初めての差し入れ
師匠の店の前に到着したところで、エレナは店の入口と、その周囲を見回した。
「この周りもやっぱり静かなのね」
「何か気になっているのですか?」
静かな通りの一角に師匠の店はあった。
街に馴染む同じような作りの建物の一つで、この通りはとても高級感が漂っている。
店を区別できるのはそこに統一されたデザインの看板があり、それぞれの入口に店の名前が書かれているからである。
エレナたちがあるいている間、いくつかの馬車とはすれ違ったが、歩いている人はほとんど見かけなかった。
エレナはそのことが気になったのである。
「人がいないところで販売しているものが、どうして街中で流行したのかしら?街の人はここには来ないのでしょう?」
市井で流行し、お店でおそろいのものを発注するほど人気となっているという話を聞いていた。
今回はおそろいのハンカチをつけている人たちがお店で働いている様子は見られなかったが、それはエレナたちがそのような店に入っていないからだということは理解している。
けれどそもそも、どうやって市井の人がこの商品を目にしたのかがエレナには分からなかったのだ。
「ああ、それは、この店が先ほど話をした雑貨などを扱っている地区にもお店を出しているからです。そちらは貴族向けではなく、生地や糸などを安価なものにして多少値段を下げた商品として販売しているので、こちらの工房で扱っているものとは異なり庶民でも手が届くようになっています。あとは見習いの職人が練習するために模倣したものを商品としたりしているようです。練習といっても、彼らは職人です。見習い中、店として貴族のオーダーを受けることはできないようですが、腕は確かですし、完成品は庶民向けの高級商品として、充分通用するものになるというわけです」
「練習したものも無駄にはならないということね……」
何やら考え込んでしまったエレナにブレンダは呼びかけた。
「エレナ様?」
「いいえ。私の部屋に増えていくハンカチのことを思い出しただけよ」
「エレナ様も刺繍の腕は一流だと思います。……そうですよね。確かに市井で販売されている刺繍などの商品にも興味はございますよね。今度は必ずそのようなお店にもお連れするようにします」
ブレンダが後悔を口にすると、エレナは首を横に振った。
「ありがとう。でもそんなに気にしなくていいわ。一度にすべて見て回れないくらい、この街が広いってことだもの。これだけ発展した街が近くにあるというだけで、私は誇りに思うわ。私が一日で見て歩けないような広さでは、騎士団も警備が大変よね」
騎士団のメンバーだけではなく、近衛騎士も自分たちの警備についていない時は巡回に出ていると聞いている。
この広さならば、一度にたくさんの騎士が各地区を見て回らなければ大変だろうとエレナは感じた。
「そうでもありませんよ。エレナ様が街を歩いて楽しいと感じたように、私たちも歩きながら街の変化を楽しんでいますし、トラブルがなければ散策しているようなものですから」
いざという時、王族の逃げ道に使えそうなところも把握していなければならないため、街全体を把握している必要があるのだが、エレナにそれを伝える必要はないと、本来の警備の目的を濁して伝えた。
警備も任務の一つではあるが、本来の目的は騎士の中でも近衛騎士が知っていればよいことなのである。
「そういえば、ブレンダは師匠に会ったことないのよね。どうしてこのお店だとわかったの?」
「確かにエレナ様とご一緒のところは見ていませんが、こちらのお店に顔を出したことはありますし、先程のお話だけで充分、お会いしたい方の見当はつきますよ。さあ、中に入りましょう」
「そうね」
なぜか店の前で立ち話をしてしまっていた二人だったが、ようやく話を終えて中に入ることにしたのだった。
店の中に入ると正面にカウンターがあった。
ブレンダは正面のカウンターに立っている店員に早速声をかける。
「突然なのですが、こちらの代表の方とご面会は可能ですか?」
「失礼ですが、お約束はされておりますでしょうか……?」
「いいえ。もしいらっしゃるのなら、ブレンダが来ていると伝えていただけますでしょうか」
「少々お待ちくださいませ……」
そう言って店員は奥にあるドアを開けて中に入って行った。
エレナは空いているブレンダの腕にしっかりとしがみついて、ブレンダと店員のやり取りをじっと見ていた。
しばらくすると、中から話声が聞こえてくる。
「ブレンダ様?どのようなご用件かしら……」
呼びに来た店員にそう言いながら、師匠はドアを開けてカウンターまでやってきた。
そこにいるのは美人なご令嬢が一人、そして師匠の目には入らなかったが、その令嬢の腕にしがみついて後ろに隠れているもう一人がいた。
代表である師匠が出てきたのを確認すると、すぐにブレンダが挨拶をする。
「このような格好で失礼いたします」
声を聞いて本人だと認識したのだろう。
師匠は笑顔で言った。
「そんな、よくお似合いですよ?」
「はい。ありがとうございます。あのですね……」
ブレンダがそこまで言った時、ブレンダの腕にしがみついて後ろに隠れていたエレナが横から顔を出して言った。
「師匠、突然ごめんなさい」
「え、エレナ様!」
師匠は思わず大きな声を出してしまい慌てて手で口を押さえた。
そんな師匠にブレンダは笑顔で答えた。
「はい。ご本人です」
「まあ!こんなところではなんですから、お入りください」
そう言って自分が出てきたカウンターの奥にあるドアの方に案内した。
エレナは師匠をじっと見上げて首を傾げながら尋ねた。
「邪魔じゃない?」
「大丈夫ですよ!よくお越し下さいました。とりあえず商談室にまいりましょう。お茶を用意して!」
「は、はい。かしこまりました」
事態を察した店員の一人が先にカウンターの奥のドアから中に入って行った。
急いでお茶の準備をするためである。
「どうぞこちらへ……」
師匠が改めてエレナたちをカウンターの奥へと声をかけたので、二人は素直に従うことにした。
「ええ。ありがとう」
「まいりましょう」
そしてエレナたちは師匠に続いて、カウンターの奥にあるドアをくぐるのだった。
エレナとブレンダが案内されたのは商談室だ。
商談室は個室になっていて、貴族が特注品を依頼する際や、大口の商談をするために来た商人と話をするために使っている部屋なのだという。
先ほどの店員が商談室にお茶を運び終えると、人払いをして商談室のドアは閉じられた。
「エレナ様、何かお探しの者でもございましたか?お呼びいただければお持ちいたしましたのに……」
そう言われてエレナは首を横に振った。
「師匠のお店に行ったという令嬢に話を聞いて、私も行ってみたいってブレンダにお願いしたの。後でお店も見ていいかしら?」
「もちろんでございます」
エレナがお店そのものを見たいと言ったので師匠は納得したようにうなずいた。
そこでエレナは思い出したように言った。
「師匠、こちらの工房は何人の方が働いているの?」
「従業員は私を含めて十三人ですね。店舗を任せている者と職人を合わせての数ですが……」
人数を聞いたブレンダが素早く袋にその数の商品を移してテーブルの上に置いた。
「エレナ様こちらですね」
「ありがとう」
ブレンダが渡すものを準備したことを確認したエレナは、師匠に言った。
「あのね、ここに来る前にお砂糖のお店を見てきたの。これ、工房の皆にと思って選んだのだけれど……」
そして商品の入った袋をそのまま師匠の方に差し出す。
「わざわざエレナ様が選んでくださったのですか?」
「受け取ってもらえるかしら?」
商品を動かしたことで袋の陰に隠れてしまったため、首を傾けて袋の後ろから顔を出しながらエレナは不安そうに言った。
「喜んでいただきます。お気遣いありがとうございます」
そう言って師匠は時話をする妨げにならないよう袋を正面から横に動かした。
「そんな、突然押しかけたのだもの」
「せっかくですから、工房も見学なさってください。狭いところですし、片付いてはおりませんが……」
「いいの?私はぜひ見せてもらいたいわ!」
「では、落ち着きましたらまいりましょう」
そう言われた二人は、返事をしてから出されたお茶を飲みきるのだった。




