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第10章「アルスの作戦」

 俺はこの森に入ってからどれだけ奥に進んでしまったのだろうか。あまりにも魔物がでないものだから完全に調子に乗ってしまっていた。出口までの方角は分かるが、距離がいまいちつかめない。それが俺の不安感をより駆り立てる。


『デカイな。デカいがアレは弱そうだ。何故逃げる?』


 森の草木を掻き分けて疾駆する俺にオルガニアが呑気そうに尋ねる。

 息を切らしながら、肺に一気に空気を取り込み、一息で答えた。


「いやいやいや、そりゃお前からしたら弱いかもだけどな!? 俺みたいな貧弱が戦ったら一瞬で命が消し飛ぶわ!」


『見かけは狼のようだが、ふむ。牙が異常に発達してそれに身体も伴った、といった所か。興味深い進化だ』


「話ィ聞け!!」


 尚も悠長に考察しているオルガニアに怒鳴り散らす。

 未だに出口は見えてこない。ちょっと待て、おかしい。いくらなんでも遠過ぎる。


 息切れで思考が定まらないが、霧がかったような違和感を感じていた。

 どれだけ深く入っていてもそれほど長い時間は歩いていない。流石にもう出口の明かりが見えてもいいはずだ。


「なっ……!?」


 もしや、焦りで走る方向を間違えたか。……そう思ったが、俺は目の前の光景に目を見開いて足を止めた。

 踵を返して真っ直ぐに元の道を走っているはず、だったのだが、そこにあったのは……。


「そんな……!? 嘘だろ、真っ直ぐに走ってたはず……」


 ゴツゴツとした立ち塞がる土に触れ、それが本物である事を確かめる。森の奥は傾斜のある山だ。これがその一部だと考えると、俺はさっきから奥へ奥へと向かって走っていたということになる。

 方向音痴になった覚えはないが、やはり予感した通り、走る方向を間違えてしまっていたらしい。


 いや、待て。……それにしたっておかしい。俺は森の()()()()()迫ってきた魔物から逃げる為に()()()()()走ったのだから、俺が奥に行く事は絶対にない。ない、はずだ。


 森は同じ景色ばかりで感覚が狂うと言うが、こんなのはまるで、途中で道がひっくり返ったかのような……。


『ふむ、お前は中々チャレンジャーだな』


「違うからな。急に頑張りたくなったとかそういうんじゃないから」


 理解できない現実を目の前にして、八方塞だ。

 諦めるという選択肢が早くも頭に浮かんでくる。ともすれば走馬灯でも見えてきてしまいそうな絶望感だ。


 バキ、というまた一際大きな木々を踏みつける音が聞こえた。俺は振り向く度胸もなく、ただ肩を震わせて縮こまる。

 しかしすぐに少し気になっていた忙しない足音も近づいてきているのが分かった。

 一体なんだ、と。好奇心が恐怖を乗り越え、俺は音の方へ振り向く。今までその姿は分からなかったが、こちらに迫ってきているのは人間のようだった。


「はぁっ、はっ……はぁっ……! けほっ、けほっ」


 草を掻き分け、ふらつきながら走ってくる音の正体は息も絶え絶えになった少女だった。

 少女は頭や服にいくつも枯葉や土埃をつけながら転がるようにして俺の目の前で倒れこむ。


「え、えーと……」


『死んだか?』


「いや……死んでねぇだろ」


 床に伏してピクリとも動かない少女の長い髪は土や泥でぐちゃぐちゃになっていて、色々な方向に跳ねている。髪を結っていたのであろうゴムは外れかけて髪の毛に引っかかっているだけになっているという見るも無残な状態だった。

 見た感じ、恐らく歳はエミィよりも上だろう。


 文字通り息も絶え絶えなところを見るに、この子も相当焦って走っていたらしい。


「うっ、げっぼ! ……あ、あれ……いき、どま……り……」


 少女は咳き込みながら目の前にいる俺の奥にある山道を見て目の光を失くす。

 絶望する気持ちはよく分かる。山は登ろうと思えば登れなくもなさそうだが、きっと更に凶悪な魔物が待ち構えていることだろう。進もうが戻ろうが待つのは死だけなのだ。


「もう、だめ……走れない……。見知らぬ冒険者の方、もしあたしの仲間に会ったなら、どうかあたしは死んだとお伝えください……」


 そして地に顔をつけて完全に動かなくなってしまった。どうやら依頼途中に仲間と逸れた冒険者の少女のようだ。


 しかし伝言を頼む相手を間違えている。だって多分、俺も君と一緒に死ぬと思うから。

 現在、走っては来ていないようだがゆっくりと魔物の足音は俺たちに近づいてきている。


「ああ……なんで俺、出かけちゃったんだろうなぁ」


『おい、お前が死んだら後処理が面倒なのだ。その女をそこらに縛り付けて囮にでもしたらどうだ』


 頭の中に悪魔の囁き……ではなく魔王の囁きが聞こえてくるが勘弁してくれ。後味が悪いというのは命の危機なわけだから取りあえず言わないことにするとしても、それで助かる保証なんてない。俺は完全に森の出口を見失ってしまっているのだから、なにかしらに捕まるのは時間の問題だ。


 なんとか身を隠す方法を考えていると、倒れていた少女の手が痙攣したかのように僅かだが動く。

 そして、先程の死にかけの態度とは一転、文字通り全身のバネを使って飛び起きた。


「はっはーん! なーんてうっそでーすっ! こんな所で死んでたまるもんですかバーカ!! 最後まで足掻いてみせるわよバーカバーカ!!」


 握りこぶしを作って少女は誰へともなく叫ぶ。先ほどの死んだ魚の眼のような彼女からは想像できない程のハイテンションだが、痛々しさすら感じる空元気だ。


「そこのあんた! 剣持ってるとこ見ると冒険者よね? 名前は?」


「え? あ、あー。俺はアルス。冒険者としては、まだ駆け出しもいいとこだな」


 勢いよく指をこちらに突きつけてくる少女の問いに対し適当にはぐらかしながら答える。ここで勇者ですと名乗っても今の俺にその証明となるものは何もないし、過度な期待をかけられても困る。

 と、そこまで自己紹介すると、少女は見るからにがっかりしたような目で俺を見た。


「あっそー、駆け出しかぁ。役にたたなさそうねー」


「うっさいわ!? というかお前はどこの誰だよ!」


 役に立たないという事を否定する気はないが、そんな事を言うならそっちこそどうなんだと問い返してやりたくなる。


「あたし? あたしはシルベル。シルベル=シュレイクよ。ふふん、シルクって呼びなさい」


「冒険者歴は?」


「7日よ」


駆け出し(なりたて)じゃねぇか!!」


 駆け出しを罵倒した後にさらりと駆け出し宣言する少女に驚きを禁じえない。ブーメラン背中に刺さってますよ。

 なんでそんなに胸を張って言えるのか不思議でならないというか、先程の台詞を是非鏡を見つつ謝罪の言葉も含めて言っていただきたい。

 というか多分この子は少し頭が弱い子なんだろう。絶対そうだ、そうに違いない。


「まぁいいわ。あんたもあの魔物から逃げてる最中よね。ここは協力してなんとか脱出しましょう!」


「いいけど、俺はなんもできねぇぞ」


「冒険者名乗ってるなら剣術はできるでしょう? その腰のは飾りかしら」


 飾りです。

 とは流石に言わなかったが、このシルク、という少女が経験は浅くとも一端の冒険者ならば便乗して俺が逃げられる可能性は十分にある。彼女こそが俺の救いの女神となってくれるに違いない。


 そう期待を込めて俺は彼女にひとつ質問をしてみる。


「ちなみに、君は何ができるんだ?」


「障壁魔法よ」


「なるほど、それから?」


「障壁魔法よ」


「……それから?」


「障壁魔法よ」


 なんだ、この子は俺を馬鹿にしているのだろうか。壊れた蓄音機の如く同じ事しか言わない。だというのにシルクの自慢気なドヤ顔は一体何を意味しているのだろう。


「あたしは障壁魔法しか使えな……使わないのよ」


 女神は死んだ。


「……役に、たたなさそー」


「うるっさいわね! あんたよりは役に立ちますー!」


 それにしたって偏りすぎだ。言い直してる辺り意地を張っているのだろうが、この分だとその障壁魔法もちょっと信じることはできない。


 障壁魔法というのは魔法の一種である。

 壁を作る基本的な使い方から、魔力のみで剣や斧といった武器を生成したり橋をかけたりなど、その内訳は障壁だけに収まらず魔力自体に質量(・・・・・・・)と硬度を持たせる(・・・・・・・・)魔法(・・)の総称となっている。

 ちなみに、鉄や土など、物質に魔力を流し込んで流動させることで壁を作るような魔法は『操作魔法』に類するため障壁魔法とは別物だ。その辺の線引きは正直ちょっと複雑で俺も知らないことが多い。


「ふ、ふん。魔法は難しいのよ。頭の悪そーなあんたには分からないでしょうけど」


「そーですかいっと」


 シルクの言い分は右から左に流すとして、耳を澄ませると足音は大分近くまで来ているようだった。流石にこれ以上悠長に話している時間はなさそうだ。


「ゆっくり、物音を立てないように行こう。この森、やっぱりなんか変だ」


「わ、わかったわ。しょうがないから今はあんたに、したっ、従ってあげる」


 声を震わせて何がしょうがないだ。俺が声のトーンを下げて辺りを見渡しただけでこの怯え様。この子も相当な小心者だな。


「オルガニア、この森……」


『ああ、微かだが森全体から魔力を感じる。細工されたのはお前が入った後だな』


 シルクの前に立ち、先導しながら小声でオルガニアに尋ねてみると、やはり予想通りの答えが返ってきた。


 まず間違いなく俺たちは襲撃されているという事でいいだろう。

 まさか、魔王軍か……はたまた人間の悪人か。

 ともかく冗談ではなく魔物に無残に食われて死ぬのはごめんだ。


「ね、ねぇ? あんたこういうの、慣れてるの……? やっぱ駆け出しって嘘だったり?」


 後ろにいるシルクが涙ながらに俺の服の裾をつまみながら訊いてくる。か細い希望にすがって励ましてもらいたいのだろうがそうして欲しいのは俺のほうだ。残念ながらシルクを安心させてあげることはできない。


 言っておくが俺がこういう状況に慣れてるわけがない。普段は街から殆ど出ずギルドに入り浸り、いつの間にか店員と顔なじみになって「たまには依頼をお受けにならないんですか?」とか超直球の皮肉を通り越して嫌味を言われるくらいには弩級の引きこもりなのだ。


 だから今、手は震えまくってるし、何か答えようにも口がガチガチと鳴らないのを抑えるだけで手一杯。前に出たのは顔面蒼白なのを見られるのが少し恥ずかしかったからだ。

 俺はなにか受け答えようとしたが、噛みそうだったのでやめた。


 周囲に最大限の注意を払い、抜足差足で歩いていると、いつの間にか魔物の足音は遠のいていた。

 どうやら、見失ってくれたようだ。早期発見からの早めに逃げの手を取ったのが功を奏したのだろう。

 後はなんとか森を抜けるだけだ。


「はぁ……ま、森を抜けるのも一苦労しそうなんだけどな……」


 俺は安堵の息を吐いて、一瞬足を止める。

 その正しく一瞬と呼べる程の短過ぎる油断。


 俺は頭上から差す巨大な影に気がつかなかった。


「……ッ! 前ッ!!」


「は?」


 シルクの切り裂くような悲鳴で我に帰り、俺は無防備に目線をあげる。


 目の前には、ズラリと並んだ銀色の刃物……ではなく、牙。

 そして、振るわれる丸太のような豪腕と、それについている大剣のような重量感のある爪。


 ――死。


 全く状況を理解できない俺の頭に、ふとそんな文字が浮かび上がった。


「『護れ』!!」


 俺の頭を吹き飛ばしかけたその爪と腕は、しかし一枚の見えない壁によって阻まれる。

 刹那、硝子が弾け飛ぶような音と共に衝撃が駆け抜け、俺は真横に吹き飛ばされた。


「ぐぅっふっ、あがっ!?」


 木に背中から衝突し、骨がひび割れ、肺から一気に酸素が抜ける。

 なんだ、一体何が起こった……?

 一瞬で視界が真っ赤に染まり、明滅を繰り返す。


「ちょっと、あんた大丈夫!?」


 シルクがこちらに駆け寄ってくる声が聞こえる。

 俺は何に殴られたんだ。俺は生きているのか……?


『馬鹿が。目を覚ませ』


「ぅあっちぃ!? げほっ、げほっ!」


 身体が弾けるような熱に晒され、意識が急速に現実に向かって浮上する。浮いたり沈んだりで頭がガンガンするが、生きている。意識が飛びかけていたギリギリの所でオルガニアが叩き起こしてくれたようだ。


「良かった、防御しても凄い音したから死んじゃったかと……って、頭から血出てるわ!」


「わ、分かってる。それどころじゃない、走ろう……!」


 流石は野性の狩人。目の前に迫られたことすら分からなかった。ともかく今度こそ完璧に見つかった。2メートル前後はあるであろう怪物から逃げられるかは分からないが、もう走るしかないだろう。

 先程俺の頭が弾け飛ぶのを辛うじて防いでくれたのは恐らく、シルクの障壁魔法なのだろうが、一発で消し飛んだ。実力の差は歴然だ。


 4足の狼のような魔物――図鑑で見たことがある。名はグランウルフ。この森には……生息していない魔物だ。


 グランウルフは涎を垂らし、前傾姿勢をとる。目は血走り、獲物を狩る目だ。もしかしたら空腹状態なのかもしれない。


「あ、あんた、走れるの……?」


「無理……ぽい」


 骨にヒビ、いやもしかしたら軽く砕けてどこかに刺さっているかもしれない。そんな状態の俺は走るどころか立ち上がれない。喋れるだけでも奇跡だ。


「ひっ……」


 シルクからか細い悲鳴が漏れる。

 グランウルフが一歩、こちらに近づいてきた。万事休す、か。


『おいアルス、立たんか』


「立てる……わけねぇだろが」


 この状況でもオルガニアはさして慌ててはいない。この図太さは流石魔王と言ったところなのだろうが、良かったら助けてほしい。


『ふーむ、できれば魔力をあまり使いたくはないのだが仕方がない』


「出来れば早くしてくれ……」


『そう急かすな。そうだな……回帰の魔法。地を叩いた水は天へと昇り、壱は零へと還る』


 オルガニアがそう唱えると、俺の視界が歪み始める。空間湾曲とでも言えそうなほどの歪みっぷりはついさっきの衝撃以上に吐き気を催すものだ。


「うっ、なん……おぇっ!?」


『さて、ではどうにかしてみろ。もう使わんからな』


 あー疲れた、と言ってそれきりオルガニアは静かに寝息を立ててしまった。

 俺は目をパチクリと瞬かせて頭に手をやる。


 痛みはない。血もない。

 ……動ける!

 俺が足に力を込めるのと、グランウルフの口が俺に向かって開かれ、シルクが声をあげるのはほぼ同時の出来事だった。


「危ないっ!」


「ぉぉおりゃあ!!」


 俺を食い千切ろうと迫る恐ろしい牙を済んでのところで身をよじって躱す。

 俺を捉えきれなかった歯は、俺の真後ろにあった太めの木を抉り、毟った。

 どんな防具ですらも貫通し、破壊する強靭な牙と顎。

 グランウルフはバラバラに噛み砕いた木のかけらを吐き捨て、ゆらりと俺に向き直った。

 先程ダメージを与えたからか、ターゲットは完全に俺である。


 考えてみたら、こいつの最大速度は人間のそれを遥かに凌ぐ。走って逃げるなんてのは難しいを通り越して不可能だ。

 だが手段がないわけじゃない。幸いにして今この場には障壁魔法を扱えるシルクがいる。

 倒せはしないが、怯ませて撒くくらいの事はできる。


「……行くぞ!」


「え? って、きゃあ!」


「どうにかしよう、するしかない! 俺の言った通りに魔法を使ってくれ!」


 俺は脂汗を拭うのも忘れ、シルクの手を取り猛スピードで駆け出した。



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