幸せの場所
追いつめるつもりはない。
けれど、逃げ回って、はぐらかし続けることはもうできない。
なにもしないで待っている間に、小都子の心が離れていくのは耐えられないと気づいたら、伝えるしかなかった。
僕はなんてみっともないのだろう。
「……待つって、言ってくれた」
黙っていると、小都子が呟いた。
弱々しく、拗ねているように。
なんて可愛いんだろう、と思わず僕は手を伸ばして頭をそっと撫でていた。
こうして甘えてくれるのは、嬉しい。
小都子は一瞬だけびくりとしたが、おとなしく撫でさせてくれる。
「待つよ。小都子が僕を信じてくれるまで。だから、信じてくれるように、伝えることにした」
絹のような髪が僕の手のひらをくすぐる。
「で、別れて欲しい?」
「そういう聞き方しないで」
「他に好きな人でもできた?」
「そんな人いない」
「僕に佐伯先生と付き合って欲しいの?」
もう一度聞く。
「どうしてそう思うの。僕と別れたいわけじゃなくて、他に好きな人ができた訳じゃないのに、どうして佐伯先生?」
「それは」
「それは?」
「……あの人が、朝くんの運命の人だと思うから」
ストレートに言ってきた小都子の頭を撫でながら、僕は笑う。
「ふ、違うよ。あの人じゃない」
「……笑わなくったっていいじゃない」
「だって、映画を見に行ったときにも言ったからさ」
「なにを?」
「愛してるなら、それが誰であろうが運命の相手だって。自分の恋した相手が、自分の運命の人だよ。だから僕の運命の相手は小都子だね」
「でも」
「僕が佐伯先生と付き合ったら、何か変わるの?」
なにを期待してそれを望むのか、僕は不思議でたまらない。
「僕が好きでもない人といて、幸せになるの?」
パッと僕を見た小都子は、同じように不思議そうに僕を見る。
「な、ならないの?」
「ならないよ」
「佐伯先生だよ?」
「うん。ならないよ。ずっと言ってるけど」
「どうして?」
「小都子が大好きだから」
これもずっと言ってるけど、と付け加えると、小都子の顔は「びっくりしている」としか言えないような表情で僕を見て、口をはくはくさせた。
なんだろう、ようやく小都子の中心まで届いているような気がする。
ああ、
そうか。
「小都子は僕の幸せを願ってくれてるのか」
ぼそっと思わず口にすると、小都子の顔が一気に真っ赤になっていった。
「あ、ごめん。口に出てた」
「……、」
口を閉ざして、小都子はぷいっと勢いよく顔を背ける。
抱きしめたい衝動を、頭をめちゃくちゃに撫でることでどうにか抑える。
「ふ、ふふ。ようやくわかった。僕が誰を好きとかそう言う小さなことじゃなくて、僕には幸せでいてもらいたい、と。そういうことだよね?」
「口にしないで」
「小都子といると幸せだって伝えたんだけどなあ?」
「でも……」
「うん」
「でも、もっと」
「小都子といるよりももっと幸せなことなんてないよ」
「どうしてそういうこと言えるのか本当にわからない……」
「大好きだから」
もう無理、と真っ赤になったままの小都子は降参と言わんばかりに耳をふさごうとしたので、僕はその手をやんわりと握って止める。
彼女は振り払わない。
「信じて欲しいから。僕は君が大好きで、大切で、幸せだってこと。僕は僕の幸せのために勝手にする」
「か、勝手に……」
「うん。小都子の幸せは?」
「え?」
小都子は僕を見る。
僕はその無垢な顔に微笑んだ。
「小都子は、どうしたい? どうあるのが小都子が幸せなのか、考えといて。どんな結果でも、受け止めるから」
「それって」
受けとめはするけど、納得はしないし、つけ回すのは目に見えているけど、でも「小都子の幸せ」の為なら、なんだかできるような気がした。
離れていても愛し続けることはできるから。
にこっと笑うと、戸惑ったような彼女に、最後に大切なことを言わなければならないことを思い出す。
「あとね」
「……な、なに?」
「やっぱり、生徒と先生って言うのはマズいと思う。学校にばれたら、僕の人生も佐伯先生の人生も終わりだよ」
「確かに」
愕然とした小都子は目をぱちくりとさせる。
「あと、彼女にも好きな人はいるらしいから、どうやったって無理だよ。そこはもう大丈夫だよね?」
これ以上勘違いはしないよね、と念を押すと、小都子はちらりと僕を窺うように見て小さくうなずいた。
心配だし、なによりその表情が可愛かったので確認させてもらう。
「本当に? 僕が小都子だけが大好きで、小都子といることが幸せで、僕の運命の人は」
「わかったからもうやめて」
真っ赤な彼女は、僕の背中をバシバシと叩く。
僕が笑っていると、小都子はふにゃりと表情を崩して、子供のように泣きそうに目を細めて笑ったのだった。
「僕が先手を打ったから、君はなにもしなくていいよ」
保健室の窓からひょいと覗いて言う。
佐伯樹里はびっくりしたのかペンを落として、そして植え込みの間に立って窓枠にもたれ掛かる僕を呆れたように見下ろした。
「用事があるならちゃんと向こうから入ってきなさいよ」
「小都子が妬くから」
「あーら、幸せそうだこと」
僕の顔にはきっと「幸せだ」と書いてあるのだろう。
佐伯樹里はからかうことなく、眩しそうに僕を見る。
「なにをしたのかは聞かないけど、あの子の反応だけ聞かせて」
「うーん、ようやく愛の告白が届いた感じかな」
「本当に? それはおめでとう」
「やっとね。あとは理央に頼んで、それから小都子の心が決まるのを待つよ」
「そう」
「理央に会ってやって。いつか」
「……あなたがそう言うなら、考えておくわ」
「ありがとう。じゃあ、これは僕からのプレゼントね」
「は?」
僕はちらりと彼女の背後を指さす。
保健室の入り口は開いていて、そこに啓人が突っ立って僕らを見ていた。
呆然と。
まるで、恋人の密会現場を見てしまったような顔だった。
未成年相手に身動きできない彼女に嫉妬というきっかけをプレゼントして、僕は上機嫌で小都子の元へ帰ることにする。
今日はなんていい日なのだろうか。




