ノルマ達成
「何だか体力測定が無事に終わったら、急に気が抜けてしまったわ」
全項目の測定ができるようになる、主に前回できなかった剣を振れるようになるという目標を無事に達成してしまったエレナは、次の目標を見つけることができずにいた。
「そうでございますか?私から見ればエレナ様は頑張りすぎなくらいかと思いますけれど……」
少し休めばいいのにと家庭教師は思っている。
未だに部屋にある掃除用具を見れば、頻度は不明だがエレナが自分で部屋の掃除をしていることもわかる。
「そんなことないわ。訓練もブレンダとしていた時間がなくなってしまったし……」
「体力測定までというお約束でしたものね」
「そうなの。だからあまり会えないし寂しいわ」
エレナがブレンダを姉のように慕っているのがよくわかる。
その言葉を受けて、家庭教師は言った。
「エレナ様はブレンダ様がお気に入りなのですね」
「ブレンダも先生も大好きよ?」
「それは光栄です」
家庭教師は笑顔で返事をする。
やる気のない所に勉強を強制してもきっと進まないだろう。
エレナの話を聞いてあげることが、エレナにとっては一番のストレス発散になると、家庭教師は授業を中断して話を聞いている。
「私、これからも最低年に一度は体力測定に参加していこうと思っているの」
「まあ、そうなのですか?」
「だって、剣を持ち上げるのがやっとだなんて、まだまだスタート地点にも立てていないもの」
ブレンダの訓練がなくなっても感覚を忘れないようにして、もっと力をつけ、もう一段階重たい剣も振れるようになりたいらしい。
それに素振りができても戦えるわけではない。
一番軽い剣でいいので最低限のことができるようになれないかとエレナは考えているという。
「いえ、充分ではありませんか?むしろエレナ様は剣など持つ必要ないのですから……」
「皆そう言うのよね……。ブレンダだけは違うのだけれど」
ブレンダはエレナが剣を使えるようになりたいということを理解して教えてくれていた。
他の人は剣を持ち上げただけですごいというが、女性騎士たちは普通に剣を使って実践ができるだけの能力を持っている。
そこまでになりたいとは言わないが、自分の持てる剣があったら戦えるくらいにはなりたいというのがエレナの希望だ。
「私からはブレンダ様のようなことは言えません……」
家庭教師の立場でエレナが戦いに出ることを応援することはできない。
個人としては騎士団長が教えるのを止めてブレンダが教え続けた方が、エレナの希望通りになることは分かっているが、周囲はそれを望んでいないのだ。
エレナもそれは分かっている。
教養のある淑女としてエレナに勉強を教えるのが家庭教師の役目なのだ。
「わかっているわ、ごめんなさい。困らせるつもりはないの。ただ、これまで使っていた時間を何かに使えないかしらって、そう思ったのよ」
空いた時間をどう埋めればいいのかわからず、エレナは退屈なのかもしれない。
空いた時間というのが今まで大好きなブレンダと一緒に訓練をしていた時間なのだから、その虚無感が大きいのだろう。
もしかしたら別に興味を持てるようなものを与えたらエレナは無気力から解放されるかもしれない。
家庭教師はエレナが興味を持ちそうで、かつ、この先役に立ちそうなものを必死で考えて言った。
「そうですね……。ではクリス様にご相談されてはいかがですか?」
「お兄様に?」
「クリス様も執務を始めて一年になります。もしエレナ様が執務にも興味をお持ちなら、手伝いは無理でも、どういうことをしているのかなどお話をうかがって、そこからヒントをもらえばいいのではないでしょうか?」
家庭教師もあまり執務というものには明るくない。
もちろん書類を処理することもあるが、出来上がったものを読んで必要事項を記入するだけということが多い。
それも執務の一環ではあるが、それだけが仕事だと思われても困る。
王族の執務はそれだけではないはすだ。
「お兄様、お時間あるかしら?」
「それをクリス様に確認して、都合の良い日をお尋ねするのです。そういう段取りもできるようになることが大切なのですよ」
いきなり尋ねるのではなく、相手の予定を確認してアポイントを取るのは大切だと、家庭教師が伝えると、エレナはうなずいた。
「そうね。確認するだけならいいわよね。何となくお兄様は私が来る時間の執務を減らすために前後で頑張ってしまう気がするのだけれど……。とりあえず聞いてみるわ!」
この話をするために仕事中お茶に誘うのは申し訳ない。
エレナはさっそくその日の夕食の時にクリスに確認することにした。
「お兄様、ご相談があるの」
家族の揃った夕食の席で、エレナがクリスに声をかけた。
「珍しいね、エレナから相談なんて。どうしたの?」
「私も執務とか、そういうお仕事をするようになるかもしれないでしょう?もしお邪魔じゃなかったら、お兄様の執務を見学させてもらえないかしらって思ったの」
家庭教師はクリスから話を聞いてと言っていたが、聞くより見た方が早いだろうとエレナは考えていた。
今まで学んだ、料理も掃除も洗濯も、聞くと見るでは全然違っていた。
「エレナは執務をしたいの?」
今度は何を考えているのだろうか、急にそのようなことを言い出したエレナにクリスは不思議そうに聞いた。
「執務というものがどういうものか分からないから、まずはそれを知りたいのだけれど、イメージすら湧かないわ。お手伝いできることがあるのなら、もちろんしたいけれど、物を運んだり、洗ったり、掃除をしたりとは違うものでしょう?」
強いて言うのなら書類を届けるのは、物を運ぶという分類に入るのだろうが、それはエレナが将来任される仕事ではなく、一緒に働いているものに頼む仕事である。
今のところ、エレナに知られて困るような業務は扱っていないが、それは自分の判断でエレナに教えていいということではない。
クリスが判断に困って小首を傾げていると、国王が言った。
「確かに将来、執務に関わってもらうことになるかもしれない。クリスを助けたいというのならいいだろう。ただしエレナ、執務室で見聞きした内容は他言してはいけないものばかりだ。我々の仕事の多くは機密事項だからな。今までのように仕事の内容を気軽に話したりしてはいけない」
エレナが父親に言われて兄と母親の方を見ると、二人も黙ってうなずいた。
「じゃあ、私はどうしたらいいのかしら?」
エレナがじっと父親の方を見ていると、クリスが言った。
「お昼過ぎから夕方くらいの時間だけ見学においで。午前中は家庭教師の先生が来るんでしょう?勉強を休んでくるのはダメだよ。それに見学なら朝から張り付いている必要はないよ。エレナは執務室でどういうことが行われるかを知ることができればいいのでしょう?」
「ええ。もちろんできることがあるのならするけれど、邪魔をするつもりはないもの。それに断られることも考えていたから、見学ができるのならそれだけで充分よ」
クリスが午後を指定した理由は二つある。
一つは午前中に仕事や報告が集中するのでエレナがいない方がいいから、もう一つは午後であればすでに届いている書類仕事を行うだけでいいので、少しは仕事を教える余裕があるかもしれないからである。
それに加えるならば、お昼から夕方ならばうまく時間を使えば休憩を兼ねてお茶の時間を作ることができる。
執務を見学ということは黙って椅子に座っているだけなので退屈に違いない。
息抜きの時間を作って、途中でエレナが満足したから帰ると言えばそれはそれでいいと思ったのだ。
「クリス、当日どうするかの判断はお前に任せる。その日にならないと分からないこともあろう」
「はい」
こうしてエレナはクリスの執務を見学できることになった。
この後、国王とクリスがこっそり話し合い、当日の執務に関する調整を行うことになったが、エレナはそんなことを知る由もなかった。




