ブレンダの失敗
エレナとブレンダが外に到着すると、すでに街まで送迎するための馬車が待機していた。
ブレンダがエレナに手を差し伸べて先に馬車に乗るよう促すと、ブレンダはそのままスカートを押さえて自分で馬車に乗り込もうとした。
「あ、あの……自分でよかったら……」
エレナの後ろについていた近衛騎士の一人がそう言ってブレンダに手を差し伸べた。
「あ、ありがとうございます……」
ブレンダは差し伸べられた手を取って馬車に乗り込んだ。
所作も完璧な令嬢である。
思わず護衛騎士が見とれていると、御者が馬車を出すから離れるようにと彼に言った。
彼も引き続き彼らについていかなければならない。
我に返った護衛騎士は気を引き締めて二人の令嬢の護衛をしようと決めたのだった。
出発した馬車の中で、エレナはブレンダに話しかけた。
「ねぇ、街にはたくさんの人がいるのでしょう?人が多くてはぐれてしまうくらい」
「そうですね、繁華街や混雑する時間帯の飲食店などはそうですが、時間によってはそんなに混雑しないところもあります。それがどうかしましたか?」
街の様子を答えながらブレンダは首を傾げた。
質問の意図が分からなかったのである。
「ううん。確かにブレンダは騎士だから、王宮内でこの服だと色々言われてしまうけれど、街だったらそんな風に見られないかなって思ったの」
あまりにも自然だったのでクリスに思わず自分の恰好について聞いてしまったが、その場にはエレナもいたのだ。
気にしないわけがない。
エレナの言葉を聞いてブレンダは自分の過ちに気がついた。
「先ほどのことですか。それは気にしなくていいですよ」
ブレンダは笑顔でそう答えた。
これも本当のことである。
正直、クリスと話す前は少し自分でも令嬢としての自分に違和感を持っていた。
それはコンプレックスに近いものだったし、過去の自分を隠そうとしてのことだった。
だが、クリスはそんな自分も騎士の自分も変わらないと言った。
エレナも同じだ。
ブレンダがそんなことを考えていると、エレナの口調が変わった。
「でも、皆もちょっとよくないと思ったの。女性が女性らしい服を着ているのを珍しいものを見るように扱うなんて失礼だわ。でも私の配慮が足りなかったってことよね……」
エレナは怒ったり、落ち込んだりして、忙しそうである。
「エレナ様、そんなことはありません。私はエレナ様の横に令嬢としていても不自然にならないかの方が心配ですよ」
エレナは自分のために服を用意し、侍女たち総出で準備をしてくれていた。
悪意などないことは分かっている。
ただ、日頃の自分が令嬢として見られていないのだから、エレナの姉などと名乗るのは何となくおこがましいと思ってしまうのだ。
「不自然なわけがないわ!だってブレンダはとても美人なお姉様だもの。美人だから、街でもそういう意味でちょっと目立つかもしれないけど、私は隣で堂々と自慢の姉ですって言えるわ!」
エレナの語気がどんどん高まっていく。
興奮して泣き出すのではないかとブレンダは心配になってくる。
とりあえずエレナを落ち着かせようとブレンダはエレナと向かい合うことにした。
「エレナ様は私のために怒ってくださっているのですよね」
「え?」
急に尋ねられて、今度はエレナがきょとんとする。
言葉が止まって少し落ち着いたところでブレンダが付け加えた。
「先ほどから私に対して失礼な人がいるとばかりおっしゃっていたので」
「そうだけど……。私はブレンダはもっと堂々としていて欲しいと思っているわ。せっかく素敵なのにもったいないもの」
少し落ち着いてきたのか、口調がいつものエレナに戻ってきた。
この兄妹に自分がどのように映っているのか分からないが、騎士のブレンダでも、令嬢のブレンダでも、どちらでも受け入れてくれるのだということをブレンダは感じて少し胸が熱くなった。
「ありがとうございます。私はもう大丈夫ですよ」
「本当?」
そう言いながらエレナはブレンダの顔を覗き込んだ。
「はい。本当です。エレナ様は本当にお優しいですね」
ブレンダはいつもの調子を取り戻して笑顔で返す。
「そんなことないわ。私は本当のことを言っているだけだもの」
エレナはそう切り出した。
このままでは再び興奮して、エレナが令嬢としての自分への美辞麗句を並べ始めてしまう状況になりかねないとブレンダは思った。
聞いている側としては正直、そのように熱弁されると恥ずかしくなる。
「わかりました。でもこのお話は一度終わりにしましょう。せっかくお忍びでお出かけに来たのですから楽しまないと。せっかく街を歩くのに、話をしていて回りを見られないなんてもったいないでしょう?」
今日の目的はブレンダを令嬢にすることでも、そんなブレンダに対する周囲の反応を見ることでもない。
今回の外出はそもそもエレナへのご褒美なのだ。
エレナが街を回って、そこでいかに楽しい時間を過ごすのか、よい経験ができるのかということが最重要なのだ。
「そうだわ!こんな貴重な機会はなかなかないもの。楽しまなければもったいないわ」
「そうですよ」
そんなことを話しているうちに気がつけば馬車は町はずれまで来ていた。
街中に馬車を止めて目立つわけにはいかないので、あえてこの場所からスタートすることにしたのである。
ほどなくして馬車は止まった。
「街の外れにある市場の門の近くに到着したようです。ここを通って街の中心部に向かいましょう」
窓から外を確認したブレンダが言った。
「市場は街の外れにあるの?」
街の中に市場もお店もあると思っていたエレナが質問するとブレンダは少し考えてから答えた。
「それは少し違いますね。街の中央から外に向かって店が増えて、ここまで伸びたというのが正しいでしょう。ですから、買い物をしたり、商品を見たりしながら街へ向かうのにこの道を通っていけば、市場を見ながら中心部に向かうことはできるのでよいかと思います。中心部からこちらに出てきてしまいますと、別のお店を見る時にまた馬車で移動しなければなりませんからね」
「そうなのね。ところで市場というのはお店がたくさん並んでいるところよね。仕入れをしたりする時に買い物をするところと聞いたことがあるわ」
エレナも一応、市場とその他のお店などとは違うということは理解しているつもりだ。
けれど、何を売っているのかはよく分かっていないところがある。
本当は市場と一口に言っても販売しているカテゴリによって場所が違う。
エレナが市場での仕入れという言葉を聞くのは調理場なので、エレナのイメージは食品である。
「そうですね。こちらの市場は食品を扱っているところが多いです。料理を出す店や宿の人たちが仕入れのためにもきますし、市井の民が使う食材を買いに来るのもこちらです。そのため人もたくさん出ていますから、朝の街では一番活気があるところかもしれません。他にも布を扱う市場や、木材や金属を扱う市場が別の場所にあります」
「ここは人がたくさんいる食品の市場なのね。人が多いのなら、一層迷子にならないようにしなければいけないわ」
馬車の中から市場の方を見つめてエレナは気合いを入れた。
遠くから見ていても人が動いている様子が分かるし、人がいるため先が見えないのだから、人が多いことに間違いはない。
「早朝よりは空いていると思いますが、はぐれないように手を繋いで歩きましょうか。それでもはぐれてしまったら、これから歩く通りを、進行方向にまっすぐ進んで、市場を通り抜けたところで合流です」
「わかったわ」
もしもの時のことも解っていれば安心だ。
エレナは自分がどうすればいいのかをしっかりと覚えることにした。
遊びに来たはずなのに、視察のような意気込みのエレナにブレンダは言った。
「お料理をされるエレナ様なら、見るだけでも楽しめると思いますよ」
「そうね。見たことのない食材とかたくさんありそうだし、楽しみだわ」
話しを終えた二人は、市場に向かうため、馬車を降りることにしたのだった。




