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つい先週のこと  作者: 雪森十三夜
第七巻 補綴・新月「中学校・高等学校・浪人編」
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予備校編 パリは燃えているか(七)

 主人公の御気田箏詩おけたことねは、第一高等学校を卒業した予備校生。少しの独立心と反抗心、そして好奇心を持ち、「斜に構えた」姿勢も持つ典型的な思春期少女。

 同窓との昼食の席、箏詩は話の勢いで駿河と「年末まで手をつなぐ」ことに。

 箏詩は自ら申し出たそのことに戸惑いを感じながらも、日々、駿河と昼食を共にしながら、その新しい友人の人間観察に結構な時間を費やす毎日。

 それまで意図せず「押され気味」に感じていたその付き合いを、多少なりとも自分から積極的に解明しようと、今日は駿河が在籍する駿台予備校へと足を進めてきた。

「おぅ、居た居た。」


 居慣れない空間で聞き慣れた声に振り返ると、駿河が目をしばたたかせながら立っている。


「あら、お早う。御免ね、わざわざ下りてきて貰って。」

「おぅ。英語にでも出るか?」

「ギエンの次は?」

「生物。」

「じゃあ、生物に出ようよ。」

「あぁ、分かった。」


 まだ講義が終わる時間ではないのか、人もまばらなロビーを奥に進む。


「・・席、空いてるの?」

「俺の隣でよければ。」

「指定席?」

「ああ。」

「隣の人は?」

「隣の奴は、物理・化学選択でな。」

「そう。やっぱり東大志望なの?」

「否、京大、彼は工学。」

「ふーん。」

「おいおい、こっちだ、こっち。」


 箏詩が一寸余所見をした隙に駿河を見失うと、小さな声と共に横から手首を掴まれ、そのままエレベータに滑り込んだ。


「御免、もう大丈夫だよ。」

「おう、そうか。」


 連行されるかのように掴まれていた手があっさり離れると、そのままするりと掌が握られた。

 研数学館よりは数十年は後に建ったのであろう建物の中は、白を基調としていることもあり、明るい清潔感がある。

 廊下も一般的なタイル貼りで、一高とどっこいどっこいで安心するような研数学館と比べても、塵も見えぬほど清掃が行き届いているように思われた。

 しかし、決定的に何かが違う。


(男子が多い? 否、それだけじゃない。何だろう。)


 研数の重厚な雰囲気とは対照的な真新しさだが、建物に加えて掲示物や展示品のどれをとっても、装飾や華美の一切を排している無機質感が「予備校」であることを否が応にも訴えかけてくる。

 しかし、今、自分が感じている違和感は、そこではない。

 確かに自分が今身を置いている「私立文系」と比較すれば女子の数は少ないが、それでもない違和感があるのだ。


(色? 色か。そうだ、人の色だ。)


 明らかに「原色」やそこから派生する色目が少ない。

 冬ならまだしも、この季節にしては、ほとんどが「生成」の色ばかりだ。


 今日のこの日を意識したわけではないが、箏詩は自分が普段「意識して」私立文系の中で浮き足立たないようにしている色目を選んでこなかったことに安堵した。


 一高時代は標準服のスーツであったから、色目というものは精々、礼装用のタイか、夏場の淡いブラウス、冬場のセーターなどで差し色的に発生する程度。それにしても、今、研数で最初に苦労したような「派手」に類するような代物は、三年間ついぞ見かけることがなかった。


 その三年間に慣れていたことこそが、この場所と研数学館の「外見上」の明らかな違い、その原因を思いつくことを見失うものであると直感した。

 要は、一高生が、一斉に私服になってみたら、こんな感じなのだろうとも思った。

 中には研数学館に連れて行っても特に目立たないくらいの衣装や色目の人間も居るが、それは目立つほどでもなく、私立文系ではあくまでも「目立たない」程度のおとなしさであった。


 加えて髪型を見れば、寝癖など誰も気にしていない。

 また、動きがぞんざいである。

 早い話が「構っていない」のである。

 久しぶりに感じたこの感覚に、箏詩はこの数ヶ月間のブランクというものを否応なしに実感した。

 と、同時に、自分が今、駿河と手を繋いでいるという状況が急激に真正面から突き刺さってきた。


「ギェン・・大丈夫、もう迷わないから。」

「お、そうそう、悪かった。これは、迷子のように扱っちまったな。」


 駿河は素直に悪びれることなく、また自然に手を離し、自分の席と思われる列まで来ると、端の生徒に一言断って、箏詩を伴って席に着いた。


 間にテキストを置き、筆記用具を準備するより早いか、スピーカーの雑音が響き、講師が壇上に現れた。


 一瞬、静寂になるや、すぐさま、蕩々と講義が始まった。

 ここでまた箏詩は少しの違和感を感じた。

 講義というよりも解釈だ。


 テキストに沿ってはいるが、それを「説明」するという一般的な授業ではない。

 もはや「説明」は省かれており、その行間を埋めているであろう「理」というものを円滑に流していく。時折、入試において盲点となる事柄や、過去に「意外な」視点で出題されたものなどを交えながら、話は進んで行く。


 生徒に確認させたいことなのか、これも時折、話を停め「これは何故か分かるか?」と誰とも尋ねると、これまた誰とも独り言のようにあちらこちらからその回答が呟き漏れる。

 講師はそれに肯き。多少の注意点を加えたり加えなかったり、また例の調子で進んでいくという具合だ。


 一高でも教科書は一切使用しなかったが、あれはほぼ教官の研究成果の独壇場であるか、そうでなければ学生の自己論の研究発表であった。

 研数学館では中学校までのようにテキストを追いながら、多少歯ごたえのある問題について解説をするというものであった。

 ここでは両者の中間というか、至って理屈に敵った、また「予備校」として効率的な、また程度の高い講義が行われていることを感じた。


「駿台の午前部一類は、付近の私大に入るよりも困難である。」


 受験生の間でまことしやかに言われていたこの文句も、実際に講義が「教科書上のレベルは既に習得している」という「前提条件」たる知識と思考能力の上に成り立っていることを考えると、あながち嘘であるとも思われなかった。その一方で、この文句そのものが一一人歩きしていることの愚かしさを感じ取った。


 研数学館とは異なったある種「新鮮」な時間は思いの外、早く過ぎ去り、多少の騒々しさとともに、受講生の入れ換えが始まった。


「お、駿河氏、珍しい。」

「や、有馬殿氏、いつも出欠表、すまないね。」

「なんの、ついでの勢いさ。今日はまたシャンなお連れで?」

「自分の時間の生物を聞き逃したってね、一高の同窓で。」

「Salut. réchauffé votre chaise! au revoir merci」

「やや、これはどうも。」


 箏詩は、駿河の先に立ち、人の流れを上手に避けながら室外にまで出ると振り返った。

 駿河は入口横に掲示されている出欠表らしき紙片と、掲示類を一瞥してから、傍に歩み寄って来た。


「この後は? 何か、もう少し聴いていくかい?」

「ギェンは、普段ならどうしているの?」

「俺は、この後、食堂で自習をしてから、昼になると下に降りる。」

「じゃあ、そのルーチンのままでいいわ。」

「ソウシの好きなようにしていいんだぞ?」

「それが私のリクエスト。」

「そうか。ならば上に行こうか。」


 差し出された手に、子供のように自然に手を添えていることに、エレベータに乗ってから気が付くと、急激に頬が紅潮してくることを感じた。

 研数学館で時折みかけるようなカップルのように、特段いちゃいちゃしていることが目立つわけでもなく、立ち位置からしても極々自然な配置にある。

 誰も自分が駿河と手をつないでいることを咎めている視線を送っているわけでもない。

 況してや自分達は最奥の壁際に居るのだから、そんな心配もあろうはずもない。

 そうではあるが、自分が幼い頃に感じた、なにかとんでもない恥ずかしいことを見られてしまったような感覚と似た急激な血潮の迸りを頸動脈から頬に感じたのだ。


(否、今、騒々しく手を離したら、余計に目立つ。)


 そう思うと、手を放すよりも、自分が何故そんなことを感じているのかを分析に入った方が得策のようにも思われた。


 他所では全く感じたことのない感覚を、何故、此処では感じたのか。他所と此処の違いは何か。

 答は自問するよりも早いほどに脳裏に浮かんだ。


(此処は駿台だから、よ。)


 自分がこの建物内に入ってから感じている「予備校」として至って当然の感覚、雰囲気、そしてそこを構成している受講生達の面立ち。それらを総合的に判断して「相応しい」ものであるか否かを判断している自分が分かった。エレベータが最上階に到着するまでの短い時間でもこれを認識するには十分であった。


(それなら)

「ギェン、先に立って席まで案内して。」


 箏詩が静かに声を掛ける。駿河は無言のまま手を放し、先に立ちゆっくりと空いているテーブルと席に辿り着くと、箏詩のために椅子を引いた。


「ありがとう」

「隣がいいかな。正面がいいかな?」

「ギェンが集中できる方で。いつものようにして。」


 駿河はまた無言のまま、箏詩の左に座すると、鞄から先程の生物のテキストを取り出した。箏詩に(テキストを見るか?)と一瞥するが、(そのまま好きなように)の意で手を差すと、己の前に置き、その向こう側にペンケースを置いた。

 箏詩も今日、さぼってきた研数の講義予定をさらっておこうと自分の前にテキストとノートを出し、ひとしきり頭の中でのイメージトレーニングに入り、程無くそれも終えた。


 そろそろ昼時も近くなってきた所為か、正面にも受講生が席を取った。

 心地よい生活音と、昼間近の調理の香りの中で、カリカリと鳴っていた正面の受講生の鉛筆がいつのまにか止まって久しい。箏詩がさりげなく顔を上げると、その受講生は駿河の方を眺めているようだ。

 また、これもさりげなく左に目をやってみると、当人は全く周囲の雰囲気を意に介することもなく、ガリガリとテキストに書き込みをしている。


(へぇ、ノートを使わない主義なのか知ら。)


 そういえば、駿河の荷物は常時少ない。薄っぺらいショルダーバッグを提げているか、はたまた防水カバーの付いたマチ付封筒だけのときもある。常に最小限の荷物だけで歩き回っていることが窺われた。


 何かを書写している、という様子ではない。

 目を凝らしてみると、軽く鉛筆書きされているらしい上に、細いペンでビッシリと書き込んでいる。ほう、と関心を持って眺めていると、書き込み部分が足りなくなると余白にまで引用線を引き、書き込み始める。


 その速度が兎に角、早い。

 悪筆なのか、崩し字なのか、ペン先が殆ど紙から離れない。

 一体、どういうことなのか、更に目を凝らしてみると、書き連ねられているのはアルファベットに他ならない。


 どうやら正面の受講生もそれに気付いて関心を持っていたようだった。

 ひとしきり一ページに書き込みを終えると、そこに前方のページから取り出した紙を挟み、次のページに取り掛かる。同様に鉛筆で何かが書き込んであるところに、ペンで書き込んでいく。

 その作業に淀みや迷いが一切ない。

 時折、ペン先が止まることはあるが、それは一瞬のことで、すぐに動き始める。

 講義時間の半分ほどで今日、鉛筆で書き留めた部分が終わったのか、ペン先にキャップをして大きく伸びをした。


 そこで初めて箏詩の存在を再認識したかのように、いつもの表情で一瞥した。


「さて、おさらいは終わった。どうする?」

「もう、普段なら下に降りるのね?」

「そう。外に行くかい? ここで食べるかい?」

「ここは、また今度にして、今日は外に行きたい。」

「分かった。」


 席を離れる際に手を誘われて添えても、今度は頬が紅潮することはなかった。

 相応しいか否か、それは不思議なもので、当人の行動で可成り印象は変わる。


 幸いなことに駿河は、至極自然な仕草で手を引く。まるで迷子や小さな子の手を引くが如く、「道案内」でもあるかのように手を引く。

 箏詩はそれに併せてさえいれば、どういうわけか、およそ「いちゃいちゃ」しているようには見えない、ということを、自分達を俯瞰している「意識の眼」で知っていた。


 入口前の高い階段を降りる際には、手を上げ気味にして踏み外さぬようにエスコートするかの動きになる。

 表通りを歩く際には必ず自分が車道側であったり、混んでくれば、少し自分が前に出る、自動扉なら自分が前、手動扉なら開けてくれる。

 箏詩が駿河に感じていたこうした動きは、自分がフランスからの留学生を案内しているときに、ほんの少しだけ感じたことはあったが、どうにも、その付き合いが薄かっただけに、ここまで意識して感じることはついぞなかったものだ。


(そうよね、彼女がハーフさん?で、留学生とも、ああ付かず離れずならば、こういう身のこなしになっても不思議ではないのかも。)


 そう思うと、「手をつなぐこと」など「キスが挨拶」くらいに軽い意識なのかも知れないと、新たな感覚が湧いて来た。


 ソウシさん、流石に自身から言い出しただけあって、今日の運びは自信に満ち溢れておられます。

 時折、また駿河君のマイペースに流されそうになることもありますが、そこはだいぶ慣れてきたのか、ソウシさんも極自然に自身の流れに戻すことができるようになってきました。

 しかし、そこまで含めて、ぎこちなくなることもなくエスコートされている自身の状態に、やはり駿河君の掌の上で転がされているのではないか、という疑いも持つソウシさんでありますが、「敵」の本拠地での姿を垣間見た後、果たしてソウシさんは、何か変わるでしょうか。

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