エレナの日課
こうして掃除、洗濯、炊事に鍛錬と、姫らしからぬ技術の習得を進めていくエレナは、やがてこれらを日課としてこなすようになっていった。
まず朝起きたらまず騎士団長から届いたトレーニングを開始する。
幸い早起きしてベッドの上で行うことができるものなので、外に出るための護衛などは必要なく、起きているからと言って侍女たちに着替えを頼む必要もない。
寝ていると思わせて多いて寝間着のままトレーニングをしているのだ。
そのため、エレナは人知れずこのトレーニングを行うことができている。
受け取った当初こそ、やり方がわからないと護衛に教えてもらっていたが、やり方さえ覚えてしまえば一人でできるものばかりで、いつしか質問すらしなくなったので、彼らはもしかしたら続けているとは思っていないのかもしれないが、エレナはそんなことではめげない。
そうしてトレーニングが終えて余裕のある時は、早い時間から部屋の掃除を済ませる。
この時間になると侍女たちがさすがに部屋に現れるので、キリのよいところまで作業を行ってから、着替えて朝食に向かう。
エレナは疲れた様子を見せることなく、その日の予定などを確認しながら、クリスとともに優雅に朝食を取る。
朝食が終わると登校の時間を迎えるクリスと兄を迎えに来たケインの二人を見送り自室に戻ると、そのタイミングでエレナの部屋に呼ばれた家庭教師がやってくる。
エレナも家庭教師のいる間はきちんと勉学に励む。
公私の切り替えは生まれてからずっと行っているのでわりと得意な方で、それと同じように気持ちを切り替えて授業を受けている。
一時期は家庭教師に授業以外のことをずっと質問し続けていたが、それでは勉強が遅れてしまうと指摘されたのだ。
そうしてもとの教師と生徒に戻っても、エレナはこの家庭教師に時々相談や報告は行っていた。
できることが増えてきて相談事は減ったが、まだまだできたほうがいいことはあるに違いない。
なので、できるようになったと思ったら次にできることを教えてもらうことにしたのである。
そんなわけで授業も比較的予定通りに終わるようになった。
そうしてほぼ定刻に授業を終えると、エレナは部屋を出て調理場に足を運ぶ。
調理場でのエレナは料理長の愛弟子という扱いで、エレナにとってとても居心地が良い場所となっている。
普通は手伝いなどさせられると嫌なものだろうが、エレナにとってここで手伝えることは自分にできることがあると感じさせてくれる数少ない場所なのだ。
そこではエレナが到着した時点で残っている洗い物や調理の下ごしらえなどに積極的に取り組む。
その様子は他の弟子にも良い影響を与えているようで、姫にできることをプロの自分ができないのは恥だと密かに切磋琢磨する弟子たちが増えたという。
調理場の仕事がない時は、お菓子を作ったりもしていて、時々クリスやケインにも届けられている。
料理長と雑談をしながら作業を終えると今度は洗濯場へと向かう。
このタイミングで行くと、すでに洗濯の仕事は終わっており、洗い場を一人で使えるということがわかったのだ。
洗剤を使う許可は出なかったが、たらいを使う許可はもらった。
たらいの中にたくさんの水を自分で汲み入れて、エレナはバケツに入れたモップや雑巾をその中に入れてじゃぶじゃぶと洗っていた。
そこで洗った雑巾やモップなどを部屋に持ち帰り、箱にしまって帰ってくるクリスたちの迎えに出る。
その後はクリスたちとお茶をしたり、時間のある時に裁縫をしたりして過ごすのがエレナの日課となっていた。
貴族の女性が家を守るのとは違う、市井の女性が家を守る、どちらかと言うと専業主婦のような生活が身についてきたエレナに、クリスは少し複雑な思いを抱えていた。
一度説得をしようと話を持ち出したら更に悪化してしまった。
エレナは自分の身を自分で守り、市井の婦人のように家を切り盛りし、勉学もそれなりにできるという、非の打ち所のない女性に向かっている。
確かに何かあった時、この王政が崩れた時、それは大いに役立つのかもしれない。
だが、この国は平和であり、急激な情勢悪化を迎える予定はない。
もちろん、自分の身は自分で守れたほうがいいし、できることは多いほうがいいけれど、このままではエレナが遠い人になってしまうような気がして寂しい。
市井に出ていないため品位は保たれているが、市井に放ったら間違いなく馴染んでしまうのではないかと不安である。
公務で市井を見て歩いた時に、掃除や洗濯の話題に花を咲かせるようなことになりかねない。
何も言わないようにしているので、エレナは自分がしていることを知られているとは思っていないし、問題もないと思っているだろう。
そんな生活が定着し、いくつもの季節が巡った冬のある日。
偶然水場に一人でいるエレナを見つけたケインは思わず駆け寄った。
「エレナ様、何をされているのですか?」
「ケイン。もう戻っていたの?」
慌てて濡れた手を拭いて立ち上がると笑顔で言った。
「これはねお洗濯の練習をしていたの。まずは冷たいお水に慣れなきゃって思って」
エレナは洗濯場の洗い方と同じように冷たい水で雑巾を洗っていた。
バケツに浸かっていた手は、水の中にあっても分かるほど色が変わっている。
「赤くなってるじゃないか。しかもこんなに冷たくなって……」
「私、お洗濯場には入れてもらえないの。だから……」
エレナは室内ではなくたらいを外に持ち出し、水場の近くに持って行き洗っていた。
その方がきれいな水を運ぶのも、水を交換するのも楽であると何度も使っているうちに分かったのだ。
「こんなことをしていたら風邪を引いてしまうよ。とりあえず、一度室内に戻ろう。暖炉で手を暖めて、薬をつけないと」
ケインが手を伸ばすと、思わずエレナはその手を避けるようにひっこめた。
「このくらい大丈夫よ!お洗濯場のみんなはもっと長い時間外にいて、たくさんの物を洗っているわ。私が洗っているのは雑巾だけだもの。それにもう終わるから……」
洗いものはあらかた終わっており、あとは雑巾を絞って、たらいをすすいで戻すだけである。
「わかった。ここで終わるの待ってる」
「え、でも……」
「もう終わるのですよね?」
「……わかったわ」
エレナはケインに見張られて少し緊張しながら急いで水に浸かった雑巾をたらいから取り出して絞る。
そしてたらいの水を一度捨てて、軽くすすぐと、たらいと雑巾を持った。
「終わったわ。私はこれを戻してくるから……」
「付いていきます。あと、こちらは持ちます」
そう言ってエレナの手から濡れたたらいを奪って片手で持つと聞いた。
「これはどちらに戻せばいいのですか?」
「……こっちよ」
雑巾を抱えて困惑しながらエレナは先を歩き始めた。
雑巾を握っているエレナと、たらいを持ってその後を歩くケイン。
洗い場に着いてあたりを見渡すと、幸い誰もいない。
「これはどちらに?」
「入口の所に掛けておくの……」
ケインはエレナの言う通りに大きなたらいを壁に掛けた。
「これでよろしいですか」
「ええ……ありがとう……」
「それで、その雑巾は……?」
持っている雑巾を受け取ろうとするとエレナは首を横に振った。
「これは私の私物だから」
「私物……ですか?」
「ええ」
「……わかりました。ではこれで終わりですね。手は……ところどころ赤くなっているのか。とにかくここも寒いですし、戻りましょう。いいですね」
洗い場も人がおらず、火もないためとても冷える。
エレナは黙ってうなずいた。
そして、洗い場を離れてケインと温かい部屋に戻るのだった。




