師匠の工房見学
商談室を出たエレナたちは師匠の後について移動を始めた。
商談室の通路からさらに扉をくぐった奥に作業場となるスペースを設けているらしい。
そしてまず最初に案内されたのは扉から一番離れた場所にある織物の部屋だった。
「こちらが織物、糸を使い分けて柄の布を織っているのでございます」
そう紹介されてエレナが入口から中を覗き込む。
そこには織物をしていると案内された部屋にはたくさんの糸と、大きな織機が数台並んでいた。
職人が機械の前に座り、糸を器用にくぐらせたり、体を乗り出すようにして大きく動く動作を繰り返している。
そして時折、機械がカタンという音を立てる。
最初は規則性もなく突然聞こえてくる音とその大きさに驚いたエレナだったが、不快な音ではないので次第に慣れていった。
「工房では単色の布だけを作っているわけではありません。織物にする時に色糸を組み合わせることで、柄をつけることもできますので、そのようなものを作っております。単色の布ならば市場で買えばよいですから」
説明を聞きながらエレナは疑問に思って尋ねた。
「刺繍とは何か違うの?」
「糸で柄をつけると言う意味では同じですが、最大の特徴は刺繍と異なり、柄の部分も平らになるというところです。あとは少し生地が厚めになりますから、カバンや装飾、小物などに加工したりします」
言われてみればハンカチの生地でカバンは作られていない。
思わずエレナは自分が斜めにかけているカバンに目をやり、表面の手触りを確認した。
「他にもテーブルクロスなどのように、上に物を乗せる場合、乗せないところは刺繍できますが、乗せるところに刺繍がありますと、食器が倒れてしまうこともありますから、刺繍するのを避けますよね」
「確かにそうだわ」
「王宮は白を基調として整えられていますが、貴族の中にはカラフルなクロスを取り入れているところもございます」
「織物にはそんな使い方もあるのね」
織物として出来上がっていくものはただの布だが、その特性を生かした商品はたくさんあるのだと師匠は笑顔で説明していく。
ブレンダもその話を聞きながら、笑顔でうなずく。
織物の部屋を廊下から覗き込む形で見学をしていたエレナたちに、隣の部屋の説明をすると師匠が声をかけた。
どうやら奥の部屋から商談室に近い扉に戻っていく形で案内することにしたらしい。
エレナたちは師匠に促されて、次の部屋を覗き込んだ。
「こちらは主に刺繍をするための部屋となっています。布の裁断と刺繍をしておりまして、必要なサイズの布を切り出して刺繍を施します。ドレスの場合は縫製してからこちらに来ることもありますが、切り抜いた布の状態で作業することが多いです」
そこには布を切るために使うと思われる大きな台、台の上には物差しやハサミが乗っていた。
その脇には小さめの机がいくつかあり、職人が机に向かっている。
その手には枠にはめられた布と行くか選ばれたと思われる糸が乗っていて、彼らはそれらを手に作業を進めている。
そして、部屋の壁側には服を仕立てるのに使うような大きな布、そして壁に備え付けられた棚にはエレナが見たことのない量の様々な糸が、色の似ているものがまとめられた状態できれいに並べられている。
糸の並ぶ棚だけ見ていても飽きないのではないかとエレナは思った。
「とてもたくさんの糸と布があるのね。この棚そのものが刺繍された布のようだわ」
「ありがとうございます。こうして類似の色をまとめて置くことで、職人の探す手間を省いています。あとは布を持っていって、どの糸が一番その布に適しているのか、すでに使用した糸と重ねて浮いてしまわないかなどを比較しながら選ぶため、このようにしているのです」
言われて改めてよく見れば、同じような色でも糸の質感が違うらしい。
布と同じで光沢のあるものとないもの、太さもまちまちだ。
「私はそこまで意識したことがなかったわ」
エレナが使っているのはハンカチを刺繍するための糸なので、ひと揃え用意されたもので充分だった。
それは、ハンカチと糸という素材を用意する使用人たちが、すでにそこまで気を回しているからである。
なので、刺繍をする令嬢たちは色と意匠だけをきにすればいいのだ。
そもそも普通の令嬢は刺繍の技術は求められても、それに見合う布や糸を選ぶ能力は求められない。
「そうなのね。言われてみれば素材によって洗い場での洗い方が変わると聞いた気がするわ」
洗い方のことは覚えていたのに、なぜ作る過程を意識しなかったのかとエレナは少し考え込んでしまった。
その場で考え込んでしまったエレナにブレンダが声をかける。
「エレナ様、今思い出されたのですから、学んだことは無駄ではなかったということではありませんか?洗い物の経験がなければそのような考えにはなりませんよ」
「そうかしら……」
エレナがブレンダを見上げると、ブレンダは何も言わず笑顔でうなずくだけだった。
エレナが落ち着いたところで師匠がもう一つの部屋を案内すると声をかけた。
「こちらが仕上がった布を商品として仕上げる部屋です」
三ヶ所目は布を商品として縫製したり、パーツを付けたりする部屋だった。
「こちらの部屋で商品が完成します。お店に並べたり、納品をする直前に検品という作業もありますが、そのための部屋はありません。お店やお渡しするお客様のところで行っています」
検品という聞き慣れない言葉にエレナは首を傾げた。
「そうなのね。ちなみにそれはどんな作業なの?」
「そうですね、針などが残っていないのかはもちろんのこと、飾りが取れかかっていないか、汚れがないか、ほつれはないかなどを念入りに確認いたします。その場で確認せず何かあっては信用に関わりますから、当店では最後に必ずお客様と確認をするようにしています」
エレナは納品前のドレスの試着の場面を思い出しながら言った。
「言われてみれば、ドレスを渡される時も色々と確認されていた気がするわ。私はサイズ合わせしかしないけれど、侍女たちが長々と話しているわ。それがそうなのかしら」
ドレスなどを合わせると、エレナはお茶を出されて休むように言われるのだが、その目の前で侍女や職人が真剣に話しあいをしているのを時々見ていた。
大きな声で話をしないため、何を離しているのかエレナは知らなかったが、きっと細かい調整と、検品を兼ねた作業だったのだろう。
師匠の説明では案内された二つないし三つの部屋を経由して、工房の製品が完成するのだという。
三つ目の部屋は、職人が布を立体的に縫ったり、バラバラになっているパーツが組み上がっていく様子が見られる。
多くのパーツが様々な商品に形を変えていく様子をエレナは目を輝かせて眺めるのだった。




