行きたくない――姫の心の声
「・・・そろそろ、時間になりましたので」
サムが立ち上がる。
「この後、会議を予定しております」
エルの声にキヨは頷く。
「それでは、失礼します」
ユウは冷ややかに頭を下げた。
部屋に戻ろうとした時に、キヨは呼び止めた。
「シュリとやら」
キヨは憎々しそうに、その整った顔を睨みつける。
「はい」
シュリは、振り向いて顔を上げた。
「お前は、一生、乳母子のままだ」
キヨが告げると、ユウの肩がピクリと震えた。
乳母子が出世するのは、領主の跡取りである男に仕えたものだけ。
姫の乳母子では出世が望めない。
ーーそれで・・・シュリは良いのだろうか。一生、私に仕える日々で。
ユウは不安げにシュリの横顔を見つめた。
いずれ自分がどこかの領主に嫁いだとしたら、男の乳母子であるシュリは疎まれる存在になるかもしれない。
自分のせいで彼の人生が変わる。
新たに、士官先を探してもらった方が彼の道が開ける。
シュリは眉毛ひとつ動かさず、静かに口を開いた。
「乳母子で結構でございます」
その返答に、イーライ、サムは顔を上げる。
エルは黙って、その様子を見つめていた。
ーー自分も、そして兄であるキヨも領民の出から成り上がった。
それは度量が広く常識にとらわれない主 ゼンシ様のお陰。
この時代、職業は個人の能力ではない。
生まれと家柄、それが全てだ。
それゆえ、出世の機会があるのに、自ら使用人である乳母子を選び、志願するシュリの行動は奇妙に思えた。
「乳母子で・・・良いのか」
キヨは目を細めた。
「はい。ユウ様をお守りするのが私の使命です」
淡々と答えるシュリの眼差しに、キヨは忌々しくつぶやく。
「それなら、励め」
「はっ」
シュリは深々と頭を下げた。
◇
謁見の間を出て、三姉妹共通の部屋に戻った。
部屋に入った瞬間、ウイが待ちきれぬように声を出した。
「姉上・・・すごかったです」
ーーあのキヨに、あそこまで言えるのはユウだけ。
とてもじゃないけれど、自分は意見を伝える度胸はない。
尊敬と恐れが入り混じった瞳で見上げる。
ユウは顔を伏せて、つぶやく。
「言いたいことがまだあるわ・・・」
ーーそれでも抑えることができた。
何とか、妹の前では対面を保つ事ができた・・・と思いたい。
ユウはため息をつきながらソファーに崩れるように座り込んだ。
ーー無理をされている。
部屋の片隅でシュリは、疲れたユウの顔を見つめた。
「あの、ミミ夫人という人は良い人みたいね」
レイが静かにつぶやく。
「お茶にしましょう」
ヨシノが口を開いた瞬間、部屋の扉が強くノックされた。
返事をすると、そこにはイーライが頭を下げて控えている。
「イーライ、どうしたの?」
シュリから見たイーライは緊張で身体が強張っているように見えた。
いつも以上に姿勢が良い。
「ユウ様・・・キヨ様がお待ちです」
「キヨが!私に?」
瞬間、ユウの顔に緊張が走る。
「はい。二人きりでお話ししたいと」
イーライの黒い瞳は、少し切なげに見えた。
胸が凍りつく感覚。
静まり返った室内に、彼女の荒い鼓動だけが響いていた。
「姉上・・・私たちもついていきます」
ウイが泣きそうな声で話す。
それに対して、イーライが静かに説明をする。
「お言葉ですが・・・キヨ様はユウ様との面談をご希望です」
「私だけ・・・?」
ユウは胸に手を当て、震える声を落とした。
「はい。そうです」
答えるイーライの瞳に、一瞬だけ切なげな影がよぎる。
沈黙を裂いたのは、普段は控えめなヨシノだった。
「ユウ様は嫁入り前です! いくら領主様とはいえ、男性と二人きりなど・・・!」
必死の声が、静まり返った室内に響いた。
「しかし・・・」
イーライは困惑の色を浮かべる。
ユウは大きく息を吐き、青白い顔に微笑みをつくった。
「イーライ。ヨシノの言うとおりだわ。話すのなら、ヨシノとシュリ・・・そして、あなたも同席してください」
わずかに顎を上げて、毅然と告げる。
「・・・承知しました。キヨ様にお伝えして参ります」
イーライは深々と頭を下げ、扉を閉めた。
その音が響いた瞬間、ユウは力が抜けたように床へと座り込む。
「ユウ様!」
ヨシノが慌てて駆け寄る。
「・・・大丈夫よ。少し、疲れただけ」
かすれた声に、青白い顔。
それでも妹たちの前では崩れまいと、微笑みを浮かべる。
静寂。
誰も言葉を発せぬまま、時が流れた。
やがて――再び扉が叩かれる。
イーライが現れ、低く告げた。
「承知した、とのことです」
「それで・・・どこに伺えば良いの?」
ユウは精一杯気丈なふりをした。
イーライは少し言い淀んだ後に、早口で伝えた。
「もう、ユウ様のお部屋で待っています」
ざわっと室内の空気が揺れた。
「・・・部屋に・・・あの男がいる?」
その瞬間、腰に差した剣をシュリがギュッと握りしめた。
握る手の白さが、彼の決意を物語っていた。
ユウの唇が震え、部屋の空気が一気に冷え込む。
沈黙が張り詰め、誰も息を呑むしかなかった。
――行きたくない。
心の奥底から、幼い叫びのような声が漏れる。
だが、その声を口にすることだけは許されなかった。
やがて訪れる対面を、誰一人として止められないまま。
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ーー次回 明日の20時20分
「母上のために作られた部屋だ」
キヨの言葉に、ユウの血の気がすっと引いた。
粘つく香の匂い、触れられた頬、耐えねばという叫び――。
守るために、ユウは沈黙を選ぶ。
だがその沈黙は、刃より鋭く、心を削っていった。
「あの男が私の部屋にいる」
⚫︎今回の更新に合わせて、小説裏話を書きました。
『転生先でもストックしていた ― 42話を抱えて今日も書いている ―』
なろうのエッセイジャンルです。
https://ncode.syosetu.com/N2523KL/
よければのぞいてみてください。




