朱に染まった光がカーテンの端を照らしている。


その赤は、ユウの胸に残る怒りの色と重なり、余計に息苦しく思えた。


彼女の肩で乱れた呼吸だけが、部屋の時間を刻んでいた。


夕暮れの光が窓から零れ、やがて室内は冷たい月光に満ちた。


砕けたカップの破片が青白くきらめく。


ユウの胸の奥で、眠っていた熱が再びうずきをあげる。


顔を上げたその瞳は、燃えるような青に染まっていた。


「・・・殺したい」


声は小さい。


だが、求心力をもった刃のように室内に突き刺さる。


シュリの手をぎゅっと握りしめるユウ。


「・・・あの男を、殺したい」


ユウの声に震えが混じる。


唇は細く震え、言葉が痛みになって喉を通る。


シュリはしばらく、ユウの瞳を見つめた。


そこには、ただの憎しみだけではなく、燃えるような決意と底知れぬ哀しみがあった。


「私だけなら、――ナイフで刺せたかもしれない」

ユウが吐き捨てるように続けた。


指先がさらに強く絡みつく。


「・・・はい」


シュリの返事は短く、確かだった。


自分の心臓の奥に火が灯るのを感じる。


キヨがユウに触れたあの瞬間、シュリ自身も刃を振るいたくなるほどの衝動に駆られていたのだ。


だがユウは顔を上げ、涙を溜めたまま遠くを見るように言う。


「でも、私は――ウイとレイがいる。母上が私に託したのは、妹たちを守ること」

頬を伝う涙が、月光の下で光る。


「母上の願いを、裏切るわけにはいかない」


シュリはその手をさらに固く握り返した。


全身で「分かっている」と伝えるように。


「殺したいほど憎らしい男に縋って生きるしかないなんて・・・悔しい」


言葉が途切れ、嗚咽が胸から漏れる。


やがて抑えきれぬ涙と怒りが崩れ、ユウはシュリの胸に飛び込んだ。


戸惑いと責任の狭間で、シュリは一瞬たじろいだが、すぐに両腕で彼女を受け止める。


夜の静けさがふたりを包み、外の世界の音は遠ざかっていった。


蝋燭の揺れる明かりと月光が重なり、部屋は淡い銀と金の光に包まれていた。


シュリの手がユウの髪を静かに撫でると、荒かった呼吸が次第に落ち着き、肩の震えも和らいでいく。


――落ち着かれた。

胸の奥でほっと息をつく。


それは忠義の務めでありながら、

同時に誰よりも愛しいと想う人を抱き締められる、ひそかな幸福でもあった。


だが、その想いを口にすることは許されない。


自分は乳母子――越えてはいけない境界がある。


「ユウ様・・・足を見せてください」

掠れた声で言った。


先ほど椅子を蹴り続けたせいで、ユウの足は赤く腫れていたのだ。


ユウを椅子に座らせ、軟膏を手に取りながらシュリはそっと裾をめくる。


月光に晒された足は透けるように白く、思わず呼吸が止まった。


薬を塗りながら、ふと我に返る。


自分がユウの肌に触れているという事実に。


「・・・!」


慌てて手を引く。


「すみません。母を呼びます」


「・・・良いのよ」

ユウの声は真剣で、どこか甘える響きがあった。


「でも・・・」


「足が痛むの。早くして」

命じる声に逆らうことはできない。


「・・・はい」

シュリの指はかすかに震えながらも、最後まで手当を終えた。


「終わりました」

小さな声で告げたシュリを、ユウはじっと見つめていた。


沈黙が流れる。


蝋燭の灯が揺れ、月光が彼の横顔に影を落とす。


「・・・シュリ」

甘えるように呼ぶその声に、心臓が大きく跳ねた。


――拒まなくてはいけない。


わかっているのに、身体は動かない。


ゆっくりと近づいてくるユウの顔。


抗う間もなく、月の光の下で唇が重なった。


柔らかく、熱を帯びた口づけ。


それは四度目の口づけ。


禁じられた想いに抗えず、甘い吐息が夜の静けさに溶けていった。


唇を離した後、二人はまた自然に引き寄せられ、重ね合う。


深く、長く。


ユウの吐息は甘く、幸せそうで、その音がシュリの胸に染み込んでいく。


やがて彼女は胸に顔を擦りつけ、力を抜いた。


小さな吐息――それは眠りの気配だった。


興奮の後に強烈な眠気に襲われるのは、いつものこと。


「ユウ様・・・」


抱き上げて寝台へと運ぶ。


靴を脱がせ、毛布をかける。


目を細めて眠る横顔。


左の下瞼には薄く青い血管が浮かんでいた。


痛々しいほど繊細で、それでも美しい寝顔だった。


母を呼ぼうと一歩踏み出す。


けれど、足は止まった。


月明かりに照らされるユウを見下ろし、思わず唇が震える。


「・・・私は、あなたを好いています」


起きている時には決して言えない言葉。


残された部屋には、静かな寝息と月光だけが漂っていた。


シュリは黙って部屋を出た。


ーーいつの日か、ユウは領主の元へ嫁ぐだろう。


幸せになってほしい――心からそう願う。


そのとき、自分は笑っていられるだろうか。


自信はない。


それでも、どうか――と祈るように頭の中で繰り返す。


ありえない話だが、もしキヨの妾になったとしたら・・・そんな未来は、考えたくもない。



お読み頂きありがとうございました。 

昨日、新作短編を投稿しました。


ユウの物語のはじまりは、ひとつの“偽り”から生まれました。


――妻の出産から二十日。娘の名前はユウ。

抱きしめたいのに、抱けない。

夫グユウは、静かな春の中で“愛のかたち”を見つけていく。


父と母が過ごした、もうひとつの季節の記録。


『抱けぬ妻を、愛し抜いた ―沈黙の夫と春の約束―』


https://ncode.syosetu.com/n5809lf/


良かったらご覧ください。


次回ーー明日の20時20分


闇に沈む城。

狂王キヨの執務室で、甘い香が腐敗のように満ちていた。


「いつかユウ様が、自ら身体を開くようになる」

その言葉に、忠臣たちは息を呑む。


――恐れていた悪夢が、ついに始まろうとしていた。


「その身を開くまで」





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