初めてのお買いもの
エレナとブレンダが食事を終えて一息ついているとだんだん話声があちらこちらから聞こえてくるようになった。
「食べている間に、なんだかとても賑やかになってきたわね」
食べ始めた時は所々空いていた席も見渡せば満席で、その周囲にはたくさんの人が立ったまま食事をしている人が増えていた。
明らかに座れないから立っているという状態の人が増えている。
「お昼の休憩時間になったのでしょう」
働いている人たちの休憩時間は限られている。
座って食べようが立って食べようが、彼らはその休憩の時間にしか食事をとることができないという。
自分は遊びに来ているだけなので休憩しようと思えば他の時間に取ることができるのだから、休憩時間くらい働いている人を座らせてあげたいとエレナは思った。
「そうなのね。それじゃあ、私たちは食べ終わったのだから席を譲ってあげた方がいいわね」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。皆、空いていなければ空いていないなりに食事をしますし。それよりエレナ様は、まだお疲れが残っているのではないですか?」
慣れない人ゴミは歩きにくいし、たくさんの人の中にいるだけで人酔いする人がいるくらいである。
エレナは人をよけながら歩くようなことを普段していないのだから疲れないわけがない。
ブレンダはそう思ったがエレナはきょとんとしている。
「そんなことはないわ。どちらかといえば、もっと街を見たいかしら?ここにいても人がたくさんやってきて、いろんな話を聞けるから楽しそうだけれど、私はもっと街のことを知りたいと思うの」
一方のエレナは調理場に洗い場、訓練場などへの移動を頻繁に行っており、しかも体力をつけるための訓練も欠かしていないからか、思っているほど疲れてはいなかった。
人が多いだけで疲れるという体質でもないらしく、人酔いもしていない。
確かに人にぶつからないようにしなければいけないと注意をするため、気を使って歩いたのは確かだが、それよりも街を歩く楽しさが勝っていたのだ。
「わかりました。では、こちらのグラスをお店に返して行きましょう」
「ええ」
ブレンダがエレナの意を汲んで、その場を離れることを提案すると、エレナもうなずいて席を立った。
そして、ブレンダと同じように自分のグラスを持つと席を立ち、一緒にお店にグラスを返してお礼を言い、広場から離れるのだった。
エレナは街のことが分からないので、とりあえず広場から離れていくブレンダの手を掴んで、ついて歩いた。
少し離れて騒がしさが薄れたところでエレナは尋ねた。
「ねえブレンダ、次はどこへ行くの?」
「そうですね……。前に私がお土産にお持ちした砂糖の加工品を販売しているお店に行ってみようかと思いましたがいかがでしょう?」
ブレンダは以前お茶会の差し入れとして持っていった砂糖を加工している店にエレナを案内しようとしていた。
少し街から離れているのと、普通の女性が一人で歩くには治安のよくない通りではあるものの、今は自分、そして距離をとってついてきている護衛がいるのだから問題ないだろうと考えたのである。
逆にこの機会を逃したらエレナがこの店を尋ねるのは難しいかもしれない。
お店には自分が選んだもの以外の商品もある。
それらがお店でどのように並んでいるのかを是非見せたいと思ったのだ。
「行ってみたいわ!可愛らしいお砂糖がたくさん並んでいるなんて、とても素敵な場所だと思うの」
エレナが同意したため、行き先は砂糖菓子の店に決まった。
中心部から少し外れて入るものの遠い場所にあるわけではない。
数分歩くとすぐに店の前にたどり着いた。
立ち止まったブレンダに合わせてエレナも足を止める。
「こちらです」
薄い水色の壁に、小さなドア、一見普通のおしゃれなおうちに見えるが、ドアの上部には砂糖菓子の店と書かれた看板が出ていて、まるで隠れ家のようなお店である。
ブレンダがドアを開けると店主らしき人がすぐに声をかけた。
「いらっしゃいませ」
開かれたドアの先には宝石のように光を浴びた白い結晶がたくさん光っていた。
「すごい!これは全部砂糖でできているの?芸術作品ばかりだわ!」
大きい飾りからショーケースに並べられた小さなものまで、砂糖の彫刻作品と呼べるようなものがたくさん目に入った。
そんな店内の様子にエレナが感嘆の声を上げている。
ブレンダはそんなエレナに温かい目を向けていた。
店内なら大丈夫だろうとエレナとブレンダが手を離すとエレナは店の端から商品をじっくりと見始めて、一つのショーケースの前で足を止めた。
「小箱に入っているものもあるのね。これならしばらく飾っておけるわ!いくつ必要かしら?」
突然、たくさん購入したいと発言するエレナにブレンダは驚いて尋ねた。
「どちらかにお持ちになるのですか?」
我に返ったエレナは自分の斜め後ろにいるブレンダの方を振り返った。
エレナはブレンダに行きたいところなど何も告げていなかったのだ。
「あのね、この後、行きたいところがあるの」
エレナが恐る恐る切り出すと、ブレンダは聞き返した。
「そうなのですね。どちらですか?」
「師匠のところなんだけど、こちらのものをお土産にできないかしらって……」
「師匠?」
師匠が誰のことか分からず、思わず反復すると、エレナは説明を始めた。
「刺繍の工房なんだけど、私、行ったことないの。一度行ってみたいと思っていたのだけれど……。よく考えたら師匠のお店の場所、よく知らないわ。それに突然行ったら迷惑よね……」
説明を始めたのはいいが、肝心の店の場所が分からない。
それによく考えたらアポイントなどもとっていない。
家庭教師にそういうことも大事だと言われていたのに、浮かれていて何もしていなかったということにエレナは気がついて、だんだん声が小さくなっていく。
「大丈夫だと思いますよ。確かお店になっていますから。それにいらっしゃらなくてもお土産ならお店に預けておけば渡してもらえると思います。それに工房へ行ってみたいのでしょう?」
「いいの?」
エレナが嬉しそうに言うと、ブレンダはうなずいた。
「はい。場所はわかりますから」
「ありがとう!嬉しいわ!」
「ではお土産ですね」
「工房は何人くらい働いているのかしら?」
工房のことを考えれば考えるほど、自分は何も知らないのだということにエレナは気がついた。
知っているのは師匠の刺繍の腕のよさだけで、お店の規模も場も知らないのだ。
一方のブレンダは店の広さなどを考えながらおよその人数を割り出していた。
「あの工房でしたら十人くらいかと……」
「じゃあ、二十個買いたいわ。先生たちにもお土産にしたいの。いいかしら?」
「大丈夫だと思いますよ。自分でお買い物されますか?」
「やってみるわ!」
この店はそんなに広くない。
二人の会話は全て店主に聞こえていた。
そしてどうやら商品を気に入って買おうとしていて、商品を気に入ったお嬢さんが、自分で初めて買い物をしようとしているということも察することができた。
店主は何も聞いていないフリをしながら、彼女が話しやすい店員を演じようと、エレナを待ち受けた。
そんなことはつゆ知らず、エレナは店主のところに駆け寄って欲しい商品を手でさした。
「あの、あちらの商品を二十個いただけますか?」
「かしこまりました。お代はこちらでございます」
金額を提示されたエレナは自分のバッグからお金を出す。
「これでいいかしら?」
「はい。ではこちらがお釣りです。今、商品を準備いたしますから少しお待ちくださいませ」
「わかったわ」
先に料金を受け取り、お釣りを渡し終えた店主は、エレナのさした商品を袋に詰め始めた。
普通ならそのようなあいまいな表現では正しく商品を購入することはできないはずなのだが、今までの会話からどの商品のことを言っているのかは分かったし、細かいことを責めて、買い物が嫌いになってしまっては困る。
高級なものをたくさん買ってくれるというのだから、そこはサービスしてもいいだろうと店主は思ったのだ。
幸いにも近くにいる姉のような女性に、商品を確認するように見せれば、彼女は黙ってうなずいたので対応も間違っていないと確信できた。
「お待たせいたしました……お嬢様方でお持ちになるのですか?」
商品の準備が整ったのはいいが、渡す相手がいないと店主は困惑しながら聞いた。
貴族の女性二人だけで店に来ているわけがないので荷物持ちがいると考えたのである。
「私が持ちます。問題ありません」
ブレンダは笑顔でそう言うと、軽々と袋を受け取って抱えた。
「かしこまりました。いくつか小分けにできるよう、袋をおつけいたしましたのでご利用ください。ありがとうございました」
一つはそんなに重くないが寮があるのでそれなりの重量となっている。
それをまとめた紙袋を片手で軽々と持ち上げた令嬢に驚きを隠せないまま、店主は二人を見送ったのだった。
店を出た入口でエレナは立ち止まってブレンダに声をかけた。
「私、初めてお店でお買い物したわ!袋は私が持った方がいいかしら?」
市場でも買った人が荷物を持っていた。
エレナも自分で持った方がいいと感じたようである。
そんなエレナにブレンダは笑いながら言った。
「大丈夫ですよ。エレナ様は私の手を離さないようにしてください。そちらの方が重要です」
「そうね。ありがとう」
ブレンダは開いている方の手をエレナに差し出すと、はぐれないように手を繋ぎましょうと付け加えた。
エレナは嬉しそうにブレンダの手を取った。
確かに一番怖いのはブレンダとはぐれてしまうことである。
市場でははぐれた時はまっすぐ道を歩いてその先で合流すると決めていたが、この先ははぐれることを想定していない。
護衛がついているので身の心配はないが、合流して仕切り直すのに時間を使うのはもったいない。
エレナにはあまり時間がないのだ。
「じゃあ行きましょう」
店の前で話していた二人は、こうして店を離れて次の目的地に向かうことにしたのだった。




